6、世界が変わる話
八月は暑い、と八月に言うから説得力ありますよね。
6、世界が変わる話
「うるさい…」
都会よりな街並みなのに、田舎の山ばりに鳴く蝉に行きどころのない怒りを覚え、その怒りを口から吐き出すことで無理矢理掻き消していた。こんなの、騒音じゃないのか?あー、黙れ黙れ。静かに歩かしてくれ。暑さが増すような気しかしない!
「あはは。仕方ないよ、八月だから蝉がなくのは当たり前なんだし」
凛とした声が蝉の鳴く中で響く。こんなに暑いのに、涼しげな笑顔を浮かべた長袖のリョウはスタスタと俺の三歩先を行く。リョウの足取りはまるでスキップでもするかのように軽やかだが、俺の足取りはまるで梅雨の泥沼を歩くかのようだ。
あぁ、やっぱり暑いのは嫌いだなー…。冬が一番好きなんだよな…。なんて、不満をもらすが仕方ない。今は八月なんだ。我慢しないと…。
「といってもなー…。暑いものは暑いし。お前は暑くないのか?」
「暑いに決まってるよ」
「そんなカッコしてよく言うぜ」
「あはは。慣れかな?」
「慣れで耐えれるものなのか、この暑さは?」
「ユウヤも一か月くらい過ごせば慣れるって。悲しくなっちゃうけど…」
「それは慣れたくないな。是非とももとに帰りたい」
「じゃあ、まぁ、とにかくデパートをめざそっか」
ああ、そうだな。と返す。
空を見上げると、雲一つない青空が疲れ切った俺をあざ笑うかのように情け容赦ない日光を俺に当ててきた。「まぶしっ」と小声で文句を垂れ、顔を元に戻す。その時丁度、そよ風が俺の首元を撫でた。少し驚いてしまったのはリョウには秘密だ。
風に吹かれたので思い出した。
「あ…。なぁ、リョウ!」
「ん?」
「デパートってクーラーついてるのか?」
ついてたら涼める―――、なんてなんて子供っぽい思考回路なんだろう。まあ、所詮はまだ子供だし、大人の思考回路なんて理解したくない。子供上等!なんて言ってみたり。
「勿論、ついてるよ」
やった!と口に出さずに叫び、心の中でガッツポーズをする。
ここ小一時間、炎天下を歩き回っていて、疲れもピークに差し掛かるんじゃないかと思っていたところだ。ついでに冷たい炭酸をイッキ飲みしたい。
「デパートに着いたら、少し休憩しようか」
まるで面倒見のよい姉のように微笑み、横断歩道をわたり始める。
視界の端にはもう、目的地であるデパートが映っていた。この横断歩道をわたり、寂れた商店街風の道を道なりに行けば着くようだ。中央塔、もとい『葉月市中央情報管理ビル』からは裏道を使ったからか30分と経たずに着きそうだ。こんな暑いなか30分も歩くのは自殺志望だろう。
なんて、どうでもいいことを考えて横断歩道をわたりきる。さぁ、目的地まであと少しだ頑張ろう―――、と横断歩道から一歩踏み出した瞬間、
「あはは~。にゃんにゃん~。まてまてぇ~」
背後から幼い少女の声が聞こえた。嫌に明瞭に聞こえたその可愛らしい声に理由のない不安を覚え、振り返る。視界にチラリと映ったリョウもまたその幼い少女の方を見ていた。
振り返った俺の目に入ったのは、幼い少女がそこそこ大きな猫を抱き抱える最中と、赤色が灯った信号と、猛スピードで走るトラックと、車道を挟んだ反対の歩道にいる少女の付き添いらしい女性の驚き一色の顔だった。
†
アレは無理だ。助からない。嫌に早い思考回路がいつもより速く結論を叩き出した。
あぁ、でも、走ったら、間に合う…かな?
