42 本格的活動開始・・・準備中
一通り、アラン・リード名誉男爵の運用可能な資金と、彼が過去に商業者協同組合並びに狩人互助組合に対して、どんな仕打ちをしたのかを薄々知らされたナタリアは、帰りの馬車の中でカルアにだけそっと囁いた。
「私が男爵様の下で働いても、ホントにいいのでしょうか?」
その一言は、カルアに肯定されることを前提に、既に決心が固まっている彼女が、最後の一歩を踏み出すための動機づけのように感じられた。
だからカルアは、ナタリアの思いの通りに肯定して見せ、さらに付け加えて言った。
「だんな様は、ああ見えて怒ると町一つくらいは簡単に潰してしまわれるほどのお力をお持ちです。心してご奉公して下さい」
そこまでの脅しが果たして必要か否か判断に迷うところだが、カルアの中の女の部分がナタリアの中の女の部分に向けて、それを言わせたのかもしれなかった。
しかし、カルアがアランの最愛の女性であることをナタリアも知ってはいたが、カルアの身に危険が及んだ時に見せたアランの怒りの凄まじさを知らないナタリアには、誇張が過ぎる物言いだと感じられたとしても、それは仕方のないことだっただろう。
女同士の駆け引きがこれからどう転ぶのか、当人たちにも全く予測はつかなかったが、そういうことにこれまた全く無頓着な彼女たちの主人は、お気楽にも馬車の座席でカルアの膝を枕に居眠りを貪っていた。
だが、ここに一人だけ危惧を抱いていた者があった。
ネロンガは、カルアとナタリアの女同士の会話が耳に入った時、耳から尻尾に至る背筋の毛に戦慄が走った。
彼は咄嗟にアランの顔を見て、しかし、呆れて全身の力が抜けてゆくのを感じて呟いた。
「総統、寝てる場合じゃないでしょ・・・」
帰りはスラム街の家に送るかという問いかけに、荷物を取りに寄っていただければ、その足で男爵様の元にお世話になりますと答えたナタリアは、既にアランの従者の一人のつもりであった。
ネロンガとテムジンの手で、ナタリアの数少ない身の回りの品を馬車に積んでいる間に、彼女は同居していた右半身に麻痺を持った老婆と別れの挨拶を交わしたが、それは傍目にも至極あっさりしたものだった。
元来、スラム街で最も貧しい場所である障碍者が寄り合って暮らすこの家は、生あるうちに抜け出せる者が居ないとまで言われていた。
今日初めて、それを覆した女が出て行くというのに、この関係の希薄さは何かとカルアが考えてみたが、結局分からなかった。
それが残された者の諦めだと理解するには、カルアはまだ若すぎた。
それぞれの思いを積み残したまま、そして馬車はオーベルジュ・ド・グルリアへと到着した。
宿の玄関を入ると、オーナーである支配人が一通の親書をアランに手渡した。
それはデイマークス辺境伯からのものであり、グルリアを去る前に一度館へ顔を出して欲しいという内容だった。
名誉貴族とはいえ、デイマークス辺境伯の一門に名を連ねる身のアランとしては、無視したまま立ち去りたいとは思ったものの、今後どんな形で援助を乞うことになるか分からないことを考えてみすみす関係を悪化させることはないだろうと、召喚に応じることとした。
その日の夕食は、最近カスマンドでも食通の間で話題に上ることが多くなった、エビを使ったディナーだった。
魚を獲る技術は、単眼族が住むゴドリック大陸南部の独占状態だったが、比較的沿岸部でも採取可能な甲殻類は、大陸全般の食の嗜好に新たな変化を齎し始めていた。
こういう些細な情報を誰よりも早く手に入れたいな、とアランは思った。
やはり、情報の重要性はこの世界でも認識されていて、その獲得に鎬を削るというところまではいかないものの、対価を支払ってでも情報を手に入れるという傾向が現れ始めていた。
早く体制を整えないといけないと考えるか、焦ってつまらない組織を立ち上げるより基礎をしっかり固めるべきだと考えるか、アランの心は乱れていた。
結局、体制を整えるにしろ、組織の基礎を固めるにしろ、最終的に必要なのは優秀な人材であることに違いはないと思うに至ったアランは、デイマークス辺境伯の膝元で起きた今回の事件も結局は人材の払底がその根本にあると断じた。
どういう組織であれ、優秀な人材が過去にどれだけ存在していたとしても、今現在それに続く人材が枯渇すると機能が滞る。
組織というものは、成立したその時点から崩壊に向けたカウントダウンが始まる。
過去の偉人がそう言ったというが、例えそうであったとしてもその過程においてカウントダウンの進行速度を少しでも遅らせ、組織を永続せるのに必要不可欠な要素が優秀な人材に他ならない。
そこまで考えて、優秀もそうでないも、まだ人が集まりもしていない今の時点で悩む問題ではないな、とアランは苦笑した。
で、とにかく目の前のエビに齧り付いた。
旨かった。
甦った記憶の断片を繋ぎあわせても、このエビは旨かった。
惜しむらくは下処理がキチンと出来ていないため、若干のエビ臭さが残っているものの、好物といえば肉と即答する愛妻でも美味しそうに食べている姿を見れば、需要はもっと見込めるだろう。
そう考えて、ナタリアにそっと話しかけた。
「ナタリアは、このエビという食べ物を知ってた?」
「いえ、恥ずかしながらこれほどの美味を今日まで存じませんでした。もっとも私の食生活を振り返ればそれも当然の事かもしれませんが・・・」
「なるほどなぁ」
「総統、オレ知ってましたよ、コイツらのこと」
「へぇ、ロマンダリアでは昔から食べてたの?」
「そうじゃなくて、あのオッサンを追いかけてカスマンドに来る途中で出会った、メヌラって虎人族の国に行商に行く人の荷馬車に乗せてもらった時に聞いたんですよ」
「行商って、どこの国の人だったの?」
「ロマンダリアっす」
「じゃぁ、ロマンダリアからメヌラまでってどれくらい離れてるの?」
「荷馬車で12日くらいだったかな・・・」
「そんなに長い間、荷馬車で運んでも大丈夫なの、これって?」
「さぁ? でもね、こいつらって、エビのくせに水の中でなくても暫くは生きてるって言ってましたよ、その人」
「それにしても、運ぶだけで12日じゃ、前後合わせて14日くらいは最低生きてるってことだよね。ホントかな…?」
「あ、あー、疑うんですね、オレのこと!」
「いや、そうじゃなくて、あまりにも常識外れだからさ、つい…」
「まぁ、いいですけどね…。でも、コイツら菱形みたいな姿にデカいハサミを2つ持っててさ、他に長い足が4本ずつ体の右と左に付いてるんですけど、放っといても横向きにしか逃げないからすぐ捕まえられるんだって笑ってましたよ、その人」
それって、カニじゃないか!
