第88話 麻衣の相談事
家に帰り、お母さんに麻衣が来ることを告げた。
「まあ。じゃ、美味しいケーキでも買ってきましょうか」
「いえ、いいです」
「あ、クッキーがあったわね。それに紅茶でいい?」
「はい」
お母さんはにこにこしながら、すぐにカップの用意を始めた。
「母さん、なんだか相談事があるとかで来るんだから、邪魔しちゃだめだよ」
そんなお母さんに、司君がそう言ってくれた。
「え?そうなの?相談事って?」
「母さんには関係のないことだから」
そう言うと司君は私の腕を引っ張り、
「2階に行こう」
と私を2階に連れて行った。
バタン。あれ?司君の部屋に私を入れちゃった。
「ほんと、母さんはなんでも首を突っ込みたがるんだからなあ」
そう言いながら司君は、机の椅子に座った。
「穂乃香」
「え?」
「ところで、宿題した?」
「……。うわ!まだだ!」
「ちょっとしか出てないから、すぐにできると思うよ」
「え?司君、終わったの?」
「うん。長野で終わらせた」
だから~~~。たまに司君が、エスパーか神のような気がしちゃうよ。
そして司君は、
「はい、数学のプリントはこれ。国語のワークはこっち。どうせ中西さんもやってないよね?写していいよ」
と渡してくれた。
「え?いいの?」
「わかんないところがあったら、聞きに来て。っていうか、そのまんまにしないで、聞きにおいでね?」
「うん!」
私は思い切りうなづいて司君の部屋を出た。そして自分の部屋に入り、
「あ、司君、麻衣が宿題を写しに来ると思った?」
とその時気が付いた。
違うんだなあ。絶対に麻衣は彼氏のことで相談に来ると思うんだ。でも、司君の好意は受け取って、しっかりと写させてもらおう。
それらを机の上に置き、私は時計を見た。
「あ、4時になる」
慌てて部屋から一階に行き、
「駅まで迎えに行ってきます」
とお母さんに言うと、家を飛び出した。
そして、駅まで走っている途中で、家に帰る守君に遭遇した。
「あれ?彼女は?」
「穂乃香、兄ちゃんは?」
同時にそう聞きあった。
「私は麻衣がこれから来るから、駅まで行くところ」
「え?ま、麻衣さん来るの?」
「うん、家に来るけど」
か~~~~っ!守君の顔がみるみるうちに赤くなった。あ、そうだった。麻衣のこと、気に入っていたんだっけね。見た目、可愛いもんね、麻衣って。
「で、彼女は?」
「これから家族で、出かけるんだってさ」
「ふうん」
私はそう相槌を打って、守君に、
「じゃ、一緒に麻衣を迎えに行かない?」
と聞いてみた。
「い、い、いいよ。俺は家に帰ってる」
うわ。めずらしく動揺している。守君、相当麻衣のこと気に入ってたのかな。照れてるのかしら。
そして、私は一人でまた、駅まで走って行った。
改札口の前では、麻衣がすでに待っていた。携帯を操作しながらずっとうつむいている。
「麻衣!」
「あ!」
私の声で麻衣が、私のほうを見た。
「ごめん、遅れた」
「ううん。走ってきたの?」
「うん。はあ…。はあ…」
「そんな走ってこなくてもよかったのに」
「でも、寒い中待たせても悪いし。あ、家に行こう。お母さんが紅茶とクッキー用意して待ってるから」
「そうなの?」
「でも、私の部屋に直行しようね。でないと、お母さんの話、長くなるから」
「…そうなの?」
「お母さん、嬉しくなってきっと話しこみだすから」
「…ふうん」
そんな話をしながら、私たちは家に向かった。
「お邪魔するのに私、手ぶらも悪いと思って、買ってきたんだよね」
「何を?」
「お団子」
あ、紙袋の中身はお団子だったんだ。
「なんか、司君のイメージって和だから、ついお団子買っちゃった」
「お母さんも司君も喜ぶよ」
「ほんと?紅茶に合わないよね」
「きっと、お茶も入れてくれると思うよ」
「なんだか、悪いね」
「え~~~。お団子買ってきてくれたんだもん。かえって、麻衣にも悪いことしたよね」
「いいの。だって、私が無理言って来ちゃったんだし!」
そう麻衣は言うと、なぜか赤くなった。
なんだろう。いったい何の話があるのやら。
藤堂家に着き、
「いつ見ても大きな家だよね」
と言いながら麻衣は門をくぐった。そして、チャイムを私が鳴らすと、
「は~~~い」
と元気なお母さんの声がした。
「いらっしゃい」
「あ、お邪魔します」
麻衣がぺこりとお辞儀をして、
「あの、これ、お団子なんですけど、よかったら食べてください」
と早々に手土産を渡した。
「あら!いいのに~~。わざわざありがとうね」
お母さんはハイテンションの声でお礼を言うと、紙袋を手にして、
「じゃ、紅茶じゃなくて日本茶を入れましょうか」
と言いながら、キッチンのほうに行ってしまった。
「あの、2階にいますね」
「は~い。2階にお茶を持って行くわね」
お母さんはまた、元気な声でそう答えた。
「こっちだよ、麻衣」
私は先に2階に上がった。麻衣は後からついて来ようとしたが、リビングからひょこっと守君が顔を出したらしい。
「あ、こんにちは。お邪魔してます」
麻衣が守君に挨拶をすると、
「あ、こ、こ、こんにちは」
と守君がめちゃくちゃ照れながら挨拶をしていた。
「くすくす」
部屋に入ってから麻衣は、笑い出した。
「何?」
「守君って可愛いよね」
「うん。すごく照れてたね。麻衣のこと、かなりお気に入りみたいだよ?」
「え?そうなの?」
「麻衣の本性知らないしね」
「どういうことよ」
麻衣はそう私の背中をつっつきながら言った直ぐ後、
「あ、隣に司っちっているの?」
と小声で聞いてきた。
「うん、いるよ」
「じゃ、すっごく小さな声で話すね」
麻衣はそう言って、部屋の真ん中に座り込み、体まで丸くなった。
「何?」
私もその真ん前に座り、ひそひそ声で聞いた。
「あのね。クリスマスイブのこと…と、それからのことなんだ」
やっぱり!
