第24話 今度は司君?
私は、卒業制作の絵に取り掛かっていた。描きたいのは、高校の思い出だ。
「何かな。一番印象に残ったものって」
やっぱり、司君とのことなんだよね。
真っ白いキャンバスを前にして、ぼけっとしてから、スケッチブックを持って、立ち上がった。
「部長、ちょっとスケッチしてきていい?」
「いいわよ。卒業制作のでしょ?」
「うん。グルッと校内を回ってくるね」
「いってらっしゃい」
部長とは、そんなに仲がいいわけではなかったけど、なんとなく最近は話すようになったなあ。
それから、私は校内を歩き、体育館の方にも行ってみた。あ、この体育館の裏で、告白されたっけ。銀杏の木、まだ銀杏の葉が残ってる。
この銀杏の黄色を見ると、あの日を思い出すなあ。
司君はどれだけの勇気を持って、私に声をかけてきたんだろう。そんなことを思うだけで、キュンって胸が締め付けられた。
不思議と、あの時の司君の照れた顔や、声、覚えてるんだよね。鮮明に…。
「この銀杏を描こうかな」
そう思い、私はすぐにスケッチを始めた。
まだ、2年生は数か月ある。でも、3年になったら、確実にクラスは変わるんだよね。
ちょっと、教室で司君に会えないのは寂しいかも。…って、家に帰ったら会えるんだけどさ。
「はあ…。でも、あの流暢な英語の発音とか、聞けなくなるのかあ」
司君が英語で当てられて、教科書を読む時、私はひそかに喜んでいる。でも、それって、周りの女子もそうだったみたいで、目をハートにして司君を見つめて聞いている女子もいるって、美枝ぽんが教えてくれた。
いつの間にか、人気者になった司君は、来年どうなっちゃうかな。
スケッチをしながら、そんなことを考えていた。そして、私はまた美術室に戻った。
「どうだった?何かヒントは見つかった?」
部長が聞いてきた。
「うん。銀杏の木を描こうかなって思って」
「ああ!あれ、綺麗だよね。でも、そろそろ散っちゃわない?12月の半ばくらいになると、葉が落ちちゃうと思うけど」
「大丈夫。スケッチしたし、脳裏にも焼き付いているし」
「そこが結城さんのすごいところだね」
部長はそう言うと、席に戻って行った。
どこが?そこって、どこ?
私はいまいちわからないまま、またキャンバスに向かった。
あっという間に5時を過ぎ、部員たちが帰って行った。そして最後に取り残され、片づけも終わった私はぽつんと美術室の中にいた。
「遅いな。部活の練習、延びてるのかな」
そんな独り言を言っていると、廊下を走る音がした。
「司君?」
ドアのほうを見ると、息を切らし入ってきたのは、川野辺君だった。
「あれ?」
「結城さん、よかった。まだいた」
「?どうしたの?あ!藤堂君に何か…」
「あ~~。うん。瀬川さんって1年知ってる?」
瀬川さん~~?
「部が終わるまで、弓道場の前で待ってたみたいで、藤堂が道場から出た途端、泣きついちゃってさ」
え?!!!!
「いや~~。周りにいた部員もびっくりしちゃって。あ、それで今も、一悶着してて、結城さんを呼びに来たんだけど、たださ…」
川野辺君は、いきなり話しづらそうに顔をしかめ、黙り込んだ。
「な、なに?」
ドキドキ。司君と瀬川さんが、どうにかなっちゃったとか?
「その瀬川さんが言ってること、藤堂は真に受けてないけど、でも、ちょっと確認してもいい?」
「え?」
「瀬川さんのこと、泣かせるようなことしたり、沼田ってやつと裏でこそこそ仲良く会ったりしてんの?」
「はあ?」
「それから、瀬川さんの悪口を言いふらしたり、嫌がらせしたり」
「誰が?」
「だから、結城さんが…。って、するわけないよなあ。うん。そんなことするわけがないよなあ。あははは」
「それ、瀬川さんが言ってたの?」
「うん。泣きながら、藤堂に言ってる。多分、今も…」
ムカムカムカムカ~~~~~~~!
