第78話 司君の腕の中
司君とペンションに入ると、リビングにいた母、父、そしてお客さんが私と司君を見た。お客さんは、高校1年の女の子と、そのご両親だ。どうやら、スキーの途中で休憩にでも戻っているようだ。
「…と、藤堂さん、その人とお付き合いしているんですか?」
ちょっと顔を青ざめさせ、その子が聞いた。
「え?」
司君も私も、びっくりして聞き返すと、
「今、ここからキスしているのが見えました」
とその子は、顔を引きつらせて言った。
あちゃ~~。見られてた!っていうことは、母や父にもしっかりと!
「はい、付き合ってます」
私はおろおろとしてしまったが、司君は堂々とそう答えた。
「まあ!この子は確か、オーナーさんの娘さんですよね?」
お母さんのほうがそう聞いてきた。
「はい。娘の穂乃香と、婚約者の司君です」
父がしっかりとした口調でそう答えた。
「婚約者?!」
娘さんとお母さんが同時に驚いて叫んだ。でも、父は全く動じず、はいとうなづいた。
「高校生ですよね?」
お母さんのほうが、今度は母に聞いた。
「ええ、そうですよ。でも、2人とも真面目な交際をしていて、親公認なんです」
母は朗らかにそう答えた。
「…と、藤堂さん、もう婚約までしてるんですか?」
娘さんのほうが今度は、司君に聞いた。司君は柔らかい表情で、はいとうなづいた。
「…そんなあ」
そんなあ?そんなあってなに?もしかして、司君のこと狙ってた?でも、真人君狙いだったんじゃないの?
「なんだ、和美は…。まさか、司君のこと…」
娘さんの隣でずっと黙っていたお父さんが、苦笑しながらそう娘さんに聞くと、娘さんは暗くうなづいた。
うわ。そうだったの?危なかった。婚約しているってはっきりと、父が言ってくれて助かった。
「あれ?和美ちゃん、スキーはどうしたの?もう戻ってきたの?」
そこに真人君が現れた。すると、
「真人君に教えてもらいたいって思って。でも、ペンションに戻ってきてもいなかったから」
と思い切り可愛い声で、和美さんは答えた。
「あ、そうだったんだ。じゃ、ゲレンデで合流したらよかったね。今まで穂乃香ちゃんのコーチをしていたんだよ」
「……え?」
和美さんは、私のほうを睨んだ。うわ。怖いんですけど。
「真人君、あと1時間くらい大丈夫だから、和美ちゃんにコーチしてあげたら?」
母がそう言うと、真人君は、
「いいですか?じゃ、行ってきます」
とにこやかにそう言った。それを聞いた和美さんは、顔を赤らめて喜び、
「うわあ。真人君にコーチしてもらえるなんて、嬉しい」
とその場で小躍りまでした。
いいのかな。真人君、厳しくってそんな喜べないと思うんだけど。
でも、いっか。和美さんがとにかく、司君から離れてくれるのはありがたいし。
「あれ?真人、またゲレンデ行くの?いいなあ」
着替えを済ませた本田さんが、そう言いながらやってきた。
「すみません。俺、またウェアー、ちゃちゃっと着てきます」
そう言って、真人君は部屋に走って行った。
「じゃ、和美は真人君にお願いして、私と主人はここでお茶でもしちゃおうかしら」
「いいですよ~~。今、お茶とクッキー持ってきますね」
母はそう言うと、キッチンに行った。和美さんのご両親はリビングのソファに座り、何やら話をし出した。
「本田君、買い出しに行くから付き合ってくれ」
「へ~い」
「司君は、客用の風呂場の掃除を頼むよ。穂乃香も、手伝ってあげてくれ」
「うん」
「今日子ちゃんは、夕飯の準備、よろしく」
「はい。了解です」
父はそう次々とみんなに指示を出すと、本田さんを連れ、ペンションを出て行った。
私と司君は、急いで着替えをして、客用のお風呂場に行った。そして、二つあるお風呂場を手分けして掃除した。
お風呂場の掃除を終え、バスタブにお湯をはった。早いお客さんは、5時には戻ってきてお風呂に入る。
「終わった~」
そう言いながら、お風呂場から洗面所に移動すると、突然司君が抱きついてきた。
「え?な、なに?」
「穂乃香、言ってたじゃん。洗面所は中から鍵がかかって、2人きりになれるって」
「え?」
「鍵、かけておいたから」
うそ。
「司君、でも、お風呂は入らないよ?」
「あはは。それはもちろん。ここ、お客さん用の風呂だしね」
司君は爽やかに笑った。でも、まだ私を抱きしめている。
ドキン。ドキン。あ、なんだか胸がときめいてきてしまった。
司君に抱きしめられると、なんでこうもドキドキしちゃうのかな。だけど、安心するの。
「穂乃香…」
司君は耳元でささやくと、そっと私にキスをしてきた。と思ったら、そのうちにどんどん、熱いキスに変わって行った。
うわ。
うわ。
うわわわ。待って。
ドキン!待って!
