第85話 司君にドキドキ
翌日は私と司君が帰る日だ。10時まで手伝いをして、それから帰り支度をした。そして、11時に玄関に行くと、本田さん、今日子さん、真人君がいた。スキーをしに行かず、私と司君を見送ってくれるようだ。
「司、穂乃香ちゃん、またな!卒業して長野に来るなら、俺がいろんなところ、案内してあげるからな!」
本田さんがそう言った。
「はい」
司君はただ一言そう答えたが、顔は微笑んでいた。
私も本田さんに、
「その時はよろしくね、本田さん」
と微笑んで言ってみた。すると本田さんは、ものすごく嬉しそうに笑った。
本田さんは、ただのチャラ男ではなかった。なかなか熱い男で、男の友情も大事にする人のようだ。その辺が司君は、気に入ってるらしい。
私も、夏は単なるチャラ男だと思っていたけど、今回、なかなか熱くて優しいところもあるいい人なんだっていうことがわかった。
そんな熱い本田さんのあと、京子さんは、
「卒業したら長野に来るの?私は大学卒業したら、東京に就職するつもりだから、きっともう会うこともないわね」
と、すごくクールにそう言った。
まあ、別れを惜しむような人じゃないと思っていたけど、これほどドライだとは思わなかったな。まあ、いいけどさ。
「穂乃香ちゃん、もう帰っちゃうのか」
残念がっているのは真人君だ。司君が、車に荷物を乗せている隙に私の横に来て、
「俺とメアド交換しない?今度、江の島で2人で会わない?」
なんて言って来たし。
う~~ん。この人は一見、そうは見えないけど、本田さんよりもチャラ男かもしれない。
「ごめんなさい。そう言うことはする気ないから」
はっきりと断ると、
「穂乃香ちゃん、本当に俺の好みのタイプだったのにな」
と、まだぶつくさ言っている。ああ、くどい。しつこい。
「じゃあね、ラブ」
そんな真人君は無視して、私はラブに抱きつき、そのあと母のほうを向いた。
「これ、持って行って」
母は大きな紙袋を渡してきた。多分また、藤堂家へのお土産だろう。
「それから、司君だと受け取らないかもしれないから、あなたに渡しておくわ。司君には穂乃香からあとで渡して。そうね。お年玉とでも言っておいて」
「バイト代?」
「そうよ。だって、司君、本当によく働いてくれたんだもの。誰よりももらっていいくらい。ね?ちゃんと渡してね」
「うん。わかった」
「あなたにもこれ。お年玉よ」
「…ありがとう」
いつものお年玉よりも、封筒は大きいし厚さが違う。でも、私はそのまま受け取った。きっと、母と父の気持ちがこもっているものなんだろうな。
そして車に乗り込み、窓からみんなに挨拶をして、車は発進した。
「今度はいつ、来れるかな」
司君がボソッとそう言った。
「そうだよね。3年になったら、司君、受験もあるもんね」
「穂乃香だけで来る?」
司君はそう言った後、
「あ、やっぱり駄目だ。もし、その時に本田さんや田中さんがいたら、やばいもんね?」
とすぐに反対した。
「うん。私、司君と一緒がいいから、来年は来ないよ」
「そうか。来年は来れないか」
その会話を運転席で聞いていた父が、ぼそっとそう言った。
「また、我が家にご両親揃って遊びに来てください」
司君がそんな父に、そう話しかけた。
「ああ、そうだな。いいことを言ってくれた、司君。来年はもう穂乃香に会えないかと思ったが、僕たちのほうが会いに行ったらいいんだもんな」
そう言って父は、朗らかに笑った。
そうだよね。うん。また母にも父にも会えるよね。
駅に着き、荷物を持って父と別れた。そして電車に乗ってから、私は母からのお年玉を司君に渡した。
「また、もらっちゃったの?悪いよ。こんなに」
「ううん。司君が一番働いたんだから、これじゃ足りないくらいだって言ってた。お母さんの気持ちなの。受け取って?」
そう言うと司君は、目を細めて私を見ると、
「じゃあ、またこれで、穂乃香に何か買うね」
と静かにそう言った。
「い、いいの。司君が使いたいものに使って」
「うん。だから、穂乃香に何かプレゼントするよ」
「……私、何も欲しいものないよ?」
「え?」
「私、あんまり物欲がないの。それより、司君と一緒にいられたらそれだけで幸せだし」
そう言うと、司君は顔を赤らめた。
「俺も、物欲あんまりなくって。じゃあ、貯金でもする。受験終ったら、2人で旅行にでも行こう」
「え?」
「…嫌?」
私が思い切り驚いたからか、司君がそう聞いてきた。
「ううん。嬉しい。嬉しすぎる」
「クス」
あ、笑われた。でも、本当にそんなことを言ってくれるとは思ってもみなかったから、すごく嬉しい。ああ、顔がにやけるくらい嬉しい。
「あ、ありがと。司君」
「どういたしまして?でも、そんなに嬉しかったの?」
「うん。ちょっとね、お兄ちゃんと玲奈さんが羨ましかったから」
「ああ、俺も」
司君はそう言うと、いたずらっぽい目つきで私を見て、
「穂乃香のご両親には内緒の旅行だよ?」
と耳打ちしてきた。
「う、うん」
きゃわ~~。なんだか、照れる!
