第50話 キャロルの変化
「穂乃香、熱がいくら下がっていっても、今日は休まないと駄目だよ」
朝、熱を測ったら、36度3分。その体温計を見て、司君がそう言った。
「う、うん」
いったん、起き上がろうとしたが、私はまた布団に潜り込むことになってしまった。
「朝食ここに持ってこようか?」
「だ、大丈夫。それに今、そんなにお腹空いてないから、あとで食べる」
「…そっか。お粥か何か作ってもらうよう、母さんに言っとくよ。じゃ、本当に今日は家でゆっくりするんだよ?」
「うん」
司君はそう念を押してから、部屋を出て行った。
朝起きた時から、司君は優しかった。でも、いつもより口数が多くなり、ちょっとお父さんみたいな感じだったな。
でもそんな司君が、嬉しかった。
それにしても、今日1日何をしていよう。熱がないのに寝ているのも、けっこう暇だし辛い。
30分して、また司君が私の部屋に来て、
「じゃ、行ってくるよ」
と私のおでこを優しく撫で、カバンを持って部屋を出て行った。
「いってらっしゃい…」
なんだか、ちょっとこれって、夫婦みたい。
って、奥さんが病気で寝ているって設定の夫婦になっちゃうな。それ、悲しいかな。
あ、だけど、結婚してもし私が熱出したら、やっぱりこんなふうに司君は優しいのかな。きっとそうだろうな。
ほわほわほわ。しばらく私は、妄想の世界にいた。
と、その時、
「穂乃香!」
と突然、ドアを開けてキャロルさんが入ってきた。
「ゴ飯。食ベラレルカ?」
キャロルさんはお盆にお粥を乗せてきたようだ。
「ありがと。もうちょっとしたら食べるから、そこに置いておいて」
「冷メチャウヨ」
「熱くっても、食べられそうもないし…」
「ワカッタ」
キャロルさんは、お盆ごと布団の横に置いた。
「熱、下ガッタッテ、司言ッテタ」
「うん。下がったよ」
「デモ、無理シチャ駄目ッテ、千春ママ言ッテタ」
「うん」
「ダケド、寝テイルダケッテ、ツマラナクナイカ?」
「…うん。つまらないかな…」
「リビングデ、DVD観ヨウ」
「え?」
「朝ゴ飯食ベタラ、観ヨウ。ネ?」
「…キャロルさん、学校は?」
「今週ハ、休ム」
「……」
「ジャ、アトデ、ソレ、片ヅケニクルカラ」
キャロルさんはそう言うと、にこにこしながら部屋を出て行った。
な、なんだか、キャロルさんの様子が変。っていうか、やけに機嫌よかったけど、なんで?
それから1時間くらいたっただろうか。キャロルさんがまたやってきて、空になったお椀が乗っているお盆を持って、
「リビングイッテ、映画観ヨウ」
と言ってきた。
「うん」
私は熱もないし、このまま寝ているのも暇で、キャロルさんと一緒に一階に下りた。
「あれ?お母さんは?」
「洗濯物干シテル」
「そう」
「早ク座ッテ」
キャロルさんはそう言って、私をソファに座らせると、自分もその真ん前に座り、テレビをつけた。
「映画ってなんの映画?」
「SF」
「怖くない?」
「大丈夫。面白イ。ギャグ満載」
そんな日本語、良く知ってるなあ。
「ッテ、司、言ッテタ。キット、キャロル観タラ、元気ニナルッテ、貸シテクレタ」
え?じゃ、司君の持っているDVDなの?
