第28話 傷つく心
「穂乃香ちゃん」
お母さんが2階にあがってきた。私は慌てて、司君の部屋のドアを開けた。お母さんの後ろには、キャロルさんもいた。
「はい…?」
「今日、キャロル、穂乃香ちゃんと一緒の部屋に寝てもいいかしら」
「…」
今、すごく怖い顔をして私を睨んでいる、キャロルさんと?
「母さん、キャロルは下の客間で寝てもらったら?」
司君も部屋から出てきて、お母さんにそう言ってくれた。
「あら。でも、女の子同士だし、いろいろと話をしてみたら仲良くなれるかもしれないし」
無理無理。キャロルさんだって、嫌そうな顔をしているし。
「ウン。穂乃香。今日、穂乃香ノ部屋デ寝ル。ヨロシク」
…え?
もしや、お母さんがそう言うから、キャロルさん、断れないとか?
「ほら、穂乃香ちゃん、キャロルもそう言ってるし、よろしくね」
え、え~~~~!
なんで、キャロルさん、お母さんの前だとにこにこしてるの?さっきまで、お母さんの後ろでムスッとしていたのに。
「私、オ風呂入ッテクル」
キャロルさんはそう言うと、さっさと一階に行ってしまった。
「あ、キャロル。タオル出してあげてなかったわね」
お母さんもなんだか嬉しそうに、階段を下りて行った。
「なんだか、怪しい~~」
その時、守君が静かにドアを開け、顔を出した。
「え?」
「キャロル。なんか、企んでるんじゃないの?」
え?
「何を?」
司君は、守君に聞いた。
「わかんないけど。穂乃香の部屋で寝るって言ったりして、なんか、裏でもあるんじゃないかって思ってさ」
「…母さんに言われて、断れなかったんだろ」
「チッチッチ。兄ちゃんてほんと、甘いよね。ま、部屋に居づらくなったら、いつでも俺の部屋に来ていいからな、穂乃香」
生意気な口をきいて、守君は部屋に入って行った。
「お前、中坊のくせに、生意気なんだよ」
司君はそう言うと、私のほうを向き、
「守の部屋じゃなくて、俺の部屋に来ていいから」
とそう小声で言って、自分の部屋に入って行ってしまった。
ポツン。あ、取り残されちゃった。もう、私、部屋に戻らないとならないのかな。
クスン。
俺の部屋に来ていいからって言って、手を引いてくれたらいいのにな。俺の部屋で寝ろよ。とか言いながら。
なんて…。そんな強引なこと、司君はしないよね。
「はあ」
二つ並んだ布団が、すんごく気持ちを落ち込ませる。嫌だなあ。キャロルさんと寝るのなんて。
お母さんはきっと、私とキャロルさんが仲良くなることを望んでいるんだと思う。で、こんなことを思いついたんだろう。お母さん、強引だしなあ。司君と違って。
でも、きっと仲よくなるのは無理な気がする。
その予感は的中した。キャロルさんは私の部屋に来ると、ものすごく怖い顔をしていきなり聞いてきた。
「サッキ、ナンデ、司ノ部屋ニイタノ?」
なんでって聞かれても。
「べ、別に用はないけど。話をしてただけで」
「……」
怖い。なんだか、キャロルさんのオーラ、めちゃくちゃ怖いんですけど。いくら、こっちが仲良くなろうと頑張ったとしても、キャロルさんのほうが心を開かないと思う。絶対に。
「穂乃香ッテ今、セブンティ―ン?」
「うん」
「本当ニ?」
「…」
なんで?じろじろと私のこと見てるけど、そう見えないってこと?
「私ノ友達ノホウガ、胸大キイ」
グサリ。
「穂乃香ッテ、日本人ノ中デモ、スタイル悪イホウダネ」
ひ、酷い。そんなこと本人目の前にして言う?
