第26話 一緒の部屋で
翌朝、私は司君の隣で目が覚めた。
横で寝ている司君の可愛い寝顔。それに寝息。ああ、毎日隣で寝ていてくれたらいいのになあ。
この可愛い寝顔を知っているのは、きっと私くらいだよね。
キュン!司君の寝顔を見ていると、なんだか、やたらと胸がキュンとする。
司君の可愛いおでこにそっとキスをした。キュン!あ、また胸がキュンとしちゃった。
「ん?」
司君が目を開けた。
「おはよう」
そう言うと、司君はしばらくじっと私の顔を見てから、
「あ、そうか。穂乃香の部屋だった」
とつぶやいて、おはようと照れくさそうに笑った。
ああ、この照れた顔がまた、胸をキュンってさせるんだよね。
「穂乃香」
「え?」
「寝起きの顔、可愛い」
「…!」
もう~~~。いきなり、朝から何を言いだすんだ。司君。思いっきり顔が熱くなってしまったじゃないか~~。
「今何時?」
「もう7時になる」
「じゃあ、起きないとね」
司君はそう言うと、私のおでこにキスをして、そして布団から出た。
私はいつものように、司君の裸を見ないよう、布団に潜り込んだ。すると、
「あ、本当だ。穂乃香、布団に潜り込んでる」
という司君の声が聞こえた。
「…」
私が何も言わないで、そのままじっとしてると、
「可愛い、穂乃香」
と言って司君が、布団ごと抱きしめてきた。
「つ、司君。早く着替えて」
クス。
あ、司君の笑い声。
しばらく司君はクスクスと笑い、そしてどうやらパンツとシャツだけ着て、そのまま自分の部屋に戻って行ったようだ。
私は布団から顔をだし、またいきなり司君が戻ってきたりしたら大変だから、布団の中でもそもそと下着をつけた。
あ。やっぱり。パジャマ、置いていっちゃったよ。司君。これ、このまま畳んで私の部屋に置いておいたら駄目かなあ。そうしたら、今日も司君、私の部屋で寝てくれちゃうかも。
それで、これからずうっと、一緒に寝てくれるようにならないかなあ。
なんて、贅沢な望みかしら。
制服を着て、私は1階に下りた。守君がちょうど朝食を食べ終わり、学校に行くところだった。
「おはよう、穂乃香。そいじゃ、行ってきます」
「行ってらっしゃい」
守君は元気よく家を出て行った。
「守~~。夕飯には帰ってらっしゃいよ~~」
と玄関のドアの外に慌ててお母さんが飛び出し、そう大声で言った。
「もう、あの子、聞えたのかしら」
ぶつぶつ言いながら、お母さんは玄関のドアを閉め、家に入ってきた。
「守、夕飯には帰ってくるって?」
司君が2階から下りてきた。今のお母さんの大きな声、2階にいても聞こえたのかなあ。
「返事もしないで、行っちゃったわよ。本当にもう。あの子、キャロルのこと苦手意識持っちゃって、全然うちとけようとしないのよね」
「しょうがないよ。よく泣かされてたからね」
司君は苦笑いをして、それから洗面所に向かった。私は廊下でぼ~っとしていたが、お母さんに続いてダイニングに入って行った。
「ワフワフ」
メープルが私の足元にじゃれついてきて、クンクンと匂いを嗅ぎだした。
「おはよう、メープル。なんでそんなに、匂いを嗅いでいるの?」
あ…。そうか。また司君の匂いがするんだ。
やばい。お母さん、こんなにメープルが匂いを嗅いでいて、変に思うんじゃないかなあ。
ちら。お母さんのほうを見ると、私と司君のご飯を、ダイニングに運んでいる最中だった。
「手伝います」
「ありがとう、穂乃香ちゃん」
き、気づいてないよね。ドキドキ。お母さん、いつもと変わらないし、私の部屋で司君が朝まで寝ていたなんてこと、お母さんにはわからないよねえ。
「ふわ~~~」
私が気づかれていないかってドキドキしている時に、司君が呑気に大あくびをしながら、ダイニングにやってきた。
「あら、司。寝不足?」
「いや。そうじゃないけど」
「そうだ。今日、天気いいし布団干したいから、学校行く前に司、手伝ってよ」
「ああ、いいよ。どこの布団?」
「穂乃香ちゃんの布団と…。あと、穂乃香ちゃんの部屋の布団、あなた使ってる?」
「う~~~ん。使ったけど、それも干しておく?あ、そういえば、俺、布団あげてないや。穂乃香、布団押し入れに閉まっちゃった?」
え!!!!
