第82話 見た目と違う私
兄と玲奈さんは、リビングでお茶を飲み終えると、スキーウエアに着替え、ゲレンデに行った。
「なんだか、高宏変わったわね」
母がキッチンに来て、そうぽつりと言った。
「え?」
「おっさんになったわよね。穂乃香もそう思わない?」
「思った」
「司君がやたら爽やかだから、特にそう思えちゃうのかしらね」
母が司君のほうを見ながらそう言うと、司君は照れたのか咳ばらいをした。
「彼女の玲奈さんは、穂乃香に似てるわよね」
「でも、私、あそこまでおしとやかじゃないよ」
「そうね。パッと見は大人しそうに見えるし、しとやかそうにも見えるけど、あんたの場合はただ抜けてるってだけだものねえ」
酷い。
クス…。
え?今、司君、笑ったよね。今の母の話を聞いて、笑ったよねえ?
「あら、司君もそう思ってた?」
「あ、いえ」
司君が言葉に詰まっている。
「ふふふ。いいわよ、本当のこと言ったって。ねえ?穂乃香」
よくない。グサッとくるようなことを言われたら、立ち直れないよ。
「……そうですね。穂乃香は確かに、見た目と違いますね」
司君は穏やかにそう言った。
「司君、がっかりした?穂乃香って、見た目より抜けてるし、てんで女の子らしくないし」
母が心配そうにそう聞いた。それは私も、心配だよ。
「え?い、いいえ。がっかりなんて、全然」
司君はそう言うと、みるみるうちに耳が赤くなり、でも、必死に顔はポーカーフェイスを装っているようだった。
「そう?だったらいいけど」
母はそう言うと、お米を黙って研ぎだした。私と司君も、黙って黙々と目の前の仕事をしていた。
司君…。本当にがっかりしていないよね?と心の中で思いながら。
泊り客がどんどんスキー場から戻ってきて、順番にお風呂に入ったり、リビングでのんびりとし始めた。
元日である今日の朝食は、おせちとお雑煮だった。夜は、家族単位でお鍋をつっつく。
夕飯時、ダイニングはとてもにぎやかになった。そんな中、兄と玲奈さんは仲睦まじく、夕飯を食べていた。兄も玲奈さんも日本酒を飲みながら、食後もしばらくのんびりとしていた。
母と父が、そんな二人のそばに行き、少し会話をしていた。私と司君はキッチンでその様子を見ていたが、玲奈さんは始終しとやかな笑顔を見せ、酔ってほんのりとピンクに染まった顔は、やけに色っぽかった。
ああ、昨日の夜、コークハイで酔っ払い、大きな声で恥ずかしいことを言い、あげくのはて、司君の前でグースカ寝ちゃった私とは、まるで違ってるよ。玲奈さんみたいな女性こそが「大和撫子」だ。キャロルがここにいたら、玲奈さんが大和撫子で、穂乃香は全然違うと断言しているに違いない。
泊り客の夕飯が終わり、後片付けが済むと、私たちの夕飯の時間となるのだが、今日は、皆揃ってお鍋をつっつくことになった。
「お疲れ様」
母と父がそう言うと、みんなお疲れ様と言って、ご飯を食べだした。
「おいひい~~」
本田さんが喜んだ。母と父は軽くビールを飲んでいた。
「お兄さんの彼女って、穂乃香ちゃんに似ていたね」
突然、真人君がそう話し出した。
「あ、似てたね。雰囲気がさ。俺の好みだったなあ」
そう言ったのは本田さんだ。
「ああいう女らしい人って、男の人って好きよね」
ちょっときつい口調で、今日子さんは言った。
「今日子さんみたいな気の強い女が好きって言う人も、いるよ、きっと」
本田さんがにこりと笑ってそう言うと、
「そんな見え透いたこと言わないでもいいわよ。みんな、女の子らしいおとなしい子が好きなんでしょ?」
と、また今日子さんが、ちょっと本田さんを睨みながら言った。
「だから、藤堂君も穂乃香ちゃんが好きなんでしょ?」
今日子さんは今度、司君のほうを見ながらそう続けた。
「え?」
司君は突然自分に振られ、びっくりしたようだ。
「穂乃香ちゃんも、おとなしそうで従順そうで、女の子らしいものね」
私が?