そして、映画が始まった。キャロルさんは字幕を追わないで済むからか、微妙に私と笑うタイミングがずれていたり、え?そこ、おかしい?っていうようなシーンで笑ったりしていた。
それに、私がくすって笑うところでは、笑っていなかったり、アメリカ人の笑いのツボとは違うんだな…と思ってしまった。
キャロルさんは時々笑っている私を見た。そして、
「穂乃香、元気ニナッテ、ヨカッタ」
と嬉しそうにそう言ってくれた。
私は素直にその言葉を喜んだ。
今日のキャロルさんはなんだか、やたらと可愛く見えたし、優しかった。
「あら、穂乃香ちゃんも映画観てるの?熱は大丈夫?」
お母さんが、リビングにやってきてそう聞いてきた。
「あ、はい。熱はもうすっかり…。部屋に居ても暇だし、キャロルさんが映画を観ようって誘ってくれて」
「そう。お粥は食べられた?」
「はい。美味しかったです」
「食欲もあるのね。じゃ、もう大丈夫ね?」
お母さんはほっとした顔をして、そう言った。あ、きっと私、いっぱい心配かけちゃったんだな。
「もう大丈夫です。すみません。心配かけて」
「いいのよ。ただ、穂乃香ちゃん、ご両親もいないし、心細くなかったかなって思って」
お母さんがそう言うと、映画を観ていたキャロルさんがお母さんのほうを向き、
「大丈夫。司、イル」
と力強くそう言った。
「司がいたら、穂乃香ちゃん、本当に安心?」
「はい」
はいと答えてから、顔が火照った。
「そう…」
お母さんは静かにそう言って、リビングを出て行った。
「司、昨日ズット、穂乃香ノ隣ニイタンダロ?」
「うん」
「…スゴク、心配シテタ。熱、下ガッテキット、司モ安心シテ、学校行ッタ」
「そうだよね。司君にも心配かけちゃった…」
「私モ、心配シタ」
「そ、そうだよね。ごめんね、キャロルさん」
「ソレ!他人行儀デ嫌ダ」
「え?それって?」
「サンイラナイ。キャロルデイイ」
「あ、呼び方のことか…」
他人行儀だなんて、難しい言葉知ってるんだな。
「わかった。じゃ、キャロルって呼ぶね?」
「ウン!」
キャロルさんはにっこりと笑った。あ、さんはいらないのか。キャロルだね、キャロル。
また私とキャロルは映画を観て笑った。なんだか不思議だった。キャロルとこんなふうに、打ち解けるなんて思ってもみなかったなあ。
こうやっていると、キャロルは普通の女の子なんだなあ。
映画が終わり、キャロルは、
「穂乃香、疲レタ?」
と聞いてきた。
「ううん。大丈夫」
「部屋行ク?」
「もうちょっとここにいる。部屋に戻ってもすることないし」
「…ジャ、ガールズトークシヨウ」
「え?」
が、ガールズトーク?キャロルが?
ちょっとびっくり。っていうか、びっくりすることばかりだ。
キャロルは、それから突然、アメリカにいる彼氏の話を始めた。出会ったきっかけや、付き合いだしてからのこと。そして浮気のことまで。
「浮気、許セナイ。ソンナコトスル男トハ思ワナカッタ」
「真面目な人なの?」
「大人。クール。強イ」
どうやら、その彼は武道を習っているらしい。
「タッタ、数カ月会ワナイダケデ、浮気スルナンテ。穂乃香、ドウ思ウ?モシ、司ガ浮気シタラ、ドウスル?」
「え?えっと。どうするかな。泣くかな…。きっと、すんごく落ち込んで落ち込んで、地の果てまで落ち込むかな」
「…怒ラナイノカ?」
「…わかんない。でも、きっと悲しいな」
「ソッカ」
キャロルはしばらく黙り込んで、
「司、浮気シナイ。安心シテイイ」
とそう笑って言った。
「え?」
「穂乃香、司ノ、理想。穂乃香以外ノ女性、司、興味ナイ」
「……な、なんでそう思うの?」
「見テイタラ、ワカル。司、穂乃香ノコト、大事。ソレニ、大好キ…」
「え?そ、そういうのって、見ていてわかるの?」
「ワカル。司、穂乃香、家出テ行ッタアト、必死ダッタ。アンナニ動揺シタ司、見タコトナイ」
「……」
「ダカラ、私、嫉妬シテ、穂乃香ニ意地悪言ッタ」
あ、そう言えば、穂乃香なんて帰ってこなかったら良かったのにって言って、お母さんからほっぺ、ひっぱたかれたんだっけね。
「じゃ、一つ聞いてもいいかな」
私は気になって、キャロルに聞いてしまった。
「何?」
「なんで、司君の部屋に行ったの?ベッドに潜り込んだでしょ?」
「…アレハ」
キャロルはしばらく黙り込み、私のほうを見ようともしないで、
「アレハ、チョット、フザケタダケ。チョット、司ヲ困ラセタカッタダケ」
とぼそぼそとそう言った。
「ほんと?」
「…ウン。司、ドウスルカナッテ、思ッテ」
「本当に?」
「…ホントハ、穂乃香ニトラレタクナカッタ」
「…」
やっぱり、それが本音。
「司ガ、好キトカ、ソンナンジャナイ。タダ、ナントナク」
そうキャロルは言った。だけど、キャロルは司君が好きなんだと思う。それも、もしかしたらすでに、自分で気が付いているのかもしれない。
気が付いたから、大事だから、私に対しての態度が変わったのかもしれない。
「司、私ノコト、妹ミタイニ、大事ニ思ッテル、ソウ言ッタ」
え?言っちゃったの?キャロルに?
