第77話 甘えすぎてる?
どうにか、曲がれるようになってきた。でも、止まる時にどうしても、すっ転んでしまう。
「うきゃ~~、止まんない」
「もっとエッジ立てて。前に重心置いて!」
そんなことを言われても…。
ズデッ!
また、転んだ…。
「はあ…」
このまま、立ちたくないなあ。もう体力の限界かも。なんて思いつつ、仰向けになって空を見上げていると、
「はい、立とうか?」
と真人君がにこやかにそう言って、横に来た。この人、絶対に手とか貸してくれないんだよね。
手取り足取り、コーチしてきたらどうしよう…なんて、心配は一切なかったけど、スパルタ過ぎるって言うのもどうよ。
「穂乃香ちゃ~~~ん」
あ、この声、本田さん?
「お昼食べよう~~。すげえ、腹減った~~」
え?まだ食べていなかったんだ。
私は仰向けになったまま、本田さんが来るのを待った。立ち上がる気力もなくて。
すると、ザッ、ザッ、という足音がして、視界に入ってきたのは、司君の顔だった。
「あ…」
司君だ!!!!
「大丈夫?立てる?」
そう言うと司君は、私に手を差し伸べた。その手を取って、私は立ち上がって、そのまま抱きついた。
「え?」
ふえ~~~ん。司君の胸だ~~~。恋しかったよ~~!!
司君が驚いている。でも、抱きつかれたままにしてくれている。
「お腹空いたよ、司君」
そう言うと、司君はクスって笑って、
「俺も」
と小さくささやいた。
みんなもう、私と真人君を置いて、お昼ご飯を食べたのかと思った。でも、違ったんだ。
「さ、お昼食べちゃって、ペンションに戻らないとね」
後ろから、きびきびとした今日子さんの声が聞こえ、私は司君の胸から離れた。
それからみんなで、そのゲレンデにあるカフェに移動した。そして、席に着くと、司君が、
「穂乃香、何食べたい?俺、買って来るよ」
と言ってくれた。
「えっと。じゃあ、カレー」
「なんか飲む?」
「水でいい」
「了解」
司君はにこりと微笑み、カウンターに向かって行った。
「今日子ちゃん、何がいい?俺が今日子ちゃんの分も買って来るけど?」
本田さんが慌ててそう言うと
「自分で買いに行けるわよ」
と今日子さんはそう言って、チラッと私を見ると、さっさと歩いて行ってしまった。
今、何気に呆れた顔で見られたんだけど。私が司君に甘えているからかなあ。
でも…。昨日カバンを自分で持つからいいって断った時に、穂乃香は頑固だねって言われたし。甘えてもいいし、甘えたほうが司君は嬉しいのかな…なんて、微妙に感じたし。
そういえば、真人君は、彼女がわがままで、嫌になっちゃったんだっけ。
う…。それって、甘えてきたから嫌になったってことかなあ。私、司君に甘えすぎるのもよくないのかな。
なんか、一気に気持ちが重くなってきた。ああ、なんだってこうも、いろいろと考えては落ち込んじゃうんだろう、私は…。
「はい。カレー。穂乃香、福神漬け好きだよね?多めに入れてきちゃった」
司君がまた優しい笑顔でそう言って、テーブルにカレーの乗ったお皿を置いた。
「ありがとう」
そう言うと、司君はまたにこっと微笑み、私の横に座った。
「司君もカレーにしたの?」
「うん。大盛りにできたから、大盛りで」
本当だ。私のよりも、ご飯の量が多い。
「司君、滑れるようになった?」
「うん。どうにかね」
「どうにか?」
「けっこう、難しかった。でも、一回コツをつかむと、できるようになるよ」
そうなんだ。もうそのコツをつかんだのね。さすがだ。
「穂乃香は、ボーゲン卒業できた?」
「え?!ま、まさか」
「あれ?そうなの?」
「卒業どころか、ボーゲンすらできなくなったっていうか…」
「え?」
「転んでばっかりだった。司君に見られなくってよかった」
「何を?」
「私の無様な姿」
「…くす」
あ、笑われたし。
司君と、カレーを食べだした。真人君と、本田さん、今日子さんも戻ってきて、いただきますと言い、カレーをみんなばくついている。
「食べ終わったら、仕事頑張らないとね」
今日子さんがそう言うと、真人君はしかめっ面をした。
「ほんと、今日子さんはくそまじめだよね」
「あなたたちが、不真面目なだけでしょ?司君は真面目に働いているわよ」
「…ふうん。今日子さんも、藤堂がいいわけ?でも、藤堂って…」
「そういうことじゃないわよ。別に私、男の人目的で、バイトしてるわけじゃないから」
今日子さんは、真人君の言葉を最後まで聞かず、そう言いきって、またカレーを食べだした。
「……あ、そう」
真人君もそう言うと、黙々とカレーを食べだした。
「なんだか、穂乃香ちゃんは真面目そうなタイプだと思っていたんだけどね。ちょっとがっかり」
え?いきなり、何を言いだすんだ、今日子さんは。
「えっと?」
勝手になんでがっかりしてるの?いや、いいんだけど。でも、何をどう見て真面目じゃないと思ったの?
