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70 新規事業

 まだ夜が明けて間もない頃、カルアは胸に夫の手の感触を覚えた。


 それは、無意識にカルアの胸を弄るアランの手であった。


 顔を見もせずに、自分の胸を弄る手が夫のものだと確信したにはちゃんとした理由があった。


 もちろん、そんな身近に夫以外の存在を許すはずのないことも一因だったが、それよりも夫の触り方に特徴があったのだ。


 アランがカルアの胸を触るときには、必ず大きく外側から円を描くように中心にある乳首に向かって触る範囲を狭めて来る。


 最終的にに乳首に到達した指は、カルアが快感を覚えるまで触り続けて、カルアが身じろぎすることでようやく離れていく。


 毎朝繰り返される行為は自然とカルアに夫のクセを覚えさせた。


 今自分の胸を弄っているのは、間違いなくアランの手である。


 いつの間に帰って来たのか分からないが、起きて待っていられなかったことを少し後悔しながら、カルアはアランにお帰りなさいませと囁いた。


「起こしちゃったね」


「いえ、もう起きる時間ですし、だんな様の手に起こされるのはイヤじゃありませんから…」











 日が高くなる前に出発しようと、カリスは大急ぎで120人分の朝食を作り上げた。


 旅先のことでもあって、いつものように品数を揃えられた訳ではないが、前の夜に2班の連中に頼んで作ってもらった簡易石窯のおかげで、焼きたてのパンだけは豊富に用意できた。


 パンに泡立てたバターをつけてお茶で流し込むだけの朝食だったが、皆文句も言わずに勢いよく頬張り、朝の食事を終えた。


 さすがにパンとお茶だけの朝食では、アランも自慢の食欲を発揮することも出来ず、大人しくカルアに世話をされてすぐに食べ終えてしまった。


 皆が食事を終えてそろそろ出発という時になって、昨日助けた父娘がアランのところにやって来て、今後の予定を尋ねた。


「男爵様はこの先どちらまで行かれるご予定ですかね?」


「えーっと、お名前を伺ってなかったですよね、確か?」


「はぁ、これは失礼いたしました。オレはネリマス。んで、こいつはカリカといいます」


 父親は、娘の頭を撫でながらアランに答えた。


「お嬢さんは見たところ10歳くらいですか?」


「はい、9歳になりました」


「しっかりしてますね、カリカちゃんは」


「ありがとうございます、だんしゃくさま」


「ネリマスさんは、どこまで帰るんですか?」


「オレは、海岸沿いの町テセルの出身で、今もそこに住んでるです。そいで、テセルで獲れるエビを仕入れてメヌアに売りに来るのが仕事なんだけど、ここんとこエビがダブついててなかなか持って行ったエビを買い取ってもらえないんだわ」


「それは、ホントにエビがダブついててそうなってるんでしょうか?」


「えっと、そりゃどういう意味ですかね、男爵様」


「テセルで初めてエビを売り出した店の品物は、ちゃんと売れてませんか?」


「あ、あぁ、そういうことでしたか。そりゃ仕方ないですよ、何せメヌアの池を作ったのもあそこなんだし…」


「ほら、そういうところが邪魔するから、ネリマスさんのエビが売れないんですよ」


「ほえ~、やっぱり何かのカラクリがあるのか」


「話は変わりますが、ネリマスさんは養殖の経験はお持ちですか?」


「経験だなんて、そんなに難しいもんでもないですよ。あんなものは池さえ作れば誰だって出来るし」


「そんなに簡単なんですか、エビの養殖って」


「餌に困らないもの。食べ残したパンや肉を池に放り込んどけば、勝手に大きくなるんだから」


「なんか、予想と違うなぁ…」


「でもさ、資金がないと大きな養殖池は作れないから、やっぱり金持ってるヤツでないと成功はしねぇんじゃないかね」


「もしかして、このメヌアの池もそんな風に餌をやってるの?」


「うんにゃ、ここじゃ水の中に入れとくだけで餌はやってないみたいだな」


「そうすると、弱りませんか、エビが?」


「活きが良くなくたって、こっちの者にゃ分からないからいいんだって、みんな言ってるからさ、オレもそういうもんだと思ってた」


「なんとまぁ、悪どいことをする奴らだな」


 言葉とは裏腹に、アランは内心ほくそ笑んだ。


 これは絶好の好機到来である。


 折角先発の業者がそういうバカな小細工をしてくれているのなら、それを見逃す手はない。


 ロマンダリアの養殖業者がメヌラに中継池を作った理由は至極明快だから、アランが後発組として名乗りを上げても池は利用させてもらえない可能性が大である。


 ならば、自前の中継池を拵えて、現在中継池を利用できなくて困っている後発業者のエビをすべて受け入れるという選択肢もあるかと考えて、どうせなら最初から最後まで面倒を見た方が後々クレームが発生する芽を摘むことが出来ると思い直した。

 

 もちろん、必要なら希望者に池を解放することも吝かではないし、中継池に受け入れる時点でエビを総てアランが買い取るというパターンも視野に入れて、計画を立案してみるのも面白いかもしれないと考えてもみた。


 今のところ、何も動き始めていない新プロジェクトだから、獲らぬ狸の皮算用に成りかねない側面は確かにあるものの、ちゃんと一から手順を踏んでいけばそうそう泣きを見ることにはならないという確信もあった。


