第66話 守君の配慮
翌日、どうどうと司君といちゃつけれる!と喜びながら、一緒に家を出た。手を繋いだまま、駅まで行き、にこにこ顔で司君と話し、学校までの道もまた手を繋いで歩いた。
学校について、私は美術室へ、司君は弓道部の部室に向かった。
今日からいちゃつける、と思いつつ、実は緊張もしていた。だけど、土曜日って、部活のある生徒しか来ないし、ほとんど生徒に出会うこともなく、美術室まで来ちゃったなあ。
美術室には、部長くらいしかいなかったし、多分この後も、ちらほらと来るぐらいだろう。
そして、司君の部活が終わって帰る頃には、学校に生徒もほとんど残っていなくって、どうどうといちゃついたって、見られることもあるかどうかもわからない。
だから、緊張も何もないよね。
でも、思えば、そんな生徒が少ない土日だって、私と司君はよそよそしくしていたんだなあ。
あっという間にお昼になった。部長が珍しく声をかけて来て、
「一緒にお昼食べない?」
と聞いてきた。
「うん、いいよ」
2人で食堂に行き、私はお弁当を、部長はコンビニで買ってきたパンを食べだした。
「ねえ、結城さんは進路決めたの?」
「うん。一応。あ、どこの学校に行くかとかはこれからだけど」
「美大?」
「ううん。専門学校。部長は美大でしょ?」
「行かないの?大学」
「うん」
「潔よいなあ。私は…。美大行こうと思いつつ、迷いもあるよねえ」
「なんで?」
「才能だよ。才能。私よりも才能のある結城さんは美大行かないのに、私なんかが行けるのかな」
「ええ?私、才能ないよ。それに、部長、すごく絵、上手なのに」
「…まあね。上手かヘタかって言ったら上手かもね。でも、才能とは違うよ」
部長はそう言うとため息をついた。
「だけどさあ、藤堂君とは進路が違っちゃうでしょ?高校卒業したら、別れることになるかもって不安はないわけ?」
「…別れる不安はない…かなあ」
「なんで?どこからくる自信なの?あ、藤堂君のほうが、結城さんに惚れてるから?」
「違うよ。ただ…」
う。なんて言ったらいいんだろう。一緒に長野に行くし、もしかすると、同棲する可能性もあるなんて、ここで言ってもいいかどうか。
「将来の約束をすでにしていたり、なんて、まさかね」
その、まさかです。心の中でつぶやきつつ、作り笑いを私は浮かべた。
「ま、いいや。人のことは。私だよね、問題はさ」
「…そんなに部長、悩んでいるの?」
「……。好きな人、できたんだ。でも、3年で、もうすぐ卒業じゃない」
「え?!好きな人?!つ、付き合ってるの?」
「ううん。片思い。でもさあ、すぐに卒業だし、別れが来るのに、今、コクってもどうかなって迷ってて」
「え?」
そういう迷い?断られたらどうしようとか、そういう迷いや不安じゃなくて?
「今付き合ったって、卒業したらすぐに別れちゃうと思わない?それに、3年生、来年になったら、そうそう学校にも来なくなるし」
「…」
付き合えるって自信があるのか。すごいなあ。私から見たら、そっちの自信のほうがすごいんだけどなあ。
私だったら、付き合ってもすぐに別れが来るとかいうよりも、付き合えるかどうか、好きになってもらえるかどうかのほうが、一番の悩みになりそうだけど。
「いいね。藤堂君は2年だもんね。あ、でも来年は、クラス変わるのか。藤堂君、理数系のクラスでしょ?」
「わかんない。もしかしたら、文系進むかも」
「え?あ、英語が上手だから?」
「ううん。将来行きたい大学が、理数系じゃないから」
「違うんだ。そうなんだ。へ~~。やっぱり、彼女だから、そんなこともよく知ってるんだね。あ、藤堂君、よく話してくれるの?」
「うん」
「なんだあ。あんまり学校で話さないし、藤堂君って、彼女にあれこれ話をしないタイプかと思ってた。あ、そうか。行き帰りも一緒なんだし、そんな時に話をするよねえ」
「うん」
「ふうん」
部長はそう言って、バクッとパンを食べ、ジュースをゴクゴクと飲んだ。
「あれ?結城さんだ」
その時、わらわらと弓道部の部員が食堂に来た。あ、これからお昼ご飯なんだ。
「藤堂!結城さんがいるぞ」
最初に入ってきた部員が、後ろを向きながらそう言っている。
「え?ああ」
司君が現れた。そしてこっちを見ると、何気に笑った。
あ!今まで、そっけなかったのに、笑ってくれちゃうの?嬉しいかも!
