第46話 ドキドキの連続
そもそも、大胆になるってどういうことかな。キャロルさんみたいにいきなり抱き着いたり、お風呂に一緒に入るって言ってみたり、勝手にキスしたり、勝手にベッドに潜り込んだり?
……。
無理。
忍び込んだことならあるけど、ものすごく勇気がいった。
お風呂は昨日、背中を洗ってあげたけど、司君の全裸を見ただけで、うっきゃ~~~~!ってなった。
自分から抱き着くなんて、きっと清水の舞台から飛び降りるよりも、勇気のいることだと思う。
って、そんなこともないか。たとえば、司君と抱き合ったあととか、そんなときには甘えたくなって、ちょびっと大胆な私になってるかもしれない。
でも、自分では大胆のつもりでも、司君にとっては、大胆でもなんでもないことかもしれない。
じゃあ、どうしたらいいのかな。
ちらり。司君を見ると、ポテトをバクバクと食べ、ジュースをゴクゴクと飲んでいる。
ああ、司君の一言で、私があれこれ思い悩んでいるとは思ってもないよね。
ピザを食べ終わり、私はキッチンで洗い物をした。司君はすぐにメープルとじゃれ合っていたが、いつの間にか私のすぐ後ろに来ていた。
「穂乃香…」
ドキ。だ、抱きついてきたぞ…。
「つ、司君、洗い物できないよ」
そう言うと、司君は私を抱きしめる手をゆるめた。でも、ゆるめただけで、まだ後ろから私を抱きしめている。
ドキドキドキドキ。
司君はわかっているのかな。私がドキドキしているってこと。それとも、それも今さらなんでドキドキしてるの?って聞いてくるかな。
こういうのも、早く慣れないと駄目なのかな。
嫌ではないんだ。司君に抱きしめられるのは、嬉しいんだけど、でも…、大胆には慣れなそうもないし、どうしていいかわからないのものは、わからない。
「終わった?」
私が水を止めると司君が聞いてきた。
「う、うん」
司君はまた、私を抱きしめる手に力を入れた。
司君、本当に変だよ。キャロルの前でべったりするから覚悟してとは言ってたけど、今はキャロルさんいないよ?
「つ、司君」
「ん?」
「心臓…」
「え?」
「ドキドキして、私…」
心臓が持たないよ。
「俺も、ドキドキしてるよ」
「え?」
司君はそう言うと私から離れ、私をグルンと司君のほうに向かせて、私の手を持って、司君の胸にくっつけた。
「ね?」
ドックンドックンドックン。
「ほ、本当だ。なんだか、司君の鼓動、早い。司君もドキドキしていたの?」
「うん」
「……」
司君の目を見ると、また熱い視線になっている。
「あ、あの…」
司君のドキドキは、もしかするとちょっと違う気がするんですけど。
「穂乃香」
司君が熱い目のまま、私の顔に顔を近づけた。
うわ。うわわ。そ、その目、駄目だ。ドキドキが半端ない~~~~。
もうちょっとで唇が触れるっていう時に、玄関の鍵が開く音がした。
ガチャガチャ…。
「ただいま~~」
ああ、守君だ。
「ま、守君が帰ってきたよ」
「…あいつ、もうちょっとゆっくりしてきたらいいのに」
司君が私から離れながらそうつぶやいた。
ホ…。私は思わず、司君にわからないようにほっと溜息をついた。
でも、まだ心臓はドキドキしたままだ。それに、顔が熱い。
「ただいま~~~」
守君がそう言ってダイニングに来た。メープルが尻尾を思い切り振って、守君にじゃれついた。
「守、ピザが一切れあるよ。それにポテトも。食う?」
司君はそう言いながら、キッチンからダイニングに行った。
「食う、食う!よかった。友達の家で焼きぞば食べてきたんだけど、全然足りなかったんだ」
守君は嬉しそうにそう言うと、
「手、洗って来る」
と洗面所に駆けて行った。
ワフワフ。ワフワフ。
メープルがやたら、その辺を尻尾を振って歩き回ってるなあ。よっぽど守君が帰ってきたのが嬉しいのかなあ。
って、私も、かなりほっとしちゃったけど。
「ピザ~~~。ピッザ~~」
守君はそう歌いながら、ダイニングに来て、椅子に座りもせず、ピザに噛みついた。
「守、ちゃんと座って食べろ」
「ふえ~~~い」
守君は、ピザを食べながら椅子に座った。
「あれ?母さんたち、まだなんだ。もしかして、今日遅くなる?」
守君は周りを見回しながら、司君に聞いた。
「うん。遅いんじゃないの?」
司君はそう言いながら、メープルの背中を撫でた。メープルはようやく落ち着いて座った。
私は守君にジュースを入れてあげて、テーブルに持って行った。
