祝(ほぐ)+異世界人
+ + + + + + +
おん!
エニスが自分の顔を何度かペチンペチン叩く。そこまで疲れていたわけじゃないけれど、気付いたらベッドで横になっていた。
意識がはっきりしない内から、エニスの様子がおかしい事に気付く。
「どうした?」
自分が聞くと、エニスは何も言わずに二階の部屋から外へと飛び出した。以前と同じ角部屋で、窓が開ききらない部屋だったのだが、エニスには通る事が出来たらしい。
手を握りこんでみて、身体がまだ眠っている事を確認する。しかし寝惚けているにはエニスの様子から見てよくないようだ。
荷物なども全て影箱の中だったから、自分はまだ完全に目覚めているわけではないけれど宿を出た。
どうせこういったパターンでエニスが先に出るのなら行く場所は一つだろう。
そこからだいぶ離れた場所に泊まる事になったのはやっぱりよくない事だった。目的地は闘技場以外考えられなかった。
マップ表示を詳細に切り替えると、蒼い点が先行している。これがエニスだろう。
道を無視して一直線に移動している事から屋根を飛び、駆け抜けているのが想像できる。
連絡係を呼び出そうとしてみるも、そこだけ小窓になっているエニス・連絡係のためのウィンドウがエニスの名前だけになっていた。
連絡係はジルエニスが自分にくれた特殊能力で、普通ではない。あまり仲がいいと言う訳ではないだろうが、それはこれから良くなるはずだ。
小窓に表示されない事態と言うのは想像できなかったが、良くない事である事は明確だろう。
自分は宿を出て、ろくに頭もはっきりしないまま駆け出した。
初めてここに来た時も緊急でエニスみたいなことをして目的地に急いだことはあるけれど、今はやめておく。
時刻は逢魔が時、自分の生まれの和国の考えだけれど良くない事があるにしてはちょうどいい時間なのかもしれない。
+ + +
道なりに闘技場に辿り着くまで十分はかかっていない。深夜に近い時間だったから人通りも少なかった。
その代り酔っ払いが多かったけれど、それを避けながら走ったにしては充分な時間だろう。見た目の変化はなく、様子もおかしいと言う所はない。しかし、妙に人の姿が少なく感じた。
エニスは多分グンジョウの部屋にいるようである。
自分はそこへ向かって更に駆け出した。
+ + + + + + +
連絡係とヒロが呼ぶ存在は、見た目こそ掌に乗るほどの妖精であるが、この世界の管理神であるジルエニスが生み出した従僕である。
普通の手段ではこの世界で彼を危険に陥れる事は出来ないだろう。
だと言うのに、彼は今監視しているはずの対象に迫った物に、身体を千切られ捨てられていた。
物理法則だの魔力だの、この世界のルールが通用しない筈の存在だからこその慢心もあっただろう。
事実、本来ならばジルエニスかヒロに伝えなくてはならない状況であったのに、連絡係は撃退を選択した。
しかしその選択の数瞬後、予想の範囲を超える敵の行動に為す術なく彼は想像とは真逆の姿を晒していた。
思考は止まり、辛うじて目と耳だけがそれを確かめ続ける事だけしか今の彼には出来ないでいた。しかしこんな状態になると言うのはやはりありえない状況と言わざるを得なかった。
彼を半分ほどのサイズに分割したのは、この世界では見かける事もあるだろう魔族だった。とは言っても以前に討滅された魔王とは全く関係ない種類の者である。
魔王討滅後、魔族は地の底に追いやられ、ほとんど地上で見かける事はない種族である上に、人、乗人、獣人ほどに種や数が存在する。
その魔族としての特徴の乏しい姿だった。
一番近いとすれば、吸血鬼だろうか。白い肌、赤い瞳、鋭く伸びた犬歯。しかし、外見は吸血鬼の物語に出てこないだろう、黄色人種に近い顔立ち、黒髪、黒眼だった。
十五、六ほどの少年だろうか。背は低い方だろう、日本人として考えればラグビーでもしていそうな分厚い筋肉と、野太い四肢を持っていた。ぼてっとした体型は太めでプロレスラーに近いだろうか。
その少年はベッドに横たわる巨漢を見て、眉を一瞬寄せ溜息を吐き出す。
「こういう事が出来るなら先にもっと話を聞いておくべきだった」
運動能力の高そうな体格と真逆のような白い肌と表情。陰鬱、と言うに間違いのない昏い表情に合わせて、本当に口に出した瞬間からどこかに行ってしまうだろう話し方である。
誰にも話しかけているわけではない独り言にしても、その言葉は彼自身の耳にも届いていないのではないだろうか?
