第21話 信じる
司君を描いた絵を、藤堂家に持って帰った。守君もお母さんも、そしてあとから帰ってきたお父さんも、絶賛していた。
「本物よりも、かっこよく描けてるわ」
お母さんは司君の目の前で、そんなことを言った。私は思わず、
「いいえ!本物のほうが何倍もかっこいいんです」
と口走っていた。
横で司君は赤くなり、守君は、
「ヒュ~~」
と私と司君をひやかした。お母さんもお父さんも、くすくすと笑っていた。
ああ、やってしまった。でも、本心なんだけどな。
絵はなんと、リビングに飾られることとなった。司君は、自分の絵なので恥ずかしいようだ。だけど、
「穂乃香の絵、色も優しいし、このリビングに合ってるかもね」
と、はにかみながらそう言ってくれた。
「本当に上手。色がとっても優しいのね」
「うんうん。だけど、司はすごく生き生きと描かれていて、躍動感もあるんだなあ」
お父さんとお母さんは、そんなことを言いながら、リビングの壁に私の絵を飾った。
「すげえよ、穂乃香。才能ある。画家になれるよ」
守君がそんなことを言ってくれた。お世辞を言えるような子じゃないから、本当に嬉しかった。
「でも、あれだよな」
お父さんが、しげしげと私の絵を見ながら、ゆっくりと話しだした。
「なあに?」
お母さんが聞くと、
「この絵を見ていると、どれだけ穂乃香ちゃんが司のことを想っているかが、伝わってくると思わないかい?」
え?!
「そうよね~~。司、生き生きとしているし、本当に弓道を愛してるっていうのも伝わってくるし。そういうのを穂乃香ちゃんは、ちゃんとわかってるってことだものねえ」
きゃわ~~。そんなことを本人の真ん前で言われたら、どう反応していいか…。
あ、でもきっと、司君のほうが照れてるかも…。と、そう思いながら司君を見ると、司君は目を細め、じいっと絵を眺めている。
あ、あれ?照れないの?
「俺、腕を怪我して弓道ができなかった時、初めてこの絵の俺を見たんだ」
「そうなの?」
司君が言う言葉に、お母さんが聞き返した。
「うん。それまで、かなり落ち込んでいたんだけど、この絵を見て力をもらえた」
「そうよね。絵の中の司、生き生きと弓道しているもの。本人も絵に負けないように、頑張らないとって思うわよね」
お母さんもそう言ってから、絵をしげしげと眺めた。
「うん…。この絵を描いてくれて、俺、本当に嬉しかったんだ」
お母さんは、絵から司君のほうに視線を向けた。そして司君の表情を見て、眉を寄せ、目を細めた。
司君は、嬉しそうな、切なそうな、なんだかそんな表情をしていた。私は時々、そんな表情を見ることがあるけど、きっと家では見せない顔だ。
お母さんはそんな司君の表情を見て、感激しちゃったんだろうなあ。
その晩のダイニングは、笑いが絶えなかった。お母さんとお父さんがビールを飲み、特にお母さんがあれこれ楽しい話をして、盛り上がっていた。それを守君が茶化して、もっと盛り上げ、司君も珍しく、声を出して笑っていた。
なんだか、いい雰囲気だ。私はそんな司君の笑顔を見て、喜んでいた。
夕飯を終え、司君の部屋に2人で入った。
「お母さん、嬉しそうだったね」
「…うん」
司君ははにかみながら、うなづいた。
「穂乃香のおかげなんだ」
「え?」
「穂乃香がうちで暮らすようになる前は、あんなに食事中楽しくみんなで話したりしなかったよ」
「そうなの?私が来た時から、ずっと楽しい雰囲気だったけど?」
「…穂乃香がうちに来るまでは、守も俺も黙ってさっさと食べ終えて、守はリビングでゲームしたり、テレビ観たり。俺は、さっさと自分の部屋に来ちゃってた」