でも、この味は確かにエビだよね。
だけど、言われてみれば食感はカニのような気も…。
なんか、凄いカルチャーショックに遭遇した気分…。
「その人、どこに居るか分からないよね?」
「知ってますよ、どこに居るか」
「なんでぇ…?」
「同郷の誼で、食べたくなったら安くしてやるからってんで、住んでるとこ教えてもらったもん、オレ」
翌朝、アランがカルアの匂いに包まれて眠っている頃、オーベルジュ・ド・グルリアの厨房で朝食用のパンを焼いていたシェフが、窯に継ぎ足す薪を取りに外へ出たところへ声を掛けてきた8人の異邦人がいた。
彼らは皆、ロマンダリア人の証である丸い豹の耳を頭に乗せていた。
男爵様の奥様がロマンダリア人だからその関係者かなと思ったが、果たしてそれはその通りだったのだが、用向きの相手はカルアではなくアランの方だった。
「我々はアラン・リード総統のお呼びでロマンダリアから来た暁の花園のメンバーです。総統はこちらに滞在中だとお聞きしているのですが、間違いありませんか?」
「えぇ、確かに男爵様は当方にお泊りですが、まだこの時間ですとおやすみ中ではないかと…」
「あ、あぁ、総統のお呼びだというので、時間の都合も考えず急いで来たものですからこんな時間に着いてしまいました」
一行の中のリーダーと思しき男性がシェフと話していたが、リーダーの後ろで立っていた別の男性が素っ頓狂な声を上げて、皆に叱られていた。
「男爵様ぁ? なにそれ?」
「静かにしろ、このバカ! 総統はまだおやすみ中だぞ」
「あの総統のことだ、我々の考える常識に納まるお方であるはずもない」
「・・・・・・・・」
リーダー以外の7人がてんでに喋ったり沈黙したりする中、一行のうちの紅一点だと思われる豹人族の女性が口を開いた。
「カルア様付きとして呼ばれた私としては、一時も早く身の回りのお世話をして差し上げたいのですが、時刻があまりにも早すぎますね」
「では、一旦どこかで時間を潰して出直すとするか」
リーダーがそう呟いたのを聞いたシェフは、
「皆さん、男爵様のご家来でいらっしゃるのなら、従業員用の控室へいらっしゃいませんか」
「それは願ってもないご好意だが、お邪魔になるでしょう」
「もう、パンも焼ける頃合いですから、少し早目の朝食でもお取りになりながら男爵様のお目覚めを待たれてはどうですか?」
厨房の勝手口から玄関に回って、馬車の駐車スペースを通り抜けた奥にオーベルジュ・ド・グルリアの従業員用出入り口が設けてある。
そこへ向かう一行は、朝から豪華な装飾を施された馬車を磨き上げる二人の男を見かけたが、そのうちの一人の顔を見て紅一点の女性が声をかけた。
「ネロンガさんじゃありませんか、ランダリウム支部の?」
「へっ?」
名前を呼ばれて顔を上げたネロンガは、そこに見覚えのある女性の顔を見つけて嬉しそうに笑った。
「マルタじゃないか、総統のお呼びで来たのか?」
一目でロマンダリア人と分かる一行の中に、顔見知りのマルタを見つけたネロンガは、それだけでおおよその見当がついたように、更に言った。
「お前が呼ばれたってことは、姐さん付きのメイド兼ボディガードだろ。後の人の顔はオレには分からないけど・・・」
「えぇ、そうだと思うわ。この人たちも総統のご指名で呼ばれたメンバーよ」
「オレはガイルという。王都ラザニールで活動していた慰問団の荷物運びだ」
「あの慰問団って、王宮に呼ばれて演奏したって聞いたことがあるけど」
「はは、オレはただの荷物運びだ、楽器の演奏などできんさ」
「ところで、ネロンガさん、この馬車はもしかして…」
「おうさ。総統の馬車だよ。こいつが専属の御者のテムジンっていうんだ」
「テムジンです、よろしく」
「こちらこそ、よろしく」
一行8人が声を揃えて挨拶したが、中の一人、先ほど素っ頓狂な声を上げて注意を受けていた男が呟いた。
「この馬車って普通じゃないよな」
「あぁ、何しろカスマンドの貴族様だからな、総統は」
「どうして、貴族になんか成ったんだ、総統は?」
リーダーのガイルが、さも不思議だという顔をしてネロンガに聞いたが、彼はアランに教えられた通りに答えた。
「なんでも、済し崩しに貴族にされちゃったって言ってたけどなぁ」
「済し崩しぃ~?」




