第5話 久々の登場
雑誌を持って、翌日それを麻衣に返した。
「なにか参考になりそうだった?」
「…なんにも」
暗くそう言うと、麻衣が気にして、
「おや、何か悩み事?」
と聞いてきた。
「え?ううん。なんでもないよ。それよりも麻衣、クリスマス頑張ってね」
その一言で麻衣は、顔をこわばらせた。あ、かなり今から緊張しているんだなあ。
そりゃそうだよね。だって、未知の世界だもの。
だけど…。
だ~~~~~い好きな人のぬくもりを知ったり、優しさに触れるのは、超幸せなんだけどな。
そう。幸せなの。
なのになんで、私に無理させてるって思っちゃったんだろう。そうだ。そもそもそこだ。その疑問から解いていかないと。
あ、あれ?私、昨日、無理なんてしていないってはっきりと言ったっけ?
え~~~~っと。どうだったっけ~~~?
はっ!まさか。あんな本まで読んだりして、ますます私が無理をしているって思われたんだろうか。
ガックリ。
昼休み、中庭での麻衣と美枝ぽんの話も中途半端に聞いていたが、
「ちょっと、聞いてる?藤堂君のことだけど」
と美枝ぽんが私の顔を覗き込み、話しかけてきた。
「え?と、藤堂君?」
キョロキョロ。辺りを思わず、見回した。
「ここにはいないよ。さっき、教室の外には呼ばれてたけどね。それからどこに消えちゃったんだか」
「え?」
呼ばれた?消えた?
「な、なんのこと?」
「やっぱり、知らなかった~~。麻衣と2人でさっさと教室から出て、ここに来ちゃってたもんね」
「え?」
「そう言えば、美枝ぽん、ちょっと中庭に来るの遅かったね」
「うん。だって、気になっちゃって」
「藤堂君がなあに?」
ドキドキ。胸騒ぎがする。
「今、学校で1番可愛いと言われている1年の女子に、さっき呼び出されてた」
「…え?」
1番可愛い?なに?それ。
「あ、知ってるよ。でも、ごく最近、聖先輩に軽く振られたって噂になってなかった?」
「そうそう。簡単に振られたのよ。で、もしかすると、次は藤堂君狙いなんじゃないかと思って」
「え~~!だって、ごくごく最近でしょ?振られたの」
麻衣が目を丸くして驚いている。
「だって、文化祭は目前だよ?のんびりしていられないんじゃないの?」
「だけど、聖先輩だって彼女いるのみんな知ってるし、司っちだって、公認のカップルだよ?」
「…可愛いから自信があるんじゃないの?」
「そ…そんなに可愛いの?」
「モデルみたいだよ。顏が小さくて、髪は栗毛で先っぽがくるりんってカールしてて。色白で目が大きくてまつ毛長くて」
モ、モデル?
「藤堂君、呼びだされてついて行っちゃったの?」
「うん。あっさりと」
え~~~~!!!!!!なんで?
「即行断ると思ったんだけどね。藤堂君も可愛い子には弱いのかな」
え~~~~~~~~~~~~~!!!!
すっごく不安だ。
「大丈夫だよ、穂乃香。司っちがそんなことくらいで、気持ちがぐらつくわけないじゃん」
わかんないよ、そんなこと。
「なにしろ、ふられてもしつこく思い続けてたんだよ?穂乃香一筋な男なんだから」
「そ、それは」
わかんないじゃん。遠目から見たのと近くに行ったら、違ってましたってあるし。
待て。待て待て私。昨日も司君の優しさを再認識したところだよね?なんでこんなことで、心ががたついてるの。
もっと、司君を信じなきゃ!
それから私たちは教室に戻った。すると教室の中でも、司君の話題が上っていた。
「例の子だよね?聖先輩に振られてた」
「今度は藤堂君?」
「でも、藤堂君、呼ばれてすんなりついていったよ」
「なんで~~」
そんな会話が飛び交っている。
ドッスン。気持ちを持ち上げたのに、また重くのしかかってきたぞ。何かが。
「あの子、1年の瀬川優奈でしょ」
そうなんだ。可愛い名前じゃないか。
「男子からガンガンにコクられてるよね。でも、絶対にOKしないらしいよ」
「なんで?」
「聖先輩を落としたかったらしいし、落とせると思ってたらしい」
「なんで~~~~?」
「さあね。あの自信はなんなんだろうね」
「それで、今度は藤堂君?落とせる自信があるのかな」
ギクギク~~~~。
「どうするの?結城さん」
え?
いきなり私のほうをみんなが向いて、いっせいに聞いてきた。
「勝ち目あるの?」
「藤堂君、取られちゃうかもよ?」
「かわいそう」
え?
「断ると思ったら、ついて行っちゃったもんね」
「大丈夫なの?」
わあ。どんどん女子が群がってきたよ。
「結城さんと藤堂君、教室でも会話してないし、もしや別れる寸前とか?」
なんで、そんなことまで言われてるの?
