第79話 司君の優しさ
翌日、また午前中の仕事を終え、私たちはスキー場へと向かった。
「今日は俺もスキーをするよ」
司君がそう言ってにこりと笑った。
「うん」
嬉しい。だけど、無様な転んでいる姿を見られることになるんだよね。
いや、司君だってまったくの初心者なんだから、意外と司君の無様な姿も見れたりしちゃうかも。そうしたら、お互い様だから、恥をかかなくても済むかなあ。
なんていうのは、私の甘い考えだとすぐにわかった。
司君はスキー板を履いて、真人君に滑り方を教わると、簡単にボーゲンで滑れるようになり、そのうちにスキー板をそろえて滑るのも、なんなくできるようになってしまったのだ。
転ぶこともあるけど、私のように無様な転び方ではない。時々、止まれなくなって転ぶようだけど、ス~ッと板をそろえ、体を斜めにしてそのまま斜面に寝転がるという感じで、転んでいるようにも見えないのだ。
う、う~~ん。転び方まで優雅で、絵になっているなんて、どういう運動神経の持ち方をしているんだろう、この人は…。
なんて見惚れていると、ドベッと私のほうが転ぶ羽目になる。
うう。今、顔から雪につっこんじゃったよ。
「大丈夫?穂乃香」
司君がいつの間にか私の横に来ていて、手を差し伸べてくれた。
いつ来た?音もなく来たよ。スウって。
「大丈夫」
私は司君に手を引いてもらって立ち上がった。
「さて、一回だけリフト乗って上から下りてこようか。まだ、時間だったらあるし」
真人君がとんでもないことを提案した。
「り、リフト?」
「大丈夫。昨日も乗ったけど、怖くないから。それにここのゲレンデ、初級だから斜面も緩いよ」
司君がそう優しく言った。
うそ。うそだ。ここから見ても、けっこうな斜面があるじゃない。
でも、小さい子供まで、平気で滑ってるなあ。
「わ、わかった」
私は司君にくっついて、リフト乗り場まで行った。真人君はどんどん先に行って、乗り場まで着くと振り返った。
でも、司君は私のそばをつかず離れず、ちょっと前を行っては私を待って、またちょっと進んでは止まって私を待っていてくれる。
う…。優しい。
それにしても、初めて履いたはずのスキー板。なんでもう、履きなれたようにスムーズに滑ったり、歩けるわけ?やっぱり、司君ってただものじゃないよ。
「はい。先にリフト券買っておいた」
そう言って真人君は私と司君に券をくれた。
「これ、二人乗りのリフト?」
「そう。どうする?俺と藤堂、どっちと乗る?」
真人君がそう聞いてきた。ちょっとにやつきながら。
「え?司君と…」
「まじで?全くの初心者だよ?穂乃香ちゃんのこと、全然フォローできないかもしれないのに」
真人君はまだにやつきながら、そう言って来る。
でもなあ。真人君もフォローなんてしれくれなさそうだし、それに、司君以外の人と仲良くリフト乗りたくないなあ。
「やっぱり、司君がいい」
そう言うと、真人君はちょっとムスッとして、先にさっさとリフトに乗って行ってしまった。
「大丈夫だよ、穂乃香。俺がサポートするよ」
司君は不安がっている私に、優しくそう言ってくれた。そして、
「はい、乗るよ」
とリフトに乗るタイミングも教えてくれた。
司君とリフトに乗ってる。真っ白な雪の上を、リフトがどんどん登って行く。
リフトなんて、怖いだろうなって思ってたけど、司君が隣にいるって言うだけで、安心する。
「あ、あれ、ウサギの足跡?」
「あ、そうかもね」
そんな話をする余裕すらある。
そして、リフトの終点が見えた。その先で真人君が、こっちを向いて待っている。
「穂乃香、ゆっくりでいいよ。慌てないで大丈夫だから」
司君はそう言ってくれた。
そして司君は、片手にストックを持って、私の腕を掴んだ。
え?