そうだったんだ。
「父さんも、あんなに陽気じゃなかった。守によく説教を始めたり、俺にもいろいろと言って来たり…。暗く夕飯食べてた時も多かったかな」
え~~~!びっくり。そりゃ、守君は変な言葉使いをしたり、口に食べ物を入れたまま話すと、お父さん、注意してたけど、説教をしている姿はいまだかつてないのに。
「穂乃香ってすごいね」
「私が?なんで?」
司君は机の椅子に座ったまま、じいっと私を見ながら話を続けた。私は床にクッションを置いて、その上に座って話していた。
「…うちを変えちゃったからさ」
「私じゃなくって、きっと、私がいるから、お父さんやお母さん、気を使ってくれて…。あ、きっと守君も、それで場を盛り上げてくれてるんだね」
「…それってやっぱりさ、うちの家族がみんな穂乃香のことを好きだからじゃないかな」
「え?!」
「気を使ってるっていうよりも、穂乃香がいるから嬉しくて、だから明るくなったんじゃないのかな」
「…司君も?」
私は気になり、聞いてみた。すると司君は耳を赤くして、
「うん。俺も」
とそう言うと、にっこりと可愛い笑顔を見せてくれた。
「っていうか、俺が一番、変わったかもね」
司君はそう言うと、赤くなって下を向いた。
ほわわん。なんだか、嬉しい。
「わ、私ね」
「うん」
司君は顔をあげて私を見た。
「司君が幸せそうだと、すごく嬉しい。笑っていると、私もすっごく幸せな気持ちになれる」
「……」
司君は一瞬目を丸くしてから、次に目を細めた。そうして、椅子から立ち上がると、私の横に座った。
「サンキュ」
司君は私を抱きしめながら、耳元でそうささやいた。
ドキドキドキ。うわ。一気に大接近だ。
「俺も。穂乃香が嬉しそうだと、嬉しい」
「じゃ、じゃあ、司君が幸せでいてくれるのが一番だね」
「え?」
「だって、そうしたら私、嬉しいでしょ?」
「……」
司君は私を抱きしめる手をゆるめて、私の顔を覗き込んだ。
「そうだね」
司君はそう言うと、優しくキスをしてきた。
キュキュン!うわ。胸がキュンってした…。
も、もしかして、このまま、押し倒されちゃったり?
と思った次の瞬間、司君は私から離れ、
「そういえば、明日、英語の訳、穂乃香、当たりそうじゃない?」
と言い出した。
「え?あ、そうかも」
「予習しておく?」
「う、うん。そうする…」
がっくり。
…。
……。
………。
え?今、私、なんでがっくりしたの?
もう~~。何を期待してるんだか!
一気に顔が赤くなるのを、必死に下を向いて隠し、私は英語の教科書を一生懸命読んでいるふりをした。ああ、私って、だんだんとエッチになってきてない?って自分で思ったら、今度はなぜか、ドスンと落ち込んでしまった。
そんなことを司君に知られたら、かなり呆れられるか、ドン引きされられるか…。
予習を終え、私は司君の部屋から自分の部屋に戻り、そのあとも、なんとなく落ち込んでいた。
そういえば、私が夜中に部屋に来るのを待ってるとか、司君言ってたっけ。あれって、冗談だよね?
本気にしたら、アホだよね?
それとも…。本当に私がそういうことをしちゃっても、司君はなんとも思わないのかなあ。
いや、行ったりしないけど。
そういえば、夜這いにくるようなことも言ってたよね?あれも、冗談?
いや、期待はしてないけど。
…って、本当に?かなり期待してたりしない?私。
ああ!もう!自分が自分でわけがわからなくなることが、最近多いよ~~~。
だけど、こんなこと、やっぱり誰にも相談できないっ!
