第57話 噂と真実
怖いくらい幸せ。ぼけらっとしながら、私は司君と一緒に家を出た。
でも、司君は、小道を抜け、人通りにある道に出ると、途端にポーカーフェイスになり、距離もちょっとだけ開けた。
ああ、また、距離の開いた恋人に戻っちゃった。がっくり。
いや、いいのいいの。一緒に学校に行けるんだし。クラスも一緒だし。
ただ、教室に入ると、司君の席は後ろの方で、私は真ん中。まったく司君のことも、視界に入らなくなるから、残念。
時々司君が当たって、教科書を読んだりしている涼しげな声が聴けると、その日はかなりラッキーデイになるんだけど、そうそう当たることもないし。
体育も、最近は女子と男子が別々にしているから、司君の姿も見れない。
そのうえ、選択科目も違うから、今日みたいに、美術が2時間も続くと、めちゃくちゃ寂しさを感じてしまう。
ああ、重症。私って。
だって、昨日の夜だよ?べったりしていたのは。朝だって、起きたら横にいるんだよ?それに、可愛い顔でおでこにキスもしてくれた。
朝のことだよ?まだ、何時間もたってないよ?なのに、寂しいだなんて。おかしいよ、私。
でも寂しい。
やっぱり、重症。
美術の時間、ずっと私は静かにしていた。っていうより、沈んでいた。
教室に戻ると、司君の姿が見えた。
ああ!なんだか、涼しげに沼田君と話をしている。
「穂乃ぴょん、穂乃ぴょん。今日、藤堂君、数学見てくれるんだよね?」
そこに美枝ぽんがやってきた。
「あ、そうか。今日だっけ」
「もう、私、今回まじでやばい。数学もだけど、英語も。英語も見てくれないかな。藤堂君」
「時間があったら、見てくれるかも」
「やった~」
そうだった。今日は司君を独り占めできないんだった。
がっくり。
私はうなだれたまま、席に着いた。
「ねえ、結城さん」
隣の席の香苗さんが声をかけてきた。
「え?」
「なんか、落ち込んでる?美術の時間も元気なかったよね」
「ああ、期末テストが近いから、かな?」
「藤堂君に勉強見てもらえないの?」
「見てくれるよ。今日も、麻衣や美枝ぽんと一緒に、皆で藤堂君に勉強教えてもらう予定だし」
「いいな。彼氏が頭いいと」
「…」
いいでしょ?でも、一人占めしたいんだよ、実は。
なんて言えるわけもなく。
と、そこに視線を感じて、私は振り返った。斜め後ろにいる岩倉さんが、私をじっと見ていた。
「ど、ども」
私は無視するのも悪いと思い、岩倉さんに挨拶をした。岩倉さんもなんとなくお辞儀をして、視線を外した。
今の話を聞いていたのかな。
放課後になり、私たちは購買部でパンとジュースを買った。司君はちょっとだけ、川野辺と話があるから。と言って、教室を出て行った。
「あれ?そんなにパン食べるの?」
「あ、これは藤堂君の分」
「は~~。さすが、彼女だ。気が利くね」
麻衣にそう言われた。
私はパンを3個と、ジュースを2パック持って、教室に戻った。すると、教室には岩倉さんだけが残っていた。
「あ、あ、あの。私も、いいかな?」
「勉強会?」
美枝ぽんが聞いた。
「うん」
「いいよ」
麻衣と美枝ぽんは、あっさりとそう答えてしまった。
おいおい。司君に聞かないで決めちゃっていいわけ?
