その7 後悔
私の誕生パーティーまで後二週間となったその日、いつもよりずっと早い時間に侍女から旦那様がお戻りになられたと伝えられた。
いつもよりとても早い時間。
フリードリヒ様の所から戻って着替えたばかりの私は慌てて身なりを確かめ、問題が無い事を確認すると旦那様を出迎えた。
「おかえりなさいませ、あなた」
「ああ、ただいまっ」
いつもよりにこやかに、少しはしゃぎ気味な彼にどうしたのかと問いかける。
「今日はご機嫌ですね」
「ああ、ご機嫌さ。三週間の休みが取れたからな」
「…え?」
どういうことかと怪訝な顔をする私を見て、彼はこう続ける。
「ん?おまえが旅行したいと言ってたからな。がっつりと仕事を片付けて休みをもぎ取ってきたのさ」
「…りょ…こう…?」
あの時…の…
「ああ、行き先も手配してる。おまえが行きたがってた海が見えるあの街だ。来月の一日に出発だから準備しておけよ?」
この人が毎日、更に帰宅が遅くなっていたのは………
「呼び出しが無いように、不在中の事を頼みにフリードリヒが抱えてた難案件も片付けてやったからな。二人きりの時間はたっぷり作れるぞ」
私の…為………?
「しかし、酷いんだぞ? あいつ恋人でも出来たのか俺がウンウン唸ってる横で毎日爽やかに帰宅するんだ。だから一番突発事項が発生しそうな案件をあいつに押しつけてやったよ、ははは。旅行から帰ったらあいつの彼女も紹介して貰わないとな」
裏切ったのはこの人では無く…
最初から私………
笑いながら話し続ける彼の言葉を聞いて、自分の血の気が引いていくのがわかる。
そんな…
「ん? おいおい、顔色が悪いぞ? 体調が悪いなら早く自室に戻って休むといい」
「いえ…折角あなたが早くに戻られましたのに…」
「いや、無理をしてパーティーや旅行に響いてはお前が楽しめないからな。今はしっかり休むといい」
そして額に優しいキスを落とされ… 罪悪感に心が押し潰されそうになる。
「はい… ありが…とう……ござい…ます………」
私はそう言い残し、部屋へと戻った。
…なに?これは…なに?
あれは………あれは……あれは、なんだったの?
………まさか……フリードリヒ様………………ちがう……まさか…ちがう…まさか…ちがうちがうちがう…
本当の事を知るのが怖い………
混乱して動けなくなった私はフリードリヒ様の元を訪れる事もできず、さりとて旦那様と顔を会わせる事もできず、あの日から早くに帰宅されるようになられた旦那様が私の体調を気遣ってくださるのに甘え、自室に籠もり続け自問自答の日々を過ごした。
そしてパーティーまで一週間となったその日、ヨーゼンヌ侯爵婦人からお茶会の誘いが届く。
外に出るのは辛いけれど、あの方からの招待を断るわけにもいかず、久しぶりに屋敷の外へと足を運んだ。
「エリーゼ、よく来てくれたわ。最近体調が思わしくないって聞いていたから心配していたのよ?」
「ご心配をお掛けしてもうしわけありません、ローザリンデ様。少し疲労が出ただけですので」
「まあ。疲労を甘く見てはいけないわ。来週には貴女の誕生日パーティなのですから、しっかりと体を癒すのですよ?」
「ありがとうございます」
旦那様を特に目をかけてくださるヨーゼンヌ侯爵様は、旦那様が勤める国家財務局の長である財務大臣であり、その奥方であるローザリンデ様は私が幼少の頃から家族ぐるみのおつきあいで、本当にいつも私の事を可愛がってくださる。
そして、旦那様と結婚することを最も喜んでくださった方でもある。
それだけに申し訳なく心が痛い。
「ああ、それにしても貴女のパーティードレスが今から楽しみで仕方ないわ」
「光栄ですけれど、ローザリンデ様のお目に適う程となりますか心配です」
「まあ、貴女が着て似合わないドレスなどありましょうか」
「そんな」
「貴女の美しい姿を見て鼻の下を伸ばす男共に、リーンハルトがやきもきする姿が今から見えるようですわ」
私にそんな資格はないのです…ローザリンデ様………
「そうそう、リーンハルトと言えば…」
その言い回しに、ぴくりと反応する。
「あの子、色々と影から嫌がらせを受けているらしいという話しはご存じ?」
「え?」
「それも、あの子の一番の親友という…」
「…フリードリヒ…様………ですか?」
「そう、その子」
目の前が真っ暗になりそうになりながら、それでも尋ねずにいられない。
「…いつから…ですか?」
「目に余るようになってきたのはここ三ヶ月くらいかしら」
三ヶ月…ちょうどその頃から…
「夫からもそれとなく伝えてるみたいなのだけど、リーンハルトがお人好しだから気付かないのよ」
「旦那様はお優しいのです…」
そんな彼を私は…
「そうね、あの子らしいと言えばらしいけれど… 以前は子供の悪戯のようなものだったらしいわ。だからさほど強くは咎めずにいたそうなのだけれども、この三ヶ月はその行動が目に余るようになっているそうなのよ」
「…どのような嫌がらせを受けているのか、お聞かせ願えますか?」
「そうね、宮中のあの子に気がある女どもを唆してあの子を誘惑させたり、抱きつかせたり… 貴女一筋のあの子にそんなことをしても無駄だってようやく解ってきたようで落ち着いてるみたいだけど。あの子の服に自分が娼館の女から貰ったメッセージカードを忍ばせようとした事もあったそうよ」
あのメッセージカードや香水の匂いの原因は…フリードリヒ様が…仕組んだもの…?
「カードの時は夫が見かけて止めて厳重注意をしたらしいけれど、反省している風も無かったそうだから、気をつけてね」
それからリーンハルト様とフリードリヒ様の同窓生でもあるアウレリア様も加わってローザリンデ様に促され、悪口を言いたくは無かったのだけれどと前置きされて学生時代からの話も含め、他にもいくつも話を聞いた。
それが全てフリードリヒ様の不誠実な人柄を、彼の言葉の嘘を指し示す。
こんなことって… 私はあの人に……… どうしたら… どうすれば…
「それでね… ってエリーゼ、貴女、顔が真っ青よ!?」
「あ…」
「すぐに医者を貴女の家に行かせますから、貴女は早く帰りなさい。
ヨーゼフ!ヨーゼフ!早くいらっしゃい!」
ローザリンデ様がヨーゼフ筆頭執事を呼びつけると、すぐに馬車が呼ばれ、私は家に送られた。
家に着くと同時に医者も屋敷に入ってくる。
そして今、私は後悔と絶望の闇の中にいる…