「気が合いそうって思ったけど、合わなさそう」
ム…。そんなの、目の前で言わなくたって。
「穂乃香ちゃん、真面目じゃん。最近の子にしては珍しいくらい真面目だし、なんかこう、おしとやかだし」
本田さんがそう言ってくれた。でも、その言葉に今日子さんは顔を引きつらせ、
「おしとやかだったら、あんなふうに自分から男の人に平気で抱きつく?それに、すっかり司君に甘えちゃって…。そんなタイプに見えなかったけど、穂乃香ちゃんも、どこにでもいる男に媚びる女の子だったのね」
と、クールな声でそう言った。
こ、媚びるですと?そんなふうに見えちゃうわけ?ガ~~~ン。かなり、ショック。
「真人君の前では、真人君に甘えてたわけ?」
「まさか!」
なんだ?そりゃ。
「真人は、スキー教室でコーチの経験もあるし、かなりスパルタでしっかりと教えるって聞いてたから、穂乃香ちゃんのことも、ビシバシ鍛えてあげたんじゃないの?」
本田さんがそう言った。
「え?コーチしてたの?」
私が驚いて真人君に聞くと、
「そう。あんな感じで。けっこう途中で根をあげる子もいたんだけど、穂乃香ちゃんはよく、ついてきたよね。偉いよ」
と真人君は答えた。
「そうなんだ。だから、あんなに厳しかったんだ」
「…厳しかったの?」
司君が隣から静かにそう聞いてきた。
「厳しかった。ずうっと私、息切らして、必死だった」
「あはは。確かに。でもよく、頑張ってたじゃん」
真人君は爽やかにそう言って笑った。
頑張ったと言われたのは、嬉しいけど、どっちかって言うと今、優しい目で司君が私を見ていてくれているのがはるかに嬉しい。
「ふうん。じゃ、甘えたくても真人君いは甘えられなかったのね」
今日子さんがまた、嫌味な感じでそう言った。
「あ、甘えられたとしても、私、真人君には甘えないですから」
なんだか、頭に来て私は言い返してしまった。
「え?どうして?」
今日子さんは不思議そうな顔で聞いてきた。なんで、不思議がるかな。
「…私、司君だから抱きついただけで…。他の男の人にはそんなこと、絶対にしませんから」
「…ふうん。司君だけなんだ」
今日子さんは、意味深な笑みを浮かべそう言った。
なんなんだ。その、意味深な笑みは!
「そりゃそうだろ。な~?司。お前らは婚約してるんだもんな?」
本田さんはそう言うと、耳が赤くなっている司君の腕を突っついた。すると、司君は一気にむすっとした顔になってしまった。
「婚約?って誰と誰が?」
今日子さんがきょとんとした顔で聞いてきた。
「穂乃香ちゃんと藤堂だよ。高校生でもう、婚約してるんだってさ。そんなだから、俺だって、穂乃香ちゃんに手を出せないし、そりゃ今日だって、一回も手にも触れず、スキー教えてましたよ?」
真人君の言葉に、今日子さんの目はみるみるうちに大きくなった。
「こ、婚約?高校生で?」
「はい」
私は、思い切りうなづいた。これで、真相がわかったでしょ?という気持ちを込めて。
「呆れた!」
え?
