第48話 自己嫌悪
翌朝、キャロルさんは食堂に来なかった。守君はさっさと部活に行き、私と司君も何事もなかったかのように家を出た。
「今日、お葬式だよね」
「うん」
門を出て、小道を歩きながら私は司君に話しかけた。
「…キャロルさん、大丈夫なのかな」
「母さんと父さんがついているから」
「…つ、司君は」
「え?」
「心配?」
「何が?」
「キャロルさんのこと」
ドクドク。こんなこと聞かなかったらよかったかな。聞いて失敗したかな。
「…心配って?」
司君はキョトンとした顔で私に聞いた。
「だって、昨日の夜、あんなに泣いて」
「…そうだね。でも、別れや死を乗り越えるのは、キャロル自身だからなあ」
「…司君もそうだったの?ひいおばあちゃんやひいおじいちゃんが亡くなった時…。一人で乗り越えたの?」
「……。わかんないな。悲しいって感情も押し殺さないとならなかったし」
司君…。
「キャロルは、泣きたかったら泣いていいんだ。昨日みたいにさ」
「司君は、そのためだったら、キャロルさんに司君の胸を貸すの?」
…。うわ。今、私、思い切り嫌な女になった?嫉妬丸出しの…。
「ごめん」
司君は謝った。
素直に謝られても、なんだか胸が痛くなっただけだ。もっと、言い訳してほしかった。あれやこれや…。
「司君は、優しいんだよね」
「…え?」
「優しいから、キャロルさんを拒絶できないんでしょ?」
「……」
「でも、その優しさって、人を傷つけることもあるよね」
「…え?」
司君の顔が一気に凍り付いた。
ああ!私、なんてひどいこと言ってるんだろう。昨日は守君に、司君は優しいんだからしょうがないなんて、あんな大人ぶったこと言ってたくせに。
こっちが本心だ。私って、なんて嫌な女なんだろう。司君、今の言葉できっと傷ついた。
「……」
司君の顔はまだ、凍り付いたままだ。それから私たちは何も話しもせず、学校まで行った。
教室に入ると、司君は黙って自分の席に向かった。私も自分の席に着いたが、司君がどうにも気になってしまった。
まだ、傷ついたままかな。大丈夫かな。顏、凍り付いていたもんな…。
はあ。私って、彼女失格なんじゃない?あんなこと言って、彼氏を傷つけるなんて。
駄目だ。自分が嫌になった。
落ち込んだ…。
「ガック~~~」
そんな私の真ん前で、暗い顔をしてそう言ったのは、麻衣だった。
「麻衣?」
「は~~~~~~」
麻衣も暗い。彼氏とのことかな。
「ど、どうしたの?」
あまりの暗さにそう聞くと、麻衣は顔を机にうつ伏せて、
「喧嘩しちゃった」
とつぶやいた。
「え?!」
「喧嘩…でもないか。メールでのやり取りだけだから」
「…じゃ、じゃあ?何があったの?」
「メールの返信が来なくなっちゃった」
「でも、寝ちゃったからとかかもよ?」
「いや…。あれは完全に切れたと思う」
「切れちゃうようなことを、メールしちゃったの?」
「うん。かなり、酷いことを言ったかもしれない」
「どんな?」
そう聞くと、麻衣はちらっと私を見て、また下を向いて、
「…彼のことを全然信用していないようなこと」
と、棒読みでつぶやいた。
「そ、それで?」
「俺のこと信じてないの?って返信が来て」
「それで?」
「信じたくても信じられないって返事したら、それっきり」
あちゃ。
でも、今は麻衣のことを、慰めることもできないな。私も、司君に酷いこと言ったし。とても落ち込んでいて、元気づける言葉も見つからない。
「は~~~~」
麻衣がまた、溜息をついた。私もつい、一緒にため息をついてしまった。
「何を朝から暗くなってるの?」
そこに美枝ぽんが明るい顔でやってきた。
「美枝ぽんは幸せそうだね」
麻衣がそう言うと、
「うっへっへ。彼氏がさ~~、クリスマスに指輪買ってくれるって!可愛いよね。そのためにバイトも頑張ってたらしいよ」
と、美枝ぽんは顔をにやけさせてそう言った。
「あ。そう」
麻衣が暗くそう相槌を打った。今は、「いいね」とか「良かったね」といった言葉も出ないらしい。
あ、そういえば、司君もクリスマスに指輪を買ってくれるって言ってたよなあ。
買ってくれるよね?
