第64話 司君、切れた?
父と母は翌日、朝早くに藤堂家を出て、長野に帰って行った。
司君は今日、3者面談だ。3者面談が終わっても、部活に出ると言うので、私は今日も一緒に帰れることをひそかに喜びながら、美術室で絵を描いていた。
そういえば、今日もまた昼に瀬川さんが沼田君を連れ出しちゃったなあ。あれ、いったいどうしてなんだろうか。
私は早めに片づけをして、食堂に行きジュースを買って休んでいた。
司君、3者面談で長野に行く話をしたのかなあ。どうなんだろうか。もし、したとしたら、田島先生びっくりしたかなあ。
そんなことを思いながら、食堂にいると、そこになんと沼田君が現れた。
「あ、あれ?」
びっくり。なんで今頃、こんなところにいるの?
「部活終わったの?」
「うん」
「俺は3者面談が終わったところ。親と帰るのがちょっと嫌で、食堂行ってなんか食ってから帰るって言って、親は先に帰しちゃった」
あ、そうか。そういうことか。
「穂乃ぴょんは、親御さん、長野から来たの?」
「うん。来たよ」
「…穂乃ぴょんも、卒業したら長野に行くの?」
「え?」
「あ、俺の前が司っちで、ちょっと早くに教室の前で待っていたらさ、田島の驚く声が聞こえてきたから」
「…そう。藤堂君、やっぱり先生に言ってたんだ」
「もしかして、穂乃ぴょんが長野に行くから、司っちも長野に行くことにしたわけ?」
「そういうわけじゃないの。ただ、夏に長野に行って、藤堂君気に入ったみたいで」
「ふうん」
沼田君はあまり、それ以上は興味を示さず、黙ってジュースを飲んだ。
「…沼田君は、進路きまってるの?」
「俺は大学行かないよ」
「え?そうなの?じゃ、すぐに就職?」
「いや…。専門学校に行く」
「…なんの?」
「……。福祉」
「え?!」
「びっくりだろ?俺に似合ってないよね?」
「ううん。そんなことないよ。でも、やっぱりちょっとびっくりかな」
「……。人と関わる仕事はしたかったし」
「うん」
「…で、しばらく悩んでいたんだけど、なんか、そういう方面に行きたくなったって言うか」
そうなんだ。やっぱり、かなりびっくりだ。でも、ちゃんと将来を考えたってことだよね。
「……穂乃ぴょんは、美大に行かないの?」
「うん。経済的に無理もあるし、それに、デザインとかにも興味あるから、そういう専門学校に行くと思う」
「あ、そっか」
「…みんなばらばらになっちゃうんだね」
「…そうだね。でも、司っちとは離れないんだろ?」
「うん。離れたくないな」
私がそう言うと、沼田君はふって笑みを浮かべ、
「俺も、2人にはずっと仲良く居てもらいたいよ」
と、そんなことを言った。
「え?どうして?」
「穂乃ぴょんには幸せでいて欲しいからさ」
「…」
いきなり、瀬川さんのことが気になった。聞いてもいいのかな。
「瀬川さん、沼田君の所にお昼、よく来てるよね?」
「ああ、うん」
「あれって、どうしてなの?」
「…気になる?」
「う…。うん」
「大丈夫だよ。瀬川さんはもう、司っちには手を出そうとしたりしないから」
「それを阻止してくれてるの?」
「…そのつもりだった。でも、あんまり関わらないつもりでもいたよ」
「じゃ、なんで?」
「司っちのことが本気じゃないくせに、2人の邪魔するなみたいな、そんなことを言っちゃったんだよね。そうしたら、怒っちゃってさ。自分は本気だって言うから」
「…瀬川さんが?」
「でも、もし本気なら、司っちが困るようなことしたりしないよって、そう言ったんだ。好きな人のことは、苦しめたくないし、幸せになってほしいって思うものだからって」
そんなことを言ったの?瀬川さんに?
「そしたら、じゃあ、本気で好きっていうのはどういうことかわかるまで教えろだの、なんだかしつこくって」
「…それって、私のせい?」
「え?」
「私のせいで、今、沼田君大変なの?」
「…」
沼田君はいきなり、表情を変えた。そして、しばらく黙り込むと、
「もし、穂乃ぴょんのせいだって言ったら、どうすんの?瀬川さんと俺の間に立って、なんとかしてくれんの?」
と暗い声でそう言ってきた。
「え?!」
どういうこと?
