第75話 私の理想
お風呂に入っても、今日子さんとあまり話をしなかった。というよりも、話が合わなかった。たとえば、
「藤堂君って、見た目と違って、なんだかおっとりしているのね」
と今日子さんが言うので、
「え?そんなことないです」
と言うと、話がそこで終わる。
「真人君って、犬の訓練校に就職したらしいけど、だからって、ここでも犬とじゃれ合っていなくてもいいと思わない?隣の部屋で犬とじゃれ合って、ワンワンうるさくって」
「え?でも、ラブ、バイトの人たちの部屋が気に入ってるらしいから」
「どうして?」
「多分、バイトの人たちが可愛がっているから」
「でしょう?そんなことするから、部屋に入り込むのよ。迷惑だと思わない?」
「別に…」
そして、その話もそこで終わる。
う~~~ん。真人君が、今日子さんを苦手だと思っているのも、やっぱりうなづける。私もダメだ。
よく本田さんは、猛アタックをしているよなあ。
「私、先に出るわね」
今日子さんはそう言って、お風呂場から出て行った。
私はゆっくりとしてから、お風呂を出た。そして洗面所で髪を乾かした。
あ、今日子さん、髪、濡れたままで行っちゃった。大丈夫かな。
でもきっと、今日子さんのことだから、ドライヤーもちゃんと持って来ていて、部屋で乾かしているのかな。
「穂乃香ちゃん!」
ドアの外から真人君の声がした。
「はい?」
私はドライヤーをいったん止め、ドアを開けた。
「やっぱりいた。今日子さん一人で部屋にいたから、穂乃香ちゃん、まだここにいるかなって思ったんだよね」
「はあ…」
「俺も風呂、入っちゃおうかな」
「あ、だったらどうぞ?」
私は洗面所を出ようとした。
「あ、いいよ。髪、まだ乾いていないんでしょ?」
「真人君が出たらまた、乾かしに来ます」
「いいって。風邪ひいても大変だし。ここで待ってるから」
「悪いです。終わったら部屋まで呼びに行きます」
「そう?」
真人君はいったん、部屋に戻りに行った。でも、廊下の途中で振り返り、
「ため口でいいからね?」
とそう言って笑った。
ホ…。
私はほっとして、洗面所のドアを閉めた。こんなところに2人きりでいるなんて、司君に悪いもん。
もし、司君が来てくれたんだったら、嬉しくって、洗面所の鍵もかけちゃうんだけど…。
って、そうか!ここ、鍵かかるじゃん!2人っきりになれるじゃないよ!
って!何を期待しているんだ、私は。ああ、自分の思考が怖い。いや…。やっぱり、2人きりになりた~~~い!
ああ、1日目からこれで、私、大丈夫かなあ。禁断症状出ちゃわないかな。
そのうち、司君を襲うようになったりして!
なんてあほなことを考えていて、髪を乾かすのが遅くなってしまった。私は慌てて廊下を走って、真人君を呼びに行った。
トントン。
「あの、洗面所空きました」
そう言うと、すぐにドアを開け真人君が出てきた。
「どうしたの?息切らして…」
あ、思い切り走ってきたから。
「お、遅くなっちゃったから。ごめんなさい」
「いいって!そんな謝らなくても!」
真人君は笑顔でそう言うと、
「それから、何度も言うけど…」
「あ、タメ語?」
「そう。よろしくね?」
とまた爽やかに笑い、着替えとタオルを持って廊下を歩いて行った。
部屋の中からラブが出てきて、私の足元にじゃれついてきた。その後ろから司君が来て、
「なんか、仲良くなってない?」
と、無表情で聞いてきた。
「え?」
私が何も言わないうちに、司君は私の腕を掴み、部屋に私を引き入れドアを閉めた。
「司君?」
「穂乃香、髪からいい匂いがする」
「う、うん。シャンプーだよね?」
ギュウ。
わ!司君が抱きしめてきた。
「あ、あの。本田さんが帰ってきたら大変」
「いいよ、別に」
「良くないってば」
「いいよ。俺らが付き合ってるの知っているんだし。っていうか、なんで田中さんや、土屋さんには、内緒にしてるの?」
「え?してないよ?」
あ、そういえば。司君と付き合っているってこと、なんで私言ってないのかな。言えば、もっと堂々と司君にくっついていられるんだ。
司君からも、ほんのり石鹸の匂いと男物のシャンプーの匂いがする。それに、司君のあったかい胸…。
だ、ダメだ~~~~。
ギュウ。私も司君に抱きついてしまった。
「……穂乃香?」
「1日目から、司君の胸が恋しいの。私、この先もつかな」
「え?」
「禁断症状出るかも」
「……俺も」
「司君と2人きりになれる時間が、絶対に必要」
「そうだね。俺もそう思う」
「ほんと?」
「ほんと…」
良かった。俺は別に大丈夫なんて言われたら、どうしようかと思った。って、そんなこと司君が言うわけないか。
「あのね」
「ん?」
「洗面所、中から鍵かかるの」
「……え?!」
うわ!これは言わないほうがやっぱりよかった。司君今、引いた。
「なんでもない」
ああ、今、かなり恥ずかしい。顏、あげられない。
私はずっと司君の胸に顔をうずめたままにしていた。
「そうだよね。鍵かかるよね」
「…」
「じゃ、一緒に風呂入っちゃう?」
「まさか!」
私が慌ててそう言うと、司君は私の顔を覗き込み、
「じゃ、なんで、鍵がかかるなんて、教えてくれたの?」
とキョトンとした顔をして聞いてきた。
「お、お風呂に一緒に入るのが目的じゃなくて、ただ、2人きりになれるかなって、それだけだよ」
「……洗面所で?」
「うん」
「2人きりになって、何をするの?」
「え?!」
うわ~~~。顏が火照る。
「な、な、何もしないけど」
「くす」
あ、からかった?
