花少女
花と出会った。
とても愛らしい花である。
それは人の形をしていて、まだあどけなさの残る赤い頬で笑っていた。
頭から草が生えていた。
髪の代わりにくしゃくしゃとした葉と、細く小さい黄色い花がたくさんに咲いていた。
とてもたくさん咲いているので、風が吹いても他の花たちのように優雅に花弁が揺れることはない。
ただ、ふわふわと花弁の先がまるで風に撫でられるように踊るばかりだった。
花を、彼女を見つけたのは深い深い森の、さらに奥である。
男はハイキングが趣味で、自分の方向感覚に絶対の自信をもっていた。
彼は植物は好きだが興味はあまりなかった。それ故、植物の名前なぞ、ヒマワリ、朝顔、松に杉、そんな有名どころしか知らない。
だが鬱蒼とした緑の中にいるのは好きだった。土臭い中を歩いて、朝露にズボンの裾が重くなる感覚が好きだった。
それに男は学者ではなかったので、美しいものは美しい、好きなものは好きで、それだけで十分だったのだ。
あれには毒がある、あれの生態はどうこうであると弁論するわけではないのだから、名前など無用の長物。
どうしても名前が必要になったら、自分でつけてしまえば良いと、そんな風に思っていた。
男はひとりで歩くのが好きだったので、勝手な名前で植物を呼んだところで困ったり笑ったりする相手はいなかったからだ。
男はそんな具合であったが、流行にのってすっからかんの声で、
自然が美しいわ、癒されるわとのたまうだけの女どもよりは、草や木を好いている自信があった。
たまの休日である。
男はその日も、趣味のハイキングを楽しんでいた。いつも通り、連れはいない。
家からも会社からも離れた森の中を、まだ人もいない早朝に歩いてゆく。
小鳥のさえずりに耳を傾け、きらきらと光る朝露に目を伏せながら、足は止めずに歩いてゆく。
美しいとは思う。
綺麗だとも思う。
だが、それはこの森の中の一部である。森とはそれらが一体化したものである。
だから、ずっとその中にいれば、例え歩いていたとしてもそれで十分だと思っていた。
この森にはもう何度も来ているので、今日は少し道を逸れてみることにした。
森でクマが出ると聞いたことはないし、男は見知らぬ土地でも適当に歩いて目的地につけるほどの方向感覚をもっていた。
なので、方位磁石は見つつも、好き勝手に道なき道を歩いていく。
整備されていないどころか、草木を分け入って進む道は、
同じ森であるのに普段とはまったく違うように見えて、男は少し面白くなった。
そうやって進んでいると、まだ日も昇り切っていない森の奥深くで、少女が倒れ伏しているのを見つけた。
遠目にも緑色の世界によく映える、真っ白な肌。金色の短い髪が散らばっていて、ふわふわと些細な風に撫でられている。
男は慌てて駆け寄った。
背の低い木を折り、花を踏み潰して駆け寄った先の少女は、奇妙な姿かたちをしていた。
てっきり背の高い草が彼女の首元を隠しているのだとばかり思っていたが、
それは間違いで、緑色の草が少女の頭からじかに生えていた。
金色の髪だと思っていたものは、どうやら花のようだった。
細くまるい針のような花弁が数え切れないほどに頭のてっぺんに生えている。
そして、こんな森の中だと言うのにこの少女は何も身につけていない。
シャツ一枚、スカート一枚、下着のひとつだってつけていなかった。
だがその他は、人間と変わらない外見をしている。目も鼻も口も耳もあるようだし、手足は2本ずつしかない。
首がびろんと長いわけでもなければ、胴がプレス機で潰したように薄っぺらいわけでもない。
頭の葉と花さえ見なければ、いたって普通の、人間の少女である。
だがこの少女を人間だと考えるならば、不自然な点がいくつもあった。
まず、こんな森の奥にいるにしては頬の血色がよかった。
やせ細っているわけでもなく、まるで、本当にただ眠っているだけといった感じで、すやすやと寝息をたてている。
もうひとつ、ここは森の入口から、数時間も歩いたところだ。
この森の奥は国に指定された保護区であるので決められた入口からしか立ち入れず、その入口もひとつだけである。
その上、辺りに獣道も見られない。どこかに近道やわき道があるとも考えにくかった。
それにこんな森の中、少女が全裸で何をしていると言うのだ。
男たちに乱暴目的で連れ込まれたにしては、この場所は深すぎる。
性欲にかられて犯罪を犯す馬鹿どもが、用心深く、
車も使えないこんな場所まで少女を担いでくるとも思えない。
それに、少女は本当にきれいなまま眠っていて、裸ではあるがそれはまるで、
