第42話 第1日目
「おかえりなさい」
「ただいま」
司君のお母さんは、いつもと同じように私たちを出迎えた。司君もいつもと変わらない感じで、家に入った。
いつもと変わらない家…。
ドンッ!!
「わ!」
靴を脱いで、家に上がろうとしたら、キャロルさんが私を押して、先に家にあがって司君の腕にしがみついてしまった。
いつもと変わらなくない。ここにキャロルさんがいたんだった!
「穂乃香、大丈夫か?」
玄関の壁にへばりついている私を見て、司君が手を差し伸べた。
「だ、大丈夫」
ちょっと油断しただけ。
「司!」
キャロルさんは司君の腕を掴み、リビングに連れて行こうとしている。
「穂乃香、先に風呂入る?俺、メープルを散歩に連れて行ってくるよ」
司君はキャロルさんの腕を振り払って、2階にとっとと上がって行ってしまった。
「司。私モ散歩、行ク」
「来なくていい。ストレス解消させに行くのに、キャロルが来たらメープル、またストレスを感じちゃうだろ?」
「……」
司君が階段の上からそう大きな声で言うと、キャロルさんは黙り込み、とぼとぼとダイニングに歩いて行った。
私は着替えを取りに2階へ行き、それからすぐにお風呂に入った。
「…鍵がまだ壊れているし、今日、司君がお風呂に入っている間、大丈夫かな。私、ドアの前でずっと見張っていようかな」
それとも、司君が言うように、本当に一緒にお風呂に入ったらよかったかな。
なんて!そんなことできるわけないのに~~~~。私ったら。
お風呂から出て、ドライヤーを持って2階に上がった。司君はメープルの散歩に行ったのかな。私も行きたかったな。あ、そうか。一緒について行ったらよかったな。
ブオ~~~~。そんなことを考えながら、目をつむって、私はドライヤーで髪を乾かしていた。
カチ。ドライヤーを止め、目を開けた。
「うわ!」
すぐ隣にキャロルさんが座っていて、私をじっと見ているので、思い切り驚いてしまった。
「な、な、な、なに?」
なんでここにいるわけ?いつの間に入ってきたのよ!
「穂乃香、本当ニ、モウ、司ト…」
「え?!」
「エッチ、シチャッタノ?」
どわ!なんていう質問をしてくるんだ。
あ、そうか。私、今朝、夢だと思って大胆に司君に抱きついて、そういう関係なんだってはっきり言っちゃった気がする。
「……」
私は黙って、こくりと小さくうなづいてみた。
「本当ニ?!!」
キャロルさんが、思い切り私に近づき聞いてきた。
コクン。今度は下を向いてうなづいた。キャロルさんの顔が目の前で、ちょっと怖い。吸いこまれるくらいの、ビー玉のような薄い青い色の目…。
「…ウソダ」
「え?」
「司ガ、ソンナコトデキルワケナイ」
「は?」
「司、モノスゴクシャイボーイダカラ」
「…」
そんなことないもん。それに、奥手でもなんでもなかったし。
「ウソダ。ウソツイテルンダ」
「な、なんのために嘘なんてつかないとならないわけ?」
「……。穂乃香ガ誘惑シタッテ、司ハ無理」
「……はあ?」
言っている意味がわからない。私がいつ誘惑したの?