なんで、胸触ってるの~~?司君!
「駄目」
唇を離してそう言うと、司君はやっと胸から手をどけた。
「はあ…」
ため息?
「俺、2日目から、もうやばい」
「な、何が?」
「穂乃香、抱きたい」
え?!!!!
「ちょ、ちょっと、そんなこといきなり言わないで」
思い切り、動揺する~~!
「なんで?穂乃香は違う?」
「わ、私は…。司君の胸が恋しくなっているけど」
そう言うと、司君はまた思い切り抱きしめてきた。
う~~わ~~~。
幸せだ。
ってそうじゃなくって。幸せに浸っている場合じゃないよ。掃除終わったんだし、キッチンに行って手伝わなくちゃ。でも、でもでも。まだまだ、司君の腕の中にいたい。
「もう行かないと…。司君…」
「…うん」
司君がやっとこ私から腕を離した。そして、鍵を開け洗面所から先に出て行った。
私もそのあとに続いた。前を歩く司君の背中を見ると、なぜか恋しくなって、胸がきゅきゅんってした。
あ~~。もっと、司君にべったりしていたかったよ~~。
その日の夜、夕飯を泊り客が食べ終わり、ダイニングの片づけをしていると、テーブルの上を片づけている司君のもとに和美さんがやってきた。
「藤堂君は、スキーできますか?」
「いや。まだ一回もしたことないけど…」
司君は無表情でそう答えた。
「でも、今日スキーウェア着てませんでしたか?」
「あ、今日はスノボーやってたから」
「じゃあ、明日はスノボー私もやってみたいから、教えてもらえませんか?」
「無理ですよ」
司君が即答すると、和美さんの顔がひきつった。
「あ、スノボーもまったくの初心者なんで教えるなんで無理ですよ。本田さんが上手だったから、本田さんに教えてもらったらどうですか?」
「…本田さん、なんか苦手で」
「じゃ、多分田中さんもスノボーできると思うから、田中さんに…」
「え~~!」
あ、和美さんの顔が思い切り嫌がってる。
「真人君って、とんでもないくらいスパルタなんです。私、今日泣いちゃった」
「え?」
「全然転んでも、手も貸してくれないし、ほっておかれて。見た目優しいのに、全然でした。がっかりしちゃった」
「コーチの経験もあって、教え方上手だと思いますよ?」
「え~~~!あれで?」
「……そんなに厳しいんだ」
「そうです。厳しすぎます」
「ふうん。でも、俺も優しい言葉もかけないと思うし、手も貸さないと思いますよ」
「…え?」
「あ、すみません。まだ仕事残っているんでこれで」
司君はそう言うと、キッチンに来た。和美さんはむすっとした顔をして、ダイニングを出て行った。
「……和美さん、根をあげちゃったんだ」
司君が私の横に来たので、そう言ってみた。
「穂乃香もきつかった?」
「うん」
「でも、頑張っちゃった?」
「うん」
「そっか…」
「司君がもしスキーができて、私にコーチしてくれるとしたら、どんなふうだったのかな」
「…多分、手取り足取り」
「え?」
「たまに抱きついてるかも」
「ええ?それ、危ないコーチだよ」
「あはは。生徒が穂乃香の時だけだよ。まあ、他の子に教える気もないけどね」
「……」
いや、そんなふうに司君に優しく教えてもらったら、私、ドキドキしちゃって滑れるようになるかどうか。でも、いいなあ。それ…。
片づけも終わり、バイトの子たちが順番にお風呂に入ることになった。まずは、女性陣から入ってと母に言われた。