5分後、司君は戻ってきた。麻衣と美枝ぽんはすでにパンを食べ終わろうとしていた。
「藤堂君、パン食べる?」
私は食べないで待っていた。
「サンキュ。あれ?3個も?」
「一つは私の。つ、…藤堂君はどれがいい?」
「ほ…。結城さんが先に選んでいいよ。俺は残ったので」
「なんだか、仲いいよね。聞いてて、恥ずかしくなってきた」
麻衣ににそう言われた。
「岩倉さんも勉強教えてほしいんだって。いい?司っち」
「え?……あ、ああ。いいよ」
司君は一瞬、顔が硬直した。もしかして、岩倉さんのことが苦手なのかな。
「じゃ、岩倉さんもパン食べる?お腹空くよね?」
司君はそう言うと、3個あるうちの一つを岩倉さんに渡した。
「え?い、いいの?」
「うん」
岩倉さんは真っ赤になってうつむいた。
それから、司君は椅子に座ると、パンを食べながら、教科書を開いた。
「数学だよね?」
「美枝ぽん、英語も教えてほしい」
「英語も?まず、数学からでいい?」
「うん」
そして、司君を囲むようにして、数学の問題を私たちは解き始めた。
司君は誰かが質問をすると、丁寧に答えた。
岩倉さんが問題に詰まっていると、
「その問題、わかんない?」
と聞き、丁寧に説明をする。岩倉さんは、真っ赤になりながら聞いていた。
ああ、きっと今、岩倉さんは、幸せの絶頂にいるはず。
でも、私は、かなり寂しい思いをしている。
昨日は、司君は私の後ろにひっつき、それも、マンツーマンで勉強を見てくれていた。
なのに、今日は、なかなか私のことは見てくれない。
はあ。思わずため息が漏れそうになり、私は慌てて口を閉じた。でも、顔が暗かったかもしれない。
「女の中に男一人?」
そう言って、教室に入ってきた人がいた。あ、沢村君だ。
「…」
司君は無言で沢村君を睨んだ。
「いい気なもんだよね。彼女いるくせに」
なんだ~?それ。その彼女だって、ここにいるんだから、いいじゃん!
ムカ。頭に来るなあ。
「いいの?こんなんで、結城さんは」
そんなムスッとした顔をしている私に、沢村君が聞いてきた。
「何が?」
「なんだか、最近暗いよね?うまくいってないんじゃないの?噂、本当なんじゃないの?」
「噂?」
司君が沢村君に聞いた。
「なんでもないよ。じゃ、お先」
沢村君はそう言ってから、私の方だけを見て、意味深な笑いをした。
なんだ~~~?
司君はしばらく沢村君の後姿を見ていて、それから、無表情のまま、また前を向いた。
「沢村って、しつこい」
美枝ぽんが言った。
「まだ、穂乃香のこと思ってるのかな」
麻衣もそう言った。
「……」
司君は黙っていた。でも、
「お、思っていると、思う」
と岩倉さんが、話に参加してきた。
「え?なんでそう思うの?岩倉さん」
美枝ぽんが、ちょっと楽しげにそう聞いた。
「だって、男子で話していたの、偶然聞いたから」
「え?なんて?なんて?」
美枝ぽん!また面白がってるな!
「…俺、結城さんに、アタックしてみようかと思うって」
「沢村が言ってたの~~?」
「あはは。絶対に無理なのにね」
麻衣が大笑いをした。でも、司君はなぜか、ムスッとしてしまった。
「噂、本当なら、きっと今がチャンスだって言ってた」
岩倉さんは話を続けた。
「その噂って何よ。噂って」
「別れるかも…とか、うまくいってないみたい…とか、そういう類のでしょ?」
麻衣の質問に美枝ぽんが答えた。
「ああ。それね。バカらしいよね。瀬川さんが言ったのをまだ、真に受けてる人がいるってことでしょう?」
「と、藤堂君は、やけに彼女に冷たいっていう、噂もある」
「え?」
岩倉さんの言葉に、美枝ぽんと麻衣が聞き返した。
「前は、仲良く話したり、笑顔を向けてたけど、最近は全然だって。行き帰りも、話もしないで、距離を開けて歩いているって」
岩倉さんはだんだんと、話し上手になってきた。
「え~~。そんな噂があるの?」
「噂じゃないでしょ。見たまんまでしょ、それ」
麻衣がそう言った。
「見たまんま?」
司君がようやく口を開いた。
「そ。人が周りにいると、よそよそしいんだよね?でも、2人だと違うみたいだけど」
「麻衣っ」
私は麻衣の口を手でふさいだ。岩倉さんが聞いていたからだ。
「いいじゃん、言いたい奴はほおっておけば。2人の仲は安泰なんだしさ」
麻衣は私の手をのけてからそう言うと、数学の教科書を真剣に見だした。
そうだった。今は勉強をしているんだった。
私たちはまた、勉強に取り掛かった。でも、一人だけ、まだぶつぶつと言う人がいた。
「わ、別れるとか、仲悪いとかって、噂だけなの?」
「へ?」
岩倉さんの質問に、私は目を点にした。
「教室でも、話をしないし、行き帰りも、話をしないし。もう、別れるかもって言われても、当然って感じに見える」
「岩倉さん。それで、今がチャンスって思ってたとか?!」
美枝ぽんは、今度は楽しんでいない。どっちかって言うと、怒った口調でそう言った。
「ち、違う。私は…。ただ、そんなことを言ってる女子も多いから」
「まあね。いるよね、そんなの」
