第81話 兄の彼女
「頭痛い。ズキズキする」
「完璧、2日酔いだね」
私が頭を押さえている横で、にやにやしながら真人君がそう言った。
今日は元旦。朝からペンションは忙しい。昨日、母も父もかなりお酒を飲んだと思うが、今朝早くから元気に仕事をしているし、今日子さんもお酒を飲んでいたのに、テキパキと仕事をしているし、本田さんは朝から、ハイテンションだ。あ、ある意味あれも、二日酔い?まだ酔ってるとか?
司君は、父の指示に従って、忙しく動き回っていて、話もあまりできていない。なのに、なぜかあきらめの悪い真人君は、ずっと私に引っ付いて回っている。
父はなぜ、真人君に指示を出さないのか。私の横からどっかにやってほしいのに。
「司君!そこが終わったら、こっちを手伝ってくれ」
「はい」
…はあ。まただ。父は司君にばっかり、手伝わせている。
でもね、わかるんだ。あれも信頼しているからなんだよね。司君、仕事も早いし、的確になんでもこなしちゃうし、失敗しないし、父が思い切り司君を信頼して頼っているのが見ていて、本当によくわかるもん。
だけど、少しは私にも司君と一緒にいられる時間をちょうだい。
でないと…。
「穂乃香ちゃん、大胆にも一気にコークハイ飲んじゃったんだって?」
「お酒って知らなかったもので」
「けっこう、抜けてるよね?スキーでもすっ転んでばっかりだったし。俺、あんまりしっかりしすぎている子は、好みじゃないんだ」
「…」
そんなの、どうでもいいんですけど。
「穂乃香ちゃんってさあ、藤堂のこと本気で好きみたいだけど、一緒にいて何が面白いの?」
カチン!
「あいつ、デートとか誘ってくれる?真面目で、どっか面白いところになんて連れて行ってくれないんじゃないの?」
カチカチカチン!
「穂乃香ちゃんさあ、やっぱ、高校生で婚約って言うのは…」
「真人君って、しつこい。それから、頭痛がひどいから、私に話しかけるのはやめてください!」
ほら。頭ズキズキしてるんだから。言葉に気を付けることもできなくなっちゃうよ。
私がそう言うと、さすがに真人君は顔を引きつらせ、私から離れてくれた。
これでもう、言い寄ってこなくなる?いや、わかんないなあ。なんさか、真人君、本当にしつこいんだもん。
「はあ…」
疲れたかも。
「おい!今暇そうにしているのは真人君だな。お客さんを送って行くから、君も付き合え!」
父がそう言って真人君を呼び、真人君は父のあとから玄関に行った。
あ、よかった。当分、真人君は戻ってこない。
やれやれ。
私は水を一杯飲み、それから母の手伝いを始めた。するとそこに、
「喉乾いたんで、水もらってもいいですか?」
と司君が現れた。
「あ、司君、一休みして?うちの人がずうっと司君をこき使っていたでしょう。ごめんなさいね。お父さん、すんごい司君を頼っちゃって」
「いえ。頼られて嬉しいです」
司君はそう言うと、
「じゃ、遠慮なく」
と言って、水の入ったコップを持って、ダイニングのテーブルに座った。
「司君、何か食べる?」
母が聞いた。
「いえ…」
司君は静かに首を横に振った。
「穂乃香、あんたも辛そうね。頭痛いんでしょ?」
「うん。ズキズキする」
「ちょっと休んでていいわよ」
「うん、ごめん」
私は司君の隣の席に座った。
「大丈夫?」
司君が心配そうに聞いてきた。ああ、優しい声だ。
「司君…」
私は思わず司君の肩にもたれかかった。
は~~。安心する。
「まだ頭痛い?」
「うん。ズキズキするの」
「薬飲んだ?」
「ううん。薬飲んだら、気持ち悪くなりそうで」
「今は?気持ち悪い?」
「うん。ちょっと胸がむかむかしてるかも」
「大丈夫?」
「………大丈夫じゃない」
そう言うと、司君は優しく私のおでこを撫でた。
ああ、優しい手だ。嬉しすぎる。
「もうちょっとこうしていてね?」
「いいよ」
「なるべく、そばにいてね?」
「うん」
司君が、優しい。思い切り嬉しい!