「バカらしい。今から婚約なんてしなくたっていいのに」
「……」
ム…カ…。
「そう思うよね?今日子さんも。もっといろんな男と付き合ってから、決めたらいいって思うよねえ?」
真人君がそう言うと、今日子さんは真人君を呆れた目で見て、
「そういうことじゃなくて。男に縛られなくたっていいのにって、そう思っただけよ」
と冷たく言い放った。
やっぱり。今日子さんとは価値観が違うんだなあ。
「私は、結婚ですら、どっちでもいいの。男の人に縛られるのなんて、まっぴらだし」
「今日子さんって、思い切り悪い男と付き合ったとか、すげえ傷つけられた経験があるとかなわけ?」
「ないわよ」
「じゃ、なんでそんなに、男を毛嫌いするわけ?」
「してないわよ。ただ、男に頼ったり、縛られて生きて行きたくないってだけよ。男に甘えるなんて、絶対に私には無理だわね」
今日子さんはそう言うと、水をゴクゴクと飲み、
「さ、そろそろ仕事に戻らないと」
と言って、席を立った。
その後ろ姿をみんなで見て、
「あ~~あ。ありゃ、一生独身でいるタイプだな」
と本田さんがぽつりと言った。
「口説き落とすんじゃないんですか?本田さん」
真人君がそう聞くと、
「もういいや。俺、もっと可愛い女の子がいいもん」
と本田さんはしれっとそう言って、
「甘えてくる子のほうが、いいじゃん」
と私のほうを見た。
え?私?
「でもさあ、あんまりわがままなのも、大変だよ?本田さん」
真人君がそう言った。
うわ。それも、私のこと?
私は焦って、司君の顔を見た。司君は無表情で水を飲んでいる。
い、今、何を思ってる?甘えてくる方がいい?嫌?どっち?!
私と司君も席を立ち、レンタルしていたものを返しに行った。本田さんと真人君は、今日子さんの後を追って、先にペンションに戻って行った。
「…司君」
2人でペンションに向かいながら、私は気になり聞いてみた。
「私、やっぱり、甘えてたかな」
「俺に?」
「うん」
「…嬉しかったよ?」
「本当に?呆れてない?」
「嬉しかったよ。抱きついてきた時には、びっくりしたけど、でも、すごく嬉しかったよ?」
そうなの?そうだったの?
「カレー、買って来てもらっちゃった」
「え?気にしてたの?」
「うん」
「あはは。気にすることないよ。だって、穂乃香、魂抜けてたし」
「え?」
「穂乃香が買いに行って、途中でカレーひっくり返しても大変だし。ああいう時には、俺に全然甘えても平気だから」
「……」
司君、優しい。
「でも、真人君みたいに、嫌になったりしない?」
小声でそう聞いてみた。司君は私のことを優しく見て、
「なったりしない。安心して?」
とそう言った。
「……」
よかった。ほっとして思わず、司君の腕にしがみついてしまった。
「あのさ」
「え?」
司君が顔を赤らめて、照れくさそうに何かを言おうとしている。
「なあに?」
「俺がどんなに、穂乃香に惚れているかは、知ってるよね?」
「……」
黙ってうなづくと、
「よかった」
と言って、司君はにこりと笑った。
「あ、でも」
「ん?」
「私が真人君に、スキー教えてもらうのに、司君、何も抵抗していなかったから、ちょっと焦っちゃったよ?」
そう言うと、司君は私に顔を近づけ、
「本田さんが、真人はコーチの経験もあって、すげえビシバシ鍛えてくれるから、任せておいて大丈夫って言ってたんだ」
と言ってきた。
「それで安心したの?」
「まあ、手は出したりしないだろうなって思ったけど。ただ、ビシバシ鍛えて、穂乃香、根をあげないかなって心配はしてたよ」
「……」
「でも、根をあげず、頑張ったんだね?偉いね?」
司君はそう言うと、私の頭を撫でた。
「………うん」
嬉しくて、思わず思い切りうなづくと、
「穂乃香、可愛い」
と司君はそう言って、頬にキスをしてきた。
「うわわ。道のど真ん中で!」
「誰も見てないって」
周りを慌てて見回すと、確かに、辺りには人もいなかった。
と思ったのは、私たちの思い違いで、ペンションの中からしっかりと、みんなに見られていたようだ。
もちろん、父や母にも。