「…」
私がびっくりして何も言えないでいると、司君は不思議そうな顔をして私の顔を覗き込み、
「聞いてた?布団、もうあげちゃった?」
と聞き直した。
コクコク。私は黙ってうなづいた。
「じゃあ、司。布団二組、2階のベランダに干しておいて」
「うん」
司君は平然とした顔をしたまま、テーブルに着き、いただきますとご飯を食べだした。お母さんも平然とした顔のまま、私と司君のお茶を淹れている。
な、なんで?いつものことだけど、なんでここの親子は、こういう会話を平然としちゃうのかなあ。
「あ。俺、そういえば、パジャマ、穂乃香の部屋に置きっぱなしだ」
え?司君、お母さんの前で何を言いだすの?
「そうなの?洗濯に出しておいてよ」
え?お母さんも、なんで平然としてそんなこと言ってるの?
「うん。あとで、持って来るよ」
…。だから~~~~!
そういう会話もなんで、平気でしているのかな。私だけが、動揺しまくってるよ~~。
あ、それに司君のパジャマ、せっかく畳んでしまったのに、洗濯に出しちゃうの?ちょっとがっかり。
そして司君は朝ご飯を終えると、2階に行って布団を干し始めた。私も手伝おうと2階にあがったが、司君に「いいよ、穂乃香は…」と軽く断られ、仕方なく司君が布団を干すのを眺めていた。
「今日天気いいし、干した布団、きっと気持ちいいね」
司君は布団を干しながら、そんなことを言ってきた。
「じゃ、じゃあ、司君、その干したばかりの布団で、今日、寝る?」
なんて、言っちゃったよ~。きゃ~~。これじゃ、一緒に寝ようと誘ってるみたいじゃない。
「…穂乃香と一緒の布団で?」
司君は動きを止めて、私を見ながらそう言った。
ドキン!
「い、一緒とは言ってない」
私が慌ててそう言うと、司君は、
「な~んだ」
とわざとらしく残念がって見せた。
そんなこと言って。昨日だって、私の布団で一緒に寝てくれるのかと期待したら、しっかりと隣に敷いた布団に入って寝ちゃったじゃない。
それでも、隣で寝てくれるんだから、いいんだけど。いいんだけどさ。
「……でもなあ」
司君はちらっと私を見て、
「もし、今日も穂乃香の部屋で寝たら、俺、そのまんまずうっと穂乃香の部屋で寝ることになりそうだ」
と照れくさそうにそう言った。
「…」
いいよ。と喉まで出かかった。でも、止めた。これ以上大胆発言をしていたら、いい加減司君に呆れられちゃう?
「そ、そんなことになったら、お母さんがなんて言うか…」
思わず私の口から、そんな言葉が出ていた。
「どこの?あ、俺の?」
「え?うん」
そりゃそうだよ。うちの母親になんて、絶対に知られるわけにはいかないんだし。
「…あの人、何か言うかな?」
司君は布団を干し終わり、ベランダから部屋の中に入った。
「何も言わない?」
「うん。なんなら、聞いてみる?俺、これから穂乃香の部屋で寝るようにするよって」
え!!
ブルブル。とんでもない。そんなこと聞くなんて。私は勢いよく首を横に振った。
「…穂乃香。まだ、うちの母親のことわかってない?」
「え?」
「きっと、あら、そう?くらいの軽い反応しか示さないと思うよ」
「…」
そ、そうかな。
一階に行き、学校に行く支度を整え、私と司君は玄関に行った。お母さんもダイニングからメープルと共に、やってきた。
「布団ありがとう、司」
「うん。あ、パジャマ忘れた」
そうだった。司君のパジャマ、私の部屋にそのまま置いてある。
「じゃ、あとで取りに行くわ。穂乃香ちゃんの部屋?」
「うん。ちゃんと穂乃香が畳んでくれてた」
「あら、そうなの?ありがとう、穂乃香ちゃん」
「え?い、いいえ」
カチン。なんだか、体が硬直しちゃうよ。
「なんなら、あなたのパジャマ、乾いたら穂乃香ちゃんの部屋に置いておこうか?」
え?今、なんて言った?お母さん。
「いいよ。風呂あがったら着るんだし、俺のタンスの中に閉まっておいて」
司君は普通に答え、靴を履きだした。
「……」
なんで、そんなに普通なの?動揺したり、照れたりしないのはなぜ?