司君は、たまに大胆になってみたり、大胆な発言をしてみたりして私を驚かせるけど、だけど、急にそっけなくなったり、私をつけ放してみたり、そんなことをしてくれる。
だから、どこまで本気にしていいかもわからないし、どこまで私は司君に甘えたり、本音を言っていいかも、わからなくなって戸惑ってしまう。
こんなことを、ここ数か月、繰り返しているような気がするなあ。それでも、私と司君はちゃんと前に進んでいるのかなあ。
あ、そうか、私がもしかして、前に進むのが怖くって、ストップさせてるのかなあ。
恋って、なんだか、いつも何かで悩ましてくれるよね…。
司君も、悩んだり、落ち込んだり、喜んだりしてるのかな。うん。そうだよね。そういうこと、たまに言ってくれるもんね。じゃあ、おんなじなのかなあ。私と…。
翌日、学校に行くと、なんだか周りがざわついていた。
教室に入ると、
「ちょっと!藤堂君、どういうつもり?」
と女子の何人かが、司君を取り囲んだ。
「え?」
なんだ?なんだか、すっごく怖いんですけど?
「二股って、どういうつもりなの?藤堂君は、真面目だし、誠実そうだし、私たち、2人が付き合ってるのを本当に見守って来たっていうのに」
「…え?」
司君は、固まった。隣りで私も、目を点にした。今、なんて言った?ふ・た・ま・た?
「あ!」
とっさに私は瀬川さんのことが浮かんでしまった。
「それ、勝手に瀬川って子が言ってるだけだよ」
そう後ろから助け船を出してきたのは、沼田君だった。その横から麻衣も顔をだし、
「みんな、司っちが二股かけられるわけないじゃん。穂乃香にベタ惚れなのに」
と、そう言いながら割り込んできた。
「ベタ惚れって!?」
司君は一瞬顔を赤くしたが、すぐにポーカーフェイスに戻った。いつもながら、すごわざだわ。
「えっと…。コホン。それ、誰から聞いたの?」
司君は冷静に、その子たちに聞いた。
「1年生の子。瀬川さんが、藤堂先輩と今、付き合ってるって、そうみんなに言ってるみたい」
「……」
司君は、無表情になった。
「やばいね、その瀬川って子」
麻衣が眉をひそめてそう言うと、周りの女子が麻衣に、
「どういうこと?」
と聞いた。
「だって、司っち、瀬川さんと付き合ってなんていないもんねえ。それなのに、そんなことを言いふらすなんて、変な子じゃない?」
「ほんと?裏で付き合ってたり…」
一人の子がそう言うと、司君は、
「まさか」
と怖い顔をして、一言言った。
「でもねえ。じゃ、なんで瀬川っていう子は、そんな嘘をつくわけ?」
「…」
司君は眉をしかめて、黙り込んだ。
「どういうつもりなんだろうね?そんなわかる嘘をついて、穂乃香から奪うつもりなのかな」
麻衣がその横で、腕を組みながらそう言うと、う~~んと唸りだしてしまった。
私がなんにも言わず、ただ、ぼけっとしていたからか、みんなが私のことをじいっと注目した。
「え。えっと?」
何かここで言わないと駄目だった?でも、なんていうのかな。どうでもいいんだけどな。
「心配じゃないの?結城さん」
私が司君から離れて席に着いてから、香苗さんと望さんが聞いてきた。
「何が?」
「瀬川さんのこと。実は、本当に二股かけてたり…」
「………。心配じゃないけど」
「藤堂君をそれだけ、信じてるの?」
「うん」
私がそうあっさりと返事をすると、2人ともやたら感心して、
「さすが!大人だ!結城さんは違うって思っていたけど、やっぱり、女子の鏡だよね」
とわけのわかんないことを言いだした。
「は?」
「こんなことで、動じたりしないんだよ。このカップルはやっぱり、安泰だよね」
「うん、うん」
2人は自分たちだけで納得して、自分の席に戻って行った。
