第61話 母の心配
母と食堂を出て、一緒に廊下を歩いていると、
「そこの生徒、部活で残ってるの?そうじゃなかったら、早く帰りなさい」
と生徒を怒っている大山先生の声が聞こえてきた。
うわ。最悪。こっちに気づかないでくれ。そう思いながら、私はつい歩くのが早くなりだした。
「待ってよ、穂乃香」
母はそう言うと、
「ねえ、美術室ってどこ?」
と私を引き留めた。
「美術室に行ってどうするの?」
「どんなところか見てみたいだけよ」
「普通に美術室だから」
「じゃあ、弓道の道場は?司君が弓道している姿見てみたいわ」
「見れないって。そんなの顧問の先生の許可でもないと、簡単には入れないんだからね」
「え?そうなの?外から見ることできないの?」
「できないよ」
もう、何を言ってるんだか。
と思いながら前を見ると、大山先生がしっかりとこっちを見ていた。うわ~~。今の会話を聞かれたのかっ!
「こんにちは。結城さん。もしかしてお母様ですか?長野からいらしたんですか?」
げ~~~~っ!話しかけてきた。
「はい。結城の母です。いつも娘がお世話になって」
「あらまあ。藤堂君のお母様が面談に来るんじゃなくて、やっぱり、結城さんのお母様が来たんですね。そりゃそうですよね。娘さんのことは気になりますよね。やっぱり、男の子のお母様より、娘さんのお母様ですもの、心配ですよね」
う~~~~~~~~。大山~~。余計なことは言わないでよ。
ああ、ハラハラ、ドキドキ。心臓に悪い。
「は?」
母はキョトンとした顔をした。
「もう帰りますから。さようなら」
私はぺこっとお辞儀をして、昇降口に行こうとした。だが、母を大山先生が引きとめた。
「お母様からも、注意されたんですか?真面目な交際をしているようですが」
大山先生がそう母に言った。
「注意と言いますと?」
母は、眉をひそめた。あ、何かを勘付いたらしい。
「あ、あの。本当にそろそろ」
私はそこを逃げ出したくて、何かいい言い訳はないかと考えたが、何も浮かばなかった。
大山先生は、ちょっと口元に笑みを浮かべ、
「男女交際について。高校生なんですから、節度を持った交際するように注意してくださいと、藤堂君のお母様には学校に来ていただいて、そう言ったんですよ。聞いていませんか?」
と母に言ってしまった。
「ええ、聞いていませんが。何か娘と藤堂君が、注意を受けるようなことをしたんでしょうか」
ぎゃ~~~!!!あわあわあわ。
「放課後、2人きりで教室に残って、高校生には不適切な行為をしていたんですよ」
げ!!!
「う、うちの娘と、藤堂君がですか?!!!」
母は目を思い切り見開き、そう叫んだ。
「違う!お母さん。誤解してる」
大山~~~。言い方に気を付けてよ。その言い方じゃ、もっと大変なことを母は想像するでしょ。ただの、キスなのにっ。
「藤堂君のお母様が、結城さんのご両親には連絡すると言っていたので、私からは連絡を入れなかったんですけど、長野には連絡を入れなかったようですね…。それとも、藤堂君のお母様から、お二人にビシッと注意してくれたからでしょうか。とにかく、お母様からも今後そのようなことがないように、今一度娘さんには注意してくださいね。では」
大山先生はそう言うと、くるりと背中を向け廊下を歩いて行ってしまった。
「ほ、ほ、穂乃香。あんた…」
「違うってば!」
私は母の腕をひっつかみ、昇降口に連れて行き、大山先生の姿が見えなくなったことを確認してから、
「あれはね。先生の言い方が変なの。先生が意地悪い言い方をしたの」
と慌てながら言った。
「何が、どう、変なの」
母はものすごく興奮していた。
「藤堂君とは、本当に軽いキスをしただけなの」
「え?!」
「それをたまたま廊下を通りかかった生徒が見てて、ちょっと噂になっちゃって」
「……」
「それで、藤堂君のお母さんが、大山先生に呼ばれちゃったの」
「だ、だけど、あの言い方じゃ、ちょっとキスをしただけって感じじゃなかったわよ」
「だから、あの先生が意地悪で」
「それに千春ちゃん、なんにもそんなこと言ってこなかったわよ」
「心配かけたくなかったんだよ。それに、本当に呼ばれるほどのことじゃなくって。あの先生がおおげさなだけで」
ああ、私、必死だ。
「わかったわよ。帰って千春ちゃんに確認しましょう。そうしたら、真相がわかるでしょ」
ドキドキドキドキ。ど、どうしよう。
「どうせ、あれでしょ?お父さんの耳に入れたくなかったから、あんたから千春ちゃんに電話しないでって泣きついたんでしょ?」
う…。
「ま、いいわ。お父さんが帰ってこないうちに、千春ちゃんから聞くから。お父さんが今の先生の話を聞いていたら、その場で卒倒して倒れていたわよ」
うそ~~~。そ、そんなに大変なことになってた?