足は速い自信はある。引きこもる二年前は陸上で結構いいところまで行ったし、運が良ければ助けれるかもしれない。
結局、理由を考える前に走り出してんのにさ。何を言ってんだよ。
ああ、トラックはもう少女のすぐ近く。俺からの距離は十歩もない。
ああ、俺の足がもっと速かったら。
昔みたいに、いや昔より速く、誰よりも速く、速かったら。
叶わない願いだ。
いよいよ、トラックが少女を跳ねるその瞬間、俺は――――――
†
「あれ?」
目の前の景色が違う。少女とトラックが無い。あるのは…驚きの顔をした女性と、向かい側にあったはずの店の展示窓。
腕の中には猫を抱き抱えた幼い少女。その少女もまた何が起こったのかわからないようだった。
「何が…」
「ユウヤ!大丈夫か!?」
リョウだ。慌てたように駆け寄って、俺の顔を見る。ああ、どうしたんだ?そんなに慌てて?あれ…?俺なんで、この女の子を抱いているんだ?さっきまで――――
「ああ、ありがとうございます!!」
俺の思考を引き裂くように、女性の声が響いた。声のした方に振り向くと、涙を流しながら俺を、俺の腕の中にいるわが子(?)を交互に見る若い女性がいた。
何が起こったのか今の俺には理解できない。彼女はわかっているのだろうか。
「え、あの…」
「ユウヤ、その子を下して」
リョウが耳元でささやいた。焦り気味に。
とりあえず、リョウに言われたとおりに女の子を下す。下された女の子はとてとてと母親らしい女性に猫を抱いたまま歩み寄る。抱かれた猫もまだ目が点だった。
「ユウヤ、こっち。来て」
リョウは女性が何かの言うのを制するように俺の手を掴み、大股で歩きだす。
俺はそれを、まるで小説のワンシーンのごとく、感情の抜け落ちた第三者視点で見るような心地だった。
リョウは俺の手を掴んだまま、近場にあった薄暗く湿った路地裏への入り口へと足を踏み入れた。そのまま入り組んだ路地裏を進み、ようやく立ち止まったかと思ったら勢いよく振り返った。
「ユウヤ、気分はどう? どこかおかしかったりは? 意識は正常? 何か―――――。ああ、いや、落ち着かないといけないのは僕か」
一気に質問攻めにあった俺は何が何だかわからなくて、ただリョウを見つめるしかできなくて、そんな俺に見られているリョウはスーハースーハーと深呼吸をしてさっき自分に言ったように落ち着いている最中だ。
「じゃあ、まぁ、一つ一つ聞いていこうか」
「ぁ。あぁ…」
イケメンな顔をキリリと真剣そのものにし、リョウはその瞳を赤く光らせる。
赤く瞳が輝くのは、小説での定番、何か能力を使うときだ。この世界の作り主はきっとそういう話が大好きだったんだろうな。なぁ、かくいう俺もあんまり嫌いじゃない。
「まず、何が起こったか理解は追いついてる?」
「いや…全く。何が起こったんだ?」
「それは、…最後に言うよ。次、気分は? 体の調子は?」
心配そうに聞いてくるリョウ。
ふと自分の体の調子を確認するが、とくに異常はなさげである。まぁ、思考回路が追いついていない程度だな。
「大丈夫だ」
「ボクの目、赤く光ってるのは…理解できてる?」
「ああ。能力、使ってるのか?」
「うん、まぁね」
え、もしかして俺、『幻覚』見せられてるのか?
うわぁ…、どれか『幻覚』なんだよ…。もしかして、リョウ自身が幻覚だったりするのか?
「ん、まぁ、体が本調子でよかった。じゃあ、これ、避けてみて」
スッと腕を肩の高さにあげる。
予想通りというか、案の定というか、お決まりのようにそこには拳銃が握られていて、その銃口は俺に向いていた。黒光りするそれは、何故か薄暗い路地裏には馴染んでいて、違和感が感じられなかった。
「避けてよ?」
リョウの真剣な顔も、結構いいもんだな。なんて考えてる場合じゃない。
避けないと、死ぬ。あれを連続なんて、勘弁こうむりたい。避けないと。避けないと、避けないと――――。
バァン!
嫌に眩しい光と空気が張り裂ける音がして、キンッと耳鳴りがした。
何か小さいものが嫌に遅く見えた。それを一歩右によることでやり過ごす。また一発、激しい音と光。次は左に一歩。また光と音。今度は顔を左に少しそらす。それっきり、光も音もない。どうやら終わりのようだ。
終わり、それを理解すると急に暑かった空気が嫌に冷たく感じた。視界の端にチラッと映った真剣そのものだったリョウの表情が歓喜と驚愕に満ちていて、それに加えて嫌に自分の目が痛かった。
「おめでとう、ユウヤ……」
精いっぱい振り絞ったような声でリョウが告げた。
おめでとう、と。一体何のことか俺には全くわからないけど、視界がぼやけてくることだけはわかった。そのまま、ぼやけた視界は思考と共に黒に塗りつぶされた。