「あ、でも、司君のご両親にはばれちゃわない?だって、2人で同時期に旅行だなんて。なんて言って言い訳するの?あ、私は麻衣と行くって言う?それとも、何人かで行くって言う?」
「…そんなこと、真面目に心配してるの?」
「え?うん」
なんで?旅行行くってまさか、冗談だった?
「うちの両親が、俺ら二人きりで旅行に行くのを反対すると思う?」
「………もしかして、しないかな?」
「するわけないじゃん。多分、母さんは喜んじゃうよ?」
「………そ、そうか」
忘れてた。司君のご両親が変わっているってことを。
司君はまた、私の顔に顔を近づけ、
「温泉とかいいね?部屋にお風呂がくっついているといいな」
といきなりそんなことを言ってきた。
「え?」
私はそれを聞き、固まった。まさか、一緒に入る…とか?
「クス」
あ、そんな固まった私を見て司君が笑った。また、からかわれた?
「でも、ずいぶんと先の話になるからさ」
「え?あ、そうか。受験終ってからだもんね?」
「うん。だから、その頃にはもう、穂乃香も」
「……え?」
な、何?
「一緒に風呂くらい、どうってことなくなってるかもしれないよ?」
う、うっきゃ~~~?!
「ま、ま、まさか。む、無理だよ」
そう言って真っ赤になると、またくすくすと司君に笑われてしまった。ああ、もう!
そして、私たちは大荷物を持って片瀬江ノ島駅に着いた。司君が守君にメールをしていたので、守君はちゃんと駅まで迎えに来てくれていた。
「おかえり!」
「ただいま~~」
守君は、とっても嬉しそうに私たちを出迎えた。
「穂乃香の荷物、持ってやって」
「うん」
司君に言われて、守君は私の荷物を持ってくれた。
あれ?守君って、隣に並ぶと私よりも小さくなかった?なんか、目線が同じところにあるけど。
「守、正月誰か来てた?」
「来てたよ。ばあちゃんも、それからおばちゃんも」
「……じゃ、あの姉妹も」
「うん。兄ちゃんと穂乃香がいなくって、残念がってた」
「そっか。そりゃよかった」
司君がほっと溜息をついたので、
「なんで?」
と聞くと、
「だから、あの二人のお守りは大変なんだって」
と守君のほうが答えた。
ああ、確か前に旅行に行こうとお母さんに誘われ、私と司君が行かなかったから、守君が大変だったんだっけね。
「守、正月の間、初詣行ったのか?」
「うん。江の島の神社だけどさ」
「彼女と?」
「ち、ちげえよ。テニス部のみんなでだよ!」
守君は、顔を赤くしてそう言った。うわ。守君が照れてるよ。
「守の彼女、早く会ってみたいよなあ」
司君がそう言ってまた、守君をからかっている。珍しいなあ。こんな司君。
「家には呼ばないからな」
守君はそう言い切った。
「なんで?呼べよ」
「嫌だよ。兄ちゃん品定めするみたいに見るだろうし、母さんはきっと、能天気に彼女に話しかけるだろうしさ」
「あはは。そうだろうな」
「絶対に連れてこないからな」
守君は口を尖らせそう言った。司君は笑っていた。
ああ、そうか。司君は守君の前では、クールでもなければ、ポーカーフェイスでもないんだ。こっちの司君のほうが、素の司君なんだな。
家に着くと、玄関までお母さんとメープルが元気に出迎えてくれた。そして、ダイニングに行ってお土産を広げ、みんなでお茶を飲んで一息ついた。
「また、たくさんもらっちゃったんだ。母さんからもお礼言っておいて」
司君は、母からもらったお年玉をちゃんと司君のお母さんに見せた。こういうところが本当に、偉いなって感心してしまう。
「あら、本当だ。断らなきゃダメじゃない」
司君のお母さんがそう言ったので、私は慌てて、
「私が預かっていたんです。司君だと受け取らないだろうからって、母に言われて」
と、ちゃんと弁護をした。
「穂乃香ちゃん、司にはこんなにバイト代くれないでもいいからね」
「いえ。司君、本当にすごくよく働いてくれたんです。母も父も、喜んでいました。両親の気持ちも入っているので受け取ってください」
私が必死にそう言うと、司君のお母さんは目を細め、