なんだ、そりゃ。私、みみっちくって、小心者で、司君が他の女の子と仲良くしていたりしたら、やきもちやら、悲しいやら、別れるかもって不安で、いてもたってもいられなくなると思いますけど…。
ただ、柏木君の忠告もあったし、それを司君も一緒に聞いていたし…。
だいたい、ほとんどの時間を一緒に過ごしているのに、いったいいつ、司君は瀬川さんと付き合えるっていうんだか…。
あれ?そうだよなあ。そういえば、部活以外の時間は、いっつも一緒なんだ。教室の席が離れたとはいえ、一緒のクラスだし、登下校も一緒、家に帰っても一緒。寝る前までも、一緒の時間を共有している。
わあ。それ、すごいかも…。休日だって一緒だし。っていうか、ほとんど部活だけど。
でもでも。2人が言うのが、本当になったらいいな。どんな噂や何があっても動じないくらい、司君のことを信じられたら…。
昼休み、また私たちは中庭に行き、お弁当を食べた。
「今日も天気いいからあったかいけど、そろそろあれだね、中庭で食べるのも寒い季節になってきたよね」
麻衣が、お弁当のから揚げに食いつきながら、そう言った。
「寒くなって来てるってことは、クリスマスがどんどん近づいてきてるってことだね」
美枝ぽんは、意地悪そうな顔をして麻衣に向かって、そんなことを言っている。
「やめて!クリスマスの話は…」
あ、麻衣、青ざめちゃった。赤くならず、青ざめるとは、相当悩んでるの?
「それにしても、話変わるけどさ、あの瀬川って子、どういうつもりなんだろうね?」
今度は私に向かって、美枝ぽんが言ってきた。
「う~~~ん。なんだか、変なことをする子だね」
麻衣も首をかしげながらそう言った。
「…二股をかけてるなんて、私は藤堂君を疑ったりしないけど」
「そりゃ、そうでしょ」
2人で同時にうなづいた。
「でもね。それって、藤堂君とは一緒にいることがほとんどでしょ?藤堂君と瀬川さんが2人で会ったりする時間もないのを知ってるから、余裕があるんだと思うんだ。これがもし、そんなに会えていない状態だったら、疑うって言うか、不安になるって言うか」
「え~~~。あの藤堂君だよ?二股なんてできるとは思えないよ」
美枝ぽんは目を丸くした。
「どうして?」
私がそう聞くと、麻衣も驚いて、
「穂乃香、司っちのことわかってる?まっすぐで、とても2人の人と同時に付き合えるような性格してないじゃん」
と言ってきた。
「そうそう。真面目だし、和男子だし」
美枝ぽんが深くうなづきながら、相槌を打った。
「そっか。そうだよね。うん…」
「ま、恋をしてると、いろいろと不安になったりもするだろうけど、だけど、司っちのことは、安心してていいんじゃないかなあ」
「…そうだよね。うん。私もど~~んと何があっても構えてられるくらい、藤堂君のことを信じられるようになれたらいいなって、さっきも思ってたんだ」
「なんで?信じられないのはどうして?」
美枝ぽんが興味津々の目で聞いてきた。
「…どうしてって。そうだなあ。自分に自信がないからかなあ」
「自信持っていいのに。穂乃香、司っちに愛されちゃってるのに」
え?愛されてる?
「ま、麻衣。いきなり何を言いだすの?」
「だって、すんごく大事にされてるじゃないよ」
「…」
か~~~~。顔が熱いぞ。
「瀬川って子のことなんか、ほっといてもいいくらい、愛されちゃってるって」
もう一回麻衣が、念を押すようにそう言った。
「いいねえ。そんなに愛されて」
美枝ぽんはそう言うと、遠くを見つめた。
そ、そうかな。そうだよね。うん。大事にされてるって、それは本当に感じるし…。
それに、司君にも、信じるって昨日、言ったばかりだよね。うん。
なんて、心の中で自分で自分に言い聞かせながら、私はお弁当を黙々と食べていた。




