第20話 すねた顔
今度は麻衣に、雑誌を借りなかった。また司君に見つかったら、男性向けの雑誌だし、かなり恥ずかしい。
帰りのホームルームが終わり、司君がさりげなく席に近づき、一緒にカバンを持って廊下に出た。
すると、廊下に瀬川さんが、司君を見てにこにこしながら立っていた。
「先輩!」
「…」
司君の表情が、無になった。
「文化祭、焼きそば食べに行ったんですよ。でも、もう先輩の当番の時間終わっちゃってて。先輩が作った焼きそば食べられなかったんです」
「……」
司君はうんともすんとも言わない。っていうか、返答に困っているようだ。
「ダンスパーティ、誘いたかったのに、どこにもいないし」
「……え?」
司君は眉を思い切りしかめた。
「だから、ダンス…」
瀬川さんは首を傾け、すごく可愛い表情で恥ずかしそうにしている。
「なんで?俺、そういうの苦手だから帰ったけど、もし出るとしたら、自分の彼女を誘うよ」
司君はそう言うと、私のほうを向き、
「行こう」
と言い歩き出した。
「ごめんなさい。気を悪くしましたか?でも、もう別れたって噂があったから…」
後ろから瀬川さんが、また可愛い声で言ってきた。でも、司君は振り向くこともなく、
「それ、ただの噂だから」
と一言言うと、またさっさと歩き出した。
私も司君の歩く速さに合わせ、ちょこちょこと歩いた。司君は途中で私が早足になっているのに気が付き、
「あ、ごめん。また歩くの速かったね」
と歩幅を私に合わせ、ゆっくりと歩き出した。
「あのさ…」
「え?」
「柏木が言うように、何かをあの子が結城さんにしてくるかどうかわかんないけど」
「うん」
「もし、近づいてきたら、すぐに俺に言ってね」
「……うん」
心配してくれるんだ。嬉しい。でも、きっと大丈夫だとは思うけど。
そう。私があの男らしい麻衣と友達をしているのには意味がある。
1年の初め、友達がなかなかできなかった頃、席が隣の子と話すようになった。でも、何が原因かわからないが、その子が私に対して腹を立ててしまったらしい。
帰りにどこかに行こうと誘われ、部活があるからと断ったのが続いたからか、話がちょっと合わなかったからなのか。
その子は、ちょっとずつ仲のいい子が増えて行き、私を無視するようになった。初めは、悲しかったり、寂しかったりしたが、私が何も言わなかったからか、徐々に私の悪口を言いだした。
そして、3~4人で集まって、私のことをあれこれ言って笑ったり、物を隠したり。
ブチッと切れた私は、いい加減にしてと怒り飛ばし、隠したものを返してもらった。
それを知った麻衣と芳美が、私のことをえらく気に入ったらしく、それ以来、友達になった。
悪口を言って、いやがらせをしていた子たちは、その後、いっさい私に何かすることもなくなった。
恋に対して臆病で、落ち込みやすく、落ち込むと這い上がれない私は、女子の嫌がらせとかに対しては、案外平気だったりする。いや、もしかすると、開き直っちゃったのかな、あの時。一時は兄に電話して相談したり、家でも暗かったりしてたかもしれないなあ。なんか、もう忘れちゃったけど。
だから、麻衣と芳美みたいな、竹を割ったような男らしい友達ができちゃったし、気がとても合うんだと思う。ただ、麻衣も恋のことになると、悩んだり、女の子らしくなったりしちゃうみたいだけどね。
恋って不思議かも。そういえば、あの、ポーカーフェイスで、怖いもの知らずにも見える司君も、私のことで悩んだり、落ち込んだり、浮かれたりしちゃうみたいだし。それがいまだに、信じられないって言えば、信じれないんだけど。
美術室の前で別れ、美術室の中にまだ置いてある司君の絵を眺めながら、そんなことを私は考えていた。
「それ、藤堂君にあげるの?」
「え?」
いきなり声を掛けられ、びっくりして振り返った。
「あ、部長…」
「その絵、藤堂君にあげないの?」
「…藤堂君が欲しいって言ったら、あげるかも」
「ほしがるんじゃない?彼女の描いた絵なんだから」
「そ、それは…、ど、どうかな」
返答に困り、私はしどろもどろになった。
「聞いたよ。去年、結城さんは藤堂君のこと、一回振っちゃったんだって?それで、藤堂君が頑張ってリベンジしたって」
「…」
どこから仕入れてきたんだ。同じ部の女子かなあ。
「そんなに結城さんのことが好きなら、きっと絵を描いた時点で大喜びしていたんだろうね。そりゃ、私がモデルになってって言っても、断るわけだ」
あ、まさか部長、根に持ってたとか?
