87 穴掘り成功
カスマンドの王都ジャガンダールに来た目的の大半は、これで達成された。
後は、ケスガイゼ国王一家の帰還の日取りだけとなった今、アランの役目は終了したも同然であると考えていた。
自ら播いた種とはいえ暫く雑務に忙殺されていた体がようやく空いたことで、王都ジャガンダールのデイマークス辺境伯邸に滞在していたカルアと久しぶりのデートをしようと思い立ったアランは、ガルーダとルージュを駆って大空へと舞い上がった。
ジャガンダールから南東方向に向かって飛ぶ2頭のケームは、目的地を告げられないまま自由に大空を滑空していたが、ある地点に来てアランが突然降下を命じたことに素直に従った。
そこは、チャーバントの王宮があった場所で、現在でも次期国王として戴冠する日を待っている王太子が暮らすところでもあった。
既に国営盗賊団は完全に殲滅されて、王宮の守護を司る近衛軍の兵士の数もまばらにしか見当たらない中、カルアとアランはグリフォンに乗ったまま後宮の前庭に舞い降りた。
守りの体制を敷けるほどの人数が残っていなかったチャーバント王宮では、再び襲来した2頭のケームに絶望の色を宿した目を向けるだけで何らのアクションも返って来なかったが、それがアランであることに気付いた王太子はケームを恐れる素振りを見せることもなく近づいて来て、臣下の礼を取った。
アランとしてはそこまでのことを強要したことなど一度もなかったのだが、既に国家としての体裁を成していないチャーバントにあって無駄に大きな王宮を維持管理することも出来ない現状では、誰かに縋るか王自らが他国の臣下に下るかしないと判断しての行動であろうと考えた。
「ようこそおいで下さいました、アラン・シュネーデルン・トロイジャール・リード侯爵閣下」
昨日賜ったばかりの爵位と名前を、目の前の王太子が知っていたことにまず驚いたアランは、そのことを問い質す前に一歩後ろに控えていたカルアに睨みつけられた。
「先日伯爵に陞爵されたばかりでしたのに、また爵位が上がったのですか、だんな様」
「えーっとね、この前伯爵に叙されたのはロマンダリアで、今回侯爵に陞爵されたのがカスマンドなんだよ」
取り敢えず嘘は言っていないことを証明するために、アランは敢えてカルアを振り返ってその眼をじっと見つめた。
「まぁ、いいでしょう。何事も規格外のだんな様の事ですから、あたし如きが何を言っても無駄でしょうし」
「あの、それで本日のお越しのご用件は・・・・・?
アランとカルアの冷戦に腰が引けた王太子は、おずおずといった態で問いかけた。
ハッと我に返ったカルアは、アランの行動の妨げをしてしまったことにひどく落ち込んで俯いてしまった。
「王太子殿下、本日は王族方に覚悟のほどを伺いに参りました」
そう言うと、アランは王太子と目線を合わせるように片膝を着いて見せた。
「覚悟と仰いますと、どのような…? 例えばこの場で自刃して果てよということでしょうか」
王太子の言葉に、カルアの肩が跳ね上がった。
ここがチャーバントの王宮であることは、王太子の顔の特徴からすぐに分かったが、ケスガイゼに対する暴虐の罪をこの幼い子供に着せて処分してしまうつもりかと恐れたのである。
自分の夫が犯罪者に対して苛烈な措置を恐れないことを身をもって知っているカルアにとっては、アランの言葉はそれだけに王太子の発言を引き出すための撒き餌にしか聞こえなかった。
「だんな様、それはお考え直し下さいませ。これでは余りに殿下の身が不憫でなりません」
そうカルアに詰め寄られて、今度はアランが驚いた。
「あのさぁ、カルアはボクのことどんな男だと思ってるのかなぁ…。身を守る術もない子供にそんなことさせるわけないでしょ」
「では、どういう意味で?」
「だから、カルアは口を出さないで見てなさい」
「・・・・・・・・・・・・・・・・はい」
またもやアランの邪魔をしたと勘違いしたカルアは、今度こそ身の置き所が無い様に沈黙し、俯いた。