「司、私デモ落チナカッタ」
「……へ?」
「穂乃香ノソンナ、コドモミタイナ体型デ、司ガ落チルワケガナイ」
ムカ。
頭来るなあ。私のほうが、てんでスタイル悪いのはわかっているけど、キャロルさんに言われると、めちゃくちゃ頭に来る。
私は黙って髪をとかして、立ち上がりドライヤーを洗面所に戻しに行った。キャロルさんは後ろからついてきて、まだぶつぶつ言っている。
「ただいま~~~」
守君が、明るい声で帰ってきた。
「おかえりなさい!」
私が玄関まで出迎えると、守君の後ろから司君とメープルも玄関から入ってきた。
「ワフワフ」
「メープル、散歩、楽しかった?」
そう言ってメープルに抱きつくと、メープルは私の顔をベロベロと舐め、尻尾を振りまくった。
「母さん、メープルの足を拭く雑巾持って来て」
司君がそう言うと、お母さんはバタバタと雑巾を持って玄関にやってきて、
「守、おかえり。司とメープルと一緒になったの?」
と明るく聞いた。
「うん。っていうか、兄ちゃんとメープルで途中まで迎えに来てくれた」
「あら、迎えに行ってあげてたの?司」
「散歩のついでにね」
司君はそう言うと、メープルより先に家に上がり、
「風呂入って来よう」
と言って、着替えを取りに2階に行った。
キャロルさんは廊下の奥から、黙って守君とメープルを見ている。メープルはキャロルさんの方には近づかず、私と守君の足元にじいっと座っている。
「メープル、リビングに行こう」
私はメープルを連れ、リビングに入った。
そして、ソファに座りメープルの背中を撫でた。メープルは尻尾を振り、喜んでいる。
と、そこへ守君が来て、
「穂乃香。そんなことしてる場合じゃない。キャロルが洗面所に今入って行って、兄ちゃんに背中流してあげるとかなんとか言ってたぞ」
と教えてくれた。
「う、うそ!」
忘れてた。司君がお風呂に入る時、見張っていないとならなかったことを。
「メープル、ごめんね。またあとで」
「メープルは俺がついてるから、大丈夫だよ。それより、キャロルを風呂に入らないよう、引っ張り出して来いよ」
「うん」
私は慌てて、洗面所に向かった。ドアは閉まっていた。でも中から司君の、
「風呂に入れないだろ。さっさと出てってくれよ」
という大きな声が聞こえてきた。
「ナンデ?日本ジャ、ヨク、奥サンガ、旦那ノ背中、洗ッテアゲルンダロ?映画デ見タコトアル。ソレヨリ早ク、司、服脱イダラ?」
「キャロルは俺の、奥さんでもなんでもないだろ!!いいから、今すぐ出て行けよな!」
ガチャ!ドアが勢いよく開いた。そして司君がキャロルさんを力づくで、追い出そうとしているのが見えた。でも、キャロルさんが足を踏ん張っている。
「あ、穂乃香」
ドアの前で突っ立っていた私を、司君が見つけたようだ。
「……」
どうしよう。ここは、キャロルさんの腕でも引っ張り、洗面所から追い出すのを助けたほうがいいんだろうか。でも、キャロルさんが思い切り私を睨んでいるのが、ちょっと怖い。
いや、怖いって言ってる場合じゃないか。
と、思い悩んでいると、司君はキャロルさんを押しのけ、私の腕を引っ張って洗面所に入れてしまった。
「え?」
「背中なら、穂乃香に洗ってもらう」
「………は?!」
「キャロルはいいから」
司君はそう言うと、目を丸くして驚いているキャロルさんをぐいぐいと押して、洗面所の外に押し出し、ドアをバタンと閉めてしまった。
「……」
えっと。司君、私に背中を洗ってもらうとかなんとか言ってませんでしたか?それ、冗談だよね?
「わ!」
なんで、司君、洋服脱ぎだしたの?
「え?つ、司君?」
きゃ~~~~!パンツまで脱いでる。私は慌てて、後ろを向いた。
「いいよ」
「え?な、何が?」
「穂乃香は服着てて」
「え?え?え?」
「背中、洗ってね」
「………?!!!!」
それ、冗談だったんでしょ?キャロルさんを追い出すために、嘘ついただけだったんじゃないの?
「先入ってるね」
そう言うと、司君はお風呂場に入って行った。
さ、先入ってるねって言われても。どうしよう。こっそりと、洗面所から抜け出しちゃう?でも、キャロルさんが今もまだ、ドアの前で突っ立っているかもしれないし。もしかすると、耳を澄ませて、様子をうかがっている可能性もあるよね。
どうしよう。
どうしよう。
背中を洗う?
