第7話 キャロルさん現る
8月31日。どうにか夏休みの宿題も済んで、最後の夏休みをお互いの部活もないし、2人だけで過ごそうとしていた朝、やっぱりキャロルさんは突然現れた。
「司!イル?!帰ッテキタヨ」
アメリカから直でやって来たらしく、大きなスーツケースまで持って現れたのだ。
「キャロル!アメリカから今帰ってきたの?」
「千春ママ!久シブリ。土産タクサンアルカラネ!」
綺麗な金髪、鼻の周りにはそばかす。英語なまりの日本語、私から見たらどこも男に見える要素はなくて、キュートで魅力的な女の子にしか見えなかった。
「ハイ!穂乃香ニハ、コレ」
私にくれたのはTシャツ。それも、よくわからないプリント柄の。それもアメリカサイズで、まったく着れそうもなさそうなでかさの…。
「司ニハ、コレ!」
「ああ、サンキュー」
司君にはやけにかっこいい皮のお財布。
「司、コウイウノ好キダモンネ」
趣味、ちゃんとわかってるんだ。
「守ニハ、コレ」
守君にはわけのわかんない、ぬいぐるみ…。かわうそ?ビーバー?それとも、何?
「…」
守君は嫌そうな顔をした。
なんで?司君だけ、特別ってこと?
胸の谷間が見える襟ぐりが広いTシャツと、ムチムチの足が丸見えのミニのジーンズのスカート。そんな色っぽい体を司君にべったりとくっつけ、アメリカで撮ってきた写真を見せているキャロル。
あれって、わざと?わざとなの?
私は気が気じゃなかった。思い切り抱きついたり、キスしたりってのはないみたいだけど、あんなにべったりくっついているのはいいの?なんで司君は何も言わないの?くっつかせたままでいるの?
「これ、トムだろ?こんなおっさんになったんだ」
「ソウ。スゴク太ッタ!」
「あはは。父親と区別つかないじゃん」
司君はキャロルさんの見せてくれる写真を、笑いながら嬉しそうに見ていた。
そこには、誰もその間に入り込めない空気感があった。
キャロルは、司君のお母さんやお父さんとも仲良かった。守君だけは、キャロルを遠ざけていたが、(なぜかメープルも)キャロルは結局その日一日を藤堂家で過ごし、夜になってお父さんの運転する車で、ホームステイ先まで送ってもらっていた。
「キャロル、なんだか前と変わって来てるわよね。やっぱり彼氏ができると違うのかしらね」
お母さんがそう言うと、
「変わんないだろ?どこも」
と司君は言っていたが、それ、本当にそう思っていたんだろうか。
べったりと司君の横に座って、笑いながら写真を見ていた図…。今でも思い出すと胸が痛い。すごくお似合いのカップルに見えたから。私なんかよりもずうっと、司君のことを知っていそうなキャロルさんに、その日、私はずっと嫉妬していた。
入り込む余地がないどころか、藤堂家から私の居場所もなくなるんじゃないかと言う不安すらあった。
「やっと帰った。よかったな、穂乃香。あ~~、これで一安心。メープル、テレビでも見ようぜ」
私にそう言うと守君は、リビングのソファに寝転がり、テレビを観だした。メープルもさっきまで、おとなしかったのが、やっとこ尻尾を振りだしワフワフ嬉しそうに守君にじゃれつきだした。
「メープルも緊張してたのか?お前もキャロル苦手だもんな」
「そうなの?」
私は守君の前の椅子に座った。するとメープルは私の足にすり寄ってきた。
「メープルって、人見知りするし」
「え?うそ」
「会ったその日から穂乃香にはなついてるけど。そっちの方がめずらしいんだ。知らない人が来ると、すごく大人しくなっちゃうんだから」
「そうなんだ。知らなかった」
私はメープルの背中を撫でた。メールは嬉しそうに尻尾を振った。
「せっかくの夏休み最後の日が台無しになったな、穂乃香。って、俺もか。のんびりするはずだったのがさ」
守君はそう言って、テレビを観だした。
司君はずっとダイニングで、お母さんとアメリカの話をしていた。キャロルの出現で、アメリカにいたころを思い出したらしい。
そうして、私は夏休み最後の日を、司君と2人だけで過ごせなくなってしまったのだ。
それが…、今度は文化祭まで?