「ど、どうした?イブ」
ずっと気になっていたんだよね。
「う、うん」
麻衣は思い切り赤くなった。
「彼とは、結ばれた」
「そうなんだ」
私まで赤くなった。なんで人のことなのに、恥ずかしいんだか。
その時、階段をのぼってくる音が聞こえ、私たちはなぜか背筋をただした。
「穂乃香ちゃん」
「はい」
お母さんの声で私はすぐに、ドアを開いた。
「お茶持ってきたわよ」
「ありがとうございます」
私はお盆ごと受け取り、それを机の上に置いた。
「麻衣ちゃんだったわよね?ごゆっくりしていって。あ、夕飯は?」
「家で食べます。今日は両親ともそろっているし、お鍋にするから帰って来なさいって言われてて」
「あら、いいわね。うちもお鍋にしようかしらね」
お母さんはにこやかにそう言って、部屋を出て行った。
「本当はね」
お母さんの足音が聞えなくなってから、ひそひそと麻衣が話し出した。
「彼とイブに会っていたんじゃないかって疑われて、今、夜に出歩くのを禁止されてるの」
「え?!」
「夕飯は絶対に家で食べることって。あ、バイトがある日だって、バイトからすぐに家に帰らないとならないし」
「お母さん?それともお父さん?」
「両方だよ。ちょっと大変なんだ」
「そっか」
「は~~~~」
麻衣はため息をついた。
「でも、それよりも、もっと穂乃香に聞いてほしい悩み事があるの」
「え?何何?」
「ほ、穂乃香って、もう司っちと結ばれてるんだよね?」
「う、うん」
「それで、どうだった?」
「え?な、な、何が?」
「最初、痛かった?」
「…」
きゃわ~~~!そういう話か!
私は真っ赤になってうなづいた。
「じゃ、嫌にならなかった?」
「え?」
「私も、痛くって…。彼氏、優しかったよ?朝まで一緒にいられて、腕枕とかしてくれて。すっごく嬉しかった。だから、痛くて嫌だったことも言えなかった。だけど…」
「うん」
「2、2回目が怖くって」
「え?」
「彼氏が、家に来ないか、両親今日いないんだって、正月に言われたの。でも、家族で親戚の家に行くからって断っちゃったの」
「…うん」
「そのあとも、うち、夜出かけるの禁止してるじゃない?それを言って、ずっとデートもしていない」
「え?!」
「あ、バイトでは会うよ。それに、バイトの子たちと一緒にみんなで初詣にも行った。だけど、2人きりになるのをちょっと私、避けてるんだ」
「……そんなに嫌だったの?」
「嫌っていうより、ちょっと怖いんだよね」
「…」
「穂乃香、2回目とかどうした?司っちって、し、したがるほうなの?」
「へ?」
「だから、頻繁にそういうの求めてくる?一緒に暮らしてたら、そう言うのって…どうなの?」
「う、ど、どうなのかな。他の人と比べたりしたことないし、わかんないけど」
「……」
麻衣が顔を近づけ、じっと私の話を聞いている。
「2、2回目は…。痛くなかったよ」
「そうなの?」
「うん。大丈夫だった」
「ほんと?」
「うん」
「そ、そっか~~~」
麻衣が本当にほっとしている。そんなに辛かったの?