……。なってるよね。やっぱり。
私は真っ青になりながら、母と藤堂家に帰った。
家に着いてから、あ、いけないと、司君にメールを送った。
>お母さんと面談のあと、そのまま司君の家に帰ってきたから。それから、お母さんが偶然学校で大山に会って、ばらされちゃったよ~~~(><)
こんなこと書いたら、司君焦っちゃうかな。でもやっぱり、司君にも知れちゃうことだし、送っておこう。そう思いながら送信をした。
「穂乃香も早くリビングに来て」
部屋で着替えると言って、私は自分の部屋に来ていたが、一階から母の声が聞こえてきて、私は慌てて下に下りた。
「どうしたの?何か面談で田島先生から言われた?」
司君のお母さんは、もしや、あのことかなと勘付きながら、そう母に聞いているようだ。私の顔を見ながら、様子を伺いながら、でもとぼけているのがわかる。
「千春ちゃん。今日、大山先生にばったり帰りに会ってね」
「え?!」
司君のお母さんの顔色が一気に変わった。
「司君と穂乃香の、高校生に不適切な行為っていうのを注意されたのよ」
「な、何それ~~~~~!」
司君のお母さんは、一気に顔を赤くしてそう叫び、
「あの、大山のばばあ!何を言ってくれてるの?ただキスをしただけよ?それが、なんなの。その高校生には不適切な行為って!ふざけるのも図体だけにしろって感じよねっ!!!」
と、鼻を膨らませながら、そう言い放った。
「……」
母はびっくりして、口をあんぐりと開けた。
「真佐江ちゃん。そんなの真に受けちゃ駄目よ。だいたいねえ、高校生でキスくらい、今の子たちはみんなしてる。ううん、私だってしてたわよ。真佐江ちゃんは?ファーストキスっていつ?」
「………中3」
「でっしょ~~~?!それをあの大山は。わかったわ!あの大山にはそんな経験がないのよ。まったく、そんな恋愛の経験がないのよ。だからそんな頭の固いことを今どき言うんだわ。ふんっ!」
司君のお母さんは、興奮のあまり、鼻をならした。
「あははは。千春ちゃんったら、そんなに興奮しないで」
母はそう言って笑うと、
「そうよね。キスくらいで、あんな言い方するなんて、ちょっと変よねえ。それに、担任の先生は、穂乃香と司君のこと、すごく真面目な生徒だって褒めていたし…」
とそう言った。
「でっしょ~~~~~?」
「…だけど」
母はいきなり沈んだ顔になった。
う、うわ。今度は何?なんなの?
「どうしたの?真佐江ちゃん」
「食堂で、穂乃香と司君が別れるような、そんな話をしていた子たちがいて。ねえ、穂乃香。それに千春ちゃんも隠さずに話してね。穂乃香は本当に司君と、今、うまくいってるの?」
「へ?」
「もしかして、ちょっと二人の間が冷めちゃってるってことはない?たとえば、あの大山に注意を受けてから、2人の間に溝ができたとか」
「ないないないない」
私は首を横に3回振った。
「本当?なんだか、その慌てぶりが怪しいわ」
「本当だってば」
私はそう言って、司君のお母さんを見た。すると司君のお母さんは、どこかよそを見てから、
「大丈夫よ。真佐江ちゃん。この二人は安泰だから」
とそれだけ言うと、
「さ、夕飯の準備をしようかしらね」
と言って、さっさとキッチンに行ってしまった。
「手伝うわ」
母も一緒にキッチンに行った。その後、2人がどんな会話をするのか、すっごく気になったが、私は一気に疲れが出て、リビングのソファから動けなくなった。
メープルはさっきから、私の足元で丸くなっていた。
「メープル」
私はメープルに抱きついた。
「心臓に悪いことだらけ」
そう言うと、メープルは私の顔をべろってなめて癒してくれた。
ああ、早く司君、帰ってきて。
いや、帰ってきても、どう接していいかわかんないな。
ああ、両親の前ではどうしていたらいいんだろう。仲のいいところを見せる?それとも、距離を置いたほうがいい?
しばらく、リビングで呆然としていると、携帯がブルブルッと振動した。
あ、司君からメールだ。
>ばらされたって、何を?教室でキスしていたこと?