私もにこりと微笑み返した。すると、司君は、これまた珍しく私のそばまでやってきた。
「あ、もう食べ終わるの?」
「うん。早めのお昼だったの」
「そっか」
司君はそう言うと、ちょっとだけ部長のことも見て、軽くお辞儀をすると、そのままなぜか私の隣に座った。
「え?ここ?」
「うん。まだ穂乃香、いるよね」
「うん」
わ。穂乃香って言った!
部長が私と司君を見ている。
「やっぱさ、仲いいよね」
そしてそうつぶやいた。
「え?」
司君が聞き返した。
「別れる噂なんて、嘘だよねえ」
「ああ、それ。うん、嘘だよ」
司君は淡々とそう答えると、お弁当を広げだした。
お弁当の中身は一緒。でも、外見が違うからか、部長は気が付いていない。
「いただきます」
司君は静かにそう言って、食べだした。
「あれ?藤堂、結城さんと食べるの?」
川野辺君が聞いてきた。
「ああ、こっちで食べる」
司君がそう言うと、弓道部の誰かが、ひゅ~~っとひやかした。でもすぐに川野辺君や、他にも誰かが、
「ひやかすのはやめろよ」
と言って止めさせた。
司君が嫌がるのを知ってるからかなあ。でも、司君は何も言わず、動じることもなくお弁当を食べている。
「私先に行ってるね。結城さん、まだ時間あるし、ゆっくりしてきていいよ」
部長はそう言うと、食堂を出て行った。
「なんか、悪かったかな」
司君が部長の後姿を見ながらそう言った。
「え?…だ、大丈夫だと思うけど」
私は司君の隣にいられるだけで嬉しくて、部長のことまで気を使うこともできなかった。でも、司君は、気になったのかなあ。
「……。穂乃香」
「え?」
「……なんだか、静かだね、さっきから」
「私?」
「うん」
「…だって、何を話していいかもわかんなくって」
「そうなの?」
「…普通にしていたらいいんだよね?」
「うん」
司君はうなづくと、黙々と食べだした。
司君だって、静かじゃない。って今に始まったことじゃないか。もともと司君は静かだもんね。
でも、だったら私も。どっちかって言ったら静かなんだけどなあ。
「ねえ」
「え?」
「私って、いつも司君といると、なんかしゃべってる?」
「…は?」
「おしゃべり?うるさい?」
「いや。うるさいって感じたことはないよ」
「…じゃあ、逆に静か?」
「いや。静かな時もあるけど…」
「……じゃあ、どんなだっけ?」
「え?まじで、いつもの穂乃香がわかんなくなってるの?」
「うん」
「あはは」
あれ?笑われちゃった。なんでかなあ。
「俺は…、家で穂乃香といる時は、よく話してるよね」
「うん」
そうかも。けっこう司君、話しているかも。私よりも話をしている時もあるし。
「…くすくす」
まだ笑ってる。
「じゃ、俺も、いつも通りにしてるよ」
「…うん」
「あのさあ。3者面談で、3年のクラス、文系と理数系、どっちに行くかって穂乃香も聞かれたよね」
「うん。文系って答えた」
「やっぱり…。じゃ、一緒だ」
「司君も文系?理数系には本当に行かないの?」
「うん。先生にもちゃんと言ったから。それもけっこう先生びっくりしてたけど、藤堂だったら、文系のクラスでもやっていけるだろうってさ」
さすが。言われることが違うよね。
「だから、同じクラスになるかもね」
「…だったらいいな」
「…そうだね。俺、3年になって弓道部引退したら、塾にも行く予定だしさ、そうしたら…」
「そうしたら、なに?」
「いや。穂乃香といられる時間も減るかなって思ったけど、別にそうでもないかなって」
「え?」
「今も部活で、放課後は時間取られてるんだし。学校帰りに直で塾に行っちゃうかもしれないから、穂乃香と一緒に帰れなくなるかもしれないけど、でも、家では一緒だもんなあ」
「もう一緒に帰れないの?」
「……」
司君は私の言葉に、私のほうを見た。
「寂しいの?」
「そ、そりゃあ」
え?司君は寂しくないの?
司君はちょっとだけ、赤くなった。
「……そっか。寂しいんだ」
え?なんで?司君は違うの?あれ?なんで司君、にやついてるの?私が寂しがったから、嬉しいのかな。
「司君は、寂しくないの?」
「…う~~~ん」
え~~~!!!なんで、そこで寂しいよって言ってくれないの?
「塾から帰って、家でも一人で、受験勉強しないとならないかな~」
え~~~~!!それ、返事になってないよ。っていうか、じゃあ、家でも一緒にいるってわけにはいかないってこと?