妖精や天使のそれのような、白くまるみを帯びた肌も四肢のバランスも、けっして肉欲的な美を感じさせない姿だった。
人間の少女に近い姿をしている。
だが、人間の少女ではないことは明らかであった。
そう思う点を、他にも色々と理性的にあげることが出来るが、何より本能が強くそう告げていた。
培われた感覚とは違い、勘というものは当てにならないと男は常々思っているが、
ばちばちと理性を強く否定する本能を感じたのは初めてだったので、今回ばかりはそれに従った。
いや、従わざるを得ないような衝動にも似た本能だった。
男は少女をリュックから取り出した毛布でくるむ。肌も裸足の足先も見えないように慎重に。
深々とその頭に、花に、自分がかぶっていたニット帽をかぶせる。葉を押し上げニット帽の中に入れ、すっかり隠した。
これで少女が人間でないと怪しむものはいないだろう。幸運なことに、少女は安らかに健康的に眠っている。
よしんば人に出会っても、
「娘が朝露の光る森の中で朝日を見たいと言うのでこの早朝からここまで連れてきたのですが、
朝日を見たら気が済んでしまったのか、糸が切れてしまったのか、やはり眠気と疲れで眠ってしまいましてね。
起こすのもかわいそうなので、こうして抱いて今から宿へ戻るところです」
そう説明すれば、自分を怪しむ人もいないだろうと思った。
随分似ていない親子だなと訝しむのなら、綺麗な子ですねと遠回しに告げてきた時に、
妻によく似たのです、とでも、実は悲しいわけがありましてこの子は孤児であまりにも不運な身の上故私が引き取ったのです、とでも言えば良い。
一時の言い訳など、ごまんと思いつく。
事実、男の計画は上手くいった。
男は何度もこの森に来ているので、入口の警備や受け付けがどの時間に交代するのかも知っていたし、
入口はおろか駐車場にさえ、監視カメラがないことも知っていた。
――そうして男は、少女を自宅に連れ帰ってきた。
少女は男が家に帰るまでの数時間も、ずっと眠っていた。
彼女が目を覚ましたのは、もう日も高く上がった午後である。
ベッドで目を覚ました少女は、きょろきょろとあたりを見回しながら男のいる一階へと降りてきた。
男は少女が怖がって逃げるかと思っていたが、彼女はきょとんとした顔をしてダイニングテーブルでコーヒーを飲んでいた男に問いかけた。
「あのう、ここはどこでしょう」
「おれの家だよ」
男の簡素な答えに少女は首を傾げる。少女が首を傾げると、かさりと草が触れ合って音を鳴らした。
「なぜ、私はここにいるのでしょう」
男は少し嘘をついた。
「君が森の中で倒れていたのから心配で連れて帰ってきたんだ」
「まあ、そうでしたか。それはそれは、ご心配をおかけしました」
少女は案外、大人びた口調をしていた。
けれど警戒心というものがないのか、少女は男も男の家も怖がる様子がない。
彼は少し心配になって、少女に問うてみた。
「なあ、君。君の家はどこだい?」
「イエ? 家ですか? 私に家はありません」
おかしなことを言う子だと思った。
男は怪訝に眉をひそめたが、少女はケロリとしたもので嘘をついているようにも冗談を言っているようにも見えない。
「そうは言っても。きっと親御さんは心配しているよ。はやく連絡しなくては」
「オヤ? 親ですか? 親はとっくの昔に土に還りました」
男が唖然としていると、少女は自分の葉を少し引っ張った。
「ご覧のとおり、私は花です。それも木ではなく、草です。
だから、種を飛ばしたら枯れて死んでしまうのですよ。
だから、私の親は私を種で飛ばしたしばらく後に枯れて土に還ったのです」
人間ではないと思っていた。
衝動的に抱き帰ってきてしまったが、まさか本当に花だったとは。
自分がしでかしたことではあるが、男は頭を抱えた。
だが男の気も知らずに、少女は彼の袖を引いて上目づかいで問いかける。
「あのう、水を頂けませんか」
「みず?」
「はい。私は花なので、よく日に当たってよく水を飲まないと、次の子孫を野に放つまで生きることができません」
――男は、少女を喋る花だと思うことにした。
そして少女が持ちやすいくらいの小さいグラスに水を注ぎ、ピッチャーにも水をいれ、
好きなだけ飲みなさいと少女を向かいの椅子に座らせた。
子供が牛乳を飲むようにグラスに口をつけて、一生懸命な様子で水を飲む少女を前にして男は問いかける。
「つまり、君は人間ではなく花なんだね?」
「はい」
「だが、人の形をした花なんて聞いたこともないよ」
「そりゃあ、私たちはあの森の奥の奥で暮らしていましたから。あの森は人間さまにとって保護すべきものなのでしょう?
