第49話 大好きな人の大事な人
しばらくして、司君のお母さんが、保健室まで迎えに来た。
「穂乃香ちゃん、大丈夫?」
お母さんの顔は、ものすごく心配している顔だ。いつも楽天家なのに、めずらしいくらい顔が暗い。
それとも、お葬式のあとだから、暗い顔になってしまったのだろうか。
私は立つのもやっと…。司君の腕につかまりながら、ふらふらとどうにか立ち上がると、司君は私の背中を支えてくれた。
そしてそのまま、司君は私のことをしっかりと抱き寄せ、駐車場まで連れて行ってくれた。養護の先生とお母さんは、少し前をゆっくりと歩き、私と司君に車の場所を案内してくれた。
駐車場は学校の裏手にあり、生徒たちに見られることはないものの、こんなに司君、私にべったりで大丈夫かな…と一瞬よぎったが、頭がズキズキしたり、足がふらついて、司君にしっかりと支えてもらわないと歩けそうもなくて、そんな心配はすぐにどこかにすっ飛んだ。
司君がついていてくれて助かる。それに安心する。それに、嬉しい…。
司君の支えてくれる腕に、私は体重全部を預けていたから、司君はかなり大変だったかもしれない。それでも司君はしっかりと、私を支えてくれた。
駐車場に着き、後部座席に乗った。司君は一緒に車に乗り込むんじゃないかというくらい、私がシートに座るぎりぎりまで私を支えてくれた。
「大丈夫?穂乃香。車、辛くない?」
司君が優しくそう聞いてくれた。
「うん、大丈夫」
そう言うと、司君は
「ドア、閉めるよ」
と静かに言って、車のドアを閉めた。
助手席にはキャロルさんが乗っていた。キャロルさんはちらりと私を見て、すぐに窓の外にいる司君を見た。
「今日、早ク帰ルノカ?司」
なんでそんなことを聞くのかな。そんなに司君に会っていたいのかな。それとも、また慰めてもらいたいのかな。そんなことが頭の中を駆け巡る。
「…いや、部活あるから」
司君がそう一言言うと、
「穂乃香、熱アルノニ、部活出ルノカ?」
とキャロルさんがそう聞いた。
あれ?私のこと?
「……母さん、穂乃香のこと頼んだよ。俺も早く帰れそうなら帰るから」
司君はキャロルさんにではなく、お母さんにそう言った。
「わかったわ」
お母さんがそう言って、車を発進させた。
「穂乃香ちゃん、大丈夫?」
お母さんは車を運転しながらも、私を気にしていた。
「はい」
「辛かったら横になってていいからね」
「はい」
車の中はしんと静まり返った。
はあ。しんどい。頭が痛い。それに、体の節々も痛い。時々、辛くって息が漏れる。
私の息だけが、車内に響いた。
「もうすぐ着くからね?」
お母さんは時々、そう声をかけてくれた。でも、キャロルさんは一言も発しなかった。
家に着き、お母さんに付き添われ、2階の部屋に行った。
「す、すみませんでした」
「いいのよ。それより、水枕持って来るから、着替えて横になって」
お母さんはすぐに布団を敷き、一階に行った。
私はパジャマに着替え、布団の中に潜り込んだ。
痛い。いろんなところが痛い。
苦しいよ。
キャロルさん、嫌だよ。何で車に乗って一緒に迎えに来たの?来なくていいよ。
辛いよ。司君。
頭がまだ痛いし、関節のいろんなところが痛い。
苦しいよ~~。お母さん!
ああ、お母さんに会いたいよ~~~。
涙が出た。でも、私はいつの間にか眠っていたようだ。
次に目が覚めた時には、目の前にキャロルさんの顔があった。
「……」
「大丈夫カ?穂乃香」
なんで、キャロルさんが?