「うん。わかった。2人きりになりたい時には、洗面所に連れ込むことにする」
「へ?」
「教えてくれてありがとう」
どひゃ?
なんだか、やっぱり、とんでもないことを言った?
ああ、司君が実はエッチなんだってこと、思い出せばよかった。
「司君、そろそろ離れないと、本田さんか真人君が戻ってくるよ」
「まだ大丈夫だよ」
「でも、ドアをいきなり開けて入ってきたら、抱き合っているところを見られちゃうよ」
「うん。大丈夫」
なんで?鍵なんてついていないよね?なんで大丈夫だって言い切れるの?
「ワン!」
いきなりラブがドアのほうに向かって吠えた。そして尻尾を振っている。
「あ、戻ってきた」
司君はそう言うと私から離れた。
「ワンワン!」
「ラブちゃ~~~ん、ただいま~~~」
そう言いながら、本田さんがドアを開けた。私は司君からかなり離れ、司君は自分のベッドに腰掛けた。
「あれ?穂乃香ちゃん、来てたの?って、なんだ。司と2人でいちゃついてた?!」
「え?」
私は焦ってしまった。司君は、クールな顔で、
「うん。本田さん、もっとゆっくりしてきてよかったのに」
とそう言った。
「え?本当にいちゃついてたわけ?!」
本田さんはそう言うと、悔しそうな顔をした。
「あ~~、やっぱり、穂乃香ちゃんは司の彼女なんだよなあっ!悔しいよなあ」
「だから、本田さんも早く彼女作ればいいじゃん」
「簡単に言うなよ。穂乃香ちゃんみたいな理想の女の子って、そうそういないんだから」
理想?!
「司はいいよなあ」
「……」
司君の顔を見てみた。あ、あれ?なんだか、ドヤ顔?自慢げ?
「理想が高すぎるんじゃないすか?」
「…え?」
「穂乃香が理想だなんて、そりゃ、他にはそうそう見つからないっすよね?」
え?今なんて言った?司君。
「それ、俺の彼女みたいな女の子はそうそういないと、自慢したいわけ?」
「はい」
どひゃ!!??