一定の所までしか普通の人は入れないようになっているので、私たちからしても人間さまを見たことは殆どありません。
たまに学者さまたちがやってきますが、あの方たちは大仰な恰好をしていらっしゃいますから分かりやすい。その時は身を隠します。
だから、私たちのことを知っているのはきっと世界であなただけですよ」
「いや、そうではなくて。生態的にだね、君はどういう分類になるんだい」
「……さあ? なにぶん、人間さまの文化には疎いので分かりません」
「花が人間の形である意味が分からないよ」
「そうですか? これも進化する私たちの知恵ですよ。土に根を張っていた頃は日を待ち雨を待つばかりでしたが、
こうして足があれば日のあたる場所や水のある場所へ移動できます。
普通の植物は幾ら水が必要でも、湖に放り込まれたら死んでしまいますが、私は手もあるので溺れないし、
それに皮膚からでも水はとれますが、口もあるので、好きな時に好きなだけ、手で水をすくって飲めるのです」
そこだけ聞いていれば、進化の過程や生態の分類は置いておいて、確かに普通の花よりは便利にできているように思えた。
少女は水を飲むのに一息つきつつも、話を続ける。
「それに人が人を殺してはいけないのでしょう? 人が人に乱暴してはいけないのでしょう?
特に、私の姿のような子供、それも少女ならなおさらに。
人間さまが植物をむしっても踏み潰しても、心も法もそれを許しますが、
人の形をすれば途端にそれは許されなくなり、私たちは保護され、そうなれば無事に種を飛ばし子孫を残せるというわけです」
少女は淡々と話しながらグラスの水を飲みほした。ちょっと考えた後に、ピッチャーに手を伸ばしおかわりの水をグラスに注ぐ。
「人の前に姿を現さないのに、随分と対人間用に特化した進化を遂げたものだね」
「人間さまはよく、ご謙遜なされて自分たちも動物だとか、自然の中の一部だとか仰いますが、それは間違いです。
私たちにとって動物や自然は、恐ろしいものですが倒せるものでもあります。
だから毒をもった仲間が生まれ、棘をもった仲間が生まれます。
ですが人間さまには動物や自然への対策など効果がありませんし、
身を守るために下手に攻撃すれば根絶やしにされてしまいます。
人間さまは動物でもなく自然でもなく、人間さまですから、私たちも人間さまに合わせた進化を遂げるのです」
少女は2杯の水を飲み干すと、ごちそうさまでしたと本当に人間のように頭を下げてお礼を言った。
「私たちのどこかの遺伝子が、人間さまの手から逃れるには、
攻撃手段ではなく愛玩性をもつ方が有効だと感じたのでしょう。だから私はこのような姿なのですよ」
少女の話は、何となく理にかなうものであったし、また胸に刺さるものでもあった。
男は沈思する。そして空のグラスを弄ぶ少女を見据えて言った。
「おれは君が美しいのであの森から連れ帰ってきた。これも君たちの策略どおりかい?」
「そうですね。人間さまに見つからないのが一番ですが、見つかってしまったのなら仕方がない。
踏み潰されないよう、根絶やしにされないよう、防衛手段として私はこんな姿なのですから。だから、見惚れてくださったのなら光栄です」
「……分かった。大体はおれの責任なのだし、そんな話を聞かされて君を不条理に扱うほど俺も落ちぶれてはいないさ」
「ありがとうございます。あなたがお優しい方でよかった」
そうして、男と花である少女の生活が始まった。
少女は日に何度も水を飲んだが、食事は植物らしく水のみだったので食費はかからなかった。
たまに水浴びがしたいと言ったが、ワガママは言わず、風呂に水を張ればそれで十分満足した。
日向ぼっこがしたいと言うが、それは人目が気になった。
だが中庭の方は塀が元々高く積み上げられていたので、中庭の見える窓の前だけでするように言いつけた。
少女は少し不満がっていたが、男が、他の人に見られては庇えないし、
君はなまじ人間の姿をしているのだから他人に見られては俺は誘拐の罪で捕まってしまうと説明すると、
すんなり納得したようで言いつけをしっかり守った。