「今、千春ママ、買イ物行ッテル」
キャロルさんはそう言うと、そっと私のおでこに手を当てた。
「マダ、熱イ。冷エピタ貼ルカ?」
「…いい。水枕、あるし」
「……穂乃香」
キャロルさんの目が、なんだか潤んでいるのはなんで?
「死ナナイデ」
「……は?」
何言ってるんだ。
「し、死ぬわけない。熱出たくらいで」
そう言うと、キャロルさんは今にも泣きそうな顔になって、
「オバアチャン、熱出テ、入院シテ、死ンジャッタ。穂乃香、入院スルノカ?」
と聞いてきた。
「しないよ。寝てたら治るから」
「本当ニ?」
「うん」
「…デモ、ズット、苦シソウダッタ。ウナサレテタ」
「…ずっとそこにいたの?」
「ウン。千春ママニ頼マレテ」
「…そう」
私は布団の横に置いてあった体温計を取って、脇に挟んだ。
「今日、ミンナ泣イテタ。ホームステイ先ノ、ママモパパモ。私モ悲シカッタ」
「……」
「身近ナ人、死ンジャウト悲シイ」
「…うん」
「大事ナ人死ンダラ、スゴク悲シイ」
「うん」
「穂乃香ハ、司ノ大事ナ人ダカラ、穂乃香ガ死ンダラ、司ガ、悲シム」
「…」
「ダカラ、穂乃香ハ、死ンジャ駄目」
キャロルさんはそう言って、涙を流した。
キャロルさん、そんなこと思ったの?
司君のために、そんなことを…。
私はしばらく泣いているキャロルさんを見ていた。なんだか、本当に司君が言うように、幼い子供のようだ。
「死なないよ」
そうぽつりと言って、私は逆側を向き、目を閉じた。
キャロルさんが嫌だった。車の中でも、嫌だった。
しばらくの間、この家にいるのも嫌だった。
司君がキャロルさんを、大事に思っていることも嫌だった。
でも、キャロルさんは、司君が私を大事に思っているから、そんなふうに涙を流すんだ。
キャロルさんのほうがよっぽど、司君のことを大事に思っているんじゃないの?私よりも。
私は、司君が大事に思う人を大事に思って、泣くことなんてできるんだろうか。
もし、立場が逆だったら、私、キャロルさんのことを気遣ったり、心配したり、優しくできたりするんだろうか。
頭が痛む。何も今は考えたくない。でも、あれこれ頭の中で、暗い考えが浮かんでくる。
私がどんどん嫌になる。
ピピピ。体温計が鳴った。38度8分。全然下がっていない。
体温計を布団の横に置き、私はまたキャロルさんに背を向け、布団の中に潜り込んだ。
「穂乃香、寝ル?」
「…」
「千春ママ、帰ッテクルマデ、私ココニイルカラ。何カ用アッタラ、ナンデモ言ッテ」
「…うん」
キャロルさんが優しい。
私も涙が出てきた。
なんでかな。自分が嫌だからか、キャロルさんが優しいからか。
それとも、熱が原因でなのか。よくわからないけど、私は泣きながら眠りについた。
夢を見ることもなく寝ていた。時々、寝苦しくなって寝返りを打った。暑くなって布団から足をだし、寒くなって布団の中にまた足を入れる。
どこが痛いのかわからないけど、体が痛い。そして、目を覚ました。
「……穂乃香?目、覚めた?」
今度は、司君がいた。すごく優しい目で私を見ている。
「何か飲む?喉乾いてない?」
「……」
駄目だ。なんだか、司君の顔がぼやける。と思ったら、泣いていたようだ。
「穂乃香?どこか辛い?痛い?」
「ううん」
私は布団の中に顔を隠して、泣いた。
「大丈夫?」
「だ、大丈夫」
司君の声が優しくて、ほっとした。司君の目がすごく優しくて、一気に安心して、それで泣いたんだ、私。
「つ、司君」
「ん?」
「ここにいてね?」
「いるよ。ちゃんと朝まで隣にいるから」
「でも、風邪うつっちゃう…」
「大丈夫だから。そんな心配しないで、穂乃香はちゃんと休んで」