そんなこと…。そ、そんなこと。
してみたいかも。
あ~~~~~~。誘惑に負けてしまう~~~。
ガチャリ。私はお風呂場のドアを開けてしまった。
司君はすでに、背中を向けて椅子に座っていた。
「あ、あの…。背中洗うって、どうやったら」
「タオルに石鹸つけておいた。これでこすって?」
「うん」
つ、司君の背中!今までも見ているし、抱きついたこともあるってば。でも、なんだか場所が場所なだけに照れくさい。
司君の後ろにしゃがみこみ、タオルで背中を洗ってみた。
司君の背中、広いんだ。それにたくましいよね。
「洗えたから、シャワーで流すね?」
「うん」
私は立ち上がり、シャワーを取ろうとした。そしてお湯を出そうと蛇口をひねろうとして、下を向いた。
「きゃ~~~~~!!!」
「え?」
「つ、司君。タオルで隠してない」
「え?」
「だから、タオル!!!」
「…タオルなら、穂乃香が今、持ってるよね?」
うわ。そうだった。背中洗うので使ってた。だから、司君、タオルで隠していないのか。
きゃ~~~~~。きゃ~~~~~。きゃ~~~~~。
もろ、見ちゃったじゃないか~~~~!!!!
慌てふためいていると、シャワーからブワッ!と思い切り勢いよく私のほうにめがけて、水が飛び出した。それも冷たい水が思い切り。
「冷た~~~っ!!!」
「穂乃香、大丈夫?」
司君が、すぐにシャワーを止めてくれたが、私はすっかり服を着たまま、びしょ濡れになってしまった。
「すぐ着替えたほうがいいね。風邪引いちゃうよ。それか服を脱いで、風呂入ってあったまってく?」
「もう出る!」
司君のほうを見ないようにして、私はお風呂場から飛び出した。
この前も、司君の全裸は見た。見たことは見た。でも、あれほどまでにしっかりと、見てはいなかった。
あ~~~~。司君、お願いだから、隠していてよ。
それとも、司君はまったく平気なわけ?私に見られても、全然平気なわけ?
「クシュン!」
寒い。体が震えた。
私は急いでバスタオルで、体を服の上から拭くと、洗面所を出て2階に行った。
洗面所の前にはもう、キャロルさんはいなかった。
部屋に入り、濡れた服を脱いで着替えた。
ブル…。着替えてもまだ、寒気がした。
ああ、体は寒いのに、顔だけが熱い。まだきっと私は、赤面している。
濡れた服を持って下におりた。そして洗面所のドアをノックした。
「司君、開けても大丈夫?」
「うん。いいよ」
司君の声が中から聞こえたので、ドアを開けると、司君はバスタオルで、体を拭いているところだった。
「!!」
全然よくないって!まだ、全裸じゃないか~~~!!
「穂乃香、髪、濡れてる。ここで乾かしていけば?」
司君はバスタオルを腰に巻くと、そう言ってきた。
「う。うん」
とりあえず隠してくれたから、私は洗面所の中に入り、服を籠に入れ、ドライヤーで髪を乾かし始めた。
「体平気?冷たくならなかった?」
司君が後ろから、抱きしめてきた。
「うわ」
「え?」
「つ、司君、今、裸でしょ?は、早く服着たほうがいいよ」
「……うん」
「司君」
まだ司君は、私に抱きついている。胸がドキドキしてきちゃうから、早く離れてほしいような、でも離れてほしくないような。
「あ…」
「え?」
「バスタオル、落ちちゃった」
「え?早く早く、バスタオル取って。それで、隠して!」
「クス」
「司君。笑ってないでよ~~~」
「クスクス」
もう~~~~~~!!!
「穂乃香、面白い」
「面白くない!」
「可愛い」
「可愛くない」
ギュ。
「きゃ~~~~!」
「え?」
「バスタオルは?」
「まだ、下に落ちてる」
じゃあ、全裸で抱きしめてるんだよね?
