第72話 指輪
司君とまず、ジュエリーのお店に入った。司君は思い切り、能面のように無表情だ。それって、かなり緊張しているからだよね。
店内は2組のカップルがいて、店員さんはその人たちにかかりっきりで誰も私たちのところには来なかった。
でも、そっちのほうが私たちには都合がいい。
「穂乃香、どんなのがいい?」
司君は小声でそう私に聞いた。
「…誕生石のがいいかな」
そう言って、自分の誕生石の指輪を見に行った。だが、なんだかどれも高い。さすがにこんなに高いのは申し訳ない。
私はそこから離れ、辺りをうろうろしていた。すると、お店の奥からもう一人店員が現れてしまった。
「いらっしゃいませ」
うわ。声かけてきちゃった。
「指輪をお探しですか?」
「え?は、はい」
一気に緊張。隣りを見ると、司君はガラスケースの中を見つめながら、思いっきり無表情でいる。ああ、司君も緊張しているんだ。それどころか、視線が少しも動かないし、石にでもなったみたいに固くなっているから、緊張度合いはマックスかもしれない。
「クリスマスプレゼントに?」
店員さんは、司君が見ているガラスケースの中を一緒に覗き込み、そう聞いてきた。
「はい」
司君が一言そう答えた。でも、店員のほうを見ることもしない。
司君が見ているガラスケースの中の指輪は、はっきり言って高いものしか入っていない。大変だ。きっと司君の目には、値段も映っていないはず。
こ、ここは、もしかして、私がしっかりするところ?
「あ、あの。私、あまり普段指輪ってしないんです。だから、あんまり大きくなくて、こじんまりとしてて、目だたないくらいの、そういうのでいいんですけど」
遠回しに、高いものではないものを…というふうにそう言ってみた。すると、司君のほうが、「え?」という顔で私を見た。
「そうですね。普段されていないなら、あんまり大きなものはしていても違和感があるかもしれないですよね。では、こちら辺りは」
店員さんは、そのガラスケースから指輪を取り出して見せてくれた。プラチナでデザインがとてもシンプルなものだ。でも、小さなダイヤモンドがのっていて、値段がかなり高い…。
「あ、あの。私、高校生なんです。ダイヤモンドはさすがにちょっと…」
「あ、そうですよね。じゃあ、こちらのはどうですか?」
店員さんは別のガラスケースから、持ってきて見せてくれた。それは、やっとこ1万円を切るくらいの値段のものを3点ほど。
「あ、このムーンストーン可愛い」
「これ、人気のあるデザインなんですよ」
私はその指輪を、指にはめてみた。
「…へえ。可愛いね」
司君も横でそんなことをボソッと言った。あ、もう緊張はとれたのかな。
「でも穂乃香。もっと高いのでも大丈夫だよ?」
「ううん。私、こういうのが欲しかったんだ」
そう言うと、司君は黙って私の顔を見て、それから視線を外した。
「じゃ、これにします」
それから指輪のサイズをはかり、ぴったりのものを店員さんが持って来てくれた。
そこからは、司君が店員さんと話し出した。会計を済ませ、包装してリボンをかけてもらったものを司君が受け取り、
「じゃ、行こうか」
と私のほうを向いた。
「うん」
「ありがとうございました」
店員さんは深々とお辞儀をして、私たちを店のドアまで見送りに来た。私たちは戸惑いながらお店を出た。
「き、緊張した~~。喉カラカラ。なんか飲まない?」
と先に言ったのは司君だ。
「やっぱり、緊張してた?」
「わかった?」
「うん。だって、思い切り無表情だったから」
「…どんな顔していいかわからなかったからさ。ああいう店に男が入るのって、勇気いるね」
「そうなの?」
「他にもカップルいたけど、男の方も平気な顔してたね。すごいなあ、みんな。照れくさかったりしないのかな。それとも、俺が異常?」
「そんなことないよ。だけど、他のカップルを見てみたら、もっと大人だったよ」
「ああ、そっか。それもそうか。高校生が入るような店じゃなかったかな。でも、あんまり安い店じゃ、婚約指輪にならないでしょ?」
ドキン!
