第90話 甘える司君?
キャロルはいつも、突然やってくる。今日も部活のない守君は、まだ寝ている。きっと起きて一階に来て、驚愕するだろう。
「穂乃香~~~!」
キャロルはまた私に抱きついた。いつもなら、私ではなく司君に抱きつくのに。
「キャロル、いつもなんでそう突然なんだよ。今日から俺も穂乃香も部活だから、お前の相手はできないよ?」
司君がクールにそう言うと、
「司ハ行ッテ。デモ、穂乃香、残ッテ」
と言い出した。
「あのなあ!そうわがままばっかり言うなよな」
「ごめんね、キャロル。私も今日から部活行かないと…」
実は行っても行かなくてもいい。だけど、司君と一緒にいたい。
「ジャ、帰ッテキタラ、マタオ風呂一緒ニ入ロウ。ソレカラ穂乃香ノ部屋デ寝ル」
「キャロル!俺が穂乃香の部屋で寝るんだよっ。俺らはもう、婚約だってしたんだから」
「コンニャク?」
「婚約!フィアンセ!」
司君は珍しく声を大にしてそう言った。
「ええ?!!!!フィアンセ?!」
キャロルは驚いたけれど、そのあとすぐに、
「ヤッタ~~」
となぜか喜んでいる。
「ジャ、ズット穂乃香ハコノ家ニイルンダ。イツデモココニ来タラ会エルンダ」
「ずっとじゃない。卒業したら俺らは長野に行くから」
「長野?ドコ?」
「信州」
「信州?」
キャロルはキョトンとした後、
「私モソコニ行ク」
と言い出した。
「アホ。何言ってるんだよ」
司君が呆れたって声でそう言った。
「ほら、司も穂乃香ちゃんも早く朝ごはん食べて。遅刻するわよ」
「あ!はい!」
私は急いで顔を洗い、ダイニングに行った。キャロルはすでにダイニングで、勝手にジュースを飲んでいる。
キャロルがいるからメープルは、ずっとリビングの奥で丸まっている。司君は早くにご飯を食べ、そんなメープルと遊んであげていた。
「司君、お待たせ」
朝ごはんを終え、カバンを持って私は司君にそう言った。
「ああ、じゃ、行ってきます」
司君はそう言いながら、玄関に行った。キャロルとお母さんが玄関まで見送りに来てくれた。
「穂乃香!司!行ッテラッシャイ」
キャロルはすごく元気にそう言って、思い切り手を振った。
「いってきます」
逆に司君は不機嫌そうにそう言って、家を出た。
「は~~~~」
門をくぐったあたりで、司君がため息をついた。
「キャロル、来ちゃったなあ」
「うん」
「あいつ、また穂乃香にべったりするんじゃないだろうな」
「……私、司君の部屋で寝ようかな」
「ベッドで?」
「うん」
「いいよ。こうなったら、べったりくっついていようか?キャロルがいる間ずっと」
「……うん」
私は司君と手を繋いだ。どうせなら、今も、学校でもべったりしたいくらいだ。できることなら。でも、恥ずかしくてなかなかできないんだけど。
「穂乃香」
「え?」
「俺、もっと甘えてもいいのかな」
「え?」
「いや…」
司君は黙り込んだ。
「あ、甘えていいよ」
私がそう言うと、司君はちょっと耳を赤らめ、
「でも、2人でいる時ね」
と小声でそう言った。
ドキドキ。もっと甘えるってどんなかな。司君、どんなふうになっちゃうのかな。なんだか、ちょっと楽しみ。
そして学校に行くまでの間も私たちは、しっかりと手を繋いでいった。みんなに見られるかなあ。そんなことを思いながら。
だけど、まだ部活が始まっていない部もあるのか、学校にはほとんど人がいない状態だった。
「昼、一緒に食べようか」
「うん。食堂にいるね」
「じゃ、また昼にね」
司君は美術室の前でそう言うと、どんどん廊下を歩いて行った。
その後ろ姿を見送ってから私は美術室に入った。
「あれ?」
誰もいないの?