「司君。だから、早く、バスタオル!!!」
「あはは」
司君はようやく私から腕を離し、バスタオルを取った。
私はぼさぼさの頭のまま、洗面所を出た。すると、目の前にキャロルさんが立っていた。
「うわ!」
もう。さっきから、驚かされてばっかりだ。心臓がもたないよ。
「ヤッパリ」
キャロルさんはほくそ笑みながら、
「穂乃香ト司ハ、マダマダ、ソンナ関係ニナッテイナインダ」
とそう言った。
「え?」
「司ノ裸、見タダケデ、キャ~~キャ~~騒グヨウジャ、穂乃香トハマダ、司、シテナインダ」
「………」
顔が思わず真っ赤になった。そして、どう答えていいかわからず、私はただ黙っていた。
「穂乃香。嘘ツイタンダ」
「ち、違う…」
ガチャリ。洗面所のドアが開くと、司君が顔をだし、
「キャロル。穂乃香はキャロルと違って、もっとデリケートなんだ。それに照れ屋で、ずっと女の子らしいんだよ」
とそうクールな顔で言いだした。
「デリケート?」
「そ。まだまだ、俺の裸を見るのも、恥ずかしいんだ。キャロルとは違うんだ」
司君はそう言うと、私の肩を抱き、
「髪、ちゃんととかしてないじゃん。部屋行って、とかしてあげるよ」
と私を連れて、階段を上りだした。
うわわ。
ちょっと待って。
なんだか、司君が違う。
「司ノ部屋ニ、連レテイクノ?」
「いいや。穂乃香の部屋。キャロルがいる間は俺、穂乃香の部屋に居るから」
司君はそう言って、また階段を上った。
私の顔はさっきから、ずうっと熱かった。
それに司君に抱かれている肩も、熱を帯びている。
そして二人で私の部屋に入り、司君が私の髪をブラシでとかしてくれた。
その間もずっと、私はぼ~~っとしてしまった。
司君の私の髪に触れる手、ドキドキしちゃうよ。
「穂乃香?」
「え?」
「なんか、ぼんやりとしてる?」
「…うん」
「大丈夫?」
「うん」
司君がブラシを置いて、私を抱きしめた。
うわ!
ドキドキドキドキ~~~!
これから、1週間、司君は私の部屋に居るんだよね。
それに、家では私にべったりしてるんだよね?
私、持つかなあ、心臓。こんなにドキドキしてるのに。
「あ、あのね?キャロルさんが、嘘だって言うの」
「ん?」
「私と司君が、その…、そういう関係になってるわけがないって」
「ああ、さっきも風呂場の前で言ってたね?」
「…こんな幼稚な私の体型じゃ、司君がその気になるわけがないとか、そんなことも言われた」
「なんだ、そりゃ…」
司君はまだ、私を後ろから抱きしめている。
「いいよ。キャロルが何を言ってこようとほっておこう」
「え?」
「でも、俺と穂乃香がべったりしてたら、そのうち、あれこれ言って来るのもやめるんじゃない?」
そうかな。
「でも俺、ちょっとあれだな」
「なに?」
「…あんまりべったりくっついているとさ…」
「え?」
「押し倒したくなってくる」
「駄目。ななな、何を言ってるの。司君!」
「やっぱり、駄目だよね?」
「あ、当たり前だよ~~~!!隣の部屋にキャロルさんいるんだし…」
「そっか。じゃ、我慢していないとならないんだね。それ、ちょっときついかな…」
そう言うと司君は私から離れた。そして、
「下に行って、ご飯食べようか」
とにっこりと笑った。
「うん」
うなづいて、一緒に部屋を出て、私は司君の背中を見ながら、ああ、さっき、この背中を洗ってあげたんだなあ…と思い返していた。
司君の背中、たくましかったなあ。
私も、さっきから胸がドキドキで、いまだにドキドキしている。
キャロルさんがいる1週間、一緒の部屋に居るのに…。すぐ隣にいるのに、私も我慢できるのかな。
…って。だから、私は何を考えてるんだ~~~!!
自分の考えてることにびっくりして、もっと顔が熱くなってしまった。




