第68話 婚約
司君と家に帰ると、お母さんがプンスカ怒りながら、私たちを出迎えた。
大山先生はかなり、嫌味をお母さんに言ったようだった。
「なんで電話を結城さんのご両親にしなかったんですかって、怒られたわよ」
「え?」
ダイニングに移動して、私たちは今日お母さんが大山先生と話してきたことを聞いた。
「なんだか、むかつくわよね。そんなの、電話するようなことじゃないからに決まってるじゃないですかって言ったら、今度は私から長野に、電話をしますからって」
「今度はって?」
司君が無表情のまま聞いた。
「今回、なんだかいろんな噂が飛び交っていて、他の生徒たちに悪影響を与えるとかなんとか。いったい、なんなの?あの先生は。司と穂乃香ちゃんを目の敵みたいにしていない?」
「…よくわかんないんだよな。俺も」
「まあ、とにかく。連絡入れたいなら、どうぞしたらいいじゃないですかって言っておいたわ」
「母さんも、言い方に気を付けたら?きっと、反感買ってるよ」
「いいわよ、別に」
「よくないだろ。まじで、大山、長野に連絡するかもよ」
「もう、真佐江ちゃんには言ってあるから。もしかしたら、大山先生から電話がいくかもって。でも、勝手に噂聞いて、ぶつくさ言ってるだけだから、気にしないでもいいわよって言っておいたわ」
「…お、お母さん、なんて言ってましたか?」
私はこわごわ聞いてみた。
「ああ、適当に答えておくって。真佐江ちゃん、司を見て、すっかり信頼したっていうか、もう安心しているから、何を言われたとしてもどうでもいいって」
「ど、どうでもいいって?」
なんだ、それ。
「婚約だってしているんだし、あれこれ言われたって、ビクともしないって言っていたわよ」
「……」
司君の顔が一瞬、赤くなった。
「私も、言っちゃったわ。あんまり大山先生がうるさいから。あの二人はもう婚約しいてます。結婚する約束もしているんだから、先生があれこれうるさく言ってこないでくださいって」
「え?!」
司君が目を丸くした。私もびっくりして、しばらく開いた口が閉じなくなった。
こ、婚約してるって、まじで言っちゃったの?!!!
「大山先生、目が飛び出るくらい驚いていたわよ」
「か、母さん」
さすがの司君も、驚いたまま、顔が元に戻らないようだ。
「高校生で婚約って、なんですかってまたうるさく言って来たけど、両方の親が認めているんだから、先生にとやかく言われることじゃないと思いますって言って来たから」
「…………」
司君は返す言葉もないようだ。それは私もだ。
ああ、大山先生に会うのが、強烈に怖いんですけど。
司君と2階に上がり、司君は鞄を置くと私の部屋に来た。
「は~~~~。母さんのことだから、なんかしでかすとは思っていたけど」
そう言いながら、あぐらをかいて、
「ごめんね?」
となぜか謝ってきた。
「え?」
「多分大山先生、長野に電話してるよ」
「…ちょっと、お母さんに電話してもいい?」
「ああ、うん」
私はすぐに携帯で長野に電話した。
「あ、穂乃香~~~?」
「お母さん?」
なんだか、呑気な声だ。もしかして、電話いってないのかな。
「あのね、もしかすると大山先生が…」
「あ、あったわよ。電話」
「え?!」
「千春ちゃん、婚約したこと言っちゃったのねえ。これは事実ですかって、大山先生慌てて電話してきたわよ」
「で、お母さん、なんて?」
「ああ。そうですよ。事実ですって言っておいた」
「え~~?」
「だって、そうでしょ?」
お母さんまでが…。なんだか、私たちよりずっとお母さんたち、動じていないっていうか、どうどうとしているっていうか。
「お父さんにも電話があったこと話したの。そうしたら、婚約しているんだし、どうどうと付き合ったっていいじゃないかって、言っていたわよ」
「え?お、お父さんが?」
「そうよ。結婚を前提とした真面目なお付き合いなんだから、いいじゃないかって」
「………」
私は電話を切ると、司君にそのまま告げた。
「え?穂乃香のお父さんまでがそんなこと言ってるの?」
「うん」
「…お、驚きだな」
「…つ、司君?」
「ん?」
「こ、婚約って本当に私たち」
「嫌?」
「嫌じゃない。それはもう、本当に全然、嫌じゃないの。ただ、なんて言うか…」
「うん」
「まだ、そういうの、ピンとこない」
「ああ、そうだよね。俺もそうだ」
ほ…。司君もそうなのか。
「でも、高校卒業して一緒に住むようになるなら、そのへんはちゃんと真剣に考えて、住むようにするよ」
「え?」
「…曖昧な気持ちで、同棲とかしたくないっていうか」
「…」
司君?