あ~~~~!なんか嫌だ。もやもやしているのは、とっても嫌だ。
それでなのか知らないけど、今日はずっと頭も痛い。
3時限目まではどうにかもった。でも、4時限目の数学で、もっと頭が痛くなった。
「せ、先生」
あまりにも、ぼ~~っとするし、頭痛は酷いし、気持ちも悪いので、私は手を挙げて先生を呼んだ。
「どうした?結城」
「具合が悪いので、保健室に行ってもいいでしょうか」
「…そういえば、顔が赤いな。熱か?」
「……。そ、そうかも」
「保健委員、ついていってやれ」
「はい」
香苗さんが席を立った。私は香苗さんについてきてもらって、教室を出た。
自分の席から、後ろ側のドアに行くまでに、司君の顔が見えた。司君の顔は無表情で、でもしっかりと私のことをずうっと見つめていた。
あれって、表情を外に出さないようにしていたけど、かなり心配してる?
「大丈夫?結城さん」
「う、うん」
大丈夫じゃない。なんだか寒気もするし、歩くと頭がガンガン痛む。それに、足もふらふらしているようだ。
「熱?」
「そ、そうみたい」
そういえば、昨日の夜も悪寒がした。あの時、もう風邪をひいてしまっていたのかもしれない。
保健室に着いた。養護の先生に事情を話し、私はベッドに寝た。香苗さんは教室に戻って行った。
「は~~」
まだ、頭が痛い。
「結城さん、はい。体温計」
体温計を養護の先生に渡され、それを脇に挟んだ。
「今日は藤堂君来てくれないの?」
「…え?」
「付き合ってるんでしょ?噂すごいものね」
「…」
「前に来た時には、付き合ってなかったんでしょ?良かったわね、思いが通じて」
そう言って養護の先生は、ベッドから離れてカーテンを閉めた。
そうだった。前に来た時には、付き合ってると勘違いされて、勝手に司君をカーテンの中に入れてくれちゃったんだっけ。
ピピ…。ピピ…。体温計が鳴った。
「どう?熱あった?」
すぐに先生がカーテンの隙間から顔を出して聞いてきた。
「はい…」
私は何度あるかも見ないで、そのまま先生に渡した。すると、
「あら、38度もあるわ」
と先生がちょっとびっくりした顔を見せた。
「冷えピタ貼りましょうか。ね?」
「はい」
そう言って、先生は冷えピタを取りに行き、またベッドの横に戻ってきておでこに貼ってくれた。
「ご家族に連絡いれないと。お母さん、迎えに来れる?」
「母と父は、今、長野…」
「あ、そうだったわよね。担任の先生から聞いてるわ。じゃあ、今は…。まさか、一人暮らし?」
「いいえ。母の友人の家に住んでいます」
「そのお母様のお友達、今日、ご自宅にいるの?」
「…知人のお葬式に行ってて。あ、でも、午後は帰ってくるのかなあ」
「じゃ、電話番号を聞いてもいい?携帯電話に電話してみましょうか」
「はい。あ、でも、ここに携帯ないし、電話番号わからないんですけど…」
「携帯は教室のロッカー?」
「はい」
「そう…。じゃあ、とりあえず寝ていてね。ちょっと教室に行って、私が取ってくるから」
「はい」
先生はにこりと微笑み、保健室を出て行った。
38度。寒気がしているからもっと熱は上がるかもしれない。
ああ、また司君のお母さんに迷惑をかけてしまう。お葬式に行っているのに、迎えに来るなんて大変じゃないのかなあ。
は~~。朝も、ちょっと頭がくらくらしたっけ。熱、測ってみたら微熱があったかもしれない。そうしたら、学校休んだのにな。
でも、キャロルさんのことが気になって、それどころじゃなかったな。私…。
いつの間にか私は寝ていたようだ。そして話声が聞こえてきて、私は目が覚めた。
「38度も熱があるの?大丈夫なの?穂乃香」
「そういえば、顔、朝から赤かったかもね」
あ、麻衣と美枝ぽんの声だ。
「藤堂君、どう?お母さんかお父さんと連絡取れた?」
今度の声は先生の声だ。
「…いえ。何度か電話したんですけど、出ません。留守電にはメッセージを残しましたが…」
「お葬式に出てるんですってね?それじゃ、電話にもなかなか出られないかしら」
「…そうかもしれません」
司君もいるの?カーテンが閉まっているから、わからないけど。
「もう昼休みも終わるわね…。近くの病院に、私が連れて行ってもいいんだけど」
え?病院?そんなおおげさな。
「俺がついていきます」
「いいわよ。授業があるじゃない」
「でも…」
司君…。私のこと心配してくれてるのかなあ。
「あ、電話だ」
司君がそう言って、どうやら電話に出たようだ。
「もしもし…。母さん?」
お母さんから?
