第9部 好きでいる自信
放課後、美術室はまた騒然としていた。そして5時半を過ぎた頃、司君が現れた。
「あ、藤堂君」
一人の女子の部員が気が付いたようだ。
「そろそろ終わるからね」
その子にそう言われ、司君は美術室に入らず、ドアの前で立って待っている。
いけない。早くに片づけを終わらせないと…。そして筆を落っことしたり、机の角で手をこすったりして、失敗をいろいろとしてしまい、返って片づけが遅くなってしまった。
「ご、ごめんね」
ドアの前で待っていた司君のところに行き、謝った。
「…手、怪我した?血が出てるけど」
「わ。本当だ。でも、平気、かすり傷だし」
「…絆創膏ある?」
「ないけど、平気」
そう言ったけど、司君は私のことを保健室まで連れて行き、絆創膏を養護の先生からもらってくれた。
「大丈夫なのに、このくらい」
そう言っても、
「はい」
と絆創膏を渡してくれるので、私は受け取ってそれを手にはった。
「慌てた?俺が待ってるからって」
「う、うん。ごめんね。待たせて」
「……」
司君は黙ってしまった。
ああ、待たせるのが悪いと思うことが、返って司君に気を使わせちゃうのかなあ。
なんとなくまた、2人して黙ったまま歩き出した。
気まずいなあ。こんな時どうやって、明るく振舞ったらいいんだろうか。ああ、私って、なんでこうも暗いのかな。
「結城さん、明日からは俺、6時ころまで弓道の練習してるから、ゆっくり片づけていいよ」
「…え?」
「自主練していいかって今日聞いたら、顧問の先生がいいって言ってたから」
「…ごめん」
「謝るのは無し。自主練は別に悪いことじゃないし、俺にとっても自分のためになるんだから」
「うん」
それ、私が気を使わないように言ってくれてるんだよね。そういうところが、きっと司君の優しさなんだよね。
そうなんだ。司君は優しい。だから、甘えてもわがままを言っても、聞いてくれるかもしれない。だけど、なんだか、優しいからこそ、甘えたら悪い気がしてくる。
「あ、あのね?」
「ん?」
「……ううん。なんでもない」
どう言っていいかわからず、私は黙った。
「結城さんが、なんで俺に遠慮するのか、今日考えてたんだ」
「え?」
「きっと、俺が無表情で、あんまり思ったこともうまく言えないからだよね?」
「ううん。そんなことは…」
「でも、俺にそんなに気を使わないでいいよ。言いたいことも言ってくれていいし」
「……うん」
じゃあ、キャロルさんのことを言ってもいいのかな。文化祭、来てほしくないって。
「あ、あのね?」
「うん」
「文化祭なんだけど」
「うん?」
「い、一緒に回れるんだよね?」
「うん。回れるよ」
「キャ、キャロルさんのことは…」
「ああ、部のやつらがキャロルが来たら、いろいろと一緒に回ってくれるってさ。外人の女の子だって言ったら、みんな喜んでいたし」
「ほんと?」
「うん。キャロルもあいつらと一緒に回るの、喜ぶんじゃないかな」
そうか。じゃあ、司君にべったりくっついたりしないんだね。良かった~~~。
「キャロルが大丈夫か心配してたの?」
「え?」
「キャロルが一人になるかもって、心配だった?」
「………」
違うんだけど。でも、そんなふうに聞かれたら、なんて言っていいのか。
「えっと…」
「そんなに結城さんが気にすることはないよ?母さんは心配してたけど、キャロルだったら、そんなに心配しないでも大丈夫だから」
「…う、うん」
違うの。キャロルさんに来てほしくなかったの。って、もっと言いづらくなった。ああ、司君、私はそんなに優しい女の子じゃないよ。嫉妬深くって、性格悪くって、根暗で、じめじめしてて…。
なんだか、果てしなく落ち込んできちゃった。
司君は私のことを誤解してない?勝手に美化してない?私って全然たいした女の子じゃないんだよ。司君がそんなに好きになってくれるような、そんな女の子なんかじゃないのに…。
隣で司君は、ぽつりぽつりと話しだした。私はそれに相槌をうったり、たまに笑ったりした。でも、内心はずっと落ち込んでた。
私の素をもっと司君が知っていったら、私、完璧嫌われるんじゃないかな…。
そう思うと、気持ちはどんどんとのめりこんで行った。
こんなこと、誰に相談したらいいの?