「…冗談」
沼田君はそう言うと、また笑って見せた。
ど、どういうことだったのかな。今の…。
ドキン。なんだか、私は変なことを言ったんだろうか。
「俺さ。最初はなんだか、瀬川さんに頭に来ていたって言うか、わざと穂乃ぴょんと司っちの悪い噂流したりして、なんでそんなことまでして、司っちを自分のものにしたいんだろうとか、よくわかんなかったんだよね」
「う、うん」
確かに。私もそう思う。
「でも、いろいろと話していたら、なんとなくわかってきたんだ」
「何を?」
「…瀬川さんが、性格ひねくれちゃったわけ」
「え?」
「顔可愛いし、かなりちやほやされてきたんだね。でも、性格わかると、離れていく友だちや彼氏も多いらしくて。だんだんと他人を信用しなくなったみたいだ」
そうなんだ。
「でも、それでもちやほやはされたい。だから、人気のある彼氏でも捕まえておいて、みんなに羨ましがられたいとか、どっかこう、ひねくれてるんだよね、考え方がさ」
「…そうなんだ」
「だから、なんていうか…。純粋に人を好きになったり、恋をしてときめいたりっていうことを今までしたことがないんだってさ」
「…恋をしたことがないってこと?」
「そう。かわいそうって言えばかわいそうだよね」
「うん」
「で、俺の変なくせが出て」
「?変なくせ?」
「ほっておけない…ってそんなくせ」
あ、そういえば。私のこともよく、相談に乗ってくれてたっけね。
「だから、つい話を聞いちゃうから、あっちもまた、やってくる」
「相談しに来るの?」
「いや。相談じゃないな。愚痴だったり、不満だったり、まあ、いろいろとね」
「なんだか、沼田君、クレーム係りの人みたいだね」
「え?」
「あ、違うか。ごめん、変な例えで」
「いや、いいけど。でも、クレーム係りって言うよりも、俺、そうやって人と関わるのは好きだし、苦にならないし、だから、福祉関係進もうかって思ったんだよ」
「そっか」
「だから、穂乃ぴょんのせいじゃないんだ。どっちかって言うと、穂乃ぴょんの健気さとか、純粋に人を好きになるところとか、司っちの好きな人を大事に思うところとか、そういうのにすごく、影響されたから。うん。感謝かな」
「感謝?!」
「二人はすごいと思う。俺は2人とも好きだから、2人の間に入ろうとも思っていないしさ」
「……」
「相手が司っちじゃなかったら、わかんないけどね」
「そ、そうなの?」
「うん。でも、司っちだったら、穂乃ぴょんのこと大事にしそうじゃん。なんだか、古風なところあるしさ」
「…そ、そうかな」
「奥手そうだし」
ギク~~~。それは違うんだけど…な。
「2人で長野に行けるといいね」
沼田君はそう言って笑って、そして空になった缶を捨てて、
「じゃ、お先」
と、食堂を出て行った。
私はそのまま、ぼ~~っとしていた。でも、司君にメールをし忘れていたことに気が付き、慌てて、食堂にいるよとメールを打った。
それから、10分ほどして、司君が食堂にやってきた。
「ごめんね?美術室に行っちゃったよね?」
「うん。いないから、先に帰ったかと思って、昇降口まで行ってから、メールに気が付いた」
「ごめん…」
「俺も何か飲もうかな。喉乾いた。ちょっと待ってて」
司君は鞄を置き、コーラを買ってきた。そして椅子に座ると、ゴクゴクと飲みだした。
「沼田君がさっきまでいたんだ」
「え?」
司君はそれを聞いて、缶から口を離した。
「3者面談、司君のあとだったんだね」
「…うん。なんか言ってた?」
「長野に司君が行くこと、田島先生の声が大きくて、廊下に聞こえたらしいよ」
「やっぱり?すごい大声で先生、びっくりしていたからなあ。え?藤堂、信州の大学行く気なのか~~?ってさ」
そうだったんだ。そんなに驚くことだったんだ。
「それで、先生なんて言ってた?」
「いや、別に。母さんも、司の行きたい大学があるなら、そこでかまわないって言ったら、先生も、まあ、それもそうですねって、納得してた」
そうなんだ。
「でも、穂乃香が長野に行くから俺も行くっていうようなことを、変な回りくどい言い方してたけどね」