厭世している、と言うべきかどこか世界との繋がりが希薄な印象を相手に与える仕種である。
「こっちに連れて来てくれた恩もあるから、どんな事だってやるけどさ。
外見の調整とか頭にくるよね。楽に殺してやれなんて言われたけどさ、精々苦しめるように両手足千切ってみようか」
スン。
ピクリ。
彼の鼻と耳が違和感を覚えた。
目を向けずとも『聞いていた通り』になってしまった。
この場合、見つかる事を最も避ける様にと彼は命令されている。蝋燭の灯りが作る、ぼんやりとした影に足を踏み込む。影のない彼だったので、大きなベッドが作るぼんやりとした薄い影は、見えないだけでその下が階段になって続いているように彼の身体が沈み込んだ。
「失敗したって伝えるの、辛いな」
下半身までが沈み込んだところで、たまたま目を付けた連絡係を見て、彼は表情を動かさないまま首を傾げた。
「生きてるんだ、やっぱり特別製なのか」
そう言うと彼は手をかざす。連絡係の身体が黒い球体に包まれる。球体はまるで蛾か蝶のような動きをしながら、羽もないのに飛びあがって彼の手に落ちる。
「仕方ない、クソ」
それを持ったまま、少年は影の中に消えて行った。まるで影の下が空洞になっているように、すとんと落ちた。気のせいか、床に波紋が起きたようにも見えるそれは、普通ではない力なのだろう。
+ + + + + + +
「ふむ」
繋いでいた一つの端末が死んだのを知覚して、管理神ジルエニスはその端末の情報を引き出した。
彼の一つの疑問を解消するために生みだされた部分が大きいその端末は、結局なんの成果をあげる事も出来ないまま死んでしまった。
死んだ、と言うよりは捕らわれたのだろう。
可能性として今後ジルエニスに嫌がらせをしている相手の端末となる可能性が大きいと見えた。
捕らわれた、と言う事はそうする理由がある筈だ。可能性として目撃された後、攻撃を行っても生きていたから連れて行ったと言うのが一番可能性は高いかもしれない。
しかし、そこは些末な所とジルエニスは感じている。
それよりも捕らわれたと言う状況が一つの確証へと繋がっていた。『敵』はそれを利用する意思がある、目的があると言う事だ。
第一世界には既に何千万分の一かに減衰、または分割された管理神がいる可能性である。
獣神エニスも連絡係の執事妖精も、ジルエニスが生み出した存在であり、ジルエニスに不利益な行動はとれないようになっている。
多少の自由はあるが、この場合のジルエニスの代行、ヒロの立場を悪くするような情報は流れる事はない。
第一世界の神ですら、エニスや連絡係の在り様を変えるのは不可能なのだ。
しかし、相手が第一世界の神ではなく他の管理神、またはそれに近い立場の第一世界の外側の神ならば話は変わる。
八百万の神が存在するこの世界には、八百万の神の目的や手段、能力がある。神、と呼ばれる以上何らかの形で超越したなにかを持っているのは当然として、それぞれに特別な『神と呼ばれるに足る所以』がある。
神であるジルエニスの使う手段とは『違う出力』の仕方で執事妖精が利用される事は充分に在りうるだろう。
例えば、ヒロの場合敵を倒す選択肢を選ぶ場合。万能ナイフをロングソードに変える、槍に変える、銃に変える。他にも念動力で倒す、強化魔法で身体能力を強化して拳で殴る。エニスにやらせると言った選択肢だってある。それが仮にジルエニスだった場合に取る選択肢の中に、ジルエニスには選べない選択肢がある。それが『違う出力』の仕方である。
目的が違えば、ジルエニスが思わぬ方法で端末が利用されることもあるかも知れない。
今回の相手はどんな手段を採っているかは定かではないが、仮にジルエニスが第一世界に『現界』した場合、第一世界は唐突に崩壊するだろう。
砂の入った紙の器に容量を超える熔鉄を流し入れる様なものである。それを防ぐために管理神は自分を減衰して、または分割して現界する。
しかしこれには大きなリスクも存在する。
減衰や分割は、管理神にとっても非常に難しい事であり、ジルエニスから見れば非常に小さな第一世界の精霊や神と同規模になるまで力を削ると言う事である。
そうした場合、確かに現界は可能だが、力の規模や能力、使用方法に大きな制限を掛けられてしまう。
最悪、現界した後滅ぼされてしまう事もあり得ると言う事だ。
分割の場合ならそれも最悪の場合の手段として使う事もあるだろう。しかし、仮に減衰を行って現界し、消滅した場合それは管理神の消滅となるのだ。