夜、守君がなぜか、私にゲームの対戦をしようと言って、自分の部屋に私を連れて行った。司君はそんな守君に何かを言いかけたけど、守君はそんなのも聞かず、とっとと私を自分の部屋に押し込めてしまった。
「テレビゲームじゃないの?」
「うん。違う」
私は床にクッションを置いて座った。守君は自分の机の椅子に座ると、
「今日も暗いんだもん、穂乃香」
とぽつりと言った。
「もしかして、それで守君の部屋に呼んだの?」
「…兄ちゃんといても、顔、引きつってたよ?」
う、ばれてたのか。それ、司君にもばれてるのかなあ。
「ゲーム、する?ゲーム機2台あるから、対戦できるよ」
「ありがとう、でも、そんな気分じゃないかも」
「じゃ、パソコンで動画でも見る?面白いの見つけたんだ」
「…もしかして、私を元気づけようとしてくれてる?」
「え?ああ、うん。まあ」
「ありがとうね…」
ちょっと今、感動してるかも。守君に。
「兄ちゃんと、喧嘩したわけじゃないよね?」
「してないよ。司君、優しいし」
「じゃ、何で暗いの?まだキャロルのことで悩んでるの?」
「ううん。そうじゃなくって」
私はこんなことを守君に言ったりして、わかってもらえるんだろうかと一瞬思ったけど、でも、言ってみることにした。
「司君って、私のこと美化してないかなあ」
「え?何それ」
「勝手にイメージ作ってないかな。本当の私は、たいしたことないから、知ったらがっかりしちゃうんじゃないかなって思って」
「う~~~ん、どうだろ」
守君はちょっと天井を見上げ、悩んだ。だけど、
「兄ちゃんだって、たいしたことないから、お互い様なんじゃないの?」
とそんなことを言いだした。
「え?」
「兄ちゃん、もしかして穂乃香の前ではかっこつけてるかもしれないけど、そんなでもないよ」
「そんなでもって?」
「部屋だって、最近綺麗にしてるけど、前はあそこまで綺麗にしてなかったし。もっとだらしなかったり、もっとむすっとしてたり…。穂乃香がいるから、格好にも気を付けてるし、愛想もいいんだと思うけどな」
「もっとむすっとしてたの?」
「うん。夕飯の時話もしなかったし。あ、でも、俺と2人だと、結構じゃべったりしてたけど」
「そうなんだ。違ってたんだ」
「もっと、むさくるしかった。着るもんだって、何日も同じの平気で着てたり。って俺もだけど。で、母さんに汗臭いからいい加減、洗濯に出せって言われて、しょうがなく出してみたり」
「…」
うそ。
「部屋だって、もっと男臭かった。部活で疲れてると、平気で風呂も入らず、そのまま寝てたりしたし。部屋入ると、汗臭くって、俺ですら、うわ!って思ったこともあるし」
嘘だ~~。司君の部屋、汗臭いって思ったこと一回もないよ?
「なんてばらしたりしたら、俺、兄ちゃんに怒られるかも。あんまり怒んないけど、怒ると怖いんだよ。だから、ばらしたこと内緒ね?」
「う、うん」
なんだか、司君のイメージが、今、崩れて行った気がする。
「ね?兄ちゃんだって、たいしたことないでしょ?だから、穂乃香の本性知ったとしても、お互い様って感じだって」
「…」
「それとも、もう今の話で、兄ちゃんのこと嫌いになった?」
「ううん。まさか。そんなことくらいで…」
「だったら、兄ちゃんだって、多少のことで、穂乃香のことを嫌ったりしないと思うけどなあ」
「……」
多少のことの「多少」って、どの程度なんだろう。私の性格が暗くって、意地悪でも?それって、「多少」のこと?