「なんて?」
「覚えてない。とにかく、回りくどかったってことだけしか残ってなくて」
そうなんだ。
「沼田は?卒業したら大学行かないんだろ?」
「あれ?知ってるの?」
「大学には俺は行かないって、それは前から聞いてたし」
「福祉関係の専門学校に行くって言ってた」
「…沼田らしいな。ぴったりなんじゃないの?」
「そう思う?」
「うん」
「びっくりしないの?司君」
「うん」
そっか。司君のほうがずっと、沼田君の性格、わかってたんだね。
「あ、瀬川さんのことも聞いちゃった」
「え?」
「いろいろと話を聞いているうちに、ほっておけなくなったんだって」
「…なんで?」
「私の時も、よく相談に乗ってくれたけど、人と関わるのも好きだし、特にわけありの悩みのある人のことは、ほっておけなくなっちゃうんじゃないのかなあ」
「だから、福祉関係の仕事、向いてるんだろうな」
「そうだね」
司君は残りのコーラを飲むと、
「帰ろうか」
と席を立った。
「うん」
そして二人で昇降口に向かって、歩き出した。
「あら」
うわ。なんでこんな時にまた、大山に会っちゃったんだろうなあ。昇降口で、残っていた生徒を注意していたようだ。
「今日は、藤堂君が3者面談だったようですね」
「…はい」
「ちゃんと、お母様に田島先生は注意をしたのかしら」
「何をですか?」
司君は無表情のまま、そう聞いた。
「どうやら、藤堂君のお母様は、結城さんのお母様に隠していたようですから」
「…」
ム!何を言いたいわけ?
「田島先生にそれは、ちゃんと報告しておいたんですよ」
「うちの母は、わざわざ電話で報告することでもないと判断したんです。田島先生も、特に母には何も言わなかったですよ」
「まあ。何か問題があってからでは、遅いって言うのに」
「問題?」
ピクリ。司君の眉が動いた。
「そうですよ。いつも2人で行動しているようですが、問題だけは起こさないようにしてくださいよ。学校側の責任にもなるんですから」
「…」
司君は、もっと眉をひそめた。
「し、失礼します」
司君が、何かを言い出す前に私は司君の腕を引っ張り、校舎をあとにした。
「頭来るな~…」
校門を抜けると、司君は思い切り怒った声でそう言った。おや、めずらしい。顔も怒ってる。
「だ、だよね…」
「なんか、釈然としない。俺らは、あんな先生のために今まで、学校で演技をしてきたのかな」
「え?」
「田島先生は、本当に俺らのことは何も言わなかった。きっと、大山だけだ。あんなうるさく言ってるの」
「そうだよね」
「…穂乃香。穂乃香がこの先、長野に転校になるなんてこと、穂乃香のご両親はさせたりしないよ」
「…?」
「俺らのことは、2人とも認めてくれたんだし」
「?」
「婚約のこと」
「でも、お父さん、司君に手は出すなって、そう口うるさく」
「だけど、それは学校でここまでよそよそしくしろっていうのとは、違うだろ?」
「う、うん。まあ…」
「もう、よそうか」
「何を?」
「いろいろと学校で隠すの」
「え?」
「穂乃香が俺の家にいることも、わかってもいいと思うし。もっと、学校で俺ら、話してもいいし、呼び捨てで呼びあってもいいと思う」
「…」
司君?
「なんだか、あんな大山一人のために、よそよそしくしてるの、ばからしくなってきたよ」
「…そうだよね」
「手、繋いで帰ろうか?」
「え?ここで?!」
「うん」
どひゃ。もううちの学校の生徒は少ないとはいえ、でも、いるよ?
「大丈夫かな」
「何が?」
「変な噂、出たりしないかな」
「どんな?」
「どんなって。えっと」
「仲いいって噂が流れるだけだろ?多分」
「…だよね」
司君は私の手を取って、歩き出した。
「大山、またうるさく言ってこないかな」
「言ったら言ったでいいさ」
「…」
司君、切れたの?もしかして。
「そうしたら、俺らはすでに、婚約してますって、そう言うよ」
どひゃ?
「そ、それって、本気?」
「…え?本気じゃないの?穂乃香」
「ううん」
私はぐるぐると首を横に振った。
そしてつないだ手が何だか知らないけど、熱くなっていった。