そして分割はよりリスクの高い選択肢であり(神を二つかそれ以上に分けると言う事は、分たれた個々が生まれる可能性がある)、
減衰はそれ自体は簡単だが、力を戻すのに管理神の感覚でもかなりの時間を必要とする場合が多い。
出来無くはないが、使う事の問題も大きい。だからこそ、ワクチンとしての才能を持った異世界人を管理する世界に送り込むと言う手段が管理神の間で一般化しているのだ。
無管理世界の住人や存在する物は、管理世界の管理神からする悪性を除くに非常に効果的であると言うのは彼らにとって常識である。
そしてジルエニスはたまたま発見したヒロをワクチンとして送り出した。
彼の場合、五つの世界の管理もあるために自分を分割した場合管理の力に影響が起こるのは避けたかった。減衰では管理世界一つに集中する事になってしまい他の世界を疎かにしてしまうからである。
だからジルエニスは、ヒロに感謝している。直観ではあるが、ヒロ以外では出来ない事だったと彼は感じているからだ。全知全能には届かなくとも、彼はそれに限りなく近いだけの能力を有している。
その彼の直観なのだからそれは限りなく答えに近い道なのである。
しかし全知全能に限りなく近いだけの彼であっても、未知や疑問は尽きない。そうであるからこそ、彼は五つの世界の管理をしているのだ。それは彼にとって研究であり、義務ではない。
娯楽ではあっても楽しい事とは少し言えなかった。
「比較するために多少自由度の高い存在として作ったけれど、緊急を知らせず独断専行の挙句に捕えられたか。
少し適当に生み出してしまったようですね」
思考を戻し、連絡係を失って彼が感じるのは、作り方を失敗した料理を眺める趣味人の物に近かった。
たまたま珍しい食材が手に入って料理してみたら上手くいかなかった、そんな所だろう。
「聞こえますか、英雄さん」
このままでは楽しくない。折角彼を送り込んでいるのだ。
『ジルエニスですか?』
「はいそうです、私の姿は見えますか?」
『はい!』
「連絡係の反応が消えました」
『………ごめんなさいジルエニス。自分が考え足りずだったばかりに』
誠実な表情。ジルエニスは彼が時折見せる深い経験からくる表情を好んでいる。
彼は人としてもまだ年若い外見をしているが、五つの世界を救った英雄なのだ。そして見た目通りの年齢でもない。
肉体の成長が無くなるのは少し勿体ない気もするが、彼には加護として秘密裏にいくつかの仕込みをしている。
それは魔力と理力と言った第一世界で通用する能力を付与している事を含んでいる。無管理世界の住人は、魔法や理力その他異世界で通用する見えざる力を持たない者が多い。
彼はその典型であるために、以前では鎧に、今回は彼自身にその力をもたらしている事もあるので彼は老い(成長含む)や激しい肉体の損傷に非常に強い抵抗力がある。
幾度も他に比較ができない稀有な体験を続けている彼は、独自の思考を持っている。
神の視点や、人を上から見る様な視点である。様々な体験が、彼からすれば時に手を引き、時に足を引くため彼の行動は時々で一貫性がないように見える事もある。
それは彼に管理神ほどではないにしても、第一世界では神や精霊に並ぶ『直観』を体得しているからである。
「いえ、気にしないでください。彼が自分で決めて、行動した結果です。
貴方は一切悪くない。貴方に落ち込んでもらうために会話しているわけでない事をまず理解してほしいのです」
その言葉にも、ジルエニスの表情にも、嘘は一切含まれていない。彼はヒロを信用しているし、ヒロに対して秘密はあっても嘘は付かない。
ヒロの眼前には、ジルエニスの姿が見えている事だろう。二人の視線が、はっきりと交り合っている。
『組織で動いていると言う事でしょうか?』
「ええ、異世界人同士の繋がりではなく、私ではない神と異世界人の間にだけある繋がりで、今回連絡係はやられたと考えて良いでしょう。
気を付けてください。おそらくもう危険はないでしょうが、相手はこちらの妨害を目的としているはずです、次の手を打っている可能性もあります」
『解りました』
「身を護り目的を果たせるだけの力を貴方には渡したつもりですが、気を抜く事のないよう。
連絡係は非常に残念です。
ですが英雄さんがいる限り連絡係が身を挺して残してくれた情報を不意にするつもりはありません」
ヒロはジルエニスを無条件で信じている所がある。だからこう言って彼を安心させる。
ジルエニスは連絡係の事など露にも思っていないのに。