「サンキュ。穂乃香」
守君はそう言うと、さっそくジュースを一口飲んだ。
「うんめ~~~」
「お前はヤギか…」
司君が守君にそう言うと、守君はにこにこしながら、
「穂乃香が入れてくれたジュース、うまいんだもん」
と目を細めて嬉しそうに言った。
「…お前って、口が達者なんだな」
司君がそう言うと、守君はきょとんとして、
「何?それ」
と司君に聞いた。
「人が喜ぶツボを心得ていて、うまいこと言うんだなあって思ってさ」
「え~~~。俺、思ったことを口にしてるだけだけど?」
「……あ、そう」
確かに。守君は時々、こっちが本当に嬉しくなることを言ってくれる。でも、それって計算して言ってるわけじゃないみたいだ。
「羨ましいくらいに、お前は素のままなんだな」
「え?」
「嬉しいことを、そのまま口に出せるんだな」
司君は、いつものポーカーフェイスに戻っていた。それに、声もさっきよりも低い。
「兄ちゃんも言えばいいじゃん」
「……簡単に言うなよ」
司君はそうつぶやくと、守君の髪をくしゃっとして、ダイニングから出て行った。
「あ…」
どうしよう。司君、2階に行くんだよね。私もくっついていったほうがいい?でも、また二人になったら、司君、べったりくっついてきそうだ。
べったりと。
いちゃいちゃするってことだよね。
だ、駄目だ。考えただけで心臓がばくばくいいだした。
しばらく私はダイニングの椅子に座って、守君がピザとポテトを食べるのを見ていた。
「さてと。腹もいっぱいになったし、風呂にでも入ってくるかな」
「…」
「穂乃香、なんでここにいるの?」
「え?」
「もう自分の部屋に行けば?」
「…」
そうだよね。いつまでもここにいるのは、不自然だよね。
ドキドキドキドキ。
う、心臓がいきなり暴れ出した。
でも、どうにか、私は2階に上がって行った。
司君、私の部屋に居るのかな。それとも、自分の部屋?
ドキドキドキドキ。
ドキドキしながら、ドアを開けた。すると司君は私の部屋にテーブルを持って来ていて、そこで何やらノートを広げていた。
「勉強?」
「いや、部のことでちょっとね」
「筋トレメニュー?」
「うん、まあ、そんなところ」
「私、邪魔?」
「…え?なんで?」
「ここにいても平気?」
「全然。ここ、穂乃香の部屋なんだし。あ、俺が逆に邪魔?」
「ううん。まさか」
私はそう言いながら、司君の前に座った。
司君はまた、テーブルの上のノートに何かを書きだした。それを見ても、よくわからないから、私もカバンから英語の教科書とノートを引っ張り出した。
「勉強するの?穂乃香」
「うん。明日当たりそうだから」
「あとで、みてあげるよ」
「ありがとう」
司君はそれだけ言うと、またノートとにらめっこをしだした。
よかった。
この分なら、私に引っ付いてくることもなさそうだ。
カチ、カチ、カチ。時計の音。時々、司君のノートに書くシャーペンの音。そして、
「う~~ん」
と司君の悩む声。それだけが部屋に聞こえるだけで、とても静かだ。
一階では、守君がテレビでも見ているんだろうか。たま~~に、わははっていう笑い声が聞こえてくる。きっと、リビングはキャロルさんもいないし、今日は守君の天下なんだろうなあ。
ドキ。ドキ。ドキ。
あ、あれ?心臓がまた鳴りだしちゃった。
ドキン。ドキン。ドキン。
なんでかな。司君はずっとノートとにらめっこしているし、こんなドキドキしたりしなくてもいいのに。
ドキ。ドキ。
「穂乃香?」
「え?」
ドキン。何?
「……顔、赤いよ。熱あるの?」
「ううん。大丈夫」
ドキドキしてるの、ばれたかと思った。
フワ。
ドキン!
司君が私のおでこに手を当てた。
ドキドキ~~。もう、それだけなのに、なんでこんなにドキドキしてるんだ。私は!
「…その目」
「え?」
「やばい」
「な、何が?」
「だから、穂乃香の目」
「私の目?」
「……それ、わざと?」
「え?な、何が?」
わざとって何?私の目って何?
司君が黙って私の目をじいっと見ている。ドキドキ。また、司君の目、熱を帯びちゃってるよ。
「俺のこと、誘ってる?」
「へ?」
ブルブルブル。私はびっくりして首を横に振った。
「でも、そんな目で見てたよ?」
「ええ?!」
私がっ?!
「熱い視線だった」
「私が?!!!」
「うん」
それは司君でしょ?
って…。うわ。司君が顔を近づけてきた。キス?