「……司君」
「ん?」
「キャロルさんは?さっき目が覚めた時には、そこにいたの」
「俺が帰ってくるまで、ここにいた。穂乃香の心配してた。でも、俺がそばにいるのが1番だろうって言って、キャロルは下に行ったよ」
「…私」
「うん」
「嫌な性格。こんな私、大嫌い」
「え?」
「キャロルさんが嫌いだった。でも、キャロルさんは私のこと、心配してくれた」
「……」
司君はまだ布団に顔を隠している私の頭を、そっと撫でた。
「キャロルも、穂乃香のこと嫌いって言ってたから、おあいこ」
「え?」
「だけど、お通夜やお葬式に行って、変わったんだよ」
「変わったって?」
「穂乃香がこの家にいて、母さんや父さんに大事にされて、俺にも大事に思われてるのをキャロルは嫌がってたよ。自分の居場所がなくなることが怖かったんだ。きっと」
「うん」
「でも、大事な人が亡くなることが、どれだけ悲しいことかを経験して、そんな思いを母さんにも、俺にも味わってほしくないって、そう思ったみたいだよ」
「……」
「穂乃香が熱でうなされてれるのを見て、すごく怖かったって。穂乃香なんていなかったらいいのにって、そう前に思っちゃったことがあったみたいで、あんなこと思わなかったら良かったって、すごく後悔したってさ」
「キャロルさんがそんなこと?」
「さっき、そう言ってた。それで、司がいたほうが、きっと穂乃香安心するから、俺にここに居ろってさ。離れるなって言われたよ」
「……つ、司君、部活は?」
「うん。筋トレメニューの説明だけして、帰ってきた」
「早くに帰って来てくれたの?」
「…うん」
司君はずっと私の髪を、撫でながら話していた。
「穂乃香が大事だよ」
「…え?」
「すごく大事で、失いたくない」
「……」
「穂乃香がこの前、荷物持って家を飛び出した時、頭真っ白になった。怖くって、悲しくって、このまま帰ってこなかったらどうしようかって、本当に真っ白だった」
「…」
「あんな思いはもうしたくない」
「司君…」
「離れないよ」
「…」
「ずっと、そばにいる」
「うん…」
駄目だ。また、涙が出てきた。
いろんな思いが交差する。こんな私でいいの?とか。私、すごく嫌な女だよ?とか…。
だけど、司君が大事だって言ってくれるのがすごく嬉しくて。
そばにいる。
私も、司君のそばにいるのが一番いい。
司君が大好きで、大好きで…。
涙はしばらく止まらなかった。
その日、熱が下がることはなかった。でも、司君が横に布団を敷き、ずっと見ていてくれたので、私は安心して眠ることができた。
時々、司君が優しく私の髪を撫でた。その指から、司君の優しさが伝わってきた。
私は、司君の大事に思う人を、同じように大事に思えるのかな。
たとえば、キャロルさんのことを司君が大事に思っていたら、私も同じようにキャロルさんのことを大事に思えるんだろうか。
今はまだ、わからない。でも、そう思えたらいいなって、なんとなくそう思う。
司君のご両親やおばあさん、そして守君。司君の家族はすごく私も大事に思える。
だから、司君がキャロルさんのことを妹のように、大事に思うなら、私もキャロルさんを大事に思いたい。
熱がだんだんと、私の心にあった闇を溶かしてくれたのか、気持ちが楽になってきた。
キャロルさんのことを思うと、どす黒い霧が立ち込め、心がずしんと重くなり、苦しかった。
でも、その霧も、熱が消し飛ばしてくれたかのように、翌朝はすっきり爽快になっていた。
そして、隣で寝ている司君を見た。
司君が好き。
今はその想いだけが残っている。
司君が大事。
司君という存在が、ものすごく大事…。