「大事ニ思ッテクレテルナラ、ソレデイイ」
「え?」
「モウ、私ナンテ、本当ニ、イラナイノカト思ッタ」
「…」
「コノ家…、コノ家族、私、好キダカラ、居場所ナクナルノハ悲シカッタ」
「…そう」
「穂乃香ガイタラ、私ノ居場所、ナクナルッテ思ッタ」
「……」
そう言った後、しばらくキャロルは下を向き、黙り込んだ。
泣いちゃったのかな…。
そう思った次に瞬間、キャロルは顔をあげた。その顔はやけに清々しかった。
「私、穂乃香トモ仲良クナル」
「え?」
「ソウシタラ、私モ穂乃香モ、ココノ家族。デショ?」
「……そうだね」
私はにこりと笑った。すると、キャロルも嬉しそうに笑った。
「初メカラ、ソウシタラヨカッタ」
キャロルはそう言って、今度は声をあげて笑った。
キャロルの変化には、びっくりした。だけど、あのジャイアンだって、妹のジャイ子には優しいし、弱いところもあるし、キャロルだって、優しかったり、弱かったり、女の子らしかったりする部分もあるんだよね。
ただ、守君の反応がどうなるかが、怖いけど。もし、私とキャロルが仲良くなったら、裏切り者だって怒ったりしないだろうか…。
司君は?
きっと、司君なら、喜ぶかもしれない。司君はだって、キャロルのことを大事に思っているから。
私も、キャロルのことを大事に思えるかな。
友達のように、家族のように。
これから先、もっと仲良くなれるのかな。
って、私の考えが甘かった。
仲良くなれるかな~?だと?
友達のように~だと?
とんでもない!
その日の夜、司君が帰ってくると、キャロルは元気に出迎えた。
「司!穂乃香、スッカリ元気」
「え?あ、そうなんだ。熱、また上がったりしなかったんだ」
司君はそれを聞き、安心した顔でキャロルのあとから玄関に行った私を見た。
「うん。もうずっと熱も平熱なの。明日は学校に行けそう」
「そっか。良かった」
司君はにこりと微笑んだ。ああ、その笑顔に胸キュン…。
ってしていると、いきなりキャロルが私の腕を掴み、
「穂乃香、オ風呂、入ルダロ?」
と聞いてきた。
「え?うん」
「ヨシ!一緒ニ入ロウ」
「え?だ、誰と?」
「私!」
え~~~!!!!!
ちょ、ちょ、ちょっと待って。慌てていると、司君が、
「へえ、俺がいない間にずいぶんと仲良くなったんだな、キャロル」
と感心しながらそう言った。
「ウン!仲イイ!」
キャロルは、嬉しそうにそう言い返していた。
でも、私は、困ってるんだよ~~。司君!
