第29話 仮面の内側
藤沢の駅に着いた。私は電車の中でも、極力何も考えないことにしていた。思い出しただけで、泣いちゃいそうだったからだ。
改札口では、麻衣が心配そうな顔をして待っていた。
「麻衣…」
麻衣の顔を見たら、また泣きそうになった。
「そんなでっかいカバンを持ってきたの?家出?」
麻衣は、私の顔よりカバンを見て驚いている。
「ううん。と、とりあえず、着るものとか、教科書とか」
「え?今日泊まって、うちから学校行くの?」
あ、迷惑だったかな。もしかして。
「司っち、なんて言ってた?っていうか、そんなにすごい喧嘩でもしちゃったの?」
「喧嘩じゃないよ」
「とにかくさ、その辺のカフェに入ろう。私、朝ご飯まだなんだ。うちの親も起きたばっかりだし、もう少しその辺で時間つぶしてから、うちに行こうよ」
「ごめんね」
私と麻衣は、カフェに入った。
「私も朝ご飯、食べていないの」
「司っちのお母さんは知ってるの?出てきたこと」
「うん」
「何があったの?」
私と麻衣は、サンドイッチとコーヒーを買って、席に着き、それから話し出した。
「キャロルさんが、昨日私の部屋に泊まったの」
「あ、キャロルが意地悪なことでもしてきた?」
「…意地悪って言うか」
「…なに?」
「朝、早くに私の部屋から出て行って、司君の部屋に入りこんで」
「キャロルが?」
う…。駄目だ。思い出したらまた涙が出そう…。どうにかこらえながら、私は話を続けた。
「私、そのままにしておいちゃ駄目だって思って…。司君の部屋のドアを開けて…」
「う、うん」
「そうしたら、キャ、キャロルさんが、ベッドに潜り込んでて…」
「え~~~!つ、司っちの?」
「麻衣、声でかいよ…」
カフェには、数人しかいなかったけど、その数人がいっせいにこっちを向いた。
「ご、ごめん。そ、それで?」
麻衣は声を潜めて聞いてきた。
「それで…。ベッドから引っ張り出そうとして近寄ったら、そうしたら…」
じわ~~~。また、涙が出てきた~~。
「ど、ど、どうしたの?」
麻衣は、もっと心配そうな顔をして聞いてきた。
「司君。キャロルさんを抱きしめてて…。それも、キャロルさんの胸に顔、うずめてて…」
「どひゃ~~~」
麻衣がまた、大声をあげた。
「麻衣、声…」
「あ、ごめん」
でも、もうなぜか、みんな私たちを見ることもなかった。
「それで、家を飛び出してきたのか」
「うん」
「でもさ、司っち、寝ぼけてたんじゃないの?」
「そうみたい」
「え?」
「私と間違ったって言ってた…」
「でしょ~~~!な~~んだ。だったら、いいじゃん」
「よくないよ。だって、あのでかい胸のキャロルさんの胸に、顔うずめてたんだよ?」
悲しくなっていたが、一気に今度はムカムカと、腹が立ってきた。
「ジェラシー?」
麻衣も私の顔を見て、わかったらしい。
「そ、それもあるけど。でも、わかるじゃん。胸のサイズが違うんだから」
「………あ、待って。今、なんだか、違和感があるって思いながら聞いてたんだけど」
「え?」
「なんで、胸のサイズが違うのがわかるの?」
「見てわかるじゃん。全然違うよ」
「まあ、それは置いといても。なんで、ベッドに潜り込んだのが、穂乃香だと勘違いするわけ?」
「え?」
「まさかと思うけど、穂乃香、前に潜り込んだことがあるとか」
「…」
やばい。そうだった。こんな話をしたら、全部ばれちゃうよね…。
「まさか、ね?」
麻衣が、私の顔をじいっと見ながら聞いてきた。
「えっと」
私はしどろもどろになってしまった。
でも、数分後、正直に白状した。