今日子さんは私が苦手だって思ったからか、今日は一緒にお風呂に入ろうと言ってこなかった。さっさと一人でお風呂に入ると部屋に入り、ベッドに寝転がってイヤホンまでして音楽を聞き、文庫本を読みだした。
そこまで、無視してくれなくてもさあ。なんか、嫌だなあ。
私はその間に着替えを出して、お風呂に入りに行った。すると、後ろから真人君が来て、
「あれ?今日子さんと一緒に入らなかったの?今日子さんがお風呂から出たみたいだから、俺、入ろうと思ったんだけど」
と聞かれた。
「うん。避けられてるみたい。今日子さん、先に一人で入っちゃったよ」
「今日子さんに嫌われた?」
「そうみたい」
「ま、彼女と気が合う人は、なかなかいないと思うよ。そんなに落ち込まないで」
落ち込んでいるように見えたかな。
「真人君、お風呂に入りに来たんでしょ?お先にどうぞ」
「いいよ。また出たら教えて。あ、それとも一緒に入る?」
「まさか!」
「じゃあ、藤堂でも呼んでくる?藤堂と一緒に入る?」
「まさか!!!」
「やっぱりね」
やっぱり?
「ねえ、婚約してるって言うけど、穂乃香ちゃんと藤堂って、まだ、あれだよね?」
「まだあれって?」
「キスくらいまでしか、してないんじゃないの?」
「え??!!」
私がびっくりして、真人君の顔を見ていると、その後ろから司君がやってきた。
「…田中さん。穂乃香になんか用ですか?」
「…別に~。まだ風呂入ってないって言うから、出たら呼んでって言ってただけ」
真人君はそう言うと、変な笑みを浮かべ部屋に戻って行った。
「なに?なんか言い寄られてた?」
「う…。あれもやっぱり、言い寄られていたのかなあ」
「え?」
「司君…」
私はなぜか司君の手を握りしめた。
「なに?一緒にお風呂に入ろうっていう催促?」
「違うよ」
「じゃあ、キスの催促?」
「違う。もう!私、お風呂に入るから。じゃあね」
私はそう言って、洗面所に入った。司君ももしかして、入り込んで来たりしないかってドキドキしながら。でも、司君はとっとと部屋に戻ったらしい。
がっかり。
…ん?
なんだ、その、がっかりって…。
ああ、もう。私って、欲求不満になっているのかなあ。
お風呂から出て、隣の部屋をノックしに行った。
「はい」
あ、司君の声だ。
「お風呂空きました」
そう言うと、司君がドアを開けた。
「あれ?本田さんと真人君は?」
「お客に呼ばれて、2階の談話室に行ったよ」
「じゃあ、司君一人?」
「ラブもいる」
ワン!
「本当にラブは、この部屋がお気に入りなんだね」
私はそう言いながら、ラブの背中を撫でた。
「穂乃香」
司君は私を部屋に入れ、ドアを閉めた。あ、鍵まで閉めちゃった。
「司君?」
「お兄さん、明後日には来るね」
「うん」
「明日は、大晦日だね」
「うん」
「俺も、穂乃香とツインで泊まりたかったな」
「……」
私だって~。別々の部屋なんて嫌だったよ。
そう思いながら、司君に抱きついた。
「穂乃香、最近、穂乃香から抱きついてくるね?」
「…駄目?」
「全然。嬉しいよ」
司君、声も表情も優しい。それだけで胸がきゅんってする。
「司君」
「ん?」
「大好きだからね?」
「…うん」
ギュウ。司君の私を抱きしめる腕に力が入った。
ドキドキ。胸が高鳴る。でも、安心する。
やっぱり、司君の腕の中は、最高に幸せな場所だ。