だが雨の日が続くと元気がなくなってきたので、男は日光と同じ効果があるというライトを買ってきた。
1人暮らしで、今まで、仕事と金のかからない趣味の繰り返しで生きてきた男にとって、
それは大変な出費であったが、それを構わないと思える程度には男は少女のことが好きになっていた。
恋愛感情や独占欲ではなく、純粋に彼女のことを好いていた。
男は頭が良く仕事が出来たので、結構な高給取りではあったが、今まで金の使い道がなくただ銀行に金を放り込むだけであった。
けれど少女が来てから彼女の服を買ってやったり、日光がわりのライトを買ってやったり。
スーパーで水とは思えない値段の水を見かけたので気まぐれに買っていったら、
おいしい、おいしいと少女が笑うので、彼は金を使うのが楽しくなった。
今まで、役に立たない物を買ったり消耗品に金をつかうのはバカバカしかったが、
少女があまりに表情豊かに笑い、喜ぶものだから、
あんなに有り余っているちんけなものでこの笑顔が買えるのなら、安いものだと思うようになっていた。
少女はいつも変わらずそこにいた。
外見も中身も何も変わらない。
窓から見える飛行機などを指差して、あれはなぁに、これはなぁにと日に何度も訊いてくるくせして、
テレビや映画、本などにはあまり興味がないようだった。
そして子供の成長は早い、と人間の母親は言うが、花である彼女はずっと幼いままだった。
――そうは言っても、その期間は、たったの1ヶ月ほどである。
男がいつも通り遅くまで会社に拘束されて深夜に帰ってくると、眠る少女の頭が花ではなくなっていた。
男は目を疑う。
少女の金色の花が、ぽやぽやふわふわとした綿毛に変わっている。
男は慌てて少女の体を揺さぶったが、綿毛が、すぐにでも落っこちてしまいそうなほど繊細に見えたので手を離した。
それに、少女はいつも体内時計で動いているようで、起きるも寝るも自分で決める。
男が幾ら大声で喚いても、体を強く揺らしても起きないだろう。
彼は諦めて、さえた目をむりやり瞼で覆って、布団に入った。
次の日はむりやり会社を休んだ。なにより少女のことが心配だった。
少女に、その頭はどうしたのだ、美しい花はどこへ行ったのだと問うと、
彼女はまたきょとんとした顔をして、そっと綿毛に触れる。
「ああ、昨日の間に花が枯れて綿毛になったのですよ」
「……それは、どういうことだい」
「これは種なのです。もうすぐ、風にのってふわりと空へ放たれて、遠く遠くまで子孫を運んでくれるでしょう。
今まではあの森の中から私たちが出ることはありませんでしたが、今回は違いますね。
きっと人の世界でも、私の子孫はちゃんと生きて――」
「そんなことはどうでもいい! 花が、種が、なくなてしまったら君はどうなってしまうんだ!?」
少女の両肩をすがりつくように両手で掴んだ。男の強い力に、折れてしまいますよ、と少女は苦笑する。
「どうも、こうも。私たちは生き、子孫を増やし広めるために、生きています。
役目を終えれば子孫たちの糧になるよう、土の肥やしになるために枯れ還るのです」
「“死ぬ”ということか?」
「……人間さまたちのように言うのならば、そうなるのでしょうね。
ですが私たちにとって、1人、1つ、1体、そんなものはどうでもいいことなのです。
私たちは巡り、私たちのすべてが強くなるために存在しているのですから」
だが、少女を1人として愛した男に、彼女の言葉は綺麗なだけの詭弁にしか映らなかった。
男は、行かないでくれ、死なないでくれ、どうしたら君は永らえられると必死に懇願し問いかけたが、少女は静かに首を横に振るばかりだった。
男は植物のことを調べ尽くした。
男は人体のことを調べ尽くした。
栄養剤、温度調節、考えうるすべてのことを少女に施した。
少女も男の様相に気おされたのか、初めは気が向かないと断っていたが次第にそれらを静かに受け入れた。
だが、無情にも花の寿命はやってくる。
少女が風で綿毛が飛ぶと言っていたので、男は彼女を一片の風も届かない部屋に押し込めていた。