一緒にお風呂?女同士とは言え、そこまでは、ちょっと。
だけど、戸惑ってる私のことをおかまいなしに、キャロルはどんどん私をお風呂場へと連れて行った。
なんなんだ。この腕力は~~!!!掴んで離してくれないし、こんな腕力でいつも、司君も守君もやられていたのか。
絶対に、腕相撲でアメリカナンバー1になれるんじゃないのかっていうくらい、力強い。そんじょそこいらの男の腕なんて、へし曲げるくらいの…。
だから、私なんて、抵抗できるわけもなく。
結局一緒にお風呂に入る羽目になった。
キャロルの隣で、小さくなって体を洗った。髪は豪快にキャロルが洗うので、仕方なく先にバスタブに浸かった。
は~。とりあえず、一人でバズタブに入れたから、ほっと一安心…しているのもつかの間、キャロルはさっさと髪を洗い終え、バスタブにジャプンと入ってきた。
「きつい。二人で入るのはきついよ」
「ソウダナ。コレジャ、穂乃香、司ト入レナイナ」
「入らないから…」
もう、何を言いだすんだか。
私はバスタブから出て、髪を洗いだした。
「穂乃香ノ髪、綺麗。黒髪、イイネ」
「キャロルの髪もいいよね。ブロンドっていうんでしょ?その色」
「黒イホウガイイ。大和撫子ダ」
「何それ?」
なんだって、そういう言葉を知っているのか。
「司ノ好ミ。大和撫子ダッテ、アメリカニイル時、聞イタ」
「私は、大和撫子でもなんでもないよ」
そう言うと、キャロルは黙り込んで私をじいっと見た。
う、う~~~ん。なんだか、恥ずかしいな。じっと見られるの。
「穂乃香、肌、綺麗」
「そんなことないよ」
「私、ソバカスイッパイ。穂乃香、全然ナイネ。真ッ白ダ」
「…」
あんまり見ないで、本当に恥ずかしいよ。
「黒髪、真ッ白ナ肌。司、夢中ニナルノワカル」
「へ?」
「穂乃香ハ、司ノ理想ソノモノダ」
違うよ。そんな理想だなんて!
「日本人はみんな、私と同じ。私みたいな肌、誰でもしてるし、黒い髪の子もいっぱいいるよ。まあ、せっかくの黒髪なのに、茶色く染めてる子もいるけど。本当に、私なんて、他の子とさほど変わらないから」
「…」
キャロルは黙った。
「ソレ、謙遜ッテイウノ?」
「謙遜?」
また、難しい言葉。
「謙遜じゃないよ。本当にそう思ってるの」
「…ナンデ?モット、自信持ッテイイ。私ガ男デモ、穂乃香ニ惚レル」
「はあ?」
「穂乃香、キットアメリカ行ッタラ、超、モテル」
「ま、まさか~~」
アメリカじゃ、こんな薄っぺらい体、モテたりしないって。
「日本人形ミタイッテ、モテルノ間違イナシ」
ないない。だから、ないって。
「日本人、モテル。アメリカ来タラ、司、ズットヤキモキシテイナイトナラナイ」
やきもき~~?そんな言葉も知ってるの?面白いなあ。キャロルって。
「日本ニイテ、ヨカッタ。ア、将来、アメリカ行ク予定ナイカ?」
「ないよ。まったくない」
そう言うと、キャロルはにっこりして、
「デモイツカ、司トアメリカ、遊ビニ来テ。私、イロンナトコロ案内スル」
とそう言った。
私が髪を洗い終えると、キャロルは、
「ノボセソウ。私、モウ出ル」
と言って、お風呂場から出て行った。
私はそのあと、ゆっくりとバスタブであったまった。
私が、アメリカでモテる~~?ないない。キャロルのほうがずっとナイスバディじゃない。
それに、司君が私に夢中になるのもわかるって?うそうそ。こんなでっぱりも、くびれもない寸胴な体、魅力なんてどこにもないってば。
ま、いっか。
と、私はのんびりとバスタブに浸かっていた。
今、お風呂場の外でキャロルと司君が、どんな会話をしているも知らないで。




