第3話 一緒の家
美術室は、部員たちが合同制作に取り組んでいて、なかなかのにぎわいを見せていた。
いつも静かに絵を描いているので、なんだか不思議な感じがしたが、これもまた文化祭ならではのことで、それなりに楽しかった。
去年は、はじっこで確か、ちょっとだけ参加しているくらいだったっけ。でも、2年ともなると、最上級になるので、かなりのことを任され、責任重大になる。
「結城さんが描いた絵、優しい色合いよね」
いきなり、部長にそう言われた。美術部はほとんど個人で活動しているので、部長も普段目立たないし、そんなに大きな役割もない。だが、文化祭が近づくと、部長の役割は大きくなり、存在感も大きくなる。
「もっと、色を出したほうがいいかな?」
私が慌ててそう聞くと、
「ううん。この色最高って思って。このままで素敵よ」
と、部長が褒めてくれた。嬉しいかも。
部長は、美大を受けるらしい。もう小学生のころから、ずっと絵を習っているんだとかで、かなりの腕前だ。いつも温厚で、同じ年とは思えないほどの穏やかさがある。
「結城さんの絵、いつも優しいのに生き生きしてるんだよね」
「え?」
「去年の桜も、今年の緑も。それに、今年の作品は、あれ、藤堂君なんでしょ?」
「う、うん」
ドキドキ。なんだか、今となっては、彼氏を絵に描いちゃってるのって、かなり恥ずかしいことなのかな…って思うんだけど。
「藤堂君が、すごく生き生きとしてるんだよね。まるで、本当に弓が飛んできそうなくらい迫力がある。なのに、絵、全体は優しいの。色合いが優しいからなのかしらね?」
「そうなのかな…」
なんだか、照れるな。
「藤堂君も文化祭の時には、見に来てくれるんでしょう?」
「ううん。自分が描かれてるから、抵抗あるみたい。後で見るって言ってた」
「そうなの~~?な~~んだ。本物を拝みたかったのに」
「え?」
部長が?
「クラス違うとなかなかね、見に行けないしね。だって、結城さんのクラス、階も違うし」
「…えっと。よく、美術室に部活終わると来てるんだけど、会ったことなかった?部長」
「あ、そうみたいね。でも、私いつも5時ぴったりに帰るから、会ったことないのよね」
そういえば、誰よりも早くに帰る部長っていうことで、この部長はめずらしがられていたっけ。だから、存在感もあまりなかったんだった。
「でも、これからはきっちりに帰れそうもないし。来たら会えるかな。かっこいいんでしょう?この絵見たってわかるよね」
「……ど、どうかな」
そんな、私の彼氏はかっこいいんです…なんて、なかなか言えないよね。
「いいな。かっこいい彼」
部長はそう言うと、自分の持ち場に戻って行った。
ああ、びっくりした。部長って真面目で、絵しか興味なさそうなのに、彼氏がいることを羨ましがったりするんだな。
みんなで騒然としながら絵を描いていると、いつの間にか5時をとっくに過ぎていたみたいで、司君が美術室のドアのあたりから、中をうかがっていたようだ。
「藤堂君!部活終わったの?あ、中に入っていいよ」
そう言ったのは、どうやら、一緒に見学に行った子たちのようだ。
司君はその子たちに連れられ、美術室の中に入ってきて、私を見つけた。
「部活終わった?」
「うん。なんだか、すごいね…」
「ごめん。まだこっちは終わってないの。先に藤堂君、帰ってる?」
「いや…。じゃあ、そうだな。どっか駅の辺で待ってるよ。部の連中がもしかするとドーナツ屋にいるかもしれないし、そこに合流してる。終わったらメールくれる?」
「いいの?待たせちゃって」
「いいよ。ちょうど、腹も減ってたし、ドーナツ屋で文化祭のことをあれこれ決めるかもしれないし」
「うん。じゃ、メールするよ」
「待ってるね」
司君はそう言うと、辺りにある絵の具や筆を踏まないように気を付けながら、歩き出した。が、そこに部長がやってきた。
「あなたが、藤堂君?」
「え?ああ」
「私、美術部の部長の滝川です。2年G組なの。よろしく」
「…」
司君はいきなり自己紹介をされられ、ちょっと驚いているようだ。
「結城さんの絵を見て、ずっと思ってたの。ねえ、絵のモデル、してくれないかな」
「は?」
司君の目が点になっている。っていうか、私も今、驚いているんですけど。なんですと?モデル?