「ク~~~!悔しいな~~~~。でも、本当に穂乃香ちゃんみたいな子、いないんだよな~~~」
本田さんがもっと悔しがった。そして司君の顔は、いつものポーカーフェイスとは違う。なんだかもっと、鼻高々になっている。
こんな司君、初めて見るけど…。
「は~~あ。ねえ、穂乃香ちゃん。こんな真面目な奴と付き合うのはやめて、俺と付き合わない?きっと俺の方が楽しいと思うよ?」
重いため息を吐いたかと思うと、そんなことを本田さんは言ってきた。
「嫌です」
「へ?」
「嫌です」
もう一回、大きな声で言ってみた。
「く~~~~!穂乃香ちゃんも、きついこと言うようになったね」
本田さんはそう言って、バッタリと自分のベッドに寝転がった。
「あ~あ。バイトにはいい女来てくれないし、客は仲良くなっても、メアドですら教えてくれないし」
「え?じゃあ、今日子さんは?アタックしてるんじゃないんですか?」
「ああ、一応ね。でも、相手にしてくれるわけないし」
「…」
「っていうか、相手にされそうもないから、冗談でアタックしているだけ。俺の好みじゃないもん」
「え?そうなんですか?」
「俺の好みは、穂乃香ちゃんみたいな、女らしい子」
ブンブン!私は首を横に振った。私のどこが女の子らしいんだか。
「真人も気に入ってたなあ、穂乃香ちゃんのこと」
「え?」
「彼氏いないよなって、ボソッと言ってた」
「本田さん、ちゃんと司君と付き合ってるって教えました?」
「いや」
「え?なんで?!」
私が聞くと、本田さんはまだベッドに寝転がったまま、
「そんなの、言いたくもないし」
とすねた顔をしてそう言った。
「いいですよ。俺から言いますから」
司君はなぜかまた、自慢げにそう言った。
「ちきしょう。俺だって言いたいよ。穂乃香は俺の彼女だから、真人、手出すなよなって」
そう本田さんが言った時に、ちょうどドアが開いた。
「……え?それ、まじですか?」
あれ?真人君、顔、青くなってる。
「ほ、本田さんの彼女?でも、本田さん、今日子さんも口説いていませんでしたか?」
うわ!今の本田さんの言ったことを、本気にしちゃったんだ。
「違うの!本田さんとは付き合ってないから、私」
私が慌ててそう言うと、真人君の顔は明らかにほっとした。そして、
「びっくりした~~。こんなチャライ本田さんに穂乃香ちゃん、惚れたのかと思って、まじ、今びっくりしたよ」
と笑いながらそう言った。
「チャラくて悪かったな」
本田さんはそうぶつくさ言った。
「そ、そうだよ。私、もっと誠実な人としか付き合う気ないもん」
そう言うと、本田さんはベッドから落ちそうになった。
「穂乃香ちゃん。今のダメ押しだよ?俺、まじで立ち直れそうもないよ」
「だって…」
真人君はそんな私と本田さんのやり取りを聞いて、わははって笑うと、
「本田さん、もしかしてもう前に穂乃香ちゃんを口説こうとして、失敗したんじゃないんすか?でも、穂乃香ちゃんは確かに、本田さんとは似合いませんよ」
真人君はまた、大きな声で笑った。
「真人。お前ってすげえ、嫌な奴。でも、お前もふられる羽目になるんだから、ざまあみろ」
「え?俺が?なんで?」
「なんでって、お前、相当自信があるんだな」
「……はい、まあ」
え?まじで?なんで?!
私のほうがびっくりして、真人君を見てしまった。すると、
「穂乃香ちゃんと俺、なんだか気が合いそうだし」
と真人君は私を見てそう言った。
ブンブン!私は顔を横に振った。司君は無表情で私と真人君を見ている。
うわ~~~。なんか、誤解していたらどうしよう。司君の顔が、表情がなくなっていて、怖いよ~~。
「穂乃香ちゃんって、あんまり男と話したりするの苦手そうだよね?でも、俺とは話しやすいでしょ?」
「ええ?!」
「なんだか、最初から、話が盛り上がったよね?」
ブンブン!また顔を横に振った。
「そんなに照れなくても」
真人君は笑ってそう言った。
「て、照れてない。本当に違う。それに私は…」
司君と付き合っているの!と叫ぼうとした。でもまた、真人君が、
「穂乃香ちゃんの好きなタイプって、あれじゃない?話しやすくて、明るいやつじゃない?」
とそうにこにこしながら言った。
それ、自分のことを言ってたりする?だとしたら、すごい自信過剰…。一瞬、私は目が点になった。本田さんも目を丸くして、真人君を見ている。司君だけは、能仮面のように無表情…。ってそうだった。今きっと司君はパニクッている。だから、あんなに無表情なんだ。
「私の理想は、真面目で誠実で、和男子なの!」
私は慌ててそう言った。
「和男子?」
真人君がきょとんとした顔をして聞いてきた。
「そう!いつもクールで、落ち着いてて、えっと…、そうだ!浴衣が似合っちゃう和男子!」
そこまで言うと、さすがに真人君も気が付いたらしい。
「それ、藤堂のこと?」
コクンと大きくうなづいた。すると、本田さんが、
「は~~~あ。そういうところに惹かれたのか、穂乃香ちゃんは」
と言って、ベッドに顔を伏せてしまった。
「え?藤堂のこと?」
また、真人君は聞いてきた。
「そう。藤堂司君が私の理想だから。それ以外は受け付けないから」
私は必死でそう言ってから、司君の顔を見た。きっと、司君、安心したよね?
って、司君はもっと無表情になっていた。なんで?!と思ったら、耳だけは真っ赤だった。
ああ、思い切り照れていて、それを必死に隠しているところだったのか…。