「司、ソンナアルカナイカワカラナイ胸、絶対ニ興味持タナイ」
そう言うと、キャロルさんは、ケタケタと笑った。
ムッカ~~~~。ムカつく。悲しいとか、傷つくとかよりも、キャロルさんの言うことには、いちいち頭に来てしまう。
「い、いいもん。胸が小さくたって。それでも、司君は可愛いって言ってくれる…と思うし」
「A!HAHAHAHA!」
ムカ。なんで、わざわざ、ローマ字で笑うかな。
「言ワナイ。司ガ女ノ子ニ向カッテ、可愛イナンテ。ソンナキャラクタージャナイ」
そんなことないもん。いっつも、穂乃香、可愛いって言ってくれてるよっ!
と心で叫んだ。でも、そう思ってるならそれでいいよ。そんな司君もいるんだって、教えてあげない。ふんだ。
「アア、笑エル。穂乃香、全然、司ノコト、ワカッテナイ」
どっちが!
「ソレニ、オ子チャマ」
どっちが!
「コンナンジャ、司モ、手ヲ出ス気、オキナイネ」
そんなことないもん。
「安心シタ」
え?
安心って、何?
キャロルさんはそれだけ言うと、満足そうに布団の中に入り、
「電気、小サイノダケ、ツケテオイテ」
と言って、目をつむってしまった。
寝るのか。なんだ。もっともっと、意地悪なこと言ってくるかと思って身構えていたのに。って、もう十分言われたかな?もしかして。
私は電気を小さい電気だけにして、布団に潜り込み、キャロルさんとは反対のほうに向いた。
今日、寝れるのかな、私。いまだに、胸がムカムカとムカついているんですけど。
しばらくすると、キャロルさんの大きな寝息が聞こえてきた。あ、キャロルさんは、全然私が隣にいようとかまわず寝れるのね。
「はあ…」
ため息が出た。今日も隣で、司君に寝てほしかったのに。なんで、キャロルさんが寝ているんだか。
ちょっと暗い気持ちになりながらも、私もだんだんと眠くなっていった。
そして、いつの間にか眠っていたようだ。
夢を見ていた。そんな中、ドアの開く音が聞こえた。
今、ドアが開いた?ドキン。まさか、司君が夜這いに来た?
あ、でも、確かキャロルさんが隣にいるんだっけ。司君が夜這いに来るわけないか。それも、こんなに朝早くに。
そんなことをぼ~~っと思って目を開けた。そして隣を見ると、キャロルさんがちょうど部屋を出て行くところだった。
あ、ドアを開けたのはキャロルさんか。トイレにでも行くのかな。
だが、そのあとすぐに、隣の部屋のドアを開けた音が聞こえてきた。
え…。司君の部屋?
まさか、司君の部屋に忍び込んだ?
うそ!
慌てて時計を見た。もう6時を過ぎていた。
ドキドキドキ。
外はうっすらと明るかった。遠くからは、鳩の鳴き声が聞こえている。
私は部屋を出た。そして司君の部屋の中の音を、耳を当てて聞いてみた。でも、静まり返っている。
どうしよう。ここは、開けるべきだよね?!!!
だって、私が司君の彼女なんだよ?他の女性が彼氏の部屋に忍び込んでいるなんて、絶対にそんなの許されないよ。…ね?
バタン!
思い切って、ノックもしないで、声も掛けないで、いきなりドアを開けてみた。
すると、キャロルさんは、司君のベッドにしっかりと潜り込んでいた。
「…!!!」
やめてよ。何をしてるの?!!と言ったつもりだが、声にならなかった。でも、キャロルさんをベッドから引きずり出そうと、私はベッドに近づいた。
でも、ベッドに近づいて愕然としてしまった。
え…?
…どうして?
「にやり…」
キャロルさんは、司君の腕の中で私を見て、にやりと笑った。
「………」
なんで、司君は、キャロルさんを抱きしめているの?!
なんで?
なんで?
なんで?
なんで?
だ、駄目だ。
思考回路、停止した。
「………」
どうしていいかわからず、しばらく私はその場に立ちすくんだ。
キャロルさんは、これ見よがしに、司君の首に腕を回したりしている。そしてまた、私を見る。
な、な、な、なんで?