「だからさ」
司君はぐっと声を小さくして、顔を私に近づけた。
「寝る時は、一緒に寝ようね」
「え?!」
私はその言葉に、やたらと反応して真赤になってしまった。
「……そうしたら、朝までは一緒にいられるよ」
うわ~~~。もっと顔が熱くなってきた。
「そ、そ、そ、そうだね」
「…そうしたら、穂乃香、寂しくなくなる?」
「うん」
真っ赤になりながらうなづくと、司君はまたクスって笑った。
ああ、なんなんだ。いきなりそんなことを学校で言ってくるなんて。
私は気になり、周りを見た。でも、誰も私と司君のことは見ていなかった。食堂には弓道部の部員と、他には本当に数人しかいなかったし、みんなそれぞれの話に夢中のようだったし。
良かった。ほっと胸をなでおろしてから、司君を見た。
ああ、涼しい顔でお弁当を食べているよなあ。なんだか、私ばかりが真っ赤になって、悔しい気もするなあ。
でも、やっぱり、嬉しいかも。
そっか。学校で隣に並んでお弁当を食べようが、すごく仲良くしようが、もういいんだね。
私はしばらく、司君の隣にいられることを、味わって幸せを噛みしめていた。
5時を過ぎると、美術部員はみんな帰って行った。部長ですら、そそくさと片づけを済ませてとっとと帰ってしまった。
それにしても、部長の好きな人ってどんな人かなあ。彼氏がいることをすごく羨ましがっていたけど、告白するのかな、しないのかな。どうなんだろう。
片づけも終わり、窓から外を見ながらぼ~~っとしていると、司君がやってきた。
「ごめん。待った?」
「…ううん」
首を横に振った。司君はドアを閉めて、美術室に入ってきた。
ドア、閉めたのはなぜかなあ。
「他の部員いないんだね」
「早々と帰って行ったよ」
「そっか…」
司君は私の真ん前まで来て、カバンを床に置くと、私を抱きしめてきた。
「司君、学校でキスや押し倒すのは、しないんだよね?」
「キスはいいでしょ?」
え?
司君は私の返事も待たないで、キスをしてきた。それも、かなり熱いキス。
「司君!」
どうにか手で司君の胸を押して、司君から離れた。
「だ、ダメだよ。そういうのは…」
「…残念」
何が残念だよ~~。もう~~~。
「じゃあ、帰ってからかな。昨日も、穂乃香、知らない間に寝ちゃってたし。俺、部屋で待っていたのにな」
「………。だって」
「え?」
「これからはよそよそしくしないでもいいんだって思ったら、嬉しくって、布団に丸くなって喜んでいたら、いつの間にか…」
「丸くなって喜んでいたの?」
「うん」
「悩むのも、喜ぶのも、丸くなるんだね。面白いね、穂乃香って」
「つ、司君だって、部屋に来てくれてもよかったのに」
「穂乃香の?行ったよ?」
「え?」
「でも、ぐうすか寝ていたし」
「ぐ、ぐうすか?」
「うん。潜り込もうとしたけど、ちょうど守が部屋から出てきて」
「守君が?」
「まさか、兄ちゃん、夜這いする気じゃないよねって聞かれたから、まさか、そんなことするわけないだろって言って、部屋に戻った」
「…そうだったの?」
「あいつ、ゲームしていて遅くまで起きてたみたいでさ。なんだか、そのあとも穂乃香の部屋に行きづらくなって。だけど、堂々と穂乃香と同じ部屋で寝てるんだって言っても、よかったんだよなあ」
ええ?いいのかな。そんなこと言っても。
でも、いつかはばれるよね。
だけど、そうしたら、守君はショックを受けるのかな。それとも、私と司君が仲いいのを喜んでくれるのかな。
司君と学校を出た。司君はずっと手を繋いでいてくれた。それに、いろいろと笑いながら話もしてくれる。
そして、江の島でも仲良く手を繋いで歩いた。
家に帰ると、守君のほうが先に帰っていた。そしてメープルと一緒に、私たちを玄関まで出迎えに来た。
「おかえり!」
「守、部活は?」
「今日は休み。友達と映画観に行ってたんだ」
「そっか」
「そういえばさあ、兄ちゃんと穂乃香、クリスマスってどうすんの?」
まだ靴を脱いでいる私と司君に、いきなり守君が聞いてきた。
「え?」
突然の質問に、二人でびっくりしていると、
「母さん、父さんとレストラン行くってさ。俺、テニス部のやつらとクリスマスはカラオケでパーティしちゃうけど、2人はどうすんの?」
とまた、聞いてきた。
「イブの話か?」
「そう」
「穂乃香とどっかに行ってくるよ」
「…家に誰もいないのに?」
「どういうこと?」
司君は眉をひそめて、守君に聞いた。
「いや。2人っきりになれるのになあって、思っただけ」
「…お前、そういうこと気にするの、10年早いよ」