連絡係がこうなったのは、考えずともそう作ったジルエニスの責任だろう。しかし、ヒロはそれを自分の責任と思わないように先に釘を刺しておく。それは神たる立場からすれば異常な気遣いだった。
『同じ間違いは二度としません』
「ええ、私もそう思っています」
しかし、連絡係を失った事には大した感情は得ないにしても、自分の生み出した物を利用しようとする相手には小さくない感情が生まれていた。
ヒロと言う存在を見極めるため連絡係は、敢えて性格をヒロを見下すような、蔑ろにするような要素を足していた。それが今回の失敗に繋がったのだ。
エニスと名付けられた獣神は、フラットに近い状態だったが、ヒロと家族としての親睦を深めている。ここはもう一つ違う要素を足してみるべきだろう。失敗を繰り返さないためにも。
ジルエニスはヒロの現状を知覚すると、ヒロに必要な要素をピックアップしていく。
連れが一人増える事や、闘技場都市を出て新たな目的へと向かう事などを考え、必要な要素を整理していく。
ジルエニスはヒロに対して真摯に対応している。実験を加えたためにヒロがあんな表情をするのなら、ヒロの真に助けになる新たな連絡係を準備するべきだろう。
「新たな連絡係をそちらに送ります。英雄さんの能力で確認してください」
エニスと同等の能力を授ける存在を生み出すのに、ジルエニスは一分も必要なかった。
+ + +
ジルエニスとの会話が終わった瞬間。
ステータスに表示されていたはずの連絡係と言う項目が消えた。それまでは灰色表記だったものが唐突にである。
それに、自分は申し訳なさを感じてしまっていた。
連絡係は自分を見極めるように会話でも後手に回る事が多く、真意を見せる事もなかった。
仮に自分がジルエニスに託されてここにいる事をちゃんと理解してくれていれば、こんな事にはならなかったと言う事もあり得る。それだけの信用はまだ得ていなかった。
それも自分の責任だろう。
そんな事を思っていると、エニスのすぐ下に新たな表示がされていた。ジルエニスは神だから、それ位容易いのかもしれないけれどそれを知っていても異常な速さである。
こうなる事すら想定の内だったのかもと思ってしまうが、ジルエニスは心優しい尊敬できる神だ。
そして自分とは比べ物にならない程優秀な力を持っているのだからこれ位は簡単なんだろう。
念じる事でその新たな存在を呼び出す。
ステータス画面が、
[新たな従僕を獲得しました。命名し使役してください]
と表れた。
エニスの時や連絡係とは違う状況に、ジルエニスの何らかの配慮を感じる。
外見や能力も解らない相手を命名するなんて随分難しい事を言ってくれる。ヘルプや検索は動く気配もないので、最悪後に変える事も考えて命名した。
「ホーグ」
この世界の神話に出てくる英雄の名前である。自分よりも以前(五百年前よりもと言う意味で)にこの世界で戦ったと言う記録だけが残る存在で、自分の感覚で言えば現代日本の『桃太郎』や『金太郎』などに近い名前ではないかと思っている。
命名すると現れたのは、自分に片膝を付いて頭を垂れる、人型の存在だった。魔道士じみた草色のローブをフードまでしっかり被っているので顔立ちは判らなかったが、線が細く長身であろうことは想像に難くない。
「新たにヒロ様に仕える事なりました、ホーグで御座います。
前任の仕事を受け継ぎ、ヒロ様に忠誠を誓い身命を捧げる事をお許しください」
「そう言う堅苦しいのは苦手だから、立ってくれ」
「は」
二メートルはあるだろう、おっさんに並ぶかそれ以上の背丈の金髪の男性だった。
ローブは縁に金糸で飾り縫いがされていて、一目で高価な代物でありそうだと思う。まるで細い金糸の様な髪が長くフードから零れていた。
声は外見にマッチする深さと丁寧さである。ブーツは黒一色、両手には甲に三本の線が入った純白の手袋をしていた。
「連絡係をしてくれるって事?」
「私の役割はヒロ様がお命じになる事です。旅の補佐や情報を集める事、こちらは得意とは言えませんが戦闘もある程度までなら可能です。
勿論、前任から受け継いだ管理神ジルエニスへの連絡も私は行う事ができます」
連絡係とは関係が良くなかったと思う。だから二度と同じ間違え方はしたくない。
「色々迷惑かけると思うけど、よろしく頼む」
「御意に」
こういう風に神の遣いのように敬われているのは、あまり好ましくないけれど慣れていた。正直未だに虫唾が走る気がすることもあるけれど。
ありがとうございました。
次回は明日の予定です。




