36 デュケリ副団長、それは勘違いです!
お願いだからゆっくり飛んで、と心の底からお願いしたアランは、ガルーダの背に揺られて遊覧飛行のような気分を味わっていた。
途中の大草原から眺める夕日は想像を絶する雄大さで、ゆっくりゆっくり景色を堪能できるように飛ぶガルーダは、すべて任せろとでも言うように、
「キュイ~!」
と鳴きあげて、大草原を漆黒の闇が覆い、星たちが天空の支配者となる頃に、ようやくオーベルジュ・ド・グルリアの玄関先に舞い降りた。
アランとカルアを尋ねて来たはいいものの、昼前に別れたはずの二人がまだ帰っていないと聞かされて、安宿を引き払って来たネロンガは途方に暮れていた。
オーベルジュの大屋根を回り込むように、ネロンガの死角から音もなく舞い降りたガルーダに驚いて、息をすることを忘れたまま何かを言おうとしたネロンガが、あえなく意識を失って後ろ向きにぶっ倒れた。
「あちゃー、ついに気を失って倒れちゃったよ」
「ほんと、意気地がない人ですねぇ・・・」
「いや、ケームが死角から音もなく降下して来たら、誰だって普通に驚くとは思うよ」
「何も気を失うことはないでしょうに」
失神した部下を前に、呑気な会話をする名誉男爵夫妻に少しばかり呆れながら、オーベルジュのオーナーが二人を出迎えた。
「おかえりなさいませ、リード名誉男爵ご夫妻さま」
「名誉男爵様の部下となる者です。介抱を」
表の騒ぎに気付いたか、横手の厩舎からテムジンが飛び出してきたので、カルアは彼に命じてネロンガの世話を任せた。
なんか、段々板についてきたんじゃないか、カルア。
このままだと、ボクは何もしなくて良くなりそうだけど・・・。
そのうち、ボクは必要なくなったりして。
そんなことないよね、ないよね、カルア~~!
オーナーに頼んで、ネロンガも従者部屋に寝かせたアランは、部屋に帰って楽な服装に着替え、そのままソファに長々と横になった。
続きの間で着替えを済ませたカルアがそれを見てくすっと笑うと、アランの頭をわずかに持ち上げて、その隙間に自分の太腿を滑り込ませた。
「だんな様は膝枕がお好きですよね」
「誰の膝でもいいってわけじゃないよ」
「あら、ではあたしの膝は合格ですか?」
「まだ、他に合格者はいないよ」
そして、アランの顔にカルアの顔が重なった。
デュケリ副団長から事件の詳細を報告されたナスカ・マルチネス騎士団長は、ことの重大性と名誉男爵が関わっている点に神経を尖らせていた。
本来であれば、そういう類の胡乱な輩は巡回中の騎士団によって発見・捕縛されるべき対象であった。
然るに今回はカスマンド国内でも度々問題視されて、国王陛下の肝煎りで特別警戒態勢が敷かれていた中での事件であった。
人身売買は、数百年の昔に全世界で廃止が提唱され、今ではわずかに世界最大の面積を誇るゴンデール大陸に版図を持つ、ケンビーズ帝国という人族の国家だけで存続する制度である。
当然のことながら、人身売買を不法行為として規定している国家が圧倒的多数を占める国際情勢下にあっては、大手を振って罷り通る商売ではないために、いずれの国でも人身売買組織が市井に紛れて潜伏し、無視できないほどの行方不明者を生み出していた。
しかし、また、そういう需要が絶えることなく存在していることも事実であり、人身売買に関わった犯罪者に対する刑罰は殺人と同等とされている。
つまりは死刑である。
言わずもがな、人を不法に拘束し抵抗する手段を奪った上にその被害者の人生を踏みにじる行為は、殺人と何ら変わりがない悪辣な犯罪だからだ。
そういう地下組織のアジトが、デイマークス辺境伯領で発見、摘発されたのだから、マルチネス団長の神経は極限まで張りつめていた。
辺境伯閣下に何と言って報告すればよいのか。
『また今回も、アラン・リード名誉男爵のお力をお借りする結果となってしまいました』
どの顔を下げてそんなことが言えるものか。
騎士団の面目が丸潰れである。
しかし、実際の問題として、騎士団や北門の警部兵詰所には行方不明者の捜索依頼が出ていたし、保護された被害者の身元を確認したところ、それに該当するケースがほとんどであったことは、隠しようのない事実であった。
ナスカ・マルチネスは、自身の降格処分も覚悟して辺境伯に報告に行くしかなかったのだ。
一方、デュケリ副団長は、今回の事件の被害者の身元を確認していく作業の中で、アラン・リード名誉男爵が特に希望した女性のプロフィールを見て少なからず困惑していた。
両足に障害を持ち、自力歩行がほぼ不可能で、移動の際には杖の使用が不可欠である女性を、なにゆえ名誉男爵は特に指定して彼女の個人情報を必要としたのかが理解できなかった。
騎士団の仕事として今回のケースを鑑みるに、名誉男爵の意志を斟酌する必要はおそらくないだろう。
だから、言われた仕事を言われたままに遂行すれば、何の問題も発生しないはずだった。
ただ一点、犯人たちの一人、件の女性を拐した男の証言の中に、見過ごせない部分があって、それを念頭に置いた場合リード名誉男爵の要求が急にきな臭い様相を帯びて来る可能性があった。
「まさか、名誉男爵ともあろうお方が、あれほどの美形を奥方にお持ちでいながら、そのようなご性癖をお持ちだとは・・・」
どこか、思考が斜め上に滑べり落ちて行くデュケリ副団長の悩みは尽きなかった。
「ねぇ、カルア、この件が片付いたらコータルっていう町に行ってみたいんだけど、いいかな?」
「コータルですか? どこかで聞いたような・・・」
「うん。なんでも面白いことを考えてる人達が住んでるところなんだって」
「もしかしてそれは、獣人族を統一するとかいう・・・」
「知ってたの、カルア?」
「風のうわさに聞いたことがある程度ですが」
「でもね、今回はそっちじゃなくて、今日の件に関係あるかもしれない用件なんだ」
「人身売買の組織ですか?」
「うん」
「承知しました。だんな様のご用向きを最優先になさって下さい」
「ありがとう。カルアはいい奥さんだね」
「お褒めの言葉を頂戴した後でお伺いするのも躊躇われるのですが・・・」
「あの足の悪い女の人の事?」
「はい。あの方がだんな様のご希望を了承したときは、魔法の水をお使いになるおつもりですか?」
「効果があればいいんだけどね」
「きれいな女性でしたものね・・・」
もしかして、カルアのジェラシー炸裂?