駄目だ。また、腹が立ってきた。でも、落ち着いて。
「そ、それで、つ…。藤堂君は?」
「信じちゃいないよ。瀬川さんの言うことも無視して、さっさとこっちにこようとしたみたいだけど、瀬川さんが藤堂を離さないんだよね。しがみついちゃって」
ブッチン。
私は、自分の中の何かが切れた音とともに、席を立って美術室を出ていた。
「あ、あのさ。その…喧嘩は良くないと思うけど」
「そんなの、しない」
川野辺君の言葉に、言葉少なに答え、私はどんどん廊下を歩いた。
そして、道場の前の渡り廊下まで来た。なんだか、決戦の前みたいな気分になってきた。どうしよう。本当に喧嘩になっちゃったりして。
と、とりあえず、瀬川さんが司君にしがみついてるなら、それ、ひっぺがさなくっちゃ!とか思いつつ、道場の前までやってきた…。けど。
すでに、瀬川さんは司君から離れていた。あれ?ちょっと拍子抜け。
「いい加減にしてくれないか」
司君は怒っていた。司君からはかなり、こわ~~いオーラが出ている。そのオーラで、あの瀬川さんも司君に近づけなくなっているようだ。
「結城さんのことは、俺の方が知ってる。悪口を影で言ったりするような子じゃない。それに、沼田と結城さんは、前から仲のいい友達なんだってことも、ちゃんと知ってる。君がどんなことを言ってこようと、俺は結城さんと別れる気もないし、君と付き合う気もないから、もう付きまとわないでくれ」
うわ。うわわ。ビシッと言った~~~!
「藤堂、かっこいいじゃん」
そう言ったのは、私の後ろに立っていた川野辺君だ。私はそれを聞いて、思わず、うんうんとうなづいてしまった。
「あ…」
その時、司君は私がいることに気が付いた。それから、ちょっと瀬川さんのほうを向き、そしてすぐに私のほうを向き直し、どんどん私のほうに向かって歩いてきた。そして、
「川野辺が呼びに行った?」
と聞いてきた。
「うん」
「悪い、藤堂。でも、ちょっとやばい雰囲気だったから」
川野辺君は、司君に謝った。
「……平気だよ。別になんにもやばくないから」
司君は川野辺君に静かにそう答えると、私の手を取って歩き出した。
「…今の、聞いてた?」
川野辺君からかなり離れたところまで来ると、司君はぼそっと聞いてきた。
「うん」
「そ、そう」
あれ?なんだか、照れてる?
「嬉しかったよ?」
「え?」
「ああ言ってもらえて」
「そ、そう?」
「…でも」
「え?」
「私もおんなじこと言ってた…と思う」
「は?ああ、もし、あの子にああいうことを言われたら?」
「ううん。さっき、ああいうことを言われて、同じこと言ってた。ちょっと、半分くらい、頭にきすぎて、覚えてないんだけど」
「…」
司君はいきなり立ち止まり、眉をしかめ、私の顔をじいっと見つめてきた。
「な、なあに?」
「ああいうことを言われたって?もしかして、あの子、穂…、結城さんのところにも行った?」
「う、うん」
「それで?」
「藤堂君のこと、いろいろと嘘を並べて言ってきたから、頭に来ちゃって」
「嘘って?」
「私と先輩は付き合ってるとか、結城さんとは別れたがってるとか、そういうこと…」
「ええ?」
あ、司君、さすがにびっくりしてる。
「それで、藤堂君がそんなことするわけないって、私、切れちゃって…」
「あ、さっきの俺みたいに?」
「うん」
「……」
司君はまだ、黙って私を見ている。
「それでね、なかなか血が上ったまま、冷静になれないから、美術室に戻る前に食堂に行って、炭酸の一気飲みでもしようと思ってたの」