「はあ。真佐江ちゃんもだけど、ほんと、穂乃香ちゃんはいい子よね」
とそう優しく言った。
そんなことないです。と声を大にして言いたかったけど、隣で司君がなぜか顔を赤くしているので、言えなくなってしまった。なぜ、司君が赤くなるんだろう…。不思議だ。
「さて、穂乃香ちゃん、お風呂入ってくる?ゆっくりとあったまって」
「はい」
私は着替えを取りに2階に行き、洗面所に行った。すると、トントンとノックの音がして、司君がドアを開けた。
「ごめん。洗濯物だけ出させて」
「あ、うん」
そうだった。私もカバンから出さないとなあ。
なんて思いつつ、ぼけっと司君が出て行くのを待っていると、
「俺も、風呂、一緒に入ろうかな」
と、司君がぽつりと言った。
「どへ?!」
びっくりして、司君の顔を目を丸くして見てしまった。
「ブッ!何、そのリアクション」
司君はクスクスと笑いながら、洗面所を出て行った。
うわ。また、からかわれた。もう~~~~。
しっかりと私は鍵をかけ、それから服を脱いでお風呂に入った。そして、思わず、
「そうだ。帰ったら、思い切り抱くって言われてたんだっけ」
と思いだし、顔が熱くなりながらも、ちゃんと丁寧に体を洗ってしまった。
ドキドキ。うわ。なんだか、いきなり心臓が…。
お風呂から出て、無駄毛の処理もして、かさついている肌にはクリームを塗り、それからドライヤーを持って2階に上がった。
「司君、お風呂出たよ」
そう言うと、司君が部屋のドアを開けた。
「多分、リビングに守がいたから、守が次に入ると思うよ」
「あ、そうか。じゃ、さっさと髪乾かさないと」
「あいつ、穂乃香のあとにお風呂入りたがるよね。けっこうスケベだよね」
「え?!」
なんでスケベ?!
司君にそう聞きたかったが、その答えを聞く勇気が持てず、
「あ、か、髪、乾かすね。じゃ」
とさっさと自分の部屋に入った。
が…。なぜか、司君までが一緒に入ってきた。そして突然後ろから抱きしめてきた。
「髪、乾かしてあげようか?」
「ううん。自分でできる」
ドキドキドキドキ~~。なんで、こんなに心臓が高鳴っちゃうんだ。私ったら。
「穂乃香」
「え?!」
な、なに?
「明日、部活もないし」
「うん」
「初詣、2人で行こうか」
「う、うん」
「穂乃香?」
「え?」
「あんまり、行きたくない?」
「ううん。行きたいよ。なんで?」
「今、嬉しそうじゃなかった」
「そんなことないよ。ただ、緊張しているだけで」
「…なんで緊張?」
うわ。何を言ってるんだ、私は。
「緊張じゃない。ただ、ドキドキしてるだけ」
「なんで、ドキドキ?」
司君、耳元で面白がりながら聞いてきた。うわ~。くすぐったいよ。
「だ、だって」
「うん」
「司君はもう、ドキドキしないの?」
こうなったら、聞き返しちゃう。
「…俺?」
「い、今ドキドキしていないの?」
「今はしていない」
そうなんだ。冷静なんだ。
「でも、押し倒したいのは必死で、こらえてるけど」
「え?!」
「クス」
あ、笑った!また、からかわれた?
「押し倒すのは、あとでね?」
司君がまた、耳元でそうささやいた。
うわ!ドキン!!!!
今日の司君、変!
いや、たまにこうなる。こうやって、私をドキドキさせる。
あれ?でも、司君はドキドキしないんだよね。っていうことは、私は司君をドキドキさせることがないってことかな。
ま、まさか。もう、胸をときめかせるほどの、魅力も何もないとか。
いや、待てよ。そんなの最初っからないとか。私、色っぽくもないし、それに、司君みたいに、そんなドキッとすること言ったりもできないし。
そうだ。お酒を飲んじゃった時には大胆になっちゃったんだ。自分でもびっくりしたけど。
じゃ、お酒でも飲んで…。ってわけにもいかないし!
後ろから抱きしめられ、まだ私はドキドキしていた。でも、ドキドキしているのは私だけなんだ。と思うと、ちょっと寂しかったりもした。
司君を、ドキドキさせる日なんて、いったいくるんだろうか。そんな、魅力的な女性に私がなれる日は、くるんだろうか。