「はい、腰上げて」
司君の言うタイミングに合わせ、腰を上げた。
「板はまっすぐにしてていいからね」
言われたままそうした。司君が私の腕を持って、そのままスウッとリフトを降り、そのままスウッと一緒に前に進んだ。すると、平たんになっているその場所では、板をまっすぐにしていても、何の苦も無く止まることができた。
あれ?すんなりとリフト降りられちゃった。
「大丈夫だったでしょ?」
司君がそう言った。
「うん。あ。司君が私のこと支えてくれてたんだよね?」
「うん。でも、支えなくてもきっと、大丈夫だったよ」
そう言うと司君は二コリを微笑んだ。
「さあ、ここから下まで一気に下りていくから、ついてきて」
真人君がそう私たちに言ってきた。ちょっと、不機嫌そうだ。
「え?一気に?」
私の顔が青ざめた。
「一気に。大丈夫でしょ?もう、ボーゲンもできるんだから」
真人君はそう言うと、
「行くよ」
と言って、さっさと滑り出した。
冗談。ボーゲンができるって言っても、まだどうにか曲がれる程度で…。
え~~!!!無理、無理。
「穂乃香、ゆっくり一緒に下りようね」
司君が横で優しくそう言ってくれた。
「うん!」
そうだった。司君がいるんだった。
そして本当に司君は、私のスピードに合わせてゆっくりと下りてくれた。私が時々転ぶと、私のところまで来てくれる。先に進んでいてもわざわざ、坂を上って私のところに引き返してくれた。
「大丈夫?」
「うん」
司君が手を差し伸べてくれる。その手を取って私は立ち上がる。
ああ、司君がめっちゃ優しくて嬉しい。嬉しすぎる~~!
そしてまた、司君はゆっくりと下り始める。私も司君について、滑り出す。
そして、ゲレンデの下でとっくのとうに滑り降りた真人君と合流した。
「藤堂、お前、穂乃香ちゃんに甘すぎ」
真人君は私たちが着くと、いきなりそう言った。
「…そうですか?でも俺、別にコーチでもなんでもないすから」
司君はぶっきらぼうにそう答えた。
「へえ。そうやって、女の子に優しくして、モテまくろうって魂胆?」
「はあ?」
司君は一瞬、真人君を呆れたって言う顔で見ると、
「俺、穂乃香以外の子には、こんなことしないですけど」
とこれまた、ぶっきらぼうに答えた。
「…彼女だから、優しくするのか?」
「そうです」
司君は一言そう言うと、私のほうを向いて、
「お昼食べに行こう。お腹空いたよね?」
とそう言ってきた。
「うん!」
「ああ、なんだよ。じゃあ、明日からは2人で勝手にやってくれよな!」
真人君はそう言って、
「俺、あっちの上級のほうを一回滑って来てから昼食うから。じゃ」
と、私たちに背を向けて、颯爽とリフト乗り場に行ってしまった。
「申し訳なかったかな。自分が滑りたいのに2日間もコーチしてくれたんだよね」
「……そうだね」
私の言葉に、司君は静かにうなづいた。
「あとで、お礼言っとく」
私がそう言うと、また司君は静かに「そうだね」と言ってから、
「でも、あんまり仲良くならないでね」
と、突然そんなことを言った。
「え?私と真人君が?」
「うん」
「なるわけないじゃん。絶対にならないよ」
「ほんと?」
「え?な、なんでそんなこと聞くの?」
「…なんとなく、田中さんとは穂乃香、話しやすそうにしてるから」
「ええ?私が?」
とんでもない。昨日なんて本当に、和美さんじゃないけど、私も泣きそうだったんだよ?今日は司君が優しいから、全然平気だったけど。
私は司君と一緒にカフェに入った。
「お!来た来た。ここだよ、穂乃香ちゃん、司」
本田さんがもうテーブルについていて、こっちに気が付き手を振ってきた。
「どうだった?」
私たちがその場に行くと、本田さんが聞いてきた。
「リフト乗って、上から滑ってきた」
「へえ。すごいじゃん。じゃ、司も滑れるようになった?」
「はい」
「お前、本当にすごいね。昨日はスノボーだって、いい線いってたしさ」
そうなんだ。
「でも、俺、これからはスキーします」
「スキーのほうが気に入った?」
「…スキーも楽しいですね。それに、穂乃香はスキーしかしないから」
「ああ、穂乃香ちゃんと滑りたいわけね。へえ、へえ。どうぞご勝手に」
そう言うと本田さんは立ち上がり、
「さ、今日はラーメンにしようかな~」
と言いながら、食券を買いに行った。
「穂乃香、何食べる?」
「私も一緒に行く。今日は魂抜けてないから平気」
