83 愛人志願
謁見の間を出て王宮を去ろうとしたアランは、宮廷サロンに集う貴族たちが何かの布告に見入っているところに行き当たった。
チャーバントに対する基本政策の変更か何かだと思って通り過ぎようとしたら、そこに居たロマンダリアの首都ケスの首長も兼ねるトライザン・コートワイル・デスケスという子爵がアランの腕を取ってサロンの隅に引っ張って行った。
「初めて御意を得ます。私ケスの首長を任じられております、トライザン・デスケス子爵と申します。お見知りおき下されば幸いに存じます」
アランは、デスケス子爵の事なら以前から知っていたので、何を言ってるんだコイツはという顔でまじまじと子爵の顔を凝視した。
「子爵とは暁の花園の本部・・・・・・」
お前の事なら知ってるじゃないかと言おうとしたアランの言葉を遮るように、デスケス子爵はアランの耳元で囁いた。
「伯爵と私とは今日初めてお会いする体裁にしていただかないと、他の貴族方から色々と追及を受けます故にお許しください。師団本部の件でシャロワックより若干の報告事項が上がって来ておりますので、少々お時間を頂戴したいと存じまして」
そこで、アランははたと気が付いた。
旧近衛師団本部跡地を暁の花園に斡旋してくれたのがこの子爵であり、シャロワック以下国家枢要の職にあった現在の幹部を口説き落としてくれたのも彼だという事に。
「じゃ、本部の総統執務室で話を聞かせてもらえるかな」
「御意」
「いやいや、そんな敬語おかしいでしょ。ボクは一介の風来坊だし」
「何を仰いますか。先ほど布告がございましたよ。本日附けにて救国の英雄アラン・リードを伯爵に叙するとともに国王の諱の1つを許しアラン・シュネーデルン・リードとする、と」
「早!」
「で、ございますれば、私よりも爵位が上がられましたので敬語は当然のこと」
「まぁ、まぁいいですけど、どうせロマンダリアには長居しないし」
二人はデスケスの近侍と思しき屈強な男たちに守られるように王宮正面から馬車で暁の花園本部へ移動した。
今回は誰にも言えない用件だったので、アランはお忍びで単独行動を取っていた。
移動もガルーダで済ませていたので、実際のところ王都の中を自由に行き来出来る足が無かった。
デスケス子爵は、そういうところを見越していたのだろうかと、アランは目の前の男の評価を少し上方修正した。
馬車の中で世間話をするまでもなく2人は本部に到着したが、正面玄関にはスネーデン・シャロワック以下本部役員が一堂に揃って迎えに出てきていた。
「何なの、これ?」
思わずそう呟いたアランに、一同は間髪を入れずに挨拶した。
「お帰りなさいませ、アラン・シュネーデルン・リード伯爵閣下」
思わず目が点になってしまったアランは、その情報の速さは何事かと問いかけると、宰相から特にアランに関係の深い部門に伝書ツバメが飛ばされたということを聞かされた。
あの爺さん、仕事が半端じゃないな。
あんな執事、何処かにいないかな?