その「婚約」という言葉を聞くと、いまだに胸がドキッてしてしまう。でも、司君はひょうひょうとしている。
それから司君と、カフェに入った。
「穂乃香。ここで、プレゼントあげてもいい?家でみんなの前じゃ、恥ずかしいし」
「うん」
司君は、何も言わずにテーブルに指輪の入った袋を乗せた。
「ありがとう」
そう言って私はそれを受け取った。
「…本当にそれでよかったの?」
「うん」
そう言ってから、
「今、開けてこの指輪をしてもいい?」
と聞くと、司君はうんとうなづいた。
私は箱から指輪を取り出そうとした。でも司君に、
「貸して?」
と箱を取られてしまった。
そして司君は私の左手を持つと、箱から指輪を出して、私の薬指に指輪をはめた。
うっわ~~~~~~~~~~~~~~!
恥ずかしくて顔が真っ赤になった。隣りの席の人がこっちを見てるよ。なんでこんな恥ずかしいこと、司君平気で出来るの?
もしかして、本当はすっごく照れてる?顔を見てみると、あれ?意外にもまったく照れているように見えない。
「…そうだね。穂乃香、指細いし、こういう繊細な指輪が似合うかもね」
私の指を見ながら、そんなことを言っている。
「あ、あ、あ」
「?」
私のほうが戸惑っているからか、司君が不思議そうに私を見た。
「ありがとう」
それだけ言って、顔を赤くしてうつむくと、
「くす」
と司君は静かに笑った。ああ、笑われた。今、絶対に司君のほうが余裕があるんだ。
「これからどうする?クリスマスだから、どこも混んでるかな」
「私、前から行ってみたかったところがあるの」
「どこ?」
「プラネタリウム」
「いいよ。ちょっと待ってね」
司君はすぐに携帯で検索をした。
「子供館って書いてあるけど、大人でも大丈夫みたい。湘南台にあるよ。行ってみる?」
「うん」
私たちは早速電車に乗って移動した。
そして、プラネタリウムの時間までお昼を食べて、館内を見て回った。回りはみんな、子供連れの家族ばかりだ。
「ここ、来たことある?」
「ううん。初めて。司君は?」
「俺はあるよ。父さんと母さんと、守と来た。プラネタリウムも見たと思うけど、どんなだったかな」
「さっき、アロマのプラネタリウムもあるって書いてあったね。どんなプラネタリウムかな?」
「さあ?今度、また来てみる?」
「うん!」
嬉しい。司君とデートがまたできる。
プラネタリウムの時間になって、私と司君は移動した。そして、椅子に腰かけ、場内が暗くなるのを待った。
「司君」
「ん?」
「ここ、カップルもたくさんいるね」
「…クリスマスだしね」
司君は場内が暗くなると、手を繋いできた。うわ。ドキドキ~!
天井にはいっぱいの星。まるで宇宙にいるような気分になる。
場内では、星の説明をしてくれているんだけど、そんなの耳に入らない。司君がすぐ隣にいて、司君の手のぬくもりを感じて、それだけで幸せだ。
ちょっと視線を隣に向けてみる。司君の綺麗な横顔が視線に入ってくる。高い鼻、凛々しい目元、口元。
「ん?」
私の視線に気が付き、私を司君が見る。その瞳が優しい。
「ううん」
なんだか、思い切り満たされた気持ちになって、私はまた天井の星空を見る。
ああ、満天の星の中、司君と2人きりでいるみたいだ。
場内を出ると、明るくってなぜか足元がふらついた。
「大丈夫?」
司君が支えてくれた。
「なんだか、くらっとしちゃった。腕、つかまってもいい?」
「いいよ」
私はそれをいいことに、ずっと司君と腕を組んで歩いた。
ああ、幸せ満喫!