「はあ?」
「そうしたら、そこに沼田君が偶然来て、いいところに来たって思って、頭に来てたこと全部、沼田君に吐き出してたの。それをきっとあの子、見てたんだね」
「つけけたってこと?」
「さあ。それはわかんないけど」
「沼田はなんて?」
「えっと…。藤堂君の良さは、穂乃ぴょんだけが知ってたら、それでいいんんじゃない?あの子のことはほっておけばいいよって、そんなようなことを言ってくれたと思う」
「…そっか」
「……。沼田君も、藤堂君がいい奴だって知ってるって、そう言ってた…よ?」
「…うん」
司君はにこっと微笑んだ。そしてまた、廊下を歩きだし、2人で美術室に入った。
私は私の荷物を持った。
「あ、卒業制作の絵?」
司君は私の横に来て、キャンバスを覗いた。
「うん」
「何を描くの?これ、木かな」
「うん。銀杏の木」
「ああ、体育館の裏の」
「うん。そう…。高校の思い出を描きたくって」
「銀杏の木に思い出があるの?」
司君は、涼しげな顔でそう聞いてきた。
「え?」
まさか、去年の告白の時のこと、覚えてない?って、そんなわけないよね。
「体育館の裏っていったら、やっぱり、その…」
私はわざと、口ごもってみせた。
「まさか、去年の秋の…?」
「…うん。文化祭の日に…」
「それ?それが高校の思い出?」
司君、びっくりしてる。
「うん。あの時、銀杏の葉の黄色がすごく綺麗で、印象に残ってて」
「…そ、そうなんだ。俺、まったく覚えてない。なにしろ、それどころじゃなかったし」
あ、赤くなった。
「…私は、黄色の葉も、青空も、司君の赤い顔も、全部覚えてるよ?」
「俺の赤い顔?」
「うん。真っ赤だった」
「…」
あ、今も同じくらい、真っ赤になっちゃった。可愛いかも。
「まさか、俺のことも描いたりしないよね?」
「あ、それもいいかも」
「え??!」
「あ、うそうそ。冗談」
「も、もう~~~。まじで今、びびったよ」
司君、本気で驚いてた。
「くすくす」
「結城さん、性格変わった?そんなふうに俺のこと、からかったりしなかったのに」
「ごめん」
だって、司君、可愛いんだもん。
「…ああ。まいったな」
司君はうつむきながらそう言って、しばらく黙り込んだ。そしてまた、顔を上げたが、まだ顔が赤かった。
「俺、顔、まだ赤い?」
「うん」
「…穂乃香の前だと、ポーカーフェイスになれない」
あ、穂乃香だって。今、そう言ったのにも気が付いてないよね?
「やばいなあ」
司君はぼそっとそう言うと、また顔を下げた。
ああ、可愛いなあ。照れてるんだ。
「……それにしても、穂乃香、切れちゃったんだ」
「え?」
「瀬川さんの言うことに、傷ついたりしないで、逆に切れちゃったんだ」
「う、うん。また、啖呵切っちゃった」
「え?なんて?」
司君は顔をあげた。あ、もう赤くない。
「藤堂君を見くびるなって。そんじょそこいらにいる軽い男と一緒にしないでって…。そう言っちゃった」
「ええ?あはははは」
あ、今度は笑い出しちゃった。
「そうなんだ。あはは。さ、サンキュー。そう言ってくれて嬉しいよ」
まだ笑ってる。
「そっか。あはは。また啖呵切っちゃったんだ」
司君は、しばらく下を向いて、くすくすと笑っていたけど、笑いが止まると顔をあげ、じいっと私を見つめた。
「穂乃香って、やっぱりすごいね」
「え?」
「うん、すごいよ」
啖呵切っちゃうところかな?