2人で回ろうって約束もした。
なのに、なんで来るの?来たらずうっと司君に張り付いてるに決まってる。
私はずっと、頭に血が上っていて、黙ったまま江の島の駅まで歩いていた。
「穂乃香。お腹痛い?」
司君は小声でそう聞いてきた。
「ううん」
「そう、ならいいんだけど」
なんでわかんないかな。私は怒ってるの。一応怒っているってオーラも、醸し出していると思う。
「文化祭」
それだけ言うと、司君は、
「ああ、キャロルも来るんだろうな。ごめんね?2人で回れなくなるかも」
と、あっさりとそう言った。
ガク…。なんで、そんなにあっさりとしていられるわけ?
なんで、2人で回るから、キャロルは来るなって言ってくれないわけ~~~?!!
昼休み。ちょっと肌寒くなってきたとはいえ、私は麻衣と美枝ぽんを中庭に連れて行き、キャロルさんのことを話して、一人で興奮していた。
「ありゃ、また出たか。キャロルって子が」
美枝ぽんがそう言うと、麻衣も、やれやれって顔をした。
「なんかさあ、司っちもキャロルって子に甘いよね」
「ずうっとキスも許してたしね」
ぎゃ~~~。そう言う言い方しないで!美枝ぽん。
「ね?そう思わない?」
「え?」
そう思わないって言われても。な、なんなの?美枝ぽん。
「藤堂君のあの唇を、何度も奪ってきたんだよ?そう思うと更に腹が立たない?」
「美枝ぽん、そうやって、煽らないの」
「だって~~~、なんだか、悔しいじゃん。もうキャロルなんて藤堂君に近づかせないってくらいの、ベッタリ感を穂乃ぴょんと藤堂君が見せたらさ、キャロルもくっついてこないんじゃないの?」
「なるほど。それはあるかもね。キャロルの前でいちゃついて見せたら?」
麻衣までそんなことを言ってきた。
「できない」
「なんで?」
「私がくっつく前に、藤堂君にひっついちゃうから」
「…司っちって、そのままキャロルさんを引っ付かせておくの?」
「そう。平気で」
「へ~~~~。嫌がりそうなのにね」
ううん。全然嫌がってなかったよ。夏に来た時には。
「瀬川さんのことが、一安心したと思ったらこれなんだもん」
「あ、そうなの?あの子はなんでもなかったの?」
「うん。あの子のことは、全然気にしないでも大丈夫そうなんだ」
「良かったね」
そんなことを話しながら、私たちは教室の前まで戻ってきた。が、一安心したはずの瀬川さんと司君が、何やら話をしているところで、私たち3人は一瞬立ち止まった。
また、例の変な奴らに、声でもかけられたとか?そんなことかな。そんなことだよね?
「先輩。ダンスパーティ、出ないって本当ですか?」
「出ないよ」
「え~~~~!藤堂先輩、背筋シャンとしているし、ダンスしたらかっこいいと思いますよ」
「…チークだっけ?ああいうのは苦手だから」
「なんでですか~?せっかくなんだし、出たらどうですか?」
う、うわ。猫なで声っていうのは、こういう声のこと?それにしても、なんでダンスパーティの話をしているの?
私たちは教室までの道を、やたらゆっくりと歩き出した。そして、3人で耳をダンボにして2人の会話を聞いた。
「相手がいないなら、私、その相手になってもいいですよ?いつも助けてくれるお礼に」
な、な、な、なんですと~~~~?お礼に相手になってもいいですと~~~~?!!!