「守君、ありがとうね」
「え?ああ。いいよ、そんな…」
椅子に座って、グルグルと椅子を回している守君。もしかして照れたのかな。
「守君がいてくれて、助かる。お母さんやお父さんにはこんな話、そうそうできないし」
「…そう?俺も役に立ってるんだ」
「うん。思い切り」
「そっか」
守君は椅子を私と反対方向に向け、しばらく背中を向けたままにしている。
「俺、穂乃香の味方だから」
「え?」
「キャロルと兄ちゃんが付き合うって言うなら、思い切り反対したけど、穂乃香だったら、俺、応援するから」
「…うん」
そう言ってくれると、心強いよ。本当にありがとうね。
私はさっきよりも全然元気になって、自分の部屋に戻った。
「そっか。司君も私の前で、かっこつけたりしてるんだ」
私と一緒なのかな。もしかして、私に嫌われないように頑張っている部分もあったりするのかな。
あの司君が?ちょっと信じられない気もするけど、でも、そういえば、球技大会でも情けないところを見せられない、なんて言ってたし。
ほんのちょっと気持ちが明るくなった。そして、司君の部屋のほうに布団を敷き、壁に向かって、おやすみとつぶやいた。
ココンとノックをする勇気はなぜか出なかった。でも、壁の向こうにいる司君が、なんとなく愛しく思えてきて、暗さがいつの間にか消えていたことに気が付いた。
嫌われることばかり、考えてたけど、もっと司君を知っていくことも考えてみようかな。だらしなくたっていいし、もっと司君に素を見せてもらってもいいんだから。
そんなことを思いながら、私は眠りについた。
翌朝、昨日よりもはるかに明るい気持ちで、目が覚めた。
カーテンを開けると、空は晴れていて気持ちよかった。
「ああ、今日は元気かも、私」
着替えをして、さっさと下に下りた。まだ、6時だったけど、すっかり気分はすっきりしていた。
「あら?早いのね」
「はい、早くに目が覚めちゃって」
お母さんはキッチンで、お弁当を作っていた。
「あ、私、手伝います」
「じゃあ、お弁当箱にこのおかずを詰めてくれる?」
「はい」
キッチンでお弁当を作る手伝いをしていると、守君が起きてきた。
「あれ?穂乃香、早い。寝れなかったとか?」
「ううん。よく寝れたから、早くに目が覚めちゃった」
そう言うと、守君はにっこりと笑った。
「そうか。よく寝れたんだ」
うん。ありがとうね。お母さんに気づかれないよう、口だけ動かして守君に伝えた。
「守、早く朝ごはん食べなさい」
「へ~~い」
守君は元気に朝ごはんを食べると、お弁当を鞄にしまいこみ、
「じゃ、行ってきます」
と元気に玄関を出て行った。
7時をまわり、司君が階段を下りてきた。
「穂乃香?」
ダイニングですでにご飯を食べている私に、司君は心配そうな顔をして私の名前を呼んだ。
「おはよう。司君」
「…なんで、早いの?もしかして部活で朝早くに行くの?」
「ううん。目が覚めたから」
「…そっか。壁をノックしても返事しないし、具合でも悪いのかと思った」
「あ、ごめんね?起こしてくれてたの?」
「うん」
「…ごめん」
「いいよ…」
司君は、ちょっと顔をしかめ、それから洗面所に行ってしまった。
悪かったなあ。起こしてくれていたんだ。いろいろと心配もかけちゃったかなあ。
朝ごはんを終わり、私はリビングに行きメープルの背中を撫でた。メープルはワフワフ言って喜んでいる。
しばらくメープルと遊んでいると、司君も朝ごはんを終え、リビングにやってきた。
「ワフワフ」
メープルは司君に抱きつき、尻尾をブルブルと振った。
「…穂乃香」
「え?」
「……なんか、悩み事?」
「…なんで?」
「もしかして、寝れなかった?」
「ううん。ぐっすり寝たよ」
「ほんと?でも、昨日、お休みって合図もなかったよね?」
「あ…。うん。わ、忘れちゃった」
「…忘れた?」
うわ。今、司君、顔が沈んだ?
「違うの。忘れたんじゃなくって、えっと…。おやすみって壁に向かって言ったんだけど…」
ああ、しどろもどろだ。忘れたなんてそんな嘘、司君を傷つけるだけなのに、私ったら。
「…声、聞えなかった。ごめん。俺、穂乃香のおやすみって挨拶、無視しちゃったかな」
ひょえ~~。そんな聞こえるような声で言ってないよ。なんだか、何を言っても司君を傷つけちゃう。
「ご、ごめんね?そんなに大きな声で言ってないし。司君が謝ることないの。私がただ…」
「…ただ?」
「へ、へそ曲げただけ」
「へそ?」
「多分…」
「なに?それ」
「ちょっと違った。えっと、へそ曲げたんじゃなくって、えっと…」
なんて言ったら傷つかない?