「守らなくっちゃって思ってたけど、穂乃香、強いし」
「……うん。そうみたい。司君のことでは、すぐに悩んだり落ち込んだり、ヘロヘロになっちゃうのにね」
「ヘロヘロ?」
「う、うん」
「…それは俺もかな」
「え?」
「俺も、穂乃香のことで、ヘロヘロになるし、メロメロになるし」
「え?」
メロメロにもなるの?
「…ここで、キスしたい」
「え?!」
「けど、やめておく」
びっくりした~~。もう、司君、何を言いだすんだ!
「ああ、ここが学校じゃなくて家だったらよかったのにな」
司君はそんなことをボソッと言ってから、
「あ、俺、もしかしてずっと穂乃香って言ってた?やべ…」
とようやく気が付いたらしい。
「私も、司君って言ってた」
「…くす」
司君は、また静かに笑うと、
「帰ろうか。結城さん」
と言って、にっこりと笑った。
司君は、学校から出ても、家に帰る間中、なんだか微笑みっぱなしだった。あ、もしかして、ずうっと浮かれてる…とか?
それから家に帰ると、司君は2階になぜか、私の手を引き上りだした。
「司君?」
「穂乃香、先に風呂入るよね?」
「うん」
2階に上がり、私のほうを向くと、いきなり抱きしめて来て、それから司君はキスをしてきた。
「?!」
なんでいきなり?それも、長いんですけど…?
司君は唇を離すと、私をじいっと見つめて、
「やっとキスできた」
とつぶやいた。
「え?」
「だから、美術室からずうっと、我慢してたんだってば」
えええ?
「それに、抱きしめたかった」
司君はぎゅうっと私を抱きしめてから、突然、ぱっと手を離して私から離れた。
あ、あれ?なんで?あ!もしかして、押し倒したくなっちゃったとか?!
「俺、汗臭かった?」
「は?」
「やべ…。部活して、汗かいたままだった。抱きしめたりして汗臭くなかった?」
「うん。全然」
「……よかった」
うそ。そんなこと気にしてたの?
「あ、あのね?」
「え?」
「そんなに気にしないでもいいよ?司君、汗かいても汗臭くないし」
「そんなわけないよ。多分、相当男臭いと思うよ?母さんもだけど、たまに守だって驚いてるし」
「そうかな。私、そんなに気になったことないけどな」
「それは、俺、風呂に入ったり、いろいろと気を付けてて」
「部活のあと?」
「うん」
「でも、あの時も相当汗かいてるけど、そんなに気になったことないんだけどな」
「あの時?」
司君はキョトンとした顔をした。逆に私は、げ!今、すごいことを言ってしまったと気が付き、顔を真っ赤にさせた。
「ああ、あの時」
司君はようやくわかったようで、ちょっと顔を赤くしてから、小声で、
「ほんと?汗臭くない?俺」
と聞いてきた。
うんうんと私は声も出さず、顔を赤くしたままうなづいた。
「あ、わ、私…は?」
いきなり気になり、司君にそっと聞いてみると、
「…穂乃香は、いっつもいい香りがする」
と司君はぼそっとそう言った。
「いい香り?」
「甘い香り…」
か~~~~~!!!!顔、もっと熱くなった~~~~!
「穂乃香ちゃん。お風呂、入る~~?」
2人で、階段を上ったところで照れ合っていると、一階からお母さんがそう叫んできた。
「あ、は~~~い」
私は慌てて、大声でそう答えた。
「…母さん。いつもタイミングが絶妙」
司君はそう言うと、また私の唇にチュッてキスをして、
「今夜、穂乃香の部屋に行くね?」
と耳元でささやいた。
え?それ、どういう意味?
聞き返そうとしたら、司君は耳を赤くしたまま、さっさと自分の部屋に入ってしまった。
今夜?
ドキドキドキ~~~~。
ね、念入りに体、洗っちゃおうかな。って、ああ、そんなことを思っている自分が、恥ずかしい。