ドキドキドキドキ。司君の唇が触れた。熱い。司君の手が私の髪を撫でる。
「ピンポ~~~ン!」
と、その時、チャイムが鳴った。
「…帰ってきた…か」
司君はそう言うと、はあって小さなため息をつき、私から離れた。
ドキドキ。
よかった。ってほっとしているのか、私も残念がっているのか。複雑な心境だ。
「守か司いる?塩をかけてくれないかしら」
お母さんの声が一階から聞こえた。
「へ~~い」
守君の声も聞こえた。
守君がどうやら、リビングから出て、お母さんたちに塩をかけてあげているようだ。
し~~~ん。そのあと、しばらく一階は静かだった。それから、守君が階段を上ってくる音がして、そのまま静かに部屋に入って行ったようだ。
「やけに静かだな。キャロルもいるだろうに」
司君が不思議がった。
「疲れてすぐに、リビングで休んでいるとか…かな?」
「ああ、そうかな」
司君はそう言うと、テーブルに広げていたノートをしまい、
「さ。英語の予習するか」
と言って、私の教科書とノートのほうを見た。
さすがだ。この切り替えが、いつもながらすごいと思う。さっきまでの、熱を帯びていた視線もどこへやら…だ。
私の方はまだ、司君に触れられたおでこが熱いし、ドキドキがおさまっていないというのに。
「じゃ、穂乃香、ここ訳してみて?」
「え?うん」
いきなり、司君は家庭教師になった。
私は司君に言われた箇所を訳してみた。
「うん。それでもいいんだけど、ここの訳は」
司君はそう言いながら、流暢に英語を読んでから、訳しだした。
「あ、そうか。そっちのほうが、わかりやすいね」
「でしょ?」
「司君、絶対に家庭教師に向いてるよ」
「…今も俺、穂乃香の家庭教師してるようなもんかな」
「うん。タダで教えてもらっちゃって、申し訳ないよね?」
「タダ?」
「うん」
「まさか」
「え?」
「タダなわけないじゃん」
「え?」
司君はちょこっと私に顔を近づけると、
「ちゃんと勉強を教えた分の報酬はもらうよ?」
と小声でささやいた。
「ほ、報酬って?」
「う~~ん、何がいいかな」
ドキン。まさか、変なこと言ってこないよね?
「な、な、な、なあに?」
「う~~~ん。そうだな」
何~~~~?司君、考えだしちゃったけど。
「じゃあ、あれ。あれがいいな」
「あ、あれって?」
「ひざまくら」
「………へ?」
「穂乃香のひざまくら」
「は?」
「耳掃除をしてもらうってのは、どうかな」
「そ、それでいいの?」
「もっと何か、すごい報酬を考えてた?穂乃香」
「う、ううん!そんなことないよ」
また、お風呂に一緒に入るとか、背中洗ってもらうとかそんなことを言いだすかとも思っていたんだけど。ひざまくらか。だったら、別にいいかな。
「じゃあ、あとでね?」
司君はそう言うと、なぜか思い切りにやけた。
うわ。顏、崩れたよ。さっきは、難しそうな顔をして、ノートとにらめっこしていたし、英語の訳は、涼しげな顔をしてやっていたのに。一気に、クールな顔が崩れちゃった。
予習を終え、司君はテーブルをさっさと片付けると、布団を2枚敷いて、
「じゃあ、お願いね」
とそう言って、私を布団の上に座らせた。
そして、綿棒を持って来ると、私の膝に頭を乗せ、ごろんと横になった。
うわ。なんだか、可愛いかも。司君の横顔。
ドキドキ。こんなことができるのって、彼女の特権?
う、嬉しいかも~~~。
彼氏に膝枕で、耳掃除をしてあげるって図。ちょっと、あこがれていたんだ。そういうのできたらいいなって。今、叶っちゃってるじゃない!
胸を弾ませ、耳掃除をしてあげた。
司君は静かに、目をつむっていた。でも、なんとなくだけど、口元がゆるんでいた。
「終わったよ」
両耳終ると、司君は目を開け、
「もう?」
と聞いてきた。
「え?うん」
「早いね」
「だって、綺麗だったし。いつも司君、綺麗にしてるんじゃないの?」
「ああ、お風呂上りにしてる」
「今日も?」
「うん」
「じゃあ、汚れてるわけないし」
「そっか」
司君はまだ、私の膝に頭を乗せたままだ。
「気持ちいいな。ここ」
「え?」
「穂乃香のひざ…」
ドキン。
「穂乃香って、本当に癒してくれるね」
「え?」
「穂乃香のそばにいると、俺、すごく心地が良くて…」
そうなんだ。だから、もしかして今日ずうっとへばりついていたの?こっちはずうっと、ドキドキしていたのに。
「幸せなんだよなあ」
ドキン。
司君はそう言うと、私の目をじっと見た。
ドキドキドキ。だ、だから。私の方はドキドキしちゃうんだってば。
そんな状況の中、私は舞い上がっていた。きっと、ドキドキしながらも、私は幸せだった。
キャロルさんは、ちょっとの間とはいえ、可愛がってくれてた人のお通夜に行き、悲しみの中にいたというのに、私と司君は、すっかりそんなことも忘れ、幸せの中にいた。
キャロルさんの涙を見るまでは…。
そして、キャロルさんの心の内を知るまでは…。