「はいはいは~~い。そこまで!ほら、みんな勝手なこと言ってないで、散った散った」
麻衣が来て、みんなをけちらした。いつものことながら、ほんと、頼りになる。
その後ろに、沼田君の顔が見えた。そして私に何かを話しかけようとして、すっとそのまま自分の席に行ってしまった。
あれ?
なんだろうな。最近また、疎遠になっちゃったな。
みんなが自分の席に戻り一息ついたころ、司君が教室に戻ってきた。
「あ」
みんながいっせいに、司君に注目した。それになんとなく気が付いたようだが、司君は眉をひそめただけで、席に行ってしまった。
気になる。どこに行ってたの?ずっとあの子といたの?
ああ、私は自分が怖い。なんだか、どんな情報でも握ってないとすまないような、こわ~~い奥さんにでもなった気分だ。
たとえば、夫が会社から夜遅くに帰ってきて、
「あなた、飲み会って本当なの?どこで飲んでいたの?誰と飲んでいたの?なんで、香水の匂いがするの?」
とか、問い詰めてるような…。って、昼のドラマの見すぎ?夏休みとか、たまにそんなの見てたからなあ。
結局、放課後まで司君には何も聞けず、そのまま美術室に向かった。
「今日もまた、遅くまでかかりそう?」
「うん。多分」
「じゃあ、俺も練習を残ってやるから。そうだな。6時近くになったら様子見に来るね」
「うん」
司君はにこりと微笑み、そのまま廊下を歩いて行った。
優しい。きっと私一人を残さないのは、あんな事件があったからだろうけど。
それでも、あんなに優しいんだよ?あんなに優しいんだよ?あんなに優しいんだから、他の子と仲良くしたりなんて…。
「はあ…」
必死でそう思い込もうとしている自分が、情けないかも。
気を取り直して、絵に取り掛かった。ありがたいのは、無心になれることだ。
美術室全体が活気にあふれ、いやがおうでも他のことなんて忘れさせてくれる。
「は~~~~~。疲れた~~」
ひと段落ついたのは、5時半を回った頃だ。
「あら、もうこんな時間なのね。今日はこの辺でやめておく?」
部長がそう言った。みんな、いっせいに伸びをしたり、屈伸をしたりして、それから片づけを始め出した。
「へ~~。すげえじゃん」
そこに、やたらと懐かしく、鼻に着くような声が聞こえてきた。
「柏木君?」
部長が驚いた声をあげた。
え?
私も慌てて立ち上がった。ああ!本当だ。相変わらず髪を金色にしている、柏木君がドアから中に入って歩いて来ている!
「どうも。ご無沙汰してます」
「どうしたの?まさか、こっちの高校に戻ってくるの?」
「いいえ。遊びに来ただけで~~す」
柏木君はおどけながらも、懐かしい笑顔を見せている。
「…よ。また、会ったね」
そうして私の前で立ち止まり、にやりと笑った。ああ、このちょっと嫌な感じの笑い方まで、前と変わらない。
「遊びに来たって?」
「うん。文化祭にも来るけど、ちょっと今日こっちに用があったから、寄ってみたんだよね」
「高校は?行ってるの?」
「心配?」
う…。こういうところも、変わってない。
「久々に会えて嬉しい?そろそろ俺が恋しくなってきてた?」
「まさか」
正直、忘れてたもん。って、さすがにそこまでは言えないけど。
「グッドタイミングで現れたんじゃない?俺の胸貸すけど?」
?
「何が?」
「泣きたかったらさ。別れたんじゃないの?」
「…誰が?」
「藤堂と…」
え?!
「さっき、ちょっと弓道部の前も見てきたんだ。そうしたら、可愛い~~女の子と話をしてたよ?あれ、藤堂の新しい彼女?」
……うそ!なんで?なんで、そんなところでも話をしてるの?