「ネリマスさんからお買い上げになったエビは、何処へ持って行かれたのですか?」


 隣に立って、同じように父親の話を聞いていたカルアが、ふと思い出したようにアランに尋ねた。


「あれはねぇ、ちょっとの間でいいからボクだけの秘密にしておきたいんだけど、ダメかな?」


「それは、もちろんだんな様にお考えあってのことでしょうから、あたしは何も言いませんけど…」


「じゃ、そういうことで、お願い!」


 父親から話を聞いているうちに皆の準備が整ったので、アランは出発を命じた。


 メヌラは、虎人族が樹立した小国である。


 中継池があるのは、メヌラの南の端に当たる国境地帯に近い場所だった。


 ロマンダリアとカスマンドの間には両国を結ぶ街道が通っているが、間にいくつもの小国が存在していて通関手続きが煩雑な側面があった。


 一方、もっと北寄りにはシャーメシルとカスマンドを直接結ぶ幹道が通っているのだが、ロマンダリア人がその道を使う利便性は薄かった。


 地図を見てそれらのことを知っていたアランは、かなり大規模にエビの養殖事業を行うにはどこが一番の適地となるかを熟考した結果、まずロマンダリアを候補地から外した。


 国家予算の規模が小さい小国群では、大国間を移動する物資に関税を掛けることで、かなりの税収を確保していた。


 その観点からも、これからアランが興すの事業の儲けを、林立する小国群に分け与える格好になる現在の中継池の位置は、どう考えても利用価値がなかったのだ。


 一方、ゴドリック大陸の東海岸沿いに生息が確認されているエビであれば、ロマンダリアの北に位置するシャーメシルでも漁獲が可能なのではないかと考えていたので、昨日シャーメシルの海岸線に並ぶいくつかの町を巡って、エビの現物を見せながらこれの存在を知っているか否かを聞いて回った。


 結果的には皆エビという生物は知ってはいたのだが、それが食べられるという事も美味であるという事も知らなかった。


 獣人族には漁業という習慣がないから、海産物を食べると言う習慣も当然なかった。


 そこで、話を聞いて回った折々に、鍋を一つ借り受けてその場で塩茹でにして試食させてみたところ、全員が目を丸くして異口同音に言った言葉があった。


「こんな気味悪い姿のクセに、なんて旨いんだ!」


 海岸線を有する町であっても、漁業が存在しなければ収入の道がかなり狭められることになる。


 観光という概念が育っていないこの世界では、わざわざ金と時間をかけて他所の景色を見に行くなどという酔狂な真似は誰もしないから、そういう面でも収入の方途が狭くなる。


 結果、潮風を常に受ける土地では農業生産に適した作物を探し出さなければいけないし、塩害の恐れが強く懸念される土地では工業製品の製造という面でもアドバンテージを負っていたから、貧困という現実と向き合う暮らしが当たり前であった。


 そこに、音に聞こえたロマンダリア救国の英雄が収入拡大策を提示してきたのだから、各町々では有力者はおろか為政者である貴族までがその話に興味を持ったのも頷ける。


 ロマンダリアの海岸部の住民が海産物の養殖で利を上げているという噂は聞こえていたものの、その実態はまるで霧の彼方の出来事のようにさっぱり分からなかったが、実際に現物を見せられてそれを味わうことが出来たうえに、これを事業として成立させるのに力を貸せと言われて、皆一様にアランを歓迎した。


 いろいろと巡り歩いた結果、候補地として最適な地形を発見したアランは、間髪を入れずに速攻でその土地を買い取った。


 すぐにリード名誉男爵家の所有地として看板と囲いを設置してもらう契約を地元住民との間で結んだ後、海沿いのその土地に比較的大きな穴を掘って海水を張り、周囲に水漏れがないことを確認して残ったエビを放して来た。


 行きがかり上それを手伝った地元民に、何かエサになりそうなものでいいので日に1度池に放り込んでくれと頼んでシャーメシルを離れたのが、昨日の夕方のことだった。













 リード名誉男爵家の16台の馬車は間にネリマスとカリカの乗った荷馬車を挟んで幹道を進み、虎人族の国メヌラ、猿人族の国ガナーツ、鳥人族の国ハシマスレ、鹿人族の国デンシュラーを通って、10日後にロマンダリアの国境を越えた。


 ロマンダリアは広大な国土を有する国だから、国内を移動するにもかなりの日数を必要とする。


 とりわけ、鹿人族のデンシュラーとの国境砦から王都ケスまでは、一本道を通って15日かかる。


 更にケスから海岸沿いの養殖地に出るまでにも12日進まなければならない。


 ケスを通るルートではなく、養殖地から一直線にデンシュラーとの国境砦に向かえば10日で通過が可能なのだが、今回は暁の花園の本部に用があって王都に立ち寄ることにした。


 デンシュラーとの国境を越えたところで、父娘の馬車と別れたリード名誉男爵家馬車団は、一路ケスを目指して速度を上げた。


 ロマンダリア国内に張り巡らされた道路網は、大国の威信からも整備が行き届いていたので、難なく馬を速歩で駆けさせられたが、それまで通過して来た小国群ではそれが叶わなかった。


 国家の規模の違いといえばそれまでだが、税収の一部を関税に頼る国でありながら自国内の道路の状況に目を瞑っている様は、為政者の無能ぶりを曝け出しているようだった。


 ケスに到着したアランは、その足で暁の花園の本部へと足を向け、何の連絡もなくいきなり顔を出したので、本部内はパニックに陥ったような有様だった。









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