「じ、実は、私、司君とはもう、む、む、結ばれて…」
「どへ~~~~~~~~~~~っ?!!!!!」
麻衣がまた、大声を出した。さすがに、隣の隣にいたおっさんが、大きな咳ばらいをした。
「麻衣、声がでかいってば」
「ごめん。でも、でも、これがびっくりしないでいられる~~?」
麻衣はしばらく、口をあんぐりと開けたまま、私をただただ眺めていた。そして我に返ったのか、
「い、いったいいつ、司っちと結ばれちゃったわけ?」
と声をものすごく潜め、聞いてきた。
「夏休みの終わり…頃」
「そんなに前に?」
「う、うん」
「……。じゃ、部屋に夜中潜り込んだこともあるんだ。やっぱり」
「う、うん。でも、一回だけだよ」
「……逆パターンは?」
「え?」
「司っちが潜り込んできたこと」
「それも、一回だけだよ」
「ひょえ~~~~~~~」
麻衣は声を潜めたまま、驚いていた。そしてしばらく顔を赤くしたままうつむき、そして顔をあげると、
「じゃ、なんでクリスマスのことで悩んでいたの?」
と聞いてきた。
仕方なく、私は電気のことも麻衣に話した。
「それで、電気をつけるかどうか、聞いてきたのか」
「う、うん」
「は~~~~~~」
麻衣はまだ、驚いているようだ。
「まいったな。そうだったんだ。そっか~~~~~」
ちょっと、放心状態みたいだ。
麻衣は一点を見つめ、しばらく黙り込み、それから、ちらっと私を見ると、
「どうだった?怖かったの?やっぱり」
と聞いてきた。
「ううん。怖くないよ」
「え?」
「司君、優しかったし。なんだか…」
「う、うん」
「もっと、司君と近づけて、司君のことを知れて、嬉しかったかな」
「………」
麻衣の目が思い切り垂れ下がった。
「もう、穂乃香ったら、大人なのね」
と言いながら、私の腕をつっついてきたし。
「でもさ。だったらなおのこと、キャロルが潜り込んだくらいで、動揺しないでもいいと思うよ」
「え?」
「司っち、本当に間違えただけだろうしさ」
「…そ、そうかな」
「疑ってたの?穂乃香」
「そ、そうじゃないけど。でも、なんだか、ショックで」
「まあね。目の前で自分の彼氏が、他の人抱きしめてたら、さすがにショックだよねえ」
そうだよ、思考回路止まるよ?心臓も止まるかと思ったもん。
「で、荷物まとめて、いきなり飛び出してきたんだ。司っち、どうしてたの?」
「鉄仮面になってた」
「え?鉄仮面?ポーカーフェイス通り越して?」
「うん、そう。無表情どころか、顔の色もなくなってた」
「それって…心の動揺を表に出さないようにしてるのかな?」
「多分、そう」
私は、いったん話をやめて、サンドイッチとコーヒーを飲んだ。
「…」
麻衣ももくもくと食べだした。
私は一つサンドイッチを食べ終えたところで、また話を再開した。
「司君って」
「ん?」
麻衣はサンドイッチをほおばったまま、こっちを見た。
「傷つくこととか、悩むこととか、それが大きければ大きいほど、顔が無表情になるの」
「え?だったら…」
「うん。多分、さっきのあの、表情が全く消えたあの顔は、心の奥ではものすごいことになっているってことなんだよね」
「え~~?なのに、穂乃香、家飛び出しちゃったわけ?それに顔色がなくなってたって、やばいんじゃないの?」
「う、うん。だよね…」
「じゃ、今頃司っち、くら~~くなっていたり?落ち込んでいたり?」
麻衣がそう言うと、いきなり私の心臓がバクバクしてきた。
なんだか、やっと冷静になって来たかも。私、ここで呑気にサンドイッチ食べてる場合じゃないんじゃないの?