アランとデスケス子爵を総統執務室に案内しながら、シャロワックはマルワン・リネル官房長に目配せして先に行かせた。
総統執務室は本部の建物の最上階にあって、当然のことながらエレベーターなど存在しないこの世界では階段を上って行かなくてはならない。
世間話をしながらゆっくりと進むシャロワックの顔は、アランの偽物が現れた例の件の解決を暗示するかのように、どことなく晴れやかに見えた。
ゆっくりと階段を上って最上階に着いた一行は、本部執務室の扉の前に立った。
わざとらしく咳払いをしてから扉に手をかけたスネーデン・シャロワックは、アランの顔をちらっと盗み見てからそれを開けた。
そこには、アランを出迎えるために本部執務室に勤務する職員が一堂に並んで、一斉に大きな声で祝福の言葉を投げかけた。
「ロマンダリア王国伯爵叙任おめでとうございます!」
何かあるなと思ってはいたものの、これは少しばかり恥ずかしいと感じたが、そこは素直に祝福の声に応えることにして、アランは皆に素直に礼を述べた。
「ありがとう、みんな」
「ささ、中に入って寛いで下さい、総統・・・じゃなかった、伯爵閣下」
いつものように早とちりを見せて皆の笑いを誘ったのは、やはり福祉関係を担当しているマスレル・リンボーンだった。
「じゃ、中に入ってみんなとお祝いしましょうね、伯爵様」
そういう声は、先ほど1人先行して階段を駆け上って行ったマルアンだ。
「みんなが座れる椅子があればいいんだけど…」
「もう、伯爵様はそんなこと気にしないで下さいな。なんだか私たちが子供みたいに感じちゃうわ」
そう冗談めかして言ったのは、マルアン・リネル官房長の下で代理を務めることもあるリリック・ヨースデン副官房長だった。
彼女は贔屓目なしに見ても素晴らしい美人だったが、暁の花園本部の中では何故か半ば痛い娘的な扱いを受けることが多かった。
これまでの人生の中で、出会ったほぼすべての男性から憧憬の眼差しを送られることが当たり前だった彼女としては、この扱いはかなり不当なものだと感じていたが、皆が皆カルア・ソネット・リードという伝説級の超絶美女を直接知っているだけに何も反論できなかった。
「ほら、唇を尖らして言うから、リリックは」
アランの一言に全員が大笑いした。
「なんでこうなるのかしらね、私の扱いは…」
「リリックはさ、黙っているとホントに可愛いんだよ」
「じゃ、何も言うなってことですか?」
「ほら、また」
そして、本部執務室は再び爆笑に包まれた。
「では、伯爵閣下に旧師団本部の事件の経過と調査結果をご報告申し上げます」
威儀を正したシャロワック総統代理がそう言って、報告書の束をアランに差し出した。
「後ほど詳細はお読みいただくとして、私からの報告をまとめますと、以下のようになります」
数十分を掛けて成された報告は、さすがに暁の花園の総統の名を騙った事件だっただけにかなり細かいものだった。
すべてを聞き終えて、アランは頭を整理するように言葉を探していたが、選ばれた言葉はその場を覆う雰囲気を一変させた。
アランの伯爵叙任に浮かれた雰囲気はその一言で雲散霧消し、代ってキリっとした空気が辺りを支配した。
「じゃ、カイエリアの影はまだロマンダリア国内に跋扈しているってことだね」
「はっ、いまだその尻尾すら掴むに至ってはおりません」
「暁の花園は福祉を目的とした団体だから、捜査機関のマネをしろとは言えないけど、何かあればボクに連絡を取れる体制を敷かなきゃいけないね」
「はっ。しかし、この場には総統、失礼しました、伯爵閣下のように長距離を移動する手段を持つ者が居りませんので、何か対策を講じる必要がありますな」
眉間に縦じわを刻んで、シャロワック総統代理は言った。
その言葉を受けて、アランは何も言わずに成り行きを見ていたデスケス子爵を振り返って、その顔を見た。
「デスケス子爵、少しお願いがあります」
「はい、何なりとお申し付けください伯爵閣下」
「ケスの防犯組織も子爵の管轄でしたね」
「仰る通りですが、それが何か」
「その防犯組織を我々にお譲り頂くことはできませんか」
「これはまた・・・・・」
「とんでもない依頼だとは重々承知していますが、ご一考いただけませんか」
「ふむ…。畏まりました。では、実務者を派遣いたしますので詳細はその者らに任せるとしましょうか」