麻衣がボソッとそう言ってから、
「でも、気にしないでいいよ、そんな連中。さ、勉強しよう」
とそう切り替えた。
また、私たちは勉強をし出した。
外が暗くなり、チャイムの音がした。そして、校舎にアナウンスが流れた。
「下校時間になりました。校舎に残っている生徒は…」
そのアナウンスを聞いて、私たちは教科書を片づけ始めた。
「数学はなんとかなりそう。でも、英語~~~」
美枝ぽんが嘆いた。
「明日もダメ?放課後、時間取れない?」
美枝ぽんは、司君にこわごわ聞いた。司君は無表情で、
「うん。ごめん」
と謝った。
「そっか。そうだよね。藤堂君も家で、自分の勉強あるもんね」
「……まあね」
司君はまた、愛想のない返事をした。
「そうじゃなくって、あれでしょ?2人っきりで勉強するんでしょ?」
うりうり~~と、麻衣が私の腕をつっついた。
うわ。なんて答えたらいいんだ。赤くなって困っていると、
「ふ、2人で?」
と岩倉さんが驚いて聞いてきた。
「岩倉さん。この二人はね、学校ではこんなだけど、2人になると、そりゃもう仲良くって」
「麻衣っ!」
だから、なんでそんなことを岩倉さんにばらすの。
「なんてね。信じた?」
麻衣は舌をべろって出してから、岩倉さんにそう聞いた。
「え?今の、嘘?」
「さ~~~?実は私らも、知らないんだよねえ」
麻衣はわざとらしくそう言った。
うそだ。知ってるくせに。ああ、もう、麻衣は何がしたいんだ。
「結城さん。もし沢村が言い寄ってきても、無視して」
司君がいきなり、よそよそしい感じでそう言った。
「え?うん。そりゃ、無視しちゃうよ、もちろん」
私がそう言うと、司君はほっと溜息をついた。
え?なんで?
「でもさ、藤堂君もちゃ~んと穂乃ぴょんを掴まえてないと、穂乃ぴょんだって、わかんないよ?」
今度は何を言いだすんだ。美枝ぽん。
「え?」
司君は、眉をしかめて美枝ぽんを見た。美枝ぽんはそれを見て、一回ひるんだ。でも、
「冷たくしてたら、いい加減、穂乃ぴょんだって寂しくって、他の人にふら~~ってなっちゃうかも」
とそう言った。
「…」
司君は無言だ。
美枝ぽん。今のは、おせっかいと言うか、要らない心配だ。余計なお世話と言うやつだ。
でも、そんなこと言えない。
だけど、司君の表情が暗いから、私は気になってしまい、
「美枝ぽん。そんなアドバイスいらないよ。私、今、すごく幸せだし」
と思わず本音を言ってしまった。
「…もう。なんでそう、健気なの?穂乃ぴょんは。見てて泣けてくる」
へ?
「もっとさあ、藤堂君にわがまま言ってもいいと思う。だって、彼女でしょ?」
「…わがまま?」
「もっと優しくしてとか。大事にしてとか。一緒にいてとか。付き合って長いんだから、べったりしてもいいのに」
う…。
してます。十分すぎるくらいしてますって。
「今日も穂乃ぴょん、暗かったし。美術の時間も暗かったよね?香苗ちゃんだって気にしてたよ」
「え?そうなの?そんな話をしてたの?」
「うん」
私が驚いて聞き返すと、司君も気になったらしく、
「どんな話?」
と美枝ぽんに聞いた。
「だから、穂乃ぴょんが暗くって、藤堂君とうまくいってないんじゃないかって話だよ」
美枝ぽんがそう言うと、岩倉さんは私と司君を交互に見た。
「いいじゃないよ。それより、もう教室出よう。先生見回ってくるよ」
麻衣の言葉に、みんなカバンを持ってぞろぞろと教室を出た。
「私だったら、嫌だな」
昇降口に向かう途中、美枝ぽんがそう言いだした。
「え?」
私が聞き返すと、
「もっと、付き合ってるんだったら、仲良くしたい。でも、2人って見ていてほんと、仲良くないんだもん」
と美枝ぽんは言った。
「そう?毎朝一緒に登校して、帰りも一緒なのに?」
麻衣は必死でフォローしようとしているようだ。
「片瀬江ノ島で見かけることあるけど、距離空いてるんだよ?それに、話もしないんだよ?この二人は」
美枝ぽんがそう言った。
なんだか、美枝ぽんは、司君を責めているみたいだ。
「あ、あのね。私が美術の時間に暗かったのは、藤堂君と選択科目が違ってるからってだけだから」
私は必死にそう言った。
「教室でも暗かったよね?」
美枝ぽんがまだ、そう聞いてきた。
「え?私?」
「そう。香苗ちゃんも気にしてたよね?」
「あ、そうだっけ?でも、あれは、藤堂君の席が遠いから。それだけ」
そう言うと、司君はちょっとびっくりした顔をしたけど、すぐにポーカーフェイスに戻った。
「なんだ。離れちゃってるからって、寂しがってるだけじゃん」
麻衣はそう言うと、あははって笑って、私の背中と美枝ぽんの背中をたたいた。
「え~~。なんだか、納得できない。美枝ぽんは」
美枝ぽんはまだ、そんなことを言っている。
「そ、それ、ほんと?それだけの理由で暗かったの?」
岩倉さんがそう聞いてきた。
「え?うん」
私はそう答えてから、司君に、
「へ、変だよね?」
と言ってみた。司君は私を見て、それから視線を外し、首を横に振った。あ、照れてる?