「チャーバントの国民の何割が国営盗賊団に属していたか分からない現状では安請け合い出来かねる問題でもあるのですが、この地を捨てて新天地で鼬人族の町を興したいとお考えなら協力できるかもしれないと思って参りました」
「すでにこの地は何年も前から人が住める場所ではありませんでした。我らが生きる為に他国を侵略するか、他国に迷惑をかけることなく座して死を待つかのいずれかでした」
まだ成人もしていない身でありながら自国の置かれた現状を正確に把握していることに、アランは正直驚いていた。
これが王族としての責務の一端であるのかと感心するとともに、覚悟の壮烈さに心を打たれた。
「私は、この度討たれた国王を僭称する男とは血の繋がりはありません。故に他国にこれ以上の犠牲を強いることを良しとは致しません」
そうだったのか、とアランは半ば納得したような気持ちで王太子の言葉を聞いていた。
「私は、先年崩御された前国王の嫡男です。父が生前夢を見るように語っていた新天地を求めて旅立つことも考えておりましたが、好適地が何処にあるかさえ分からぬ現状では臣下にこれを強要するわけにもいかず、困っていたところでした」
では…、と言いかけてアランは言葉を探した。
「では、その好適地を提供できると申し上げればご一考いただけますか」
「もちろん、それが何処にあるどのような環境の地であるかがハッキリと示されれば一考の価値はあるかと思います。しかし、現状でそのような土地があるものでしょうか」
「一度、その場所をご覧に入れた方が良いかもしれませんね」
「えぇ、ですが侯爵殿の仰ることに異論は無いものの、我々には移動の手段すらありません」
「そこはボクにお任せいただくとして、3日後にもう一度参内いたしますのでその折までに腹心の家臣を集めておいて頂ければ」
「承知しました」
そして、アランはカルアの手を引いたまま歩き出した。
そこは正しく飢餓がこの地を支配せんと虎視眈々狙っている町であった。
食料を持ち帰る者が絶えた現在、貯蔵していた麦を減らすことで生を繋いでいる儚い生活があるだけの場所でもあった。
いずれそう遠くない将来、以前のような生活が戻って来るのだと諦めの目をした国民が、耕すべき土地も無いままに無為に時を浪費していた。
「これでは、ケスガイゼがチャーバントに変わっただけの様に見えます」
悲しい目をしながら、カルアはようやくそれだけを絞り出すように呟いた。
「ここに国を建てることがそもそもの間違いだったんだろうけど、今となってはそんな繰り言を言ってる場合じゃないしね」
これが鼬人族の現状だとカルアにしっかり認識させたことで、アランはそのままガルーダとルージュを駆ってジャガンダールの辺境伯邸へと帰って行った。
メヌラの北、カスマンドとシャーメシルの曖昧な国境が横たわる不毛の大地に、6台の荷馬車が満載の工具を積んで集まっていた。
見渡す限りの荒涼とした砂漠に近い景色は、遥か南に存在する大草原と比べても尚生きる物の気配が希薄な土地だった。
そんな中、荷馬車から工具を下ろしながら犬人族の耳を持つ男たちは信じられないと言わんばかりの顔をして、あらかじめ示されていたマークの場所に櫓を組み始めた。
「なんだってココと決めたんだろうな、男爵様は」
「そりゃお前、あの男爵様のすることだ、凡人には理解できない何かが有るんだろうさ」
「うむ、だから面白いってのもあるけどな」
「そうそう。これが大当たりすりゃこの辺一帯は水が豊富な楽園に様変わりさ」
「そうなるといいな」
「まぁ、男爵様の指示に従えばそうなるんだろうけどな」
「はははは、違いねぇや」
口々に好き勝手なことを喋りながら、2班の建築経験者達は1班の製造担当者の引いた図面道りに穴を掘り始めた。
「男爵様の指示通りだとすれば、あと3サケンも掘れば水が噴き出すはずなんだがな」
1班のリーダー、ケムラーはその瞬間に備えて皆を掘削工事の最前線から下がらせて、水を被る覚悟が出来ている者だけを作業に戻した。
まず、細い空気抜きの穴だけを掘っている現状では、他に水が湧き出している所がない以上、穴が開いた瞬間に大地に押されていた地底湖の空気が一気に噴き出すのだとアランに教えられていた。