「ご英断感謝しますよ、子爵」
そう言うと、アランは改めてシャロワックに向かって驚くべきことを言い出した。
「スネーデン・シャロワック総統代理」
「はっ」
「本日を以て、キミを暁の花園第2代総統に任ずる」
「はぁ?」
「キミの昇格に伴う人事の混乱は避けたいので、総統代理としてリリック・ヨースデン副官房長をこれに当て、空席となった副官房長は適任者が現れるまでこれを埋めないこととする」
「あのぉ、ちょっといいですか?」
授業を受ける子供の様に右手を挙げながら、リリックはアランに問いかけた。
「私に総統代理なんて出来るとお思いですか」
「実務面では確かに少しばかり荷が重いかも知れないね」
「それをご承知での御指名ですか!?」
「キミには特に命ずる仕事があるんでね、それは恐らくキミ以外には無理だと判断したうえでの人事だよ」
「・・・・・分かりました」
「では、デスケス子爵、ケスの防犯組織の件、くれぐれもよろしく」
「畏まりました、伯爵閣下」
「そして、シャロワック総統、組織の改編は迅速かつ円滑に行う事。いいね」
「はっ。しかし、お言葉ですが伯爵閣下は暁の花園から手を引かれるという事ですか」
「まさか。ボクは顧問ということで在籍したいんだけど、ダメかな」
「とんでもない! 伯爵閣下にはまだ御恩の万分の一もお返しできておりませんので、それがお返しできるまではご在籍いただきませんと」
「分かった」
「で、私は何を・・・?」
若干の不安を滲ませた顔でアランに問いかけたリリックを見て、アランはおもむろに誰にともなく言った。
「リリックを暫く借りるけど、いいかな」
「どうぞ。妾にでも愛人にでも、お好きになさってくださいませ」
笑いを堪えて真面目な顔を繕うマルアンが、サラっとそんなことを言ったため、本部執務室内は再び大爆笑の渦に巻き込まれた。
「あのぉ、私、総統じゃなかった、伯爵様のことは嫌いじゃないですし、どちらかというと好きなタイプなんですけど、何事も順序ってものが大事だと思うんですよ。だから、だからね、いきなりこういう形っていうのはどうかと思うんですよ…」
ケスの郊外まで連れて来られたリリックは、何を勘違いしたのか既に愛人が既定路線ででもあるかのようにアランに訴えた。
「リリックは美人だからね」
それだけ言うと、アランは何もない空に向かって
「おいで」
と一言呟いた。
初めて自分の事を褒めてくれたと思うと同時に何をしているんだこの人はと思ったものの、どこを突っ込んでいいかも分からなかったリリックは、呆けたような顔をしてアランと同じ方向をただ見つめていた。
空の一角にポツンと黒い点が現れたかと思うと、それは凄まじい速度で大きくなっていった。
これは何だ、とリリックが思う間もなくそれは何かの形になっていった。
ようやく、これはもしかしてとんでもないことに遭遇する可能性があるかも知れないと彼女が幾分ビビった頃合いには、すでに自分の上空にケームが浮いていた。
ケームの飛ぶ速度はこの世界で最高だと聞いてはいたものの、それを実際に目の当たりにして彼女は言葉を失った。
そして、自分の隣に立っている伯爵の騎獣がケームであることをコロっと失念していた。
ケームという猛獣は、ゴドリック大陸の南端に版図を持つ単眼族の間でだけ使役獣として使われることがある。
しかし、本当の野生のケームは他のどんな種族にも懐かず、一時的には飼いならすことに成功したように見えても、次の日には野生の習性を取り戻してテイマーを食い殺すことが往々にしてあった。
そんな知識の断片が頭の中を高速で去来していたリリックは、せめて死ぬ前に一度でいいから伯爵様に抱かれたかったな、などと熱に浮かされたような妄言を口にしていた。
自分では言葉にして口から紡ぎ出したつもりは毛頭なかったのに、隣に立っているアランに、
「それはありがたい申し出だけど、ボクにはカルアが居るからね」
と冷静に返されて、自分の失言に気が付いた。
「あわわわわ・・・・・」
取り繕う間もなく、ガルーダが二人の前に舞い降りて来て、その場に蹲って服従の姿勢をとった。
「じゃ、行こうか」
そう言われて、目の前の出来事を現実として受け入れることが出来ずに棒立ちになったリリックは、アランにひょいと抱き抱えられたままガルーダの背に乗った。
「行け、ガルーダ」