「本当にそれだけ?」
美枝ぽんが聞いてきた。私たちはすでに校舎を出て、駅に向かっていた。
「しつこい、美枝ぽん」
麻衣がそう言って、美枝ぽんの腕をつっついた。
「本当。自分でかなり、呆れたけど」
私はぼそっとそう言った。
「呆れたって?」
「え?なんでもない。こっちの話」
「何?聞きたい~~」
美枝ぽんの前で、うかつなこと言えない。ほんと、しつこいかも。
「だ、だから。えっと」
司君のいる前で言えないよ~~。朝までべったりしていて、ちょっと離れたくらいで、寂しがっている私って、しょうもないよね、なんて。
「ちょっとでも、離れていると、寂しいんだよね?」
麻衣が、突然私の心の内を見透かしたようにそう言った。
「え?なんで、それ」
私はそう言ってから、慌てて口を押えた。でも遅かった。
「のろけ?」
美枝ぽんはそう聞いてきた。
「だから、美枝ぽん。この二人は、2人っきりでいる時にはきっと、べったりなんだってば」
麻衣がそう言った。
「え?そうなの?実はラブラブ?」
「…」
やばい。顏が反応した。熱い!
「真っ赤だ。穂乃ぴょん。あ、藤堂君も」
「あ、あのさ。もうこういう話は、やめてくれないかな」
司君は必死に顔をクールに装うとしながら、そう言った。
「なんで?」
美枝ぽんはキョトンとした顔をして聞いた。
「苦手なんだ」
司君は一言そう言ってから、
「あ、でも。まじで俺ら、別れたりもしないし、仲悪いわけじゃないからさ」
と、何気に岩倉さんのほうを見て、司君はそう言った。
岩倉さんは何も言わなかった。でも、ほんのちょっと顔が沈んだ気がする。
私と司君が別れたらいいなって思っている女子は、いっぱいいるのかな。岩倉さんも?
でも、それはきっと、ないと思う。
だって…。
家に帰り夕飯が終わると、司君はまた私を部屋に連れ込んだ。
「ちょっと勉強できそうだね」
「うん」
そうは言っても、司君は後ろから私を抱きしめて、離そうとしない。
「ほんと?」
「え?」
「美術の時間、寂しかったの?俺がいなくって」
「うん」
「教室では?」
「司君の姿がなかなか見れないから、いつも寂しい」
「うそ」
「本当に」
「なんだ。俺はいくらでも、授業中に穂乃香が見れるから、寂しくなかったけど」
「ずるい。私だって見たい」
「……」
司君はぎゅって私を抱きしめた。
「別れるとか、そんな噂、まだあるんだね」
「うん」
「そんなことあるわけないのにね」
「うん」
「俺ら仲悪くないのにね」
「うん」
「こんなにべったりなのにね」
「……司君、優しいのに冷たいだなんて…」
「……」
司君はうなじにキスをしてきた。
「今日は何の勉強をする?」
「化学。化学も苦手」
「あはは。苦手なのばっかりだね。何が得意?」
「美術」
「あ、そうか。そうだったね」
司君はそう言うと、化学の教科書をだし、そしてまた私の後ろに座って、べったりとくっついて勉強を始めた。
ああ。やっぱり、これだよね。
2人っきりで、べったりしているのが、めちゃくちゃ嬉しい。