私の顔が多分、思い切り引きつったと思う。
「やあだ。今日子ちゃん、穂乃香は全然女の子らしくないわよ。お料理も下手くそだし」
う。母よ、そこまで言わなくたって。でも、本当のことなんだけど。
「え?そうなの?料理、できないの?」
「あ、あんまり得意では…」
「そういえば、キッチンでも野菜洗ったり、食器洗ってるだけだものね」
「あとは任せたら、大変なことになりそうだからね」
今日子さんの言葉に、母がそう言い返した。
「へえ。そういうの得意そうなのに」
真人君がそう言った。あ、今、がっかりしたでしょ?目がそんな感じだったよ。
「それに、おとなしくもないし…。ねえ?ちょっとおっとりしてるけど、それってただ、人よりルーズで抜けてるってだけよね」
母はそう続けた。ああ、やめてくれ。司君だって聞いているんだから。って、もう司君には私の性格、ばればれか。
「ああ、抜けてるっていえば、そうかも。だけど、そういうところがあるから、可愛いんじゃないんですか?」
真人君がそうにっこりと笑いながら言った。
う~~ん。真人君に言われても、嬉しくもなんともないんですけど。
「真人君って、前の彼女、わがままできつかったんだっけ?」
突然、今日子さんがそう聞いた。
「…俺、今日子さんにそんな話しましたっけ?」
「してたわよ」
「…まあ、わがままっていうか、なんだかんだって、甘えてきたっていうか。それに気も強かったかな」
真人君はそう言うと、立ち上がって鍋から肉を取った。さっきから、肉ばっかり真人君は取っていると思う。
本田さんもけっこう、自分で勝手に鍋の中から食べたいものを取っている。この中で一番遠慮しているのは、司君だ。
初めに母が、司君に取ってあげていたが、その後はビールも飲んじゃっているし、ほったらかしている。
司君!司君もじゃんじゃんお肉取らないと、全部真人君と本田さんに取られちゃうよ。司君が一番働いているんだから、ちゃんと食べて!
なんて心の中で叫んでみても、もちろん通じるわけもなく。
「司君、お肉食べない?」
思い立って司君にそう聞いて、司君のお皿を私は持った。
「え?」
司君はまた、唐突に私がそう聞いたので、びっくりしている。
「あ、うん。え?取ってくれるの?」
「うん」
だって、司君、ずっと遠慮してるんだもん。
私は立ち上がり、司君のお皿にお肉を盛った。それから、
「他に何か食べたいものある?」
と聞いた。
「…あ、じゃあ、春菊とか、ネギとか…」
しぶいな。司君。そんなのさっきから、真人君も本田さんもよけてるよ。
「はい」
お皿にそれらを乗せ、私は司君に渡した。
「ありがとう」
司君はちょっと照れくさそうにそう言って微笑んだ。
「…穂乃香ちゃん、俺には?」
「え?真人君はだって、自分でさっきから、お肉バンバンとって食べてるから…。私が取らなくてもいいよね?」
そう答え、私は黙々と食べだした。
「…ねえ」
今日子さんが私を見て、眉をひそめながら聞いてきた。
「今のって、何かをアピールしたの?」
「へ?」
「私は女の子らしいんです…。気が利くんです…みたいな?」
「は?」
ご飯が変なところに入りそうになった。今日子さんは何を言いたいんだ。
「穂乃香は、そういうのできないよ」
「え?」
司君が静かにそう言った。
「できないって?」
今日子さんが司君に聞いた。すると横で聞いていた母が、
「今日子ちゃん。穂乃香は女らしいところをアピールしたり、気を利かすようなことができるほど、器用じゃないのよ。今のはただ、司君の分のお肉がなくなりそうで、慌てて司君にとってあげたんでしょ?」
と言ってきた。
母ってば、なんでわかったの?
「そうなの?」
今日子さんが私に聞いてきた。
「見て丸わかりだったじゃない。真人君や本田君のお皿のお肉を見て、司君のお皿も見て、これはいかんって顔をして、司君に声をかけてるんだもの。ほんと、穂乃香ってわかりやすいし、面白いわね」
母がそう笑いながら言って、またビールを飲んだ。その横では父が、「へえ、そうだったのか。わははは」と笑っている。
なんだよ~~。わかっていたなら、母が司君のお皿に取ってあげたってよかったのに。
「……くす」
あ、また司君に笑われた。
「やっぱり、穂乃香ってわかりやすいですよね」
「司君もそう思う?見てて面白いでしょ?」
「はい。面白いです」
うわ~~。司君に面白がられてるしっ!
「そう言うの知るたびに、ますます俺…」
と司君は言いかけて、慌てて黙り込んだ。何か変なことを口走りそうになったのか…。
「穂乃香ちゃんに惚れちゃうんだろ?でもわかるよ。うん」
本田さんがそう言いながら、うんうんとうなづいた。
司君は一瞬顔を赤くして、すぐにポーカーフェイスに戻った。
「ふうん」
今日子さんはそう言うと、黙々とご飯を食べだした。真人君もさっきから、黙ったままだった。
夕飯を食べ終わり、順番にお風呂に入った。私と司君はキッチンに残り、洗い物をしていた。
「…さっき、なんで俺、あんなこと言っちゃったのかな」
「え?」
「…」
司君は耳を赤くした。
「でも、本当にそう思ってるからさ」
「…え?」
「穂乃香を知るたびに、もっと好きになる」
うわわ。いきなり何を言いだすんだ、司君!