その時には少なくない量の水も一緒に吹き出すため、水に濡れるのが嫌な者は穴から離れているようにと指示された通りにしたのだが、実際はそんな生易しいものではなかった。
もう後残すは1サシャ程だと思った頃から穴を掘っている音が異様に大きく響くようになってきた。
そして、もういつ穴が開いてもおかしくないほどの手ごたえを感じたその時、それは起こった。
何かが爆発したかのような凄まじい大音響とともに一気に泥水が空に噴き上がった。
それはケムラーが予想していたよりも遥かに高くまで噴き上がり、結果として避難していた者もそうでない者も等しく泥水の洗礼を受ける結果となった。
数分で吹き上げる水の勢いは無くなり、ゴボゴボという音と共に水が湧き出している穴の辺りには小さな水たまりが出来始めていた。
「やったじゃないか、ケムラー」
作業をしていた仲間から手荒い祝福を受けながらも、ケムラーはこれからの計画を進めるうえでの作業工程を分担することを考えていた。
穴が掘れたら、今度はそれを広げて水を汲み上げる工事に掛からねばならない。
それと並行して、汲み上げた水を貯めておく池をなるべく多く掘らなければならない。
やることはまだまだあったが、今日は初めての成功を祝して一杯やるのもいいかと考えていたところへ、南の地平線の方角から近づいて来る馬車の集団があることに気付いた。
それがタカジル率いる荷馬車の集団であることを理解できるまでに少なくない時間が掛かったが、同時に豪華な装備の乗用馬車が居ないことに気が付いて何かあったのかとケムラーなりに心配になった。
やがてタカジルたちが合流した時、まず初めにケムラーが訊いたのもやはりアランやカルアのことだった。
男爵様がいらっしゃれば、もしもの心配などないとは思いつつも、気が急いたケムラーはまるでタカジルに詰め寄るようにして自分の主人の安否を問うた。
「はははは、心配する相手が違うんじゃないか、ケムラー」
そう一笑に付されて、初めて普段通りの挨拶が出来るようになったケムラーは、素直にタカジルたちとの再会を喜んだ。
「でも、男爵様は何故いらっしゃらないんだ」
そう口にしたケムラーの問いに対する答えは、想像も出来ない事実だった。
「これから言うことは決して嘘やハッタリじゃない。いいか、心して聞けよ」
そう前置きをして話し始めたタカジルの言葉は、到底そのまま信じることが出来そうにない事柄ばかりだったが、アラン・リードという男爵様ならそれぐらい出来てもおかしくはないと納得してしまう部分もあって、そのことをタカジルに正直に話すと、その様子を見ていた皆も大声を出して笑い転げた。
「奥様がよく仰っていたよな。男爵様を怒らせると町の1つや2つ簡単に潰してしまうとな」
「あぁ、そう仰っていたな」
「ところが本当は桁が違ってたんだ、奥様はあれでも控えめに仰っていたってことさ」
「ふむふむ・・・」
「まさかお怒りになった男爵様が国を1つ滅ぼしたなんて誰が信じるよ」
「でも、事実なんだろ」
「あぁ、だから今、男爵様は自分がやっちまった事の後始末に追われていらっしゃるってわけだ」
「なんだかな、後先考えずに突っ走るのはオレ達の方だと思ってたけど、実際は男爵様の方がヒドイんだな」
「おうよ。だからこそオレ達のご主人様で居て下さるってもんだろ」
「違ぇねぇや!」
辺りは既に夕闇が迫る刻限だったが、誰しもが自分達の主君が起こした事件の顛末を肴に酒に興じることを止めなかった。
まだ水が出て間もないこの時期だからこそ謳歌できる自由な時間を、皆心行くまで満喫した。
やがてこの辺りに水が出ると分かれば、土地を奪いに来る者もいるだろうし、水を飲みに来る動物も、そしてそれを餌とする肉食の大型動物も増えることだろう。
その時にどう対処するかを考えている者は、しかしこの中には誰も居なかった。
酒の勢いもあっただろうが、皆、厄介ごとはすべてアランが処理するものだと信じて疑っていなかった。
それだけのことであった。