「え?俺が?なんの?」
「だから、私の描く絵のモデル。あ、ヌードじゃないわよ。ちゃんと服は着てていいから」
「……」
司君が思い切り今、嫌そうな顔を一瞬した。でも、すぐに顔つきが変わり、
「悪いけど、結城さんだから描いてもらったんだ。他の人の絵のモデルまでする気はない」
と無表情でそう言うと、ドアのほうに向かって、器用にいろんなものをよけながら、颯爽と歩いて行った。
「ああ、残念」
部長が本気で残念がっている。
「あの…」
「え?」
「絵のモデルって、本気で頼んだの?」
「もちろんよ。あの腕の筋肉とか、綺麗だと思わない?」
「…でも、やっぱり、そういうのは…」
「え?」
「ううん、なんでもない」
「…彼女だから、OKしたのか。誰にでも描かせるわけじゃないのね」
部長は誰かに呼ばれて、そっちに向かって歩いて行った。でも、歩きながらまだ、残念だってぶつくさ言っていた。
人の彼氏をモデルにしようだなんて、ぶーぶー。私もぶつくさ言いたい。
だけど、司君が断ってくれて本当に良かった。
それにしても、一瞬だったけど、司君、すごく嫌そうな顔をしたな。もしかすると、そういうの苦手なのかな。あれ?でも、私が司君の絵を描くのを決めたのは、確かまだ付き合ってない時だよね。だけど、司君、嫌がったりしなかったよね。
………。私だから?かな?もしかして。
なんて思うと、ちょっと嬉しかったりして。
6時をまわり、
「そろそろ今日は終わりにしましょうか」
という部長の声で、みんながいっせいに描くのをやめた。そして片づけを始めて、結局学校を出られたのは、6時半だった。
すぐに司君にメールをした。すごく待たせてしまったんじゃないかな。
>今、やっと学校を出たの。ごめんね。遅くなって。
すると、すぐに返信が来た。
>大丈夫だよ。まだみんなでドーナツ屋にいるし。穂乃香もドーナツ食べて帰る?
>ううん。食べたら夕飯食べれそうもないし、まっすぐ帰ろうかな。
>わかった。じゃ、駅に今から俺も行くから、改札口で待ってるよ。
>ごめんね!
私は小走りに駅に向かった。ドーナツ屋は駅の真ん前にあるから、司君のほうが先に着いちゃうよね。
ゼーハー。ずっと学校から走ったから、かなりの息切れ。ああ、もうすぐ改札口…。
あ!司君だ~~~~。やっぱり、もう来てた。
あれ?
誰?
私の足が止まった。
司君の横にすごく可愛い女の子がいる。うちの高校の生徒。何か話していて、司君も私に気が付かないみたい。
「…」
どうしよう。
どうしよう。
ちょっとずつ、近寄ってみる?
「本当にありがとうございます」
女の子がそう言って、ぺこっとお辞儀をした。
「…ほんとにもう、大丈夫?」
「はい。もう大丈夫です」
?何かあったのかな。
「…じゃ、気を付けて。あいつら、まだその辺にいるかもしれないし」
「大丈夫です。あ、バスが来た!私、あのバスなんです。それじゃ、本当にありがとうございました」
またその子は司君にぺこりとお辞儀をして、バス停に向かって走って行った。
司君はしばらくその子の後姿を見て、その子がバスに乗るところまで確認すると、ホッとした顔をして前を向いた。
「あ…」
そして私にやっと気が付いた。
「ごめんね、遅くなって」
今来たみたいな言い方しちゃった。本当はあの子のこと気になるのに。
「いや、大丈夫だよ。そんなに待ってないし」
司君がにこりと笑った。
あれ?あの子のことは話してくれないのかな。う…。気になるなら、さっきの子はだあれ?って聞いたらいいのに。私ったら。
「結城さん、本当に腹減ってないの?」
「ううん。空いてるけど、でも、帰ったらきっとすぐに夕飯だよね?」
「…少しくらい遅くしてもらえるかもよ。なんか食ってく?」
「ううん。大丈夫」
「…前から思ってたんだけど」
「なに?」
「穂…、結城さんって、小食だよね?」
……え?それって、褒め言葉じゃないよね。もっとたくさん食べろってことかな。
私が黙っていると、司君も黙ってしまった。
そして、そのまま司君は改札口を通り抜けた。
なんだか、ちょっと変?司君。私、変なこと言った?それとも、小食って駄目なのかな。そんなに小食のつもりはないのにな。美枝ぽんや麻衣と、そんなに変わらないと思うんだけど。
「…女の子って、もしかして、そんなもんなのかな」
司君は電車を待ちながら、ぽつりとそう言った。
「え?」
「俺の知ってる女の子って、キャロルだけだから、つい比べちゃうけど…。キャロルはすごく食うからさ」
また、キャロルさんなんだ。
「…わかんない。でも、美枝ぽんと麻衣も、私と同じくらいの量だと思う」
ちょっと暗くなりながらそう言うと、司君はまた黙り込んだ。
電車が来て、2人で電車に乗った。席が空いていたが、司君は座ろうとしなかった。
だから、私も立っていた。
「空いてるよ?座らないの?」
「…藤堂君は?」
「……」
また黙っちゃった。
なんだか、変だよ~~。どうして?
「座ろうか」
やっとこ司君はそう言うと、席に座った。私もその横に座り、また二人で黙り込んだ。
「……モデルのことだけど」
「え?」
ドキ。何?私の絵のこと?