「見た目と違っていたけど、なんか、そういうのも嬉しいっていうか」
「…嬉しい?」
「あ、穂乃香ってこんななんだ。知らなかったって、新たに発見するのも楽しいっていうか」
「…それはわかる」
「え?」
「私もそう。司君、一見クールだけど、優しいし、照れると可愛いし、そういうの知ると嬉しいもん」
「……」
あ、今も司君、顔赤い。
「じゃあ、本当に司君はがっかりしていない?」
「え?穂乃香に?」
「うん」
「してないよ。してるとでも思った?」
「だって…。私、抜けてるし」
「あはは。そこが可愛いのに」
「…お料理も下手だよ?」
「でも、一生懸命だよ?」
「………」
何も言えなくなっちゃった。
「くす」
あれ?笑われた。
「さっきも。俺の分の肉がなくなると思って、必死になった?」
「え?うん」
「くすくす」
司君はもっと笑い出した。
「だって、司君、遠慮していたから。でもね、司君が一番お肉食べてもいいくらい、今日仕事頑張ったんだもん。いっぱい食べてほしかったの」
「あはは…」
「なんで笑うの~~~?」
「だって、穂乃香が可愛いから」
「え?」
ドキン。何それ。
チュ…。
「え?」
いきなり司君がほっぺにキスしてきた。私はあたりに誰かいないかって、キョロキョロとしてしまった。あ、よかった。誰もいなかった。
「可愛くって、まいっちゃうよな~~~。本当に」
そんなこと言われて、どうしたらいいんだか…。
「今も真っ赤だしさ」
「だ、だって…」
チュ。
え?!今度は唇?
「このまま、誰もいない部屋に連れ込みたい」
「は?!」
「でも、そんな部屋ないしね。残念だな」
も、もう~~~。司君、驚かせないで。って言う言葉も出ないくらい、驚いていて、私は無言で司君の腕をたたいた。
「…痛いよ。穂乃香」
司君はそう言うと、静かに笑って、また私にキスをしてこようとした。でも、
「司君!」
という後ろからものすごい重圧のある声が響いてきて、司君は私から飛びのいた。
「はい?」
司君と私は同時に振り返った。
げ。父が、顔を赤くして仁王立ちしている。うわ~!父が今のを見ていたの?!
「穂乃香に手は…、出さないんだよな?」
「…あ、はい。すみません」
司君は顔を青くして、父に謝った。
「……。まあ、なんだ、その…。そんなにうるさく言いたくはないが、でも、まだ君たちは高校生なんだし、それなりの交際を頼むぞ、司君」
「………はい」
司君の「はい」は、ほとんど声が出ていなかった。
父はそのまま、廊下を抜けて自分の寝室に行ったようだ。
「………」
司君はまだ黙りこんでいる。それも、顔が青いままだ。
「司君?大丈夫?」
「いや、大丈夫じゃない」
「え?」
「なんだか、罪悪感でいっぱいだ」
ああ~~。お父さんのバカ。あんなふうに言わなくたって。
「は~~~~~」
司君は重いため息をついた。
司君。お願いだから、父に言われたからって、私から離れたり、遠ざけたりしないでね。
キスもするのをやめることにした…なんて、そんな悲しいこと言わないでよね?
「司君」
「ん?」
「また、よそよそしくなったり、冷たくしたり、キスもしなくなったりなんてしないでね」
私は勇気を持ってそう言ってみた。
「え?」
「そんなことになったら、私、すごく悲しいよ」
「……」
司君は目を丸くして私を見た。それから今度は、優しい目で私のことを見つめると、
「穂乃香、可愛い」
と言ってきた。
「え?」
「…この旅行では、そうそう手は出せそうもないけど…」
「…うん」
「家に帰ったら、思い切り穂乃香を抱きしめたいな」
「え?」
ドキン!
「そりゃもう、べったりくっついて、離れないと思うから、安心して?」
「…」
うわ。うわわ。司君がそんなこと言うなんて。
「穂乃香、まじで、可愛すぎるよ」
司君はそう熱い視線を私に向けると、クルッと今度はシンクのほうを向いて、黙って洗い物をし始めた。
「……司君」
「ん?」
司君はお皿を洗いながら、私の方も見ないで返事をした。
「じゃあ、帰ったら、思いっきり息が苦しくなるぐらい、抱きしめてくれる?」
ガチャン。
「あ!」
司君は今持っていたお皿を、シンクの中に落とした。
「良かった。割れてなかった」
そう言うと司君は、私のほうを見て、
「ほ、穂乃香。酔ってないよね?」
と聞いてきた。
「うん。今日はお酒飲んでないよ」
「…そ、そう」
司君は顔を赤くして、それから小声で、
「わかった。思い切り、抱く」
とそう言った。
「………え?」
抱く?抱きしめるじゃなくって?あ、あれ?
うぎゃ~~。私、そう言う意味で言ったんじゃないよ。ぎゅうって抱きしめてほしかっただけで…。え?司君は、なんだと思ったの?
抱く?お、思い切り抱くってこと?
きゃわ~~~~~~~!!!!!!
それから私は、顔が熱くなってしまい、しばらく手で顔を仰いでいた。
「今さら、照れてるの?」
司君はそう言うと、横でくすくすと笑った。
違う~~~~。誤解~~~~。
でも、訂正もできす、私はひたすら顔を赤くしているばかりだった。