けれどある日、男が仕事から帰ると、少女は綿毛を散らして風のない部屋で横たわっていた。
少女の好きな水、日光のライト、土に緑に、彼女が好くものを押し込めた部屋で、
部屋の主は静かに息絶え、ふわふわと真っ白な綿毛が、ぶら下げた種子を土に落としていた。
男は泣いた。
泣いて、泣いて、それでも少女の望みを叶えようとあり余った金で広い土地を購入し、
そこに彼女の体を埋めて、種たちをひとつひとつ、丁寧に埋めて水を与え、日光も温度も万全なものにした。
初めはあの森へ還すべきかとも思った。
もしくは彼女が笑って語ったように、種が人の世界に根づくように家のベランダから綿毛を風にさらわせようかと思った。
だが、本当に人は彼女たちを保護してくれるだろうか。もし森で彼女たちが見つかってしまった時、人は彼女たちを見守るだろうか。
同じ人間内で、女は卑怯だと男は野蛮だと決めつけ貶しあう社内の人間を見て考えた。
女であれば犯される、男であれば殺される、人の形をしていると言うだけでそれは本当に保護の対象になるのかと、
他人事のように淡々と被害者を哀れむニュースを見て考えた。
きっと、彼女は、彼女たちは守られない。
美しいが故にさらわれて、美しいが故に乱暴を受けて、美しいが故に殺されるだけだ。
だから男は、自然豊かな土地を買いつけ、人も獣も寄せつけない少女の楽園をつくりあげた。
維持には金がかかったが、元々高い地位にいた男が身を粉にして働けばそれくらいどうってことはなかった。
男は種を守り、彼女たちを育てた。
初めは上手くいかないことも多かったが、回数を重ね、学び、思考錯誤すれば次第に保護は安定していった。
種から人の形になるともう彼女たちは自分で歩けるようになる。
その上、彼女たちは本能で、今自分が何をすべきかどこにいるべきかが分かるので、
何ヶ所かにいつでも日が浴びられる部屋をつくったり、温度が微妙に違う部屋をつくったりするだけで十分だった。
日の部屋でじっとしている少女もいれば、暖かい部屋で眠る子もいて、設備を整えてやれば後は自分たちで自分を守った。
かつての少女も2日に1度ほど、水浴びをせがんだ。
そのため、男は透明な地下水をひいてきて、庭と室内にゆるやかに水の落ちる噴水をつくってやった。
常に新しい水で満たされ、古い水は流れていくようになっており、
少女たちはいつも足先などを水に浸しながら楽しそうにおしゃべりをしていた。
彼女たちは多少の個体差はあれど、いっせいに花を咲かせ、種をまき、枯れ還る。
だから冬などの少女のいない間は、男は種を丁寧に保存し、敷地の設備などに試行錯誤を施し、そして稼げるだけ稼いだ。
少女たちは1人につき、数十個の種を残す。それをすべてかえしていたら、やがて広かった敷地は季節になると少女でいっぱいになってしまった。
男はまた土地を買うことにした。
男は、彼女たちを自分の子のように愛した。
かつての少女とは友であり、連れであり、何となしに、けれど確かに大切な仲であった。
その不明瞭だが重たく変えようのない存在に、代わるものは彼女の種から生まれなかった。
男も初めはそれを少し期待していたし、生まれてくる少女と同じ顔、体の愛らしい少女たちで心の隙間を埋めようとしていた。
だが隙間は埋まらなかったし、やがて、それでいいと思うようになっていった。
愛らしい子供たちは子孫繁栄に必要なものをすべてくれる男にすり寄って、可愛らしく笑う
彼女たちの進化は、間違いではなかったのだ。
けれど、男も老いる。
男は忍び寄る老いには怯えなかったが、妻も子も親しいものもいなかったので、
自分が死んだあとに残される少女たちのことが心配でならなかった。
やがて男は、孤児院からひとりの赤ん坊を貰い受けてくる。
少年でも青年でも良いかと思ったが、何かを覚えこませるにはまだ頭の中がまっさらな赤ん坊が一番だと考えた。
男は乳母を雇いながら赤ん坊を育て、そして、自らの口と手で少女たちの世話や美しさを、その余命が尽きるまで教え込んだ。
やがて男が病に倒れ、病院での生活を余儀なくされた頃には、