「そう?」
私たちも席にグローブやゴーグルを置き、本田さんのあとに続いた。
「あれ?そういえば、今日子さんは?」
先に並んだ本田さんに聞くと、
「もう食べ終えて、ペンションに帰ったよ」
と、本田さんは答えた。
「え?一人で?」
「俺はみんなを待ってから食うって言ったんだけど、待ってられないって言って、さっさと食べて行っちゃったよ」
「え~~…」
「団体行動、苦手なタイプだな。友達少ないか、もしくはいないんじゃない?あの人」
本田さんにはめずらしく、クールな顔つきでそう言った。
「本田さん、待っててくれたんだよね。ありがとう」
私がそう言うと、本田さんはいつもの笑顔になり、
「だって、穂乃香ちゃんと一緒に、昼飯食いたかったんだも~~ん」
と明るく言った。
本田さんはチャライけど、人を大切にするところがある。いつでも明るくしているし、一緒にいて楽しいと言うお客さんが多いのもうなづける。
司君とは全くタイプが違うのに仲良くなったのは、その人柄かもしれない。
「真人は?」
3人で席に着いてから、本田さんが司君に聞いた。
「上級者の方を滑ってから、飯を食うって言ってました」
「ふうん」
「2日間もコーチして滑れなかったんだよね。悪いことしたかなあ」
私がそう言うと、本田さんは、
「いいんじゃないの?昨日はかなり、コーチできることにはりきっていたようだし。それに、穂乃香ちゃんを独占できて、喜んでたよ?あいつ」
とそんなことを言いだした。
「え?」
私が引きつると、本田さんは笑った。
「でも、司との間に入り込むのは無理だろうからあきらめろって、言っておいたけどさ」
「当たり前ですよ」
司君は無表情のまま、そうぽつりと言った。
3人でラーメンを食べ終わった頃、真人君がカフェに入ってきた。
「真人、先に食っちゃったよ」
本田さんが手を挙げてそう言った。
「ああ、いいっすよ~~」
真人君はそう言うと、席にグローブを置いて、
「あ、ラーメン食ったんですか?俺も、ラーメンにしよう」
と言って、食券を買いに行った。
「あいつ、いいやつなんだけどね。モテるだろうし、すぐに彼女もできるんじゃないの?」
本田さんがそう言った。
「本田さんも、いい人ですよね。でも、なんで彼女できないんですか?」
司君がそう聞くと、
「俺は、理想が高いんだって」
と、本田さんは笑ってそう言った。
「穂乃香みたいな子がタイプって、冗談じゃなくって?」
司君がそう聞くと、
「そう。冗談じゃないの。でも、そういう子は俺みたいなチャライの嫌いじゃん?だから、なかなかうまくいかないわけ」
と、苦笑しながら言った。
そんな話をしていると、真人君がラーメンを持って戻ってきた。
「腹減った~~」
真人君はいただきますと元気に食べだした。
「真人君、2日間コーチしてもらって、ごめんね?本当にありがとう。明日からは大丈夫だから、自分の時間を満喫してね」
ラーメンを思い切りすすっている真人君にそう言った。すると、真人君はこっちを見て、
「え?あ、うん。そうする予定だったよ。明日は本田さんが、2人のこと見るって言ってたし」
とそう答えた。
「そう。明日は俺が、2人の面倒を見る。っていっても、司はもう滑れそうだな」
本田さんはそう言って笑った。
「……穂乃香ちゃん」
その横で、変に真面目な顔をした真人君が、私のほうを見て私を呼んだ。
「え?」
「なんだか、改めてそうお礼を言ってくれると、なんつうか…」
?
「俺、また、穂乃香ちゃんに惚れたかも」
……え。
私の顔が引きつりそうになった。でも、私の隣で、司君の顔が思い切り、引きつっているのに気が付き、私は司君の顔のほうが気になってしまった。
ポーカーフェイス、思い切り崩れてるよ?
そして、
「田中さん!穂乃香に惚れても無駄ですって、何度言ったらわかるんですか?」
と、一気に無表情になって、司君はそう言った。
「そうは言われてもなあ。好きになっちゃったもんはしょうがないよなあ」
真人君のその言葉に、司君の顔は能面のようになってしまった。
司君!いくら、真人君がわけわかんないこと言っても、私なら大丈夫。司君以外の人なんて、まったく眼中にないし、興味ないから。
隣で心の中でそう叫んだ。でも、司君の心には、聞えていなかったようで、まだ司君は、無表情の能面のままだった。きっと、心の中では、いろんな思いが交差しているんだよね…。