司君は真剣な顔で私を見た。
「ずっと、穂乃香とは一緒にいたい。だから、なんていうか…。本気で俺の将来には、穂乃香が横にいるって、それを考えてて」
「…」
「同棲した延長で、結婚するんじゃなくて、結婚を考えて、一緒に住みたいって、そう思ってるんだ」
「結婚とか、そういうの考えられるの?」
「え?穂乃香は考えられないの?」
「…ずっと一緒にいたいって思ってるけど」
「うん」
「い、いいの?」
「何が?」
「私で」
「……」
司君は顔をしかめた。それから、私にキスをしてきた。
「俺がどんなに穂乃香に惚れているか、まだ、もしかしてわかってない?」
「え?」
「すげえ、好きなんだけど」
ドキン。
「……」
司君はじっと私の目を見つめている。
「わ、私も。司君、好き」
「うん」
「私も、司君とずっと一緒にいたい」
「うん」
司君の顔を見た。目、優しい…。
ぎゅ~~~。司君に抱きついてみた。
「穂乃香?」
「嬉しい」
「え?」
それだけ言って、私は司君の胸に顔をうずめた。
嬉しい。
嬉しすぎる。
何がって、司君のそばにずっといられるのが。
司君のぬくもりが嬉しい。
司君の優しい目が嬉しい。
司君の…。
もう一回、離れて司君の顔を見た。
「ん?」
ああ、その顔。司君の顔。かっこいい。この顔をずっと見ていられるのが嬉しすぎる。
「穂乃香ちゃん、司!お風呂順番に入ってね!」
一階から、お母さんの声が聞こえてきた。
「は~~い」
私はそう返事をして、着替えを出した。
「なんなら、一緒に入る?穂乃香」
「は、入らないよ~~~~!」
もう。そんな恥ずかしいことできないってば。司君は恥ずかしくないの?
私はさっさと着替えを持って、一階に下りた。
お風呂に入り、バスタブに浸かると、
「婚約」
という言葉が、頭に浮かんできた。
うわわ。婚約だって!
先生がなんて言って来るかわかんないけど、でも、それよりなにより、嬉しさのほうが勝っている。
お父さんまで、認めてくれちゃったんだな。本当に…。これって、本当の本当にすごいことだよね。なんだか、信じられないよ。
バスタブでそんなことを考えていて、のぼせそうになり、慌ててお風呂から出た。
夜、夕飯を食べながら、お母さんはお父さんに、また先生に呼び出しを食らったことを話していた。
「もう、あの先生、司と穂乃香ちゃんを目の敵にしてるのよね。でも、何を言って来たって、2人はもう結婚の約束もしているし、両方の親がそれを認めているんだからって、言っちゃったわ、私」
「先生に言ったのか?なんて言ってた?先生は」
「びっくりしていたわよ。け、結婚の約束?高校生で?って」
「…ふうん」
あれ?お父さんは、特に動じるわけでないし、関心もない?