そして、片瀬江ノ島まで帰り、ちょっとだけカフェに寄った。そこのケーキが美味しくて、持ち帰りができるらしい。
「どれがいい?」
「えっと」
どれも美味しそうで、ものすごく迷ってしまった。でも、司君は黙って優しい目で私を見ながら、待っていてくれた。
ケーキも買い終え、私たちは家に帰った。
家にはもう、守君がいた。今日の部活は早めに終わったらしい。
「彼女とデートしないでもよかったのか?守」
司君がそういきなり守君に聞くと、
「げ!なんで知ってるの?」
と守君は驚いていた。
「母さん、ばらしたの?」
「いいじゃないよ。それに、彼女も呼んだら?うちで一緒にクリスマスしましょうって」
「い、いいよ。それに、家でなんかするって言ってたし」
「あら、そうなの?残念。あんたの彼女見てみたかったのに」
お母さんがそう言うと、
「絶対に母さんには会わせたくないかも」
と守君はぼやいた。
それから、順番にお風呂に入り、みんなで乾杯をして、クリスマスを祝った。
お母さんはご飯が終わると、司君、守君、そして私にプレゼントをくれた。
「やった~~!」
守君は欲しかったゲームのようだ。
「まだまだお前はお子ちゃまだな」
司君はそんな守君に、笑いながらそう言った。
「いいだろ!じゃあ、兄ちゃんのはなんだよ」
司君へのプレゼントはなんだろう。司君は袋から何やら取り出した。
「電子辞書。欲しかったんだよね」
「げ~~。兄ちゃんが、年よりくさいんだよ」
「これのどこが年よりくさいんだよ?」
う…。私もちょっとびっくりだ。司君って本当に、落ち着いているというか、なんというか。
「穂乃香ちゃんからのリクエストのものは、それでよかったかしら」
お母さんにそう聞かれ、私は急いで包み紙を開けた。
「はい。これです、欲しかったの」
「そう。よかったわ」
お母さんがホッとした顔をした。
「何?色鉛筆?」
守君が聞いてきた。
「うん。油絵は学校でやっているけど、色鉛筆画も最近、描いてみたくなって」
「色鉛筆なんかでよかったのか?穂乃香は」
守君は、不思議そうな顔でまだ聞いてくる。
「ありがとうございます。これ、高かったですよね?36色…」
「そうでもないわよ。多分、穂乃香ちゃんのが一番安いわ」
「そうだよ。たかだか、色鉛筆がそんなにするわけないじゃん」
守君はまだそんなことを言っている。
「そんなことないんだよ、守君。このメーカーの色鉛筆は高いんだから。本当にありがとうございました」
私は守君にそう言ってから、またお母さんにお礼を言った。
「いいのよ。それより、描いた絵を今度見せてほしいわ」
「はい」
司君は黙って、今の会話を聞いていた。でも、私のほうを見てにっこりと笑うと、
「よかったね」
と静かに言ってきた。
「え?うん」
私が嬉しがっているのがわかったのかな。
「あ!あらあらあらあら。今気が付いた。穂乃香ちゃん、その指輪もしかして、司からのプレゼント?」
「はい」
わあ。なんだか恥ずかしい。
隣で司君も照れていた。顏は無表情なのに、耳が赤い。
「兄ちゃん、指輪なんてプレゼントしたの?」
守君が驚いている。
「い、いいだろ。別に」
「婚約指輪か?はははは」
お父さんが、ワインでかなり酔ったのか、ご機嫌でそう言って大笑いをした。
「婚約指輪にしては、せこくない?」
守君のその言葉に、私は何かを言い返そうと思ったが、でもその前に、お母さんのほうが、
「何言ってるの、守は本当にわかってないわねえ」
とそう言って、守君をたしなめた。
「何がだよ」
「好きな人からのプレゼントだったら、どんなものでも嬉しいものなのよ?それに、この指輪、すごく素敵じゃない。ムーンストーンでしょ?穂乃香ちゃんにすごくあってるわ」
お母さん!なんて嬉しい言葉を!
「そ、そうですか?似合ってますか?」
嬉しくてそう聞くと、
「似合ってるわよ。とっても素敵」
と言ってくれた。
「穂乃香ちゃん、知ってた?これは幸福の石と言われてて、中世のヨーロッパでは、恋人に送られる贈り物として最高のものだったんですってよ。素敵な指輪、プレゼントしてもらってよかったわね」
「え?そうなんですか?知りませんでした。わあ、嬉しい!」
そうなんだ。幸福の石なんだ!
「司、あんた、いいものをプレゼントしてあげたじゃない。さすがだわね」
「か、母さん。それより、そろそろケーキ出したら?」
司君はそう言ってごまかしたが、みるみるうちに顔が赤くなっていった。
「あ、そうね。待ってて。持って来るわ」
お母さんはクスクス笑いながらそう言って、キッチンに行った。私も手伝いにあとを続いた。
お母さんはキッチンに入ってからも、なんだか嬉しそうにしていて、
「穂乃香ちゃんと司が仲がいいの、嬉しいわ」
とにこにこしていた。
「でも、司、指輪を買うの相当恥ずかしかったんじゃない?」
「はい。カチンコチンに緊張してました」
「まあ!そうなの?見てみたかったなあ」
お母さんはそう言うと、またくすくすと笑った。
この家に来てから何度も思った。お母さんは本当に司君や守君のことが大好きなんだ。そして、私のことも本当に大切にしてくれている。
お母さんと一緒にケーキをお皿に盛って、ダイニングに持って行きながら、私はつくづく幸せ者だよなあって感じていた。