「じゃあ、布団干し終わったら、穂乃香ちゃんの部屋に二つ並べて、敷いておく?」
「…なんで?穂乃香、帰ってきて、布団敷いてあったら邪魔じゃん」
司君はお母さんに、また平然とそう答えた。
「何よ。つまらないわね」
は?
「何が?」
お母さんの言葉に、私は目が点になったが、司君は眉をひそめて聞き返した。
「司、全然照れたり、赤くなったりしないんだもの。つまらないわ、なんの反応もなくって」
「…からかってたの?俺を」
司君は、呆れたっていう顔をして、
「そんなことくらいで、俺、照れたりしないよ」
とまったく動じず、言い返した。
「そうね。穂乃香ちゃんが固まっちゃっただけね。ごめんね?穂乃香ちゃん、からかって」
え?わ、私?私もからかわれてた?!
「クス」
司君も私を見ると、静かに笑った。
「じゃ、行ってらっしゃい。あなたたちもちゃんと夕飯はうちで食べてよね。キャロルが来るんだから」
「わかってるよ」
お母さんにそう司君は返事をして、私と一緒に玄関を出た。
家の前の細い路地を歩いていると、司君はぼそっと小声で私に近づき言ってきた。
「ね?うちの母親って、あんななんだよ」
「…う、うん」
そうだね。あのお母さんには、「普通の母親」という概念が当てはまらないんだね。ちょっと、いや、かなり「普通」から外れている。
「でも、なんで司君は、お母さんがああいう性格だってわかったの?」
「え?なんでって、そりゃ自分の母親だから」
「だけど、今までにもそういうことをお母さんが言って来たりしたから、わかったことだよね?」
「そういうことって?」
「だから、女の子と付き合うのに寛大って言うか、気にしないって言うか…」
「……ああ。うん、まあ」
「?」
なんか、司君、言葉を濁してる?
「前にも、そういうことがあったの?言われたことがあるの?」
私はちょっと気になり…、いや、かなり気になり、聞いてしまった。
「……」
司君はしばらく明後日の方向を見て、黙り込み、
「なんとなく、そんなこと言ってたことがあったかな」
と、ものすごく曖昧な返事をした。
き、気になる。もっと気になる。いったい、いつ、誰とのことでお母さんはそんなことを言ったの?
私のことかな。
いや、もしかして、もしかすると、キャロルさん?
いったん、気になりだすと、なかなか私はその思考から離れられなくなる。今日、キャロルさんが来るのも、すご~~く気になってきてしまった。
それも、彼氏とうまくいってない、傷心のキャロルさん。
学校までの道のり、なんとなく司君が、よそよそしく感じたのは私の気のせいかな。でも、学校に着く寸前、
「やっぱり、あれはそういう意味だったのかな」
と突然、静かだった司君が口にした。
「な、なに?」
なんのこと?
「あ、母さんだよ。朝、やたらと俺にからんできてたけど、あれ、穂乃香の部屋で寝ろって、そう言いたかったのかなって思って」
「は?!」
私は突然、学校のすぐそばでそんなことを司君が言ったから、慌てて辺りを見まわした。
「あ、ごめん。こんなこと、こんなところで言ったりして」
司君はそれに気が付いて、ちょっと私から離れると、颯爽と歩き出した。
バクバク。本当だよ。びっくりだよ、突然そんなことを言いだすんだから。
でも、もしかして、司君が静かだったのは、ずっとそのことを考えていたから…とか?
司君は、クールな顔をして、弓道部の部室に向かって行った。私はと言うと、ぼけっとしたまま美術室に入った。
確かに、司君のお母さんは変わっている。でもきっと、司君も変わっている。と思う。
学校ではクールな司君。私とも、あまり話さないし、距離も置いている司君。そんな司君と毎日、一緒の部屋で寝ているんです…なんて、学校にいる誰もが、信じられないだろうな。もし、そうなったとしても。
「……」
でも…。毎日、一緒の部屋で、隣に寝られるとしたら…。ぼんやりとそんなことを考えると、ますます私はぼけらっとしてしまい、絵を描く集中力すらなくなってしまう。
いいな~~~~。それ。うん。毎朝、あのはにかんだ笑顔が見られるなんて、最高かも。
と、そんな呑気なことが言ってられるのも、キャロルさんが来るまでの、ほんのひと時のことだった。




