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 『子守唄としての詩的確率論』

作者: 山門三千花

 詩です。


 誰も生まれない日があるとしたら それは何月何日だろうか


 誰もが死なない日があるとしたら それは何月何日だろうか


 誰もが泣かない日があるとしたら それは何月何日だろうか


 誰もが笑顔の日があるとしたら それは何月何日がいいかな


 君が世界を決めていい そう思えるのは 何月何日がいい?



 しあわせになれるとしたらさ なんがつなんにちがいいの?



 いつでもそう きめていいとしたら いつがいいの? きみは




 今夜は穏やかな風が吹くね




 明日は何月何日かな


 僕は誕生日が好き



 毎日生まれるものがあるんだよ


 それは なんだと思う?


 僕はそれも すき



 おやすみ 


 だいすきだよ




 拙作をご覧くださりありがとうございます。

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