20分くらいして、ようやく部長が来た。それからもう一人、1年生が来て、結局今日はその3人だけだった。
「結城さんはえらいね。今日来るなんて」
「え?でも、部長も…」
「私は部長だから仕方なく来たよ」
「そうなんだ」
「あ、山本さんもえらいよね。さすがだ。中学も美術部だったんだっけ」
そんな話を部長は1年の子にし出して、私はまた一人で絵に集中した。
それからあっという間にお昼になり、私は食堂に行った。
すると、すでに司君と弓道部のみんなが食堂にいて、
「おい、藤堂、やっぱり保健室に行けよ」
なんて話をしていた。
「司君、どうしたの?」
気になり聞きに行くと、
「ああ、なんでもないんだ。ちょっと切っただけだから」
と司君は少し微笑みながらそう答えた。
「切ったって?」
「指先。絆創膏貼っておいたし大丈夫」
「見せて」
司君の腕を掴んで手を見てみた。うわ。絆創膏が血でにじんでいる。
「これ、消毒とかしなくてもいいの?」
「うん」
「駄目だよ。お昼食べたら保健室行こうよ」
「…大丈夫なのになあ」
司君はそう言いながら、さっさと席に座りお弁当を広げだした。私もその横に座り、お弁当を広げた。
他の部員は、いつの間にか離れたところに移動していた。私たちに気を使ってくれたようだ。
「痛む?」
小声で司君に聞いてみた。
「別に」
司君は、クールにそう言った。
本当かなあ。司君って、そう言う弱さ見せないようにしそうだしなあ。
お昼を食べ終わり、私は司君を引っ張って保健室に行った。
「先生」
保健室のドアをノックして、ガラガラとドアを開けた。養護の先生は机に向かい、なにやら書類を書いている最中だった。
「あら。夫婦そろってどうしたの?」
こっちを振り向くと、先生は私たちを見てそう言って来た。
「ふ、夫婦?!」
先生の言葉に、思わず赤くなると、
「噂聞いてるわよ。婚約したんでしょ?」
と笑いながら先生は言った。
「そ、それより司君が怪我したから見てあげてください」
私はそう言って、司君を先生の前に立たせた。司君は思い切り無表情だ。あ、いきなり夫婦って言われたから、照れているのかもしれない。
「指を切ったの?だいぶ深く切っちゃったんじゃないの?」
そう言いながら、先生は司君を椅子に座らせ処置をした。
「応急処置だけだからね。まだ痛むなら、病院にちゃんと行ってね」
「はい」
司君は、無表情のままうなづいた。
「じゃ、私これからお昼なのよ。食堂に行ってくるから、適当に部活に戻ってね」
先生はそう言うと、さっさと保健室を出て行った。それもご丁寧になぜか、ドアまで閉めて。
「適当にって、なんかしないとならないっけ?」
「え?」
「処置してもらったら、ノートに書くとかするんだっけ?」
「いつもどうしてるの?」
「先生がなんか書いてなかった?」
「ああ、そういえば」
司君は先生の机のあたりを見た。
「ノートどこかわかんないし、ま、いっか」
そう言うと司君は、私の手を引き、
「俺、ちょっと休んでから戻る」
と言って、なぜかベッドのほうに行った。
「どこか痛い?」
「え?」
「休むって、具合悪いの?」
「いや。ただ、眠いだけ」
「…そ、そう」
「穂乃香も横になる?」
「ならないよ。それに勝手にベッドに寝たら怒られるよ?」
グイ…。
「司君?」
司君はベッドに座り、私を引き寄せた。
「大丈夫だよ。今日生徒もほとんどいなかったし」
「でも、先生が…」
「大丈夫だよ。昼食べに行ったんだから」
司君?
うわ。司君がキスまでしてきた!こんなところで!
「駄目だってば」
「2人きりだよ?」
「え?」
「甘えてもいいよね?」
え?甘えてるの?これ。
「つ、司君?」
うわ。ベッドに押し倒された!うそ!
「駄目だったら…」
そう言っているのに、司君は私にキスをしてくる。
「学校じゃ駄目!!」
まだ司君は、私を抱きしめている。も、もう~~~。司君はたまに予想不可能な行動をするんだから。
ドキドキドキドキ。もしこんなところを、誰かに見られちゃったらどうするの?
「司君!駄目!駄目だったら駄目!!!」
司君はようやく、私の上から起き上がり、
「せっかくベッドがあるのにね」
とつぶやいた。
「へ?」
「残念だな」
残念じゃない~~~~!!!