「あの人、部長だったっけ?穂…。結城さんから、俺のことを紹介したの?モデルにするにはいいかもって…」
「まさか!」
私はブンブンと首を横に振った。
「そ、そんなの絶対に嫌だもん。勝手にいきなり部長が言い出したの。私もさっき初めて聞いて、びっくりしたくらいで…。って、え?なんで?なんでそう思ったの?」
私が司君のことでも、推薦したとでも思ったってこと?
「そっか。じゃあ、いいんだけど。もし、結城さんが勧めてくれたとしたら、あんなにあっさりと断って悪かったのかなとか、ちょっと考えちゃって」
「…す、勧めないよ。そんな…」
他の人に司君を描いてもらうなんて、嫌だもん。
「藤堂君は、絵のモデルになるのは抵抗あるの?」
「…うん。そうだね。なんだか、恥ずかしいって言うか、見られてるだけでも抵抗あるかな」
やっぱりそうなんだ。じゃあ、私の絵のモデルは?もしかして、抵抗あった?
本当のところは、嫌だった…なんてことあったりする?
ドキドキ。もし、実は嫌だったんだ…なんて言われたらどうしよう。でも、気になる。
「あの…。じゃあ、私が藤堂君を絵に描いたのも、悪かったのかな…」
「え?」
司君は目を丸くして私を見ると、そのあと下を向いた。
あ。あれ?やっぱり、実は嫌がってた?
「結城さんが俺を描くってわかった時には、正直恥ずかしかったけど」
やっぱり?
「最初、部長を描くって言ってたでしょ?」
「だって、藤堂君が部長を描いたらいいって言ったから。でも、最初から描きたかったのは藤堂君だよ」
「え?そうだったの?」
司君はまた目を丸くして私を見た。
「う、うん」
「…そっか。なんだ」
また顔を下げちゃった。
でも、見る見るうちに、司君の耳が赤くなっていく。
「俺、本当は部長じゃくて俺のことを描いてくれないかなって、そんなふうにも思ってたんだ。だけど、そんな図々しいこと言えないし。それで、部長を描いたら?なんて言っちゃったんだよね」
「え?そうだったの?」
「…だから、川野辺が俺を描くようにって言ってくれただろ?いつもなら、余計なことをしなくてもいいって、言っちゃうところだけど、あれだけはなんか、川野辺に感謝したって言うか…」
ええ!そうだったの?じゃ、私が司君の絵を描いたことは、本当に嫌がってなかったんだよね。
「結城さんの絵、すごいしさ。俺のことを描いてくれるなんて、なんか、本当に嬉しかったんだよね。だって、絵を描いている時だけは、俺のことを思ってくれるってことだし」
「うん」
いや、絵を描いてる時以外もずっと、司君のことばかりを思っていたけど。
「それって、すごいことだなって思って。本当に嬉しかったんだ」
司君はかみしめるようにそう言うと、顔を赤くした。
それなのに私はまた、確認してしまった。
「ほんとに、嫌がってたわけじゃなくて?」
「なんで?俺がなんで嫌がるの?」
司君は、首をかしげて聞いてきた。
「だって、さっき部長に頼まれた時には、すごく嫌そうな顔をしたから」
「あ、俺、顔に出てた?…っていうか、結城さんに描いてもらうのとは全然話が違うでしょ?」
「?」
私がきょとんとして司君を見ていると、今度は司君は、わざとらしく目を丸くして見せて、
「わかんないの?」
と聞いてきた。
「え?」
「好きな子に描いてもらうのと、まったく話が違うって、そう思わない?」
「…好きな子」
「そう。好きな子に俺の絵を描いてもらえるなんて…。俺、かなり舞いあがってたけど?」
え~~?見えない、見えない。全然そんなふうに見えなかったよ~~。
「見学に来た時だって」
「私が?」
「うん。へましたらカッコ悪いから、いつもよりも冷静になって、弓を打ってた気がする」
うん。涼しげな凛とした顔で、弓を打ってたよ。
「なんだか、信じられない」
「何が?」
私の言葉に司君が不思議そうな顔をした。
「あの頃、もう藤堂君にはなんとも思われてないって、そう思っていたから。藤堂君がそんなことを思っていただなんて、なんだか信じられないんだよね」
「…俺だって」
「え?」
「あの頃、なんにも結城さんに思われてないって思っていたから、俺のことをまさか好きでいてくれたなんて、いまだに信じられないよ?」
「…」
2人でしばらく見つめ合ってしまった。そうしているうちに、終点に着いた。
「穂乃香…」
「え?」
ドキン。いきなり、穂乃香?
「一緒の家に帰るのも、信じられないことだよね。いまだにさ」
「…う、うん」
司君ははにかんだような笑顔を見せた。ああ、可愛い。
そうして、私たちは一緒に家に帰って行った。
うん。本当だよね。あの頃、なんとも思ってもらえてないって暗く落ち込んでいた。それなのに、今は同じ家に帰るんだもんね。
うん。なのに、ちょっと司君がそっけないっていうだけで、さびしがったりしていたら、贅沢ってものだよね。
と思いつつも、やっぱり私はお風呂に入ってから自分の部屋に閉じこもり、麻衣から借りた本にくぎ付けになっていた。