「……」
司君の顔が気になり見てみると、一回嫌そうな顔になり、さっと無表情に戻っていた。
あ、嫌なんだ。ちょっとホッとした。
「悪いけど、ダンスは本当に苦手なんだ。それに、もし出るとしたら、ちゃんと俺の彼女誘うから、ご心配なく。用がないならこれで」
司君はそう早口で言うと、教室の中にさっさと入って行ってしまった。
「…なんだ、まだ別れてないんだ」
瀬川さんの独り言が聞こえた。そしていきなりクルッと勢いよく後ろを向いたので、私たちとぶつかりそうになった。
「あ、ごめんなさ~~い」
独り言の時とは大違いの猫なで声を出すと、瀬川さんは廊下を走って行ってしまった。
「何匹も私、猫かぶったりするけど」
麻衣が唐突にそう言いだして、
「あの子ほど、かぶったことないわ」
とちょっと感心した。
「1万匹くらいかぶってたね」
美枝ぽんは呆れていた。
「でも、司っち、バシッと断ってたじゃん。もし出るなら、俺の彼女を誘う…。だって~~~。このこの、憎いね、っこの」
麻衣が私の手をつっつきながら、そう言って遊んでいる。
「う、うん」
確かに。私もほっとしているけど、やっぱり、司君目当てだったんだなあ。
もともと司君を狙っていたのか、助けてくれたから、司君を狙いだしたのかはわかんないけどさ。
教室に入ると、司君は数人の男子から、いろいろと質問にあっていた。多分、瀬川さんがらみだろうな。
私はそんな司君を横目に、自分の席に向かった。
「結城さん」
「え?」
ドキ~~。隣りになった香苗さんかあ。びっくりした。
「さっき、また瀬川って子が来てたんだよ」
「う、うん。廊下で見た」
「見た~~?ダンスに誘ってたみたいだったよ」
「そ、そうなの?」
みんなして、2人の会話を教室の中から、聞いてたな、これは。
「でもね、藤堂君、もし出るなら俺の彼女を誘うから、ご心配なく…。な~~んて言って、断ってたよ」
「…」
どう反応したらいいんだ。
「結城さん、良かったね。誘ってくれるかもよ」
「え?ううん。藤堂君も私もダンスが苦手だから、パーティには出ないの」
「え~~~!いいの?せっかく彼氏がいるのに。みんな、ダンスパーティに出たくって、彼氏彼女を作ろうと必死なんだよ?」
「う、うん。いいの」
司君とチークダンス。嬉しいかもしれない。でも、やっぱり恥ずかしくって考えられない。きっと、お互いが照れまくっちゃう。
だからいいんだ。文化祭を一緒に見て、それで帰るの。
じゃなかった。2人だけで見れないんだった。キャロルさんが来るんだった~~~。
ガックリ…。
その日も美術室はごった返し、6時に司君は迎えに来てくれたが、片づけに時間がかかり、30分近く待たせてしまった。
「ごめんね」
私は大慌てて、美術室を出た。
「すごい活気だね」
「今はね。でも、去年も確かそうだったけど、だんだんと活気じゃなく殺気も出てくるの」
「え?」
「殺気立って来るの。終わりそうもなくなってくると」
「怖そうだね」
「うん。文化祭前日、去年は7時くらいまでかかったし…。でも、展示をする時間に全部当てるから、作品はその前の日に終わらせるの。文化祭の前々日、1年生は7時までだけど、2年生は9時ごろまで残ってたっていうよ」
「じゃあ、今年も?」
「そうしたら、藤堂君、先に帰っていいから」
「でも…帰りが」
「じゃあ、駅まで迎えに来てくれる?」
「いいよ」
司君はにこりと笑った。
「そっか。去年、声を掛けようかどうしようか悩んでいた頃、美術室の中ではそんな大変な事態になっていたんだね」