「…やっぱ、好きな子が一つ屋根の下にいるのって、男としてさあ」
司君の言った言葉も聞かず、守君は話を続けた。いったい、何を言いたいんだ、守君は。
「守、何が言いたいんだよ、お前は」
司君も、じれてきたんだか、そう聞いた。
「だから、やっぱさあ。夜、部屋に忍び込みに行きたくなったりするのかなあって。でも、それって、やばいじゃん?だったら、ちゃんとクリスマスイブにでもさあ。もっと、ムードを作ってからじゃないと、兄ちゃん、穂乃香に嫌われると思って」
「は?」
「取り返しのつかないことになったら、大変だし」
「……」
守君の言葉に、司君は呆れたのか、絶句したのか、何も言い返せなくなっていた。
「と、取り返しのつかない、こと?」
私のほうがつい、守君に聞いてしまった。
「だから、いきなり兄ちゃんがオオカミになって、穂乃香にビンタでもされて、嫌われて…。そのまんま別れることになって」
「……。守、お前、やけに嬉しそうだな。俺と穂乃香が別れるのが嬉しいとか?」
「ち、ちげえよ。そうなったら、大変だから、兄ちゃんのためにアドバイスを」
「そんなアドバイスを俺にするのも、100年早い」
司君はちょっとキレ気味にそう言うと、2階にドスドスと上がって行った。
「あ~~あ。あんなこと言っちゃって。兄ちゃんは、デリカシーってのがないし、女の気持ちもわかんないんだから、後悔して泣くことのないように、俺がせっかく忠告してやろうと思ったのにさあ」
守君はそう言うと、やれやれって顔をして私を見た。
「な?そう思わない?」
中学1年生の発言とは思えないよ。守君ってやけに大人びているのか、それともわざと大人ぶっているのか。
「まあ、クリスマスは、母さんも父さんもゆっくりしてくるらしいし、俺も2次会まで出てやってもいいし、穂乃香と兄ちゃんだけにしてやるから、2人で盛り上がって」
「ま、守君」
何を言い返していいかわからず、顔を引きつらせていると、
「あ、そうか。穂乃香が2人きりになるのが嫌なら、俺、テニス部のカラオケ、行かないでもいいんだけど。どうする?」
と勘違いして聞いてきた。
「い、いいよ。大丈夫。心配しないで。守君はしっかりカラオケ楽しんで来て」
「ほんと?兄ちゃんに手を出さないように言っておこうか?」
「いい。っていうか、大丈夫。つ、司君も、ちゃんと、その…。女の子の気持ちは心得ていると思うし」
しどろもどろでそう言うと、
「甘いなあ。兄ちゃんはまったくわかってないと思うけど?」
とそう言って、守君はメープルとリビングに行ってしまった。
だ~~~~。冷や汗が今、流れてきた。さっさとお風呂に入ろう。
私は着替えを取りに2階に上がった。
それにしても、守君、なんでいきなりそんな話をしてきたのかな。昨日司君が、私の部屋に入り込もうとしたのを見て、心配になったのかな。
トントン。私の部屋のドアをノックして、司君が入ってきた。
「…守のやつ、よけいなこと言った?」
「ううん。別に」
「…ったく。まいっちゃうよなあ」
「…クリスマス、2次会にも行ってくるから、2人で盛り上がったらって」
「生意気な奴。でも、どうする?」
「え?」
「外に行って、どっかで食事とかしてもいいし。俺はどっちでもかまわないけど、穂乃香はクリスマスイブ、どうしたい?」
「…私も。司君と一緒なら、どっちでもいいんだ」
「…そ、そうか」
あ、司君、顔赤くなった。
「司君」
司君の手を握りしめてみた。
「ん?なに?」
「きょ、今日は、隣で寝られるのかな。布団、司君の分も敷いておく?」
「………。うん。でも、一緒の布団で寝ることになるだろうと思うけど」
「え?」
「だから、その」
「……」
か~~。思わず顔が熱くなった。でも、私はこくんとうなづいた。
「あ、お風呂入ってくるね」
着替えを持って、私はそそくさと一階に下りた。
さあ、今日は念入りに洗わないと。なんて思いながら。
ああ、そんなことを思っている自分が、いまだに恥ずかしくなってくる。
きゃわ~~~~!
さすがに守君には言えなかった。司君が夜這いに来ても、突然オオカミになっても、それを私は嫌がったり、怒ったりしないんだよ、なんて。
言えないよね…。
でも、クリスマスイブ、二人っきりでゆっくりとできるのか~~と思うと、守君の配慮が嬉しくなった。
麻衣みたいに、ホテルでイブを過ごすわけじゃないけど、二人きりで家で過ごせるなんて、超嬉しいかも。
ああ、クリスマスが今から、なんだかドキドキで、楽しみだ。