「そ、それで、藤堂君、なんて?」
「え?なんにも話してないよ。俺、邪魔しちゃ悪いと思って、さっさとこっちに来たし」
「……」
「終わったんでしょ?なんかおごるから、一緒に帰ろうぜ。藤沢だろ?俺も藤沢行くし」
「…今、引っ越したから違うの」
「…じゃ、帰り道のどっかで」
「悪いけど、藤堂君と帰るから」
「…なんだ。まだ付き合ってんの?あれ?じゃ、あいつ二股?」
「違うから!」
ムカ。ムカ。なんでこの人が現れるとろくなことがないんだろう。
「ねえ。柏木君の絵、文化祭で展示した後、あなた自分で持って行かない?」
部長に話しかけられ、柏木君は部長のほうに行った。
良かった。これ以上話していたら、大喧嘩にでもなるところだった。
それにしても、ああ!本当にいっつも、タイミングの悪い時に来る。それも、どうして司君が他の子といるところを、柏木君が目撃しちゃうのよ。
駄目だ。落ち込むのも通り越し腹が立ってきた。
みんなで片づけを終え、帰り支度を始めたころ、司君が美術室に現れた。
「あ、藤堂君、お疲れ様。弓道部も終わったの?」
部長にそう言われ、司君はちょっとたじろいだ。
「ああ、もうモデルのことはあきらめたから。柔道部の男子にお願いしたらOK出たからさ」
部長がそう言うと、あきらかに司君はほっとした顔つきになった。
それから、他の部員がワイワイしている中に、金髪がいるのを司君は見つけたようだ。
「…柏木?」
司君の目が、一点を見つめ動かなくなった。
「…よう、藤堂。久しぶり」
柏木君はまた、憎たらしそうな笑顔で司君の前までやってきた。
「なんでお前」
「また、この高校に通うようになったんだ。よろしくな」
「え?!」
「嘘だよ。柏木君、嘘ついてるだけだから」
私が思わずそう言うと、柏木君はげらげら笑って、
「藤堂、すんげえびっくりした顔してた。あははは。俺が戻ってきたらそんなに困るのか?」
と司君を茶化していた。
ム…。あ、司君の顔付き、変わったかも。
「じゃ、なんでここにいるんだ?」
「たまたま、こっちに用があったから、美術部に寄ったんだよ。ああ、そうだ。文化祭にも来るよ。結城さんの絵を見にね」
柏木君はそう言うと、私の顔を見て、
「完成したんだろ?楽しみだな、結城さんの絵」
と今度はかなり真剣な眼差しでそう言った。
「行こう」
司君が私の手を取って歩き出した。
「結城さん。俺さ、結城さんに言われたように、ちゃんと高校行って、絵も描いてるよ」
柏木君が私の後姿に向かってそう言ってきた。
「それで、美大も受ける。でもさ、才能が本当にあるのは結城さんだよ」
え?
私は思わず振り返った。すると、いつにもなく柏木君は切なそうな顔をして、
「だから、結城さんも美大目指そう。俺と一緒に」
と言葉を続けた。
「私は…」
美大は行かないの。と言いかけたが、司君が私の手を思い切り引っ張り、
「帰ろう」
と言って、とっとと歩きだし、それ以上何も柏木君に応えることはできなかった。
司君はずっと無言で、早足で歩いていた。私は司君のあとを、ちょこまか走っていた。
そして昇降口でようやく、司君は止まった。
はあ…。ちょっと息切れ。
「ごめん。また、俺早足になってた」
「だ、大丈夫」
「…ごめん」
司君はそう言うと、靴を下駄箱からボスンと床に落とし、ちょっと怖い顔をして靴を履いた。
お、怒ってる?
柏木君にかな?
っていうか、私も、あの瀬川さんってことでいろいろと頭に来ていたんだけどな。
それからも、司君は無言で駅までを歩き出した。
「……司…じゃなくって、藤堂君?」
「…ごめん。わかってる。でも、ちょっと気がなかなか収まらなくって」
「え?」
「柏木が現れて、動揺した」
「……」
「それも、あんなことを結城さんに言って来たりして、かなり動揺してる」
「あんなこと?」
「美大。一緒に目指そうって」
「ああ。でも、私、美大は受けないし」
「……ほんと?本当は受けたいんじゃないの?」
「前は、受けたいって思ったんだけど…」
「…」
司君は、真剣な目で私を見た。
「趣味でいいの」
「趣味?」
「うん。絵を描くのは。ほんというと、デザインの専門学校ですら、いまだに悩んでいるし」
「俺も、結城さんは才能あるって思うよ?」
「…ありがとう。だったら、そうだな。勝手に個展とか開いちゃおうかな。なんてね」
「……」
「今のは冗談だけど。だけど…。絵を描くのは好きだけど、仕事と結びつかないんだ。親に高いお金出してもらって、趣味でやる絵のために美大に行かせてなんて言えないし」
「…そっか」
「それに、専門学校も行ったとしても、その先何がしたいのかまったく見えていないの」
「…結城さんもか。俺も、未来はまだ見えてないな」
「……どうして、動揺したの?」
「え?」
「柏木君のあの言葉で」
「…うん。どっかで、怖がってるんだ」
「何を?」
「柏木に結城さんを取られちゃうのを」
「私が?」
「目指すものが一緒で、同じ世界で切磋琢磨して生きていく…。なんて2人の世界が今、なんとなく浮かんだから」
嘘。柏木君との?
やめてくれ。そんな勝手な妄想。
「ありえないよ」
「え?」
「ぜ~~ったいに、ありえないよ」
「ほんと?」
「当たり前だよ。私が好きなのは藤堂君だもん」
そう私はかなり大きな声で断言したらしい。そこはすでに駅構内で、周りの人たちがいっせいに私と司君を見ていた。
私たちは恥ずかしくなり、一気に改札を抜け、ちょうど来た電車に乗り込んだ。
「…ごめん。声、大きかった?」
「うん。かなり」
「ごめんね?」
「いいよ。嬉しかったよ」
司君はそう言ってから、はにかんだように笑った。
良かった。柏木君のこととなると、なぜか司君は気になってしまうようだから。
ああ、良かった。
って、ホッとしている場合じゃない。もう一個、片付いていない件があるじゃないか。
瀬川さんのこと。あ~~~。一気に思い出した。
どうする?どうする?ほっとく?聞く?
モンモンとしながら、私は電車に乗っていて、ほとんど司君の話す内容も耳に入ってこなかった。