「そうなんだ。穂乃香が熱出して…。うん。車で来れる?」
ああ、やっぱり、迷惑かけてしまう。
「わかった。それじゃ」
司君はそう言って、電話を切った。
「迎えに来れそう?」
先生が聞いた。
「はい。車でお葬式に行ったから、そのままこっちに来て、穂…、結城さんを車に乗せて家に帰るって言ってました」
「あら、じゃ、お葬式から直で来るの?」
「家に帰ってからだと時間がかかるらしくて。高校から近いらしいんです。今いるところが…」
「そう。…そうね。早めに来てもらった方がいいかもしれないしね」
先生はそう言って、そっとカーテンを開けた。
「あ、結城さん、目が覚めたの?」
先生がそう言うと、麻衣と美枝ぽんがカーテンの隙間から顔を出した。
「穂乃香、大丈夫?」
「う、うん…」
本当はさっきよりも、頭がズキズキしているし、体の節々が痛む。
「結城さん、藤堂君のお母様が車で迎えに来て下さるそうだから。もうちょっとここで寝ていてね。あと、カバンはもうここに持って来てあるからね」
先生はそう言って、カーテンを閉めた。
あ。嘘。司君の顔も見れてないよ~~~。
「さ、あなたたちは、教室戻りなさい」
え~~~!司君の顔見たい。声ももっと聴きたい。
「でも…」
「大丈夫よ。もうすぐ授業が始まるでしょ?」
「はい」
麻衣の声がして、保健室のドアが閉まる音がした。
朝、あんなことを言って傷つけたから、司君は顔も見せてくれなかったんだろうか。
それとも、私が酷い女だから、こんな熱も出したり、司君が冷たかったりするのか。天罰なのかな。これって。
「藤堂君、お母さんから連絡が入ったら教えてね。車をどこに止めたらいいか、いろいろと説明したいから」
「はい」
え?司君の声?司君はまだいるの?
「あなたは授業いいわね。成績もいいらしいし、ちょっとくらいさぼっても、遅れることもないでしょ?」
「はい」
「それに、彼女のことが心配でしょうし…。さっきから、顔、真っ青だし」
「え?」
「顏よ。あなたのほうが倒れちゃいそうよ。そんなに心配なら、彼女のすぐ横でみててあげたら?」
先生がそう言うと、司君はカーテンをそっと開けて私のことを覗いた。
「…穂…結城さん、大丈夫?」
「……」
私は無言で、首を少しだけ横に振った。それだけでも、頭がガンガンした。
「入ってもいいかな?」
「うん」
司君はそっと中に入ってきた。
ああ、司君だ。
良かった。いてくれるんだ。
今、思い切り安心している。
「母さん、もうすぐ来るからさ」
「お父さんも?」
「父さんは葬式のあと、会社に行ったらしいよ」
「あ、お仕事か…」
「キャロルも一緒だけど、いいよね?」
「…キャロルさんが?」
「葬式のあと、そのまま来るから」
「………うん」
本当は嫌だ。顏、見たくない。でも、お母さんはわざわざ迎えに来てくれるんだもん。そんなわがまま言えないよね。
「朝も熱あった?俺、気が付けなかった」
「…自分でも気付けなかったんだもん。しょうがないよ」
「…でも、隣にいて、まったくわからなかったなんてさ」
「…司君が悪いわけじゃないから」
「水、かぶったせいかな。だとしたら、やっぱり俺のせいで」
「…あれも、私が自分でやっちゃったことだから」
私はどうにかそう言って、黙り込んだ。だんだんと話しているのもつらくなってきたからだ。
それを司君は察知したらしい。
「車来るまで、寝て。ここで俺、見てるからさ」
「…うん」
私はそのまま、目をつむった。
司君はそっと私の手を握りしめた。そして、私をじっと見ているのが、なんとなく目を閉じていてもわかってしまった。
「ごめん」
という小さな小さな司君のつぶやきも、聞えた。
ごめんだなんて…。
司君は悪くない。私が勝手に、嫉妬したり、すねたり、いじけたり、不安がってみたりしてるだけ。
そして、勝手に熱出しただけ。
司君は優しい。人を傷つけるようなことをしないように、きっといつでも気を使っていると思う。
それは、表情に出ないから、周りの人には伝わらない。
だけど、私はわかっているつもりでいた。司君は本当は優しくて、人を思いやれる人だと。
人の心の痛みだって、わかる人だと。
だから、キャロルさんの悲しみも、きっと痛いほど伝わったんだ。
なのに…。
優しい司君を否定してしまった。
謝るのは、きっと私の方なのに。
でも、ごめんって言えなかった。
素直にもなれない。いつまでも、嫉妬ばかりしている自分が、もっともっと私は嫌になっていった。




