2 空飛ぶ人まで居るんですか?
「おいおい、おばけってのはヒドくないか?」
一つ目の男に窘められて、彼は振り返ってもう一度よく見て、それでもやっぱり怖かったので、今度は両手を合わせて拝みながら言った。
「お願いだからボクを食べないで。ボク、きっと美味しくないよ」
それを聞いた一つ目男は呆れたように言った。
「我々は誇り高き単眼族だ。人をとって食べたりするものか」
「へっ?」
彼は深く考えたわけではないが、この一つ目入道がとりあえず今のところは自分を喰い殺すことはないのかもしれないと思うことにした。
というか信じることにした。
だって、そう言ってるし・・・。
「男が大草原で倒れていると聞かされて救助に来たんだよ、それがお前だ」
「そ、そうだったんですか・・・」
なんだか妖怪のクセに物言いが偉そうだ、などと思いながらも、助けてもらったことには素直に感謝した。
「それはどうもありがとうございました。でも・・・」
「うん? どうしたんだ?」
「あんな草しか生えてないような所で、どうやってボクを見つけたんですかね、その人?」
単純に思ったことを言いながら、彼は何か違和感を感じていた。
何かおかしい。
どこか変だぞ。
「あぁ、それは簡単なことだ。見つけたのは我々単眼族じゃない」
「へっ? 他にも別の種族がいるんですか?」
「もちろんじゃないか。おかしなこと言う人族だな。見つけたのは遊飛族の狩人たちだ」
「ゆ、遊飛族・・・、その人空飛べるんですか?」
一つ目入道だけでも大変だってのに、一反木綿までいるのか。
ここはやっぱり妖怪の国?
なんだか変なとこに来ちゃったぞ、こりゃ。
「あぁ、ヤツらは移動や偵察には有能なんだが、重いものを運べないからね。だから我々が出てきたってわけさ」
重いものを運べないだって。
そんなことないだろう。
鬼○郎や猫娘や児○き爺なんかをしょっちゅう運んでるじゃないか。
あれ?
もしかして、あれはアニメだけの話で、本物はそうなのかな?
「じゃ、その方にもお礼を言いたいんですが、いらっしゃいますかね、ココに」
「今は居ないよ、まだ巡回中さ、ヤツら」
「そうなんですか。今更ですが、助けていただいてホントにありがとうございました」
「あぁ、どういたしまして。律儀な奴だなお前は。何度も礼を言うなんて」
「いえいえ、命の恩人なんだから、何度お礼を言っても足りないですよ」
ここで自己紹介するべきかどうか彼は一瞬躊躇したが、そのことに気付いたのか、単眼族の男は彼の意を汲んで自分から先に名乗った。
「オレはハシム。ハシム・セリだ。お前の名は?」
「えっと、ボクは・・・」
そこで彼は突然黙ってしまった。
「どうしたんだ、名乗れない訳でもあるのか?」
「いえ、名乗れない訳じゃなくて、えっと・・・名前を思い出せないんです・・・」
「うむ・・・。それは気の毒に。記憶喪失ということかな」
「他にも、どこで生まれたか、親や家族の顔も名前も出てこない・・・」
泣きそうになりながら、彼は必死に思い出そうとしたが、何も分らなかった。
「まぁ、あんなところで行き倒れていたんだ、何か事情があるんだろうがな」
ハシムと名乗った単眼の男はそれ以上追及することをやめて、彼に楽にするようにと言ってくれた。
「ありがとうございます。でも、・・・・そうだ、ボクはバッグを持っていたはずなんですが、ご存じありませんか?」
それなら後ろにあると言われて振り向くと、見慣れたショルダーバッグが置かれていた。
親の顔すら思い出せないのに、なぜかこのショルダーバッグには見覚えがあったし、中に何が入っているかも分かっていた。
不思議だなとは思ったが、これだけが自分の記憶の証のような気がして、妙に愛おしく感じて中を改めてみた。
中には、気を失う前に確認した通りのモノ、ペットボトルが3本にスポーツタオルとTシャツ、地図が2冊と文庫本3冊と小さい辞書、そして見慣れない大きな黒い革表紙の百科事典のような本が1冊と、赤い革の手帳が入っていた。
「コレ、なんだっけか・・・」
見覚えのない黒い事典を取り出して中を改めたら、それはやっぱり百科事典だった。
但し、彼が知っているどんなものよりも字が大きくて内容も充実しているように思えた。
例えば、世界の種族についての一覧とその解説などは、とても分かりやすく書かれていた。