「うん。1年だから、そんなに合同制作のほうは参加していなかったけど、2年生、殺気立ってて怖かったもん」
「でも原先生は、呑気にしていたよ?」
「あの先生は、全部生徒任せだから」
「はは…。そうなんだ」
司君と駅までの道を歩き出した。外はすでに暗くなっていた。
「…後夜祭は大変だね」
「え?」
「大山先生。俺たちを見張ってるどころじゃないんじゃない?」
「なんで?」
「ダンスパーティを抜け出して、教室に潜り込むカップルも数組いるらしいから」
「…なんで教室に」
「そりゃ、気分が盛り上がったら、2人きりになりたくなるんじゃないかな」
う…。そういうことか。
「教室内には入れないよう、鍵を閉めるとか、いろいろと考えてるみたいだけど、でも、鍵なんてもともとついてないもんなあ。それまでに各教室に鍵をつけるとしたら、金もかかるし大変だろうし」
「そうだね」
「……学校内で、…か~~~」
司君は、そう言ってからしばらく黙り込んだ。
「な、なあに?」
「え?いや…。ちょっとだけ、経験してみたいことだったりもするなあって思って」
「え?!」
「あ、うそうそ。冗談」
司君は顔を引きつらせながら笑った。
「結城さん、大丈夫だよ。安心して?俺らはそんなこと、けしてしたりしないから。学校で」
司君はちょっと気を取り直した感じでそう言うと、颯爽と歩き出した。
もう。いきなり、何を言いだすんだか。
ハッ!もしや、大山先生がどこかで見張ってた?そ、そうだよね。学校の周りはどこで大山先生が見てるかもわからないんだし、変なこと言ったり、いちゃついたりできないんだった。
私も司君と一緒に、颯爽と歩き出した。
片瀬江ノ島に着いた。そこからは、司君は2人の距離を縮めて歩いてくれる。
「寒くない?」
そう言って司君は私の手を掴んだ。
あ…。今日は手、繋いでくれちゃうんだ。嬉しいかも!
「お腹、痛くならなかった?」
「うん。大丈夫だった」
「今日はずっと一緒にいないでも平気かな」
「……わ、わかんない。夜はどうかな」
なんて。もう平気なんだけど、今日も隣で寝ていたいし。
「いいよ。隣りにいるよ」
「ほんと?」
「うん」
嬉しい~~~~。
一気にキャロルさんのこともふっとぶ!
私は司君の手をギュって握りしめ、嬉しさで胸をいっぱいにさせながら家に帰った。
ああ、今から司君の胸に抱きつきたいくらいだ。なんて思いながら、門をくぐった。そして司君が玄関のドアを開けると、
「オカエリ!司~~~~!」
という、英語なまりの日本語が………。
ガック~~~~~~~~~~~~~~~~。
喜んだのもつかの間。
なんでまだ、キャロルさんが藤堂家にいるのよ~~~~~!!!!!!!!
「キャロル?帰らなかったのか?」
「夜ゴ飯、食ベテイッテッテ、千春ママガ言ウカラ。ドウスル?司、オ風呂、スグ入ル?一緒ニ入ル?」
え?
今、なんて言いました?
「入るわけないだろ」
「前ハ、一緒ニ入ッテタジャナイカ」
「いったいいくつの時の話だよ。ったく。あ、穂乃香、先に風呂入っていいから」
司君はそう言うと、さっさと自分の部屋に行ってしまった。
「司!待ッテ」
そういう司君のあとをキャロルさんは追うと、なんと司君の部屋に勝手に入って行ってしまった。
な、なんか嫌だ。司君の部屋に、入って行っちゃうなんて。
嫌だよ~~~~~~~~!!
それに何歳の時だろうと、司君と一緒にお風呂に入っていただなんて、それも嫌だよ~~~~~~!!!
お風呂に入りながら、私はしばらく悶々としてしまい、危うくのぼせるか、おぼれるかするところだった。