青年となった赤ん坊は男譲りの丁寧さと勤勉さで少女たちの世話をすっかりひとりでできるようになっていた。
男が青年を試すようにして2人で少女たちの美しさについて語り合うこともあったが、彼は男同様に彼女たちの良さを熱っぽく語った。
だから、男は安心して青年に少女たちを任せることにした。
少女たちの存在を、あの花たちの存在を、けっして人に教えるな。
そう言い残して、男は逝った。男の願いで、火葬したあとの骨は粉々に砕いて少女たちの庭に撒いて彼女たちの栄養になった。
それから数年間、静かに静かに時は過ぎていった。
青年はまじめに働き、少女たちを育て続けた。
だがやがて青年は会社へ行くことをやめる。
そして分厚い札束と引き換えに、ひげを生やしたでっぷり太った男に少女のひとりを引き渡した。
「父は馬鹿だ。どうしてあんなに美しいものを、閉じ込めておいたのだろう。
まん丸い目をした可愛い少女。白い肌の美しい少女。何にも知らない純粋な少女を、どうして人の目にさらさないのだろう。
あんなに加虐性と性欲を煽る、好き勝手にできる最高の物など他にないだろうに!」
青年は男と同じで少女たちを愛していた。だがその愛は、男と同じものではなかった。
青年は少女の肌を見る度に劣情にかられたし、少女が儚く笑う度にその頬を打ちたくて仕方がなかった。
少女は美しい。
少女は綺麗だ。
少女は可愛らしい。
あのくりっとまるい目、赤く小さな唇、桃色の頬。白くてまるみのある肌に浮く、冷めたような血管の色。
筋肉なんて少しも感じさせない、ただ美しい、よわよわしい四肢。
少年は男と同じで、少女たちをこの世に存在する中で最も美しいと感じていた。
だからこそ、溢れかえる美しさに、閉じ込めて大切にしておくべきものではないと思った。
――青年の商売は実に上手くいった。
数年の準備期間で特別な薬を種の段階、芽が出る前に欠かさず投与し、それがなくては育たないようにしておいた。
おかげで少女たちは誰がどう頑張っても青年の元以外では種の段階で死んでしまい、芽を出すことすらなかった。
また少女たちの体をバラバラにして、体液も管も筋肉も中身のすべてを調べ上げて、
色々な花などと混ぜて、つんとした顔の少女やもっと幼く可愛らしい少女など様々な姿が生まれるようにした。
少女たちは人の形だが植物だ。
その上、人工栽培されたものだ。彼が独占しているせいで値段は張るが、珍しいものでも価値があるものでもない。
だから彼も、失敗作は捨ててきた。
実験ではどうしても、上手くいかないことが多かった。
ちゃんと人の形にならなかったり、人の形になっても売れそうにない顔だったり体型だったりした。
けれど彼女たちは植物なので、人間のように面倒な死体処理はいらなかった。
何もしなくても、適当にビニール袋に突っ込んで押し入れの中にでも入れておけば数日で原形が分からないくらいに枯れてしまう。
そうしたら庭の雑草と一緒に燃やしてしまえば良い。生肉が焼けるにおいもないし、指がコロンと落ちることもないので堂々と燃やせば良い。
――少女たちは人の形だが、植物だ。
殴ったって良い。誰がその人間を罪に問えるだろう。
犯したって良い。誰がその人間を裁けるだろう。
殺しても良い。
バラバラにしても良い。
暴言を吐いて罵って、花をむしり、水を与えずわざと枯れさせたところで罪などない。
多少罰則があったところで、それは警察の小遣い稼ぎ程度の罰金で済む。
だが人の形をしているが故に、道徳がどうだのという連中はいるだろう。
青年だってそんなことくらい分かっているので、金持ちで少しの風評が命取りになるような連中にしか少女は売らなかった。
少女は、よく売れた。
青年はどんどん土地を買いつけて、稼いだ金で、男のつくったいちいち人手のかかる設備をすべて機械化し、どんどん少女を増やしていった。
――少女たちは本能に従い子孫を増やしながら、
人間に歪められたどこにも行けなくなった体で、今日も日を浴び、毒のような色をした水を飲んでいる。
お花少女という愛らしい存在を聞いたので、書いてみました。