「守君が、駅まで送ってくれたの」
「弟の?」
「うん。それで、兄ちゃんのあの顔、やばいって言ってた」
「え?やばいって?」
「だから、やばいって」
「…」
「きっと、かなり、傷ついちゃったか…」
「穂乃香が家を飛び出したから?それとも」
「私、勢いで、司君のことバカとか、大嫌いとか言っちゃったの」
「それ聞いて、司っち、傷ついちゃったとか?」
「わ、わかんないけど」
どうしよう。
なんだか、血の気も引いてきたかも。
ブルブル。その時、携帯が振動した。
「あ、あ、司君かも」
私は慌てて携帯を、ポケットから出した。
「ど、どうしよう。司君から電話だ」
「出ないの?穂乃香」
「だって、何を話したらいいか…」
「とりあえず、出たら?」
「う…。でも」
躊躇をしているうちに、電話は切れてしまった。
「あ…、切れちゃったよ」
「穂乃香から電話したら?」
「で、で、でも、なんて?」
「…わかんないけど、とりあえず、かけてみたら?」
麻衣にそう言われた。でも、勇気が出ない。
「…」
携帯を見つめながら、私はしばらく固まっていた。
「落ち込んでいる司っちを、キャロルが慰めて、本当に2人して結ばれちゃったりして」
「え?!」
「穂乃香が出て行ったあと、キャロルがあの家に住みだしたりして」
「ええ?」
「なんてことになったら、どうするの?穂乃香」
麻衣が、顔を私に近づけ、小声でそう言った。
「そそそ、そんなことになるわけないよ。つ、司君が浮気なんて」
「信じてるんだ」
「そりゃあ…」
「だったら、とっとと電話したら?こういうのって、きっと時間をあけちゃうと、かえってこじれちゃうかもよ?変な風に」
「……こじれる?」
「司っちの家に戻りにくくなっちゃうかもよ?いいの?それでも」
よくない。
「今もキャロルは司っちの家にいるんだよね?どうする?べったり司っちにひっついていたら…。いいの?それでも」
「よ、よ、よくない~~~!全然、よくないっ」
「でしょ?さっさと家飛び出してこないで、キャロルの横っ面を一発、殴ってきたらよかったのに」
「……」
怖い、麻衣。でも、麻衣、男らしいって、一瞬思っちゃった。
「穂乃香のほうが、彼女なんだから。穂乃香のほうがべったりと、司っちにひっついて、ベッドに潜り込むのも、穂乃香がしなくっちゃ」
「…私…が?」
「そうだよ。キャロルに先こされてどうするの」
「う…」
「ベッドに潜り込んで、穂乃香が司っちに抱きしめられている図を、キャロルに見せつけるくらい、しなくっちゃ」
「わ、私のほうが?」
「そうだよ。だって、彼女でしょ?それももう、結ばれてるカップルでしょ?」
「麻衣、声でかいってば…」
隣の隣にいるおっさんが、またこっちをちらっと見た。今の、聞えちゃってたかな。
「で、どうするの?電話するの?しないの?」
「メ、メールしてみようかな」
「……」
麻衣は何も言ってこなかった。私はメールを打とうと、携帯を開いた。でも、やっぱりなんて書いていいかがわからない。
う~~~~ん。と悩んでいると、麻衣が、
「あれ?司っちじゃない?」
と窓の外を見てそう言った。
「え?」
私も窓の外を見た。でも、司君は見えなかった。
「似た人?」
「ううん。司っちだよ。必死な顔して、あっちに走って行った」
「ほ、ほんとに?」
「…穂乃香のこと、藤沢まで探しに来たんじゃない?うちに来るってことは知ってるの?」
「うん。麻衣の名前は出したから」
「あ、だけどさ。司っち、私の家も私の携帯の番号も知らないよね?」
「うん。多分」
「あれって、もしかして闇雲に走ってるだけかなあ」
「……」
「それでも、探しに来ちゃったのかなあ。いてもたってもいられず…」
「……」
「司っちの顔、必死だったなあ。あんな司っちの顔見たの、初めてかも…」
「わ…」
「ん?」
麻衣が私をじっと見た。
「私…!」
ガタン。
「い、行ってくる…」
椅子から立ち上がりそう言うと、麻衣はにっこりと微笑み、
「荷物は置いて行っていいよ。司っちつかまえたら、戻って来てね」
とそう言ってくれた。
「うん!」
私は麻衣が、あっちに走って行ったっていう方向へ飛び出した。
辺りを見回したが、司君の姿は見えなかった。
私はまっすぐに、前に向かって走り出した。麻衣の見間違いかもしれない。司君じゃないかもしれない。だけど、じっとはしていられなかった。
もし、司君だったら?私を追いかけ、探しに来てくれたとしたら?
麻衣の家も知らないのに、司君はどこに向かっているんだろう。
あ、バスのロータリー?でも、麻衣の家は、歩いて行けるところなんだけど…。でも、司君はそんなことも知らないよね。
バスのロータリーまでたどり着いた。何個もバス停がある。バスも何台か止まっている。並んでいる人たちをかき分け、私は司君を探した。
あ!!!いた!!!司君が、バスの中や、バス停に並ぶ人を見ながら、走っている。
司君!こっち!私はここ!
司君に向かって私は走った。でも、司君はどんどん、向こうに行ってしまう。
あ!司君が止まった!そうか。バス停の最後まで行ったんだ。きっと、全部のバス停を見て回ったんだ。
がっくりと肩を落とし、ポケットに手を入れて携帯を取り出している姿が見える。
と、その時、ブルルル…と私の携帯が振動した。あ…。私に電話したんだ、司君…。
私は息を切らしていたけど、息を整え、電話に出た。
「つ、司君?」
「穂乃香!!」
私はゆっくりと電話をしながら、司君の方へと向かって歩き出した。