「えっとね。勝手にその…、暗くなっただけ」
「なんで?」
「えっと、そうじゃなくって。だから、その…」
あ~~~~~。最悪。司君の顔、ずうっと沈んでるし。
「ごめん。司君が気にすることじゃないの。私も、気分にむらがあって、落ち込む時もあれば、なんだか、しゃべりたくなくなることもあれば」
「俺、何か怒らせたのかな」
「ううん。全然。そんなことないの。本当に私が勝手に…」
司君、顔、いつもポーカーフェイスなのに、ずっと沈んでる。見てて思い切りそれがわかるくらいに。
「もし、俺が知らない間に穂乃香を傷つけてるなら、言って。俺、気が付かないうちに変なこと言ってるかもしれないし」
「……大丈夫。司君はいつも優しいよ」
「そうかな。言葉が足りなくって、穂乃香、傷ついていない?」
「ううん。そんなことないよ。ただね…」
司君はじっと私を見て、私の言うことを待っている。その横で尻尾を振ってメープルは嬉しそうにしている。
「ただ…、司君が好きだから、まだまだ私、一喜一憂しちゃってるんだと思う」
「え?」
「勝手にあれこれ思って、勝手に浮かれたり落ち込んだり」
「……え?」
「だから、その…。司君も、そんな私にあんまり、気を使わないで。だ、大丈夫だから」
「………」
司君はしばらく私をじっと見つめ、それから耳を赤くした。
「それ、ほんと?」
「え?」
「好きだから、一喜一憂って」
「うん」
「……そっか」
司君は、ふうって息を吐いた。それから、顔が明るくなった。
「じゃあ、俺と一緒なんだ。もしかして」
「何が?」
何が一緒?
「俺も、穂乃香が黙ってたり、なんとなく俺を無視してる感じがすると、嫌われたのかって、結構びびってる」
「え?」
うそ。
「一喜一憂してるかも、俺も…」
うそ~~~。
「嫌ったりしないよ?私…」
「…そう言ってくれると、安心する」
うそ。
「わ、私だって、嫌われたかなって、心配になったりしてるよ?」
「俺に?なんで?どこを嫌うって言うの?嫌いになるところなんかないけど」
「そんなことない。司君が思うほど、私性格良くないし」
「……?」
司君はきょとんとした顔をした。
「ほ、本当なの。私、優しくないし、性格悪いよ。根暗だし、いつまでも考え込んで落ち込んだり」
「…そんなの、全然気にならないよ?」
「でも、でもね。司君、きっと私のこと知らな過ぎて、知ったら幻滅する」
「……知らな過ぎてる?俺」
「うん」
「じゃあ、もっと知りたいから、いろいろと話して」
「え?」
「思ってること、今みたいにいろいろと言ってくれていいから」
「……」
司君はじっと私を見た。そして、私の頬を優しくなでた。
「俺は、穂乃香をもっと知りたいよ?」
「…」
ドキン。
「わ、私、きっと嫉妬深いの」
「穂乃香が?」
「そう。きっと、独占欲も自分で思ってる以上にあるの」
「…ふうん」
「つ、司君、呆れるかもしれない。そんなところ」
「呆れない。俺も、独占欲強いみたいだし」
「…だけど」
だけど、キャロルさんのこと、いまだにいろいろと気になってるんだよ?
「いいよ、全然やきもち妬いてくれないより、嬉しいよ?」
「……」
そんな優しいことを、優しい目で言わないで。なんだか、胸が痛くなるよ~~。
「私、きっと意地悪なの」
「え?」
「私、優しくないの。私、そんなにたいしたことないの。てんで、司君が好きになってくれるような、そんな部分ないの」
「……」
司君は黙って私を優しく見ている。
「私…」
う。なんだか、涙が出てきたかも。
「そんなこと、気にしてた?」
「うん」
「…そっか。でも、俺もそれは思ってる。俺、なんで穂乃香に好かれたのかなあって」
「え?」
「俺の方こそ、優しくない。むすっとしてて、おっかないだろ?口下手だし、気は利かないし」
「優しいよ」
「そんなことない。それに気も小さい。てんで男らしくない」
「そんなことないよ」
「…でも、やっぱり俺のどこに惚れてくれたのかって、いまだに疑問」
「…」
「だから、きっと同じ」
「え?」
「俺も、不安だらけ。でもさ…、でも、それでも俺は、穂乃香が好きなんだ」
「…司君…」
「それだけは、変わんない。穂乃香を好きだってことだけは、他の奴にも負けない。これだけは、自信がある」
「…」
「だから、だからさ…。穂乃香はもっと、自信を持って?」
「私が?」
「俺、ちゃんと好きだから。嫌ったりしないから」
「…」
う~~~。涙、出てきた。どうしよう。思い切り泣きそう。
「じゃ、じゃあ、司君も」
涙をこらえていたけど、ボロボロっと流れ落ちた。でも、私は話を続けた。
「私、司君が大好きなの。だから、もっと素を見せてくれてもいいの。嫌われるなんて思わないでいいの」
「……」
「大好きだから」
「うん。サンキュ。そう言ってくれると、まじで安心するよ」
司君はそう言うと、私を優しく抱きしめた。
司君の腕の中は、やっぱりあったかくって優しかった。
そうだ。私は司君が大好きだ。それは私だって自信がある。
だから、ちゃんと大好きだってことを、伝えて行こう、これからも。それで、司君が安心するなら。