「穂乃香は甘えん坊なのねえ。司君も困っちゃうわよね?いつもこんなに、穂乃香は司君に甘えているの?」
私たちの会話が聞こえていたようで、キッチンからダイニングに母が来てそう司君に聞いた。
「え?い、いいえ。そんなことないです」
司君は相当焦ってしまったらしい。
「本当に?手を焼いてるんじゃないの?司君」
「いえ。全然」
司君、一瞬顔が赤くなったけど、もうポーカーフェイスだ。
私は仕方なく、司君の肩から離れた。そして、せっかく2人の時間を満喫していたのに、それを邪魔した母を何気に睨んでみた。
でも母は、気が付いていない。
「司君は、運動神経いいんですってね。本田君が驚いていたわよ。すぐにスノボーもできるようになったって。穂乃香は運動神経悪いから、子供は司君に似るといいわね」
なんだそりゃ。ほら、司君が返答に困ってるよ。なんだってまた、いきなり子供の話を言い出したんだ。
「子供ができたら、しょっちゅうペンションに来るといいわよ。きっと喜ぶわよ」
「…え?」
「私とお父さんもすごく喜んじゃうわ。孫と一緒にスキーとかできたら、楽しいでしょうね」
「でも、お母さんもお父さんもスキーしないんでしょ?」
「あ、そうね!できなかったわ」
なんなんだ。いったい…。
「えっと…」
司君は、本気で困っているらしい。耳だけ赤くして、顔は能面だ。
「ま、孫って言っても、その…。何年先になるか」
「そうよね。まだ大学行って、就職して、それから結婚ですものねえ」
「はあ…」
司君は、無表情のままうなづいた。
「ごめんなさいね。でも、婚約したと思うと、すぐにでも結婚しちゃうんじゃないかって、そんな気がしちゃって」
「それ、お父さんに言ったら、怒りそうだよ」
「そうね。だけど、孫の話をしたら、早く孫ができたらいいなって言ってたわよ」
うそ!孫の話なんてしてるの?
「高宏は結婚はなかなかしないだろうし」
「でも、今日彼女と泊まりに来るんでしょ?」
「そうよ。どんな彼女かしら。平気で泊まりに来るくらいだから、派手で遊んでいる感じの女の子なんじゃないの?」
うわ。偏見だ、それ。
そんな子と兄が付き合えるとは思えないけどなあ。でも、彼女の写真も見たことないし、あんまり話も聞かせてくれないからわからないなあ。
小1時間たって、父の車が戻ってきた。すると、
「来た来た!ほら、穂乃香、出迎えるわよ」
と母が、緊張した顔でそう言ってきた。
「来たって?」
「高宏と彼女よ」
え?そうなの?お客さんを送りに行って、兄の出迎えもしたの?
兄の彼女に対面だ。なんだか、緊張する。私のあとから司君も来た。
「お兄さんに初めて会うんだよね…」
司君はそう言うと、顔をこわばらせた。あ!司君は司君で、兄に会うの、緊張しちゃうんだ。
私たちは玄関を開け、ペンションから出た。そこにラブもやってきて、嬉しそうにワンワンと吠えた。
車からは、真人君が下りてきて、
「荷物、ペンションに運びますね~。あ!藤堂!手伝って」
とこっちを向いて司君を呼んだ。
「はい」
司君はすぐに荷物を取りに行った。私と母は、ラブと一緒にその場を離れなかった。
車の後部座席のドアが開いた。そしてそこからまず、兄が降りてきた。
「高宏」
「お兄ちゃん」
「やあ、母さん、穂乃香、久しぶり」
兄は、髪が伸び、髭までうっすらと生えていて、なんだかやたらおじさんになっている。
「荷物、これだけですか?」
「あ、そうです。すみません、運んでもらっちゃって」
「いえ」
司君と兄が会話した!でもきっと、兄は司君だと気が付いていない。
そして、兄の後ろから、女の人が降りてきた。
ゴク…。私と母は、黙ってその女の人に注目していた。
髪、長い。それにメガネをかけている。背はすらっと高く、痩せている。見た目、すっごく真面目そう。
母の言う「派手で遊んでいそうな女の子」とは明らかに正反対の女の人。
「…やあねえ。高宏ってシスコン?」
母が横で、すごく小さな声でそうつぶやいた。
「え?どういうこと?」
私も小声で聞き返すと、
「あんたに似てるじゃないよ」
と言われてしまった。
うわ。確かに。誰かと重なると思っていたけど、私だ!
「いらっしゃい。どうぞ、寒かったでしょう?中に入って!」
母はすんごく柔らかい優しい声でそう言って、2人をもてなした。
「じゃあ、荷物は真人君、司君、頼んだぞ。車駐車場に入れてくるからな」
父は運転席からそう叫ぶと、車を発進させた。
「え?司君?」
兄はそこで初めて、司君に気が付いたようだ。
「はい。藤堂司です。はじめまして」
「……こりゃびっくりだ。すごくクールなイケメンが、バイトにいるんだなあって思っていたら、君が司君かあ」
クールなイケメンって…。
「あ、穂乃香の兄の高宏です。よろしく」
兄はそう言ってちょっとお辞儀をした。司君も軽くお辞儀をした。
「中に入ってから、話しましょうよ」
母にそう言われ、兄と司君は玄関に来た。
「穂乃香~~。すんごいイケメンじゃないか」
兄はちょっとにやつきながら、私にそう言ってペンションに入った。そのちょっと後ろから彼女は入ってきた。
「さあ、リビングにどうぞ」
母にそう言われ、兄と彼女は一緒にリビングに移動した。
「荷物、部屋のほうに運んでおきます」
真人君はそう言って、
「藤堂はいいよ。俺が2人分、運べるから」
と2人の荷物を両手で持って、2階に上がって行った。
「司君と穂乃香も、リビングに来ない?お茶入れるから」
母はそう言って、私たちをリビングに呼んだ。私と司君はラブと一緒にリビングに移動した。
「この子がラブ?母さん」
ラブの頭を撫でながら、兄がキッチンにいる母に聞いた。
「そうよ、可愛いでしょ?」
「可愛いね。俺、ずうっと犬が飼いたかったのに、飼えなかったから羨ましいな」
兄はそう言いながら、まだラブの頭を撫でている。
「さあ、お茶どうぞ」
母は5人分のお茶を運んできた。
「すみません」
兄の彼女さんは、小声でそう言って、カップを受け取った。
う…。なんだか、ちょっと小声で話すところとか、髪をかきあげる仕草とか、すごくしとやかじゃない?