司君も焦っているみたいだ。
>そう。でも、司君のお母さんが、母にうまく言ってくれたから、それはもう大丈夫。ただ、食堂に母と行って、私と司君が別れるかもって噂を聞いちゃって、今度はそっちの心配をしている。
>別れる?それを心配?
司君は、すぐに返信をよこしてきた。
>でも、それも大丈夫って、司君のお母さんが言ってくれた。
>なんか、いろいろとあったんだね。これから帰るから、帰ってから話を聞くよ。
そう司君がメールをくれたので、私は司君が帰ってくるのを待つことにした。
はあ…。せっかく田島先生は、母にいっぱい安心するようなことを言ってくれたのになあ。
それにしても、私は卒業後、どうするのかな。
司君は、本当に信州の大学に行きたいんだろうか。
そんなことをグルグルと考えていると、司君が、
「ただいま」
と家に帰ってきた。
私は慌ててソファから立ち上がり、
「おかえりなさい」
と玄関に飛んで行った。
「え?」
司君はなぜか目を丸くして玄関で佇むと、私に、
「い、今の…。いいね」
とはにかみながらそう言った。
「今のって?」
「穂乃香の、おかえりなさいっていうの…。なんだか、夫婦みたいで」
と司君は言いかけたところで、顔の表情を変えた。
「おかえり、司」
後ろを向くと、キッチンから司君のお母さんと母が、司君を出迎えにやってきていた。
「ただいま」
司君はそう、今度は無表情で言うと、さっさと自分のカバンを持って2階に上がって行ってしまった。
「穂乃香ちゃん、そろそろお風呂に入ったら?」
「あ、はい」
私はそうお母さんに言われ、すぐに2階に行った。そして着替えを持ってから、司君の部屋のドアをノックした。
司君が顔を出した。
「司君、あのね。私、どうしたらいいと思う?」
「え?」
「司君と、どう接したらいいかな」
「…お母さんの前で?」
「そう」
「…そうだなあ。あんまりべったりもできないし、かといって、よそよそしいのもなあ」
司君はそう言うと、しばらく腕を組んで考え込んでしまった。
すると、トントンと司君のお母さんが2階に上がってきた。
「司、ちょっといい?」
「…なに?」
「あ、穂乃香ちゃんも」
お母さんはそう言うと、私と司君の腕を掴み、司君の部屋に私たちを入れた。
「真佐江ちゃん、今、キッチンで揚げ物をしてくれてるから、手を離せないから2階には来れないわ」
とそうささやいてから、
「いい?仲いいところをちゃんと真佐江ちゃんに見せるのよ」
と言い出した。
「は?」
司君が眉をひそめると、
「真佐江ちゃん、心配してるのよ。あなたたちが、うまくいってなかったらどうしようって。もし、うまくいってないって思われたら、穂乃香ちゃんを長野に連れて行こうとするかもしれないでしょ?」
「……なんで?」
司君はもっと眉をひそめた。
「あほ。よく考えなさい。彼氏と別れるかもしれない状態で、一緒に暮らしてるのって、相当きついことよ」
「え?ああ、うん。まあ…」
「娘がそんな辛い状況で、彼氏と住んでいるなんて思ったら、やっぱり母としては、どうにかしてあげたいって思うじゃない」
「だけど、べったりくっついていたら、今度はうちの父がなんて言うか」
「そうなのよね。難しいわね。ま、べったりくっつかない程度の仲のよさっていうの?」
「無理難題だな。俺にはそんな駆け引き無理だよ。距離をおけって言うならできる。いくらでもポーカーフェイスにもなれる。だけど、その中間ってなるとさ」
「……だから。ああ、もう。これ以上ここで話していたら、真佐江ちゃんも変に思うから、もう下に行くからね。とにかく、司、頼んだわよ」
お母さんはそう言うと、バタバタと階段を下りて行った。
「頼んだわよって言われたってさ」
司君はそうぽつりと言うと、いきなり私に抱きつき、
「こんなふうには、できないよね?」
と聞いてきた。
「あ、当たり前だよ。司君」
私がそう言うと、司君は今度はキスをしてきた。
だ、だから~~。
「穂乃香」
「え?」
「俺には、うまく演技できそうもないから、穂乃香がどうにか」
「無理」
「…」
司君が言い終わる前にそう言った。私だって、親の前でうまく演技なんてできるわけがない。
「はあ。まあ、とりあえず、仲が悪くないように見せたらいいんだよね」
司君はそう言うと、また思い切り私を抱きしめた。
「いくらでも、いちゃついていいって言うなら、できるんだけど」
「え?できるの?」
「………。いや。穂乃香のお父さん、怖いから無理かな。それに俺、手を出すなって言われてたんだったっけ」
「…そ、そうだよね」
ますます、2人とも、どうしていいかわかんなくなってしまった。