「種族・人種の一覧・・・。こんなの妄想科学事典じゃあるまいし、勘弁してくれよ」
彼のことを黙って見ていた単眼の男がその事典を傍らから覗き込んで、
「なんだ、いいもの持ってるじゃないか。我々のことも書いてあるだろう」
と言ってきた。
先ほど『おばけ!』と言われたことが結構堪えたらしい。
根に持つタイプではないことを祈ろう、と彼は思った。
一つ目の男に言われたからというわけではないが、彼は事典のページをめくって種族の一覧の項目から、単眼族を見つけて内容を読んでみた。
そこにはこうあった。
単眼族
ゴドリック大陸の南端アセンブル地方に自立する王国群を持つ種族。
勇猛果敢な気性と温厚篤実な民族性を併せ持つ。
古代王国の騎士の流れを汲むことを誇りとし、彼らと結んだ契約は何を持っても果たすことで有名。
但し、裏切られた場合の報復は苛烈を極める。
ゴドリック大陸南部と中央部を隔てるソーン大草原が障壁となり、他の種族との交流は活発とは言い難いが、アセンブル地方特産のミスリル鉱石の交易で豊かな国を築いている。
最大の勢力を誇るのは、アセンブル地方の60%を占める国土を持つカラライ王国で、国土面積は120万平方サリ。人口は2億3千万人。主要な産業は鉱業と農業と水産業。
農業製品と水産業製品は輸出されずに国内消費に回される。
えーっと、ここはもう地球じゃないってことでいいのかな?
いいのかそれで?
でも、こんな国聞いたことないし・・・。
何気なくバッグの中に手を伸ばして世界地図を取り出した彼は、さっき開いて衝撃を受けた大陸の形をもう一度見て、さらに衝撃の度を深めた。
左に傾いたひし形の大陸にゴドリック大陸と書かれた活字を見つけてしまった。
更に、ゴドリック大陸の下方5分の1ほどが薄い紫に色分けされてアセンブル地方と表記され、尚且つその薄い紫の部分の半分以上がカラライ王国と記されていた。
もう、ボクは何を見ても驚かないぞ。
ココが地球じゃないことは明らかだし。
簡単に家に帰れる雰囲気じゃなさそうだし。
ここで生きていかなきゃいけないんなら、その方法を探さなきゃ。
でも、とりあえず腹へったなぁ・・・。
ふと気が付くと眼の前に一つ目の顔があった。
「どうした、腹がへったのか?」
「なんで分かるんですか?」
「腹へったって言ったじゃないか」
彼は思わず手で口を押えて、漏れてましたか、と呟いた。
「行くところも無さそうだし、ウチへ来るか?」
そう言ってハシムは彼に手を差し伸べた。
その手を握りながら、握手の習慣はここにもあるのかと思ったが、一応聞いてみた。
「あの、握手って挨拶の方法は、こちらでも有効なんですね」
「握手?」
違ったらしい・・・。
「こういう風に手を握ってする挨拶のことですけど・・・」
「おぅ、お前の住むところではそういう挨拶があるのか、こりゃいいな」
ハシムは素直に喜んで握手に興じた。
「あの・・・。いつまでも握ってるもんじゃないんですが、握手って」
「そうなのか! それはすまないことをした」
慌ててハシムは彼の手を離したが、尚も握手握手と呟いていた。
彼はそんなに握手が気に入ったのかと思っていたが、間もなくアセンブル地方一円で握手という挨拶の方法が席巻するとは思ってもみなかった。
ハシムが振り返って、何か食べたいものはあるかと訊いてきたが、そもそも単眼族が普段何を食べているのか分からない上に、どんなものを食べさせられるか分からないので、迂闊なことを言えないと思った彼は、
「こちらでは普段何を食べていらっしゃるんですか?」
と逆に問い返してみた。
すると、不思議そうな顔をしたハシムが、
「普段食べているのはパンとスープと肉や野菜だな。何か祝い事でもあれば魚を食べることもないではないが、ありゃ一般的に王侯貴族の食い物だから、おいそれとは手に入らない」
と答えたので、彼が
「事典には、水産業が盛んだと書いてあったんですが・・・」
と言うと、
「それは間違いではないが、魚を捕る術を持たない種族が多いから目立つんだろうな」
と、呟いた。
「ちなみに、魚ってどうやって捕ってるんですか?」
と彼が聞くと、
「10隻ほどの船団を組んで沖に出ると、半分が魚を捕る間もう半分の船に乗った冒険者達が海の魔物と戦っているよ。命がけだがやりがいのあるある仕事だと聞いている」
と答えてくれた。
そりゃ、王侯貴族しか食えない訳だ・・・。