「高宏。そろそろ紹介して」
「あ、そうか。忘れてた。えっと、彼女の水谷玲奈さん」
綺麗なお名前だ~~~。
「玲奈さん?よろしくね」
「はい、こちらこそよろしくお願いします」
「あ、玲奈。これが俺の母で、こっちが妹の穂乃香。で、この人が穂乃香の彼氏」
「藤堂司です」
司君はそう言うと、クールにまた軽くお辞儀をした。
「玲奈です。よろしく…」
玲奈さんは、物静かにそう言って微笑んだ。
うわ。女らしい笑顔だ。
「あ、あ、穂乃香です」
私は顔が引きつったかもしれない。
「今日は家族が久々にそろったわね」
母は嬉しそうにそう言うと、お茶を飲み干してから、
「高宏たちは、まだここでのんびりしてていいわよ。穂乃香、司君、手伝ってね。そろそろ夕飯の準備をしないと」
と言い、立ち上がった。
「はい」
私たちがキッチンに向かおうとすると、2階から、本田さん、今日子さん、そして真人君が下りてきた。
「2階の掃除、終わりました~~~」
本田さんはそう言うと、リビングにいる兄と玲奈さんに明るく、
「あ、こんにちは」
と挨拶をした。
今日子さんも挨拶をしてから、さっさとキッチンにやってきた。
「次は何をしましょうか?」
「じゃあ、乾燥室の掃除や片づけ、真人君としてもらってもいい?」
「はい、わかりました」
今日子さんと真人君は、リビングを抜け、廊下を歩いて行った。
「俺、風呂場でも掃除してきましょうか?」
「あ、助かる。洗面所や廊下も掃除してもらっちゃえる?」
「はい!」
本田さんは明るくそう答え、さっさとリビングを抜けて行った。
「…へえ。なんだか、良く働いてくれる人ばかりだね」
兄がリビングから母にそう言った。
「そうよ。みんないい子ばかりよ。でも、お父さんが一番頼りにしてて、信頼してるのは司君だけどね」
母はにこやかにそう答えた。
「へ~~。婚約もしたんだってね?おめでとう」
「だ、誰から聞いたの?」
私は焦って兄に聞いた。
「父さんだよ」
「いつ?」
「車の中で、嬉しそうにそう言ってるから、俺すんごいびっくりした。付き合うのもよく賛成してくれたなって思っていたしさ」
「なんで?」
「父さん、穂乃香を溺愛してたじゃん」
「そうよね~~。それだけ、司君は信頼できる男だってことよ」
母がそう言うと、司君の顔からどんどん表情が消えて行った。あ、今、最高に困っているか照れてる。
「すごいねえ。あの父さんの信頼を勝ち取るとはねえ」
あ、真人君と同じようなことを言ってる。
「あんたと違って、司君はしっかりしているからね」
母はちょっと皮肉っぽくそう言った。
「ひでえな。彼女のいる前で」
「……」
母はそれ以上何も言えなくなった。きっと本当は、その彼女と泊まりに来るなんてと、文句の一つも言いたいところだろう。でも、彼女の手前言えなかったんだろうなあ。
ツインで予約を入れた。それも、彼氏の両親の経営するペンションに。いったいどんな彼女を連れてくるかと思ったら、真面目そうな女の人だった。
それも、私に雰囲気の似ている…。
「司君、玲奈さんって、ちょっと私に似てるかな」
司君に、小声で聞いてみた。
「ああ、なんだか雰囲気は似ているかもね」
司君までがそう答えた。
「司君、玲奈さんって好み?」
「は?」
「私に似てるなら」
「ブッ!」
司君がふきだした。え?なんで?
「俺、悪いけど、あんまり好みじゃないかも」
「え?どうして?」
あ、私みたいな子は好みじゃなかったの?
「俺は穂乃香みたいな子が好きなんじゃなくて、穂乃香が好きだからさ」
どひゃ!
そんなことを司君に言われ、私はみるみるうちに顔が熱くなった。
「あ、赤い」
司君に笑われた。
母は、ちょっと離れたところで作業をしていた。ああ、よかった。今の会話も聞かれていなくって。
私はしばらく顔を熱くしたまま、野菜を洗っていた。