いやいやいやいや、そんなことしないってば。
彼女は純粋に必要な人だと思うからさぁ・・・。
やっぱ、説明しなきゃ分からないよね。
その夜、アランの部屋の小さな明かりは遅くまで消えることがなかった。
カルアと二人、これからのことを真剣に、でもたくさんの希望を交えて一所懸命話し合った。
朝、目覚めると、だんな様の腕に包まれていることに無上の喜びを感じてしまいます。
いつもなら、だんな様の眠りを邪魔しないように、そっとそっと体をずらしてだんな様の腕から抜け出すのですが、今朝はできればこのままこうしていたい。
時々だんな様は、あたしが起きる前にお目覚めになって、あたしの寝顔を見ていらっしゃることがあるようです。
それはとても恥ずかしいけれど、あたしの寝顔を飽きずに見ていただけるのは、正直嬉しくもあります。
たまには、お目覚めになるまで、あたしだけの秘密としてだんな様の寝顔を堪能させていただきましょう。
これから、もっと同行者が増えるかもしれないのなら、今朝のこのひと時は本当に貴重なあたしだけの時間。
今だけだんな様の寝顔を見せていただきますね。
昨夜頂戴したお情けの余韻を体の奥に残したまま・・・。
朝食の最中に、面会希望者がおいでですと教えられて、アランはカルアを伴ってオーベルジュのロビーに顔を出した。
予想通り、そこにはデイマークス騎士団のマルチネス団長とデュケリ副団長が顔を揃えて待っていた。
団長は、アランに対して、恐縮ですが事情聴取にご協力下さいと断ってから、昨日の一件についていくつかの質問を出してきた。
一方、デュケリ副団長はカルアに、昨日の名誉男爵閣下のご下問についてですがと、縷々説明をしていった。
両者の用件はほぼ同時に終わり、二人を見送った名誉男爵夫妻は、新たに見習い従者に加えたネロンガと3人でテムジンの御する馬車に揺られて、昨日の現場の食品工房脇の路地に向かっていた。
人身売買組織のこのアジトは、食品廃棄物の貯留施設を隠れ蓑にして出入り口を隠していたが、アジトのあった場所は一軒の食品工房の敷地の中に存在していた。
当然のことながら、その経営者は共犯容疑の疑いで拘束されて、今日は休業であった。
稼働していない食品工房の中に入ったアランは、調べ物と称して食品工房側の壁とアジトが接する場所を、ネロンガに命じて念入りに調べさせたところ、直接出入りするドアの類は発見出来なかったものの、地下を通って行き来できる通路を発見した。
そこは現場を調査していた騎士団も見落としていた箇所で、食品工房の経営者の加担を裏付ける重要な証拠とされた。
一方、カルアは、アランとネロンガをアジトの前で下した後、テムジンに命じて騎士団の本部があるデイマークス辺境伯邸の一角に立ち寄った。
そして、そこでデュケリ副団長からの連絡で、件の女性の身元調査書を保管していた事務職員からそれを受け取ったカルアは、その足で女性の住む住宅街へ向かった。
そこはお世辞にもきれいな街とは言い難い場所で、カルアが暁の花園の一味に追われて身を隠していたスラム街と同様の臭いが充満していた。
女性の家を探し当てるのに手間取った結果、スラムのようなその街の中でも更に饐えた臭いの漂う一角に、その女性の住まいを発見した。
「ごめんください、ナタリアさまのお住まいはこちらでしょうか?」
「お住まいなんて上品なもんじゃないが、ナタリアならここに住んでるよ」
そう言ってカルアの相手をしたのは、これも右半身に麻痺を抱えた老婆だった。
「あたしは、アラン・リード名誉男爵の命を受けてこちらに参りました、カルア・ソネットと申しますが、ナタリアさまはご在宅でいらっしゃいましょうか?」
「なんだか、昨日の事がショックだったらしくてさ、今はまだ寝込んでるみたいだよ」
「左様でございますか、それはお察し申し上げます」
「・・・にしてもさ、男爵様のお使いがナタリアになんの用なんだい?」
「本日は、ナタリアさまの身柄を申し受けに参りました。その旨ご本人様にお伝え下さいますでしょうか」
「はぁ?」