「家に帰ったら、またキャロルに穂乃香取られるんだ。学校だったら邪魔が入らないのに」
「司君ってば、何を言ってるの」
「チュ」
また司君は私にキスをして、
「しょうがない。部室に戻るか」
とそう言うと、ベッドから立ち上がった。
ああ、もう。私きっと真っ赤だ。こんな顔じゃ、美術室に戻れないよ。
「司君のスケベ」
「え?」
「が、学校じゃ困るよ」
私が下を向いてそう言うと、
「怒った?」
と司君が聞いてきた。
「怒ってるよ」
「…ごめん」
「…」
「じゃあ、キャロルがいても、俺の部屋に来る?」
「い、行くよ?」
「…。ほんと?」
「うん」
司君は私の顔を覗き込んできた。
「何?」
「約束ね?」
そう言うと、また司君は私にキスをして、それから保健室を先に出て行ってしまった。
ああ~~~~。もう~~~。顏が赤いのが戻んないんだってば。司君はすぐにポーカーフェイスになれるからいいけど。
しばらく私は、保健室の椅子に座ってぼけっとしてから、顔のほてりがおさまった頃に美術室に戻った。
でも、絵を前にしても司君のキスを思いだし、時々赤くなっていた。
それにしても、信じられない。保健室のベッドに押し倒してくるなんて。絶対に前だったら、こんなこと司君はしてこなかったのに。
なんで?婚約したからかなあ。
それとも、私が甘えてもいいよなんて、言っちゃったからかなあ。
ああ、これからの司君が、ちょっと心配だ。
帰りの時間になり、司君は美術室にやってきた。
「遅くなってごめん」
5時半を軽く回っていた。どうやら、弓道部最初の部活で、顧問の先生の意気込みが熱くなっていたらしく、部活が終わってから、長々と話をしていたらしい。
「みんな帰っちゃった?」
「うん。って言っても、今日は私入れて3人だけだったの」
「あはは。美術部って本当に、やる気のない部員ばっかりだね」
「まあね」
司君は私の横に来た。
「学校じゃ駄目なんだっけ?」
「う、そうだよ」
「キスも?」
「キ、キスも」
「なんで?」
そう言いながら司君は私に接近してきた。
「なんでって、誰かに見られたら」
「ドア閉めたし、誰もいないよ」
ああ、司君、最近誰もいないと勝手にドア閉めて入ってくるよね。
「穂乃香…」
司君がまた私をグイって引き寄せた。
「駄目。家に帰るまで駄目」
「家に帰ったら、キャロルがいる」
「キャロルがいても、司君の部屋に行くから」
「……お風呂にキャロルと入るんだよね?」
「うん」
「俺と入らない?」
「ま、まさか!!!」
「じゃ、やっぱり」
「え?」
「キスくらい…」
どういう関係があるの?それ!
「どっちにする?」
「な、な、何が?」
「一緒にお風呂と、ここでキス」
「え?!」
「どっち?」
なんで、選択することになってるの?司君、変!キャロルが来ると、司君が変になるよ。
「そ、それは…」
「うん」
「どっちも駄目」
そう言うと、司君はいきなりキスをしてきた。うわ!駄目だって言ったのに!!!それも、かなり熱いキスだ。
「どっちも駄目って言ったのに…」
司君の唇が離れてからそう言うと、司君は私の顔を覗き込み、
「怒った?」
とまた聞いてきた。
「…ずるい」
「え?」
「怒れないこと知ってるんだよね?」
「……怒ってない?」
「……」
本当は怒りたいくらい。でも、怒れない。それに、司君の腕の中から、なかなか離れられない。結局私も、司君にくっついていたいみたいだ。
「司君」
私は司君から離れるどころか、司君の指に指を絡ませた。
「本当に今日、司君の部屋で寝てもいいんだよね?」
「…いいよ?」
ギュ。私から思わず、司君に抱きついてしまった。ああ、ここ、学校なのに。
「穂乃香ももしかして、甘えてる?」
「うん」
司君も私をギュって抱きしめた。そして髪にチュッてキスをする。
「帰ろうか」
「うん」
ああ、やばいよね。思い切り私たち、いちゃついてるよね。家でも学校でも…。
でも、幸せだ。思い切りハッピーだ。
手を繋いで、ちょっと前を歩いている司君の横顔を見た。今はもう、ポーカーフェイスになっている。
でも、手のぬくもりはすごくあったかい。
ずっとこのぬくもりを、感じていられたらいいなあ。寒い学校の廊下を、そんなことをしみじみ思いながら私は歩いていた。