司君はしっかりとキャロルさんを抱きしめ、キャロルさんの胸に顔をくっつけている。でも、顔を持ち上げて、そして目の前にあるキャロルさんの顔を見た。
「……あれ?」
ぼ~~っとしている司君は、そのあと顔をさらに上に向け、私とばちっと目が合った。
私は、きっと顔面蒼白だった。顏から血の気は引き、顔は思い切り引きつり、今にも泣きだしそうだった。
「穂乃香?」
司君は私を見てから、私の名前を呼び、そしてまた、キャロルさんのほうを見た。
「……え?!」
ガバッ!司君は思い切り起き上がり、キャロルさんの腕を振りほどいた。
「司!オハヨウ。デモ、マダ早イカラ、モウチョット、寝テイヨウヨ」
「キャロル?!」
司君が慌てている。でも、キャロルさんはまた、司君に抱きついた。
「司、マタギュッテ、抱キシメテヨ」
ドッゴ~~~~ン!!!!!!!
何かが頭上に振ってきた。重い鉄の塊。
バタン!
その次の瞬間、私は思い切りドアを開け、自分の部屋へと駆け込んだ。
そして自分の部屋のドアを閉めてから、布団に倒れこみ、ボロボロと涙を流して、泣き出してしまった。
まだ、頭の中は真っ白だ。それに、ガンガンする。何も考えられない。喉が苦しい。涙が止まらない。それに嗚咽も。
「穂乃香!」
司君の慌てる声が聞こえてきた。
「穂乃香!」
そして私の部屋のドアを開けようとした。
「開けないで!」
「え?」
「入ってこないで!」
思考回路が停止しているのにもかかわらず、そんなことを勝手に口は叫んでいた。ほとんど無意識に。
「穂乃香、違うんだ。キャロルが勝手に」
「違わないもん」
「え?」
「キャロルさんのこと、抱きしめてた!」
「だ、だから、あれは穂乃香と間違って!」
私と~~~?!!!!
どこを、どう間違えるの?胸のでかさだって、全然違うし、わかるじゃない。キャロルさんのでっかい胸に、顔、うずめてたじゃないよ~~~!!!!!!
「司君の、バカ!!」
「穂、穂乃香?」
「司君の顔なんて、見たくない!こっちに来ないで!もう、大っ嫌い!」
わ~~~~~~!!!!!!
それから、私は思いっきり、大声を出して泣いた。
「どうした?」
ドアの外からは、守君の声もした。きっと、この騒ぎで目が覚めたんだ。
「穂乃香?どうしたの?」
それに、私の泣き声が聞こえたんだ。
「守君も、入ってこないで!」
誰にもこんな姿、見られたくないよ。
思考回路が停止中で、考えることもできなかった。司君がどんなに困惑していたかも、キャロルさんのたくらみも、その時考えられる余地もなく、私はただ泣いていた。
ちょっと冷静になったら、そんなに泣きじゃくる前に、キャロルさんの腕でも掴んで、司君からひっぺがすこともできただろうに。
勝手に潜り込み、司君に抱きついて、寝ぼけた司君は私と間違えた。そりゃ、間違えたのは頭に来ることだけど、司君だって被害者だったのに。
そのうえ、私に「バカ、大嫌い」とまで言われ、司君がどれだけ傷ついたかも、冷静になっていたらわかったのに。
涙がおさまると、ドアの外が静まり返っているのに気が付けた。そしてまた、私は悲しくなった。私から、誰も入ってくるなと言ったくせに、なんでみんな、私をほっておいているのか、悲しくなった。
しばらくしても、誰も来なかった。キャロルさんも部屋に戻ってこなかった。
私は、涙を拭いて鼻を噛み、制服に着替えた。それから、荷物を鞄に詰め込んで、麻衣にメールした。
私の頭は、まだまだ冷静にはなれなかった。さっき見た光景が、何度も何度も浮かんでは消え、涙もまだ流れ落ちたりしていた。
布団を綺麗に畳んで、押し入れに閉まった。それから畳の上にペタンと座り、メールの返事を待った。
窓の外はしっかりと、明るくなって、隣の部屋から目ざましのアラームが聞こえた。でも、鳴ったまましばらく消えなかった。