「あんまり避けてると、彼氏にも悪いなって思ってたの。でも、やっぱり怖くて」
「そっか」
麻衣はほっとしたのか、立ち上がり、机の上に置いてあったお茶を飲むと、
「お団子食べようよ」
と言って、お皿ごとマットの上に置いた。
「司っちもお団子食べるかな」
「え?うん」
「呼ぶ?」
「どこに?」
「ここに」
「え?な、なんで?」
「机の上にあるのって、宿題?穂乃香、やった?」
「ううん。司君のを写させてもらうの」
「やっぱり?私も実は、数学のプリントがまだで…。わからないところだらけで、司っちに聞きたかったんだよねえ」
おいおい。人の彼氏つかまえておいて、何よ、それ。自分の彼氏に聞けばいいじゃん。とはやっぱり言えず。
「わかった。教えてくれるか聞いてみるね」
私は司君の部屋の方の壁をコンコンとならし、
「司君、今、大丈夫?」
と聞いた。
「何?」
「麻衣が数学教えてほしいって」
「……いいよ」
司君はちょっと間を開けてからそう言うと、すぐに私の部屋に入ってきた。
「ごめん!司っち!」
「…いいけど。そんなことだろうと、なんとなく思ってたし」
「あ!お団子食べる?司っちのお茶ないね。入れてこようか?」
「いいよ。団子もあとで食うよ」
司君はそう言うと、「ちょっと待ってて」と言って、自分の部屋から小さなテーブルを持ってきた。
「穂乃香、俺のプリントは?」
「あ、ここ」
テーブルの上に司君のプリントを置いた。そして、早速司君が私と麻衣に教えてくれた。
司君は本当に、教え方が上手だ。麻衣も私も一回聞いただけで理解できた。
「すごいなあ。家に家庭教師がいるんだもんね、羨ましいよ」
「麻衣も彼氏に教えてもらえば?」
「彼?ダメダメ。聞いてみたことあるけど、高校の数学なんて全部忘れたって」
なるほど。教えてもらおうとしたことはあるわけね。
「ところで、司っち」
「ん?」
「すっごく変なこと聞いてもいい?」
「…え?」
麻衣の質問はまだだったけど、司君も私も、かなり戸惑った。何を聞きたいんだろう。
「男の人って、やっぱりさあ」
「…うん」
「女の子があんまり、拒み続けると、嫌になって別れたりするの?」
「……え?!」
司君が目を丸くした。私もだ。
「どうなの?」
「それは、その男によるんじゃないのかな」
「ふうん」
「……ただ」
「うん」
「拒まれてる理由が、嫌われてるからかとか、本当は自分のことを好きじゃないのかとか、もしそんなふうに相手が思っちゃっていたら、変な誤解が生まれて、別れなくてもいいのに別れることになるかもね」
「え?」
「ちゃんと、理由は言ってるの?彼氏に」
司君、まさか、今までの話聞いてた?聞こえてた?
「言ってないけど」
「…言った方がいいかもね。別れたくなかったらさ」
「…言いづらいよ」
「なんで?」
「………でも、今日、穂乃香の話を聞いて、安心したし、もう大丈夫になった」
麻衣がそう言うと、司君は私を見た。
「穂乃香の?」
「うん。やっぱりあれだよね。近くに体験済みの友達がいるのは心強いよね」
「え」
司君は、一気に無表情になり、硬直した。
「わ、私、そんな、いろいろと話してないからね?」
私は慌てて司君にそう言った。
「うん。具体的なことまでは、聞いてないから、安心して?司っち」
「………」
司君の顔はまだ、凍り付いていた。
麻衣はそのあと、
「夕飯食べに帰らないと。じゃあね。お邪魔しました」
と、さっさと部屋を出て行った。
「送らなくてもいいの?」
私が玄関を出て、門のところでそう言うと、
「平気!じゃあね」
と麻衣は、走って行こうとしたが、
「暗いから送るよ」
と司君が言い、私と一緒に麻衣の後を追った。
そして麻衣を送って行った帰り道、司君に、
「どんなことをアドバイスしたの?」
と、人通りがいなくなったところで聞かれてしまった。
「えっと」
私は、ついつい変なことを言ったんじゃないことを知ってほしくて、麻衣の相談事をまるまる司君に言ってしまった。そのあとに、心の中で、麻衣、ごめんと謝った。
「…そ、そうなんだ」
司君は一言そう言うと、黙り込んだ。
「穂乃香は、本当に痛くなかった?」
「う、うん。ちょっとだけだったよ」
「2回目も?」
「2回目は全然」
「じゃ、怖くなったりもしなかった?」
「うん」
「そっか」
「…司君、すごく優しかったし…。いっつも幸せだもん」
「え?」
「司君のぬくもり、いつもあったかいし。ギュってしてもらうと本当に嬉しいし」
「そ、そっか」
あ、司君、照れてる。
「そうだね。ギュって嬉しいね。穂乃香、昨日は穂乃香から抱きしめて来たよね」
「え?」
「………。今日も、思い切り抱きしめて来ていいからね」
今日?!!!
司君は心なしか、浮かれているようにも見えるけど、まさか、今日も?ってこと?!
私は麻衣にとうとう言えなかった。どのくらいの頻度でそういうことをしているかって。だってきっと本当のことを言ったら、驚かれるだろうから。
昨日も実は…とか、言えないよね。そりゃ。それも、朝まで一緒の布団で寝ているんだなんて。
そんなことを思いながら、私はちょっと浮かれている司君の横を照れながら歩いていた。