「まあ、やっぱり、驚くよな。普通は」
お父さんはそう言って、ビールを飲んだ。
「まあ、人生先が長いんだから、高校生でそんなことを決めなくたってって、思われるのも無理ないかもな」
「大山先生はそんなことで、驚いたわけじゃないと思うけどねえ」
お父さんの言葉にお母さんがそう答えた。
「じゃあ、なんで驚いたんだ?」
「さあ?多分もっと軽い気持ちで付き合ってると思ったんじゃないの?」
「ははは。それはうちの司にはあり得ない話だな。軽い気持ちで女の子と付き合えるような、そんな性格の持ち主じゃないからなあ」
お父さんはそう言ってまた笑った。
「…」
司君はちらっとお父さんを見た。でもまた、無言でご飯を食べだした。
「じゃ、どんな性格?古臭い、頭固い、頑固でくそまじめ?」
守君がお父さんに聞いた。
「いや、誠実っていうことだよ。本気で好きになった子とじゃないと、付き合えたりしないだろ?な?司」
「え、ああ、まあ」
「そういう子と出会えたってことね」
お母さんがそう言うと、司君の耳は赤くなった。
私はすでに真っ赤だったと思う。私のことを見て、司君のお母さんもお父さんも笑っていた。
「穂乃香ちゃんもそうでしょ?軽い気持ちで付き合えそうもないわよね」
「え?あ、はい」
「似たもの同志だよな、本当に」
なぜか守君がそう言って、うんうんとうなづいている。
私は後片付けをお母さんと一緒にしてから、2階に上がった。お母さんはなぜか、機嫌がよくなっていて、鼻歌まで歌っていた。
2階に上がり、司君に会いたくなって、司君の部屋をノックした。
「穂乃香?どうぞ」
司君の声が聞こえて、私は司君の部屋のドアを開けた。
司君はパソコンを開いていた。
「今、大丈夫?」
「うん。全然大丈夫」
「何してたの?」
「ああ、いろいろと長野のこと見てた」
「長野?」
「あ、穂乃香もデザインの専門学校のこと調べてみる?」
「うん」
私も司君の横から顔をだし、パソコンを覗いた。
あ、司君の髪から、男物のシャンプーの匂い。ちょっとドキドキする。それに、司君のつむじ、可愛い。それから、司君の肩、けっこう広いんだよね。
うっとり。
「ね?この辺の学校はどう?」
「え?何が?」
「俺の話、聞いてた?」
「ごめん、今、うっとりしていて聞いてなかった」
そう言うと、司君は私のほうに顔を向けた。
「何にうっとりしてたの?」
「つ、司君の後姿に」
「はあ?」
「…」
あ、なんだか、司君の耳がみるみるうちに赤くなっていく。
「俺の後姿って…」
あ、もっと照れちゃったかも。
「司君、全部かっこいいから」
「…」
あ、もっと赤くなった。
「あ、あのさ。それより、パソコン見て?」
司君は顔を赤くしたままそう言った。
「…司君」
私は司君の背中にひっついてみた。
「何?」
あ、かなり動揺した?
「それ、今度ゆっくり見る」
「うん」
「……」
「え?何?」
「何も言ってないよ」
「いや、そうじゃなくって。なんで俺の背中に引っ付いているのかなって思って」
「駄目?」
「駄目じゃないけど」
だって、司君のぬくもりを感じたくって。なんて、言えないなあ。恥ずかしくて。
司君は椅子から立ち上がると、私の腰に手を回してそのままベッドに連れて行った。
そして、抱きしめられた。
「やばいね」
「え?」
「俺ら、なんだか」
「?」
「いつもこうやって、引っ付いてるよね」
「…い、嫌?」
「まさか!」
司君はギュッて抱きしめてそう言った。
これ、このギュって抱きしめられるのが好きなんだもん。まだ胸がときめくけど、すごく嬉しいし安心する。
「大山、なんか言って来るかもしれないけど、穂乃香、気にしないでいいからね?」
「うん」
「もし、またなんか噂が広がったとしても、気にしないでいいからね?」
「…うん」
「俺が、守るから」
「大丈夫だよ。私、そんなに弱くないよ」
「え?」
「守られなくても大丈夫。それよりも、司君のことを守ってあげるから」
「…俺も、守ってもらわないでも平気なんだけどな」
司君はそう言うと、クスッと笑い、
「じゃ、2人で堂々としていようか?」
と言ってきた。
「うん」
うなづくと、司君はキスをしてきた。そして、
「そんな強い穂乃香も、いいね」
とささやいた。