もしかすると、3人とも一階に行ったのかもしれないなあ。
そんなことをぼんやりと考えていると、携帯が振動した。
「麻衣?」
「どうしたの?いきなりうちに泊めてなんて…。なんかあった?」
「麻衣~~~~。会ってから、話、聞いて。今、とても話せない。きっとまた泣いちゃう」
「わかった。で、どうしようか。今日部活だよね?」
「さぼる」
「じゃ、私もバイト、夕方からだから、今からうちにおいで」
「ありがと…」
大きな旅行用かばんと、学生かばんを持って、私は一階に下りた。そこに、メープルを連れた守君が来た。
「な、なに?その荷物?」
「…ちょっと。ここにいるのは辛くって」
「まさか、長野に行っちゃうの?」
守君がそんなことを大きな声で言うと、リビングから司君とキャロルさんが出てきた。それに廊下の奥からは、お母さんも。
「ちょ、ちょっと、穂乃香ちゃん。長野に行くって、どうしちゃったのよ」
お母さんの顔、引きつっている。
「長野じゃないです。友達の家です。あ、藤沢の駅で待ってるって言ってたから、もう行きます」
「朝ごはんは?」
「いいです。どこかで食べます」
「ちょ、ちょっと待って。司。あなた、なにやらかしたの?喧嘩?」
司君をお母さんは見た。私は司君の顔を見れなかった。それに、キャロルさんの顔も。
「兄ちゃん。穂乃香、出て行っちゃうよ。止めて」
守君がそう言ったが、私はさっさと靴を履き、ドアを開けて外に出た。
「穂乃香ちゃん」
お母さんと守君とメープルが追いかけてきた。
「待って。ちょっと待って」
「そうだよ、キャロルがなんかしたんだろ?キャロルが悪いんだから、穂乃香が出て行くことじゃないよ」
腕を2人につかまれた。それに、メープルが足元でワフワフ言って、私を止めている。
玄関のドアが開き、司君が顔を出した。キャロルさんもその後ろから顔を出した。キャロルさんは、私を睨んでいた。
そして、司君は…。
ああ、鉄仮面だ。何も言ってくれないし、ただ、私を見て、無表情でいる。
「あの…。麻衣が待っているから、もう行きます」
私はそう言って、歩き出した。
「ちょっと。司、何してるの?追いかけてよ」
お母さんの声がした。でも、司君の足音も、声も聞こえなかった。
ワフワフ。メープルが私の横に来た。
「持つよ」
そう言って守君が私のカバンを持った。
う…。また涙があふれた。なんで、司君は来てくれないの。
「兄ちゃん。おかしくなった」
「…え?」
「やばいかも」
「え?」
「だから、出て行かないほうがいいと思う」
何がおかしくなったの?やばいの?
「…でも」
私は、振り返らず、そのまま駅に歩いて行った。守君はそれ以上何も言わず、カバンを持って駅まで来てくれた。
「今日、戻ってくるよね?」
「わかんない」
「でも、明日学校だろ?」
「だから、制服着て、学生カバンも持ってきたの」
「…兄ちゃんのこと、見た?」
「うん」
「あの鉄仮面のような顔、見た?」
「見たよ」
私の気持ちはまた、どんよりしてしまった。
「あの顔、やばいよ」
「…」
だから、何が?
「あれ、自分の感情を全部殺している時だって。じいちゃんや、ばあちゃんが死んで泣いていたら、父さんに怒られて。あの時もあんなだった。でも、一人になった時、めちゃくちゃ泣いてたんだ。それ、俺見ちゃったんだ」
「…」
「それに、穂乃香にふられた時も、あんなだった」
「え?」
「あれ、相当、やばいんだ」
「……」
でも、傷ついているのは私なの。
私はそう思って、守君からカバンを受け取り、改札を抜けた。そして電車に乗った。
ピ~~~ッ。出発の合図がして、電車が走りだした。なぜか、遠くから、「穂乃香!行くな」という司君の声がしたような気がした。
でも、電車はもう、発進していた。