「本当に羨ましいな。こんなに素敵な彼氏」
え?
「絵ばっかり描いていたら、彼氏もできないわよね。この部には男子がほとんどいないし。いてもパッとしないし」
「し~~。聞こえちゃうよ」
美術室には、2~3人の男子がもう絵を片づけに来ていた。
「あの辺の男子に、力仕事はしてもらおうか」
そう言って、部長は彼らに指示をしに行ってしまった。文化祭のあと、だいぶ片付けたが、まだ個人個人の絵が残っていて、今日はそれらをみんなで片付けているところだ。
それにしても部長、まさかと思うけど、モデルになってほしいと思ったのも、司君のことが気に入ったから?でも、あの日、本人に初めて会ったんだよね?じゃ、私の絵を見て…とか?
するとそこに、美術部の部員以外の生徒が入ってきた。
「すみません。藤堂先輩の絵って、まだありますか?」
「あるけど、なあに?」
部長がその子たちに聞くと、
「今、弓道の練習見に行ったら、顧問の先生に追い返されて。せめて絵だけでも見たいなあって思って」
見学?
「藤堂君を見に行ったの?」
「はい。文化祭でその絵を見て、惹かれちゃって。ぜひ、本物見たいなあって思って」
とその子たちは、ちょっと恥ずかしそうにしながらそう言った。
髪をくるくるに巻いた子と、茶色に染めている二人組だ。私が苦手なタイプかもしれない。
「1年生?」
「はい」
その子たちは目を輝かせている。
「いいけど…。あ、でも、絵を描いた張本人にも見ていいかどうか、確認取ってからにしてね」
部長はそう言うと、私のほうを指差して、
「描いたのはあの人。結城さんよ」
とその子たちに説明をした。
「…見てもいいですか?」
「あ、はい」
その子たちは藤堂君の絵を見に、私に近づいてきた。
「わ。これだよ、これ。かっこいいよね~~」
まさか、絵を見てファンになったとか?
「結城先輩って、本当に藤堂先輩とはなんでもないんですか?」
「…は?」
何それ。
「クラスの子が言ってたんです。あの二人はなんでもないよって」
「あら。そんな噂もあるの?私は2人が付き合ってて、公認のカップルだってことを耳にしてたけどな」
部長が話しに参加してきた。
「え?じゃ、やっぱり付き合ってるんですか?瀬川さんの言ってたことは、嘘なのかな」
「瀬川さんが言ってたの?」
「はい」
む~~~。なんでまた、そんなことを。
「私たちが藤堂先輩のファンになったって言ったら、瀬川さんが今度、紹介してあげる、私、仲いいからって言って。彼女なんていないよって、そんなようなことも言ってたんですよ」
何それ!
「瀬川って、1年でやたらモテるっていう女の子?」
部長がそう聞くと、
「あ、はい。でも、1年の男子には最近、あんまり好かれてないって言うか」
「なんで?すごく可愛いんでしょ?」
「でも、ちょっと性格が…」
2人はそう言ってから、
「あ、今のは私たちが言ってたって、言わないでくださいね」
と慌ててそう言うと、美術室も足早に出て行った。
「う~~ん。なんだか、瀬川って子、裏がありそうね」
「え?」
「結城さん、気を付けたほうがいいわよ」
部長。ちょっとするどいかも。なんて一瞬思ったが、あの子たちの話を聞けば、誰でもそう思うか。
5時を過ぎると、司君が弓道部の人たちと美術室の前にやってきた。そしてそこで、ちょっと立ち話をすると、司君だけが美術室に入ってきた。
「終わった?」
「うん。今日は各自の絵を片づけて、掃除しただけだし」
「あ、じゃあ、待たせちゃった?」
「ううん。先に帰った人もいるけど、私は次の絵を考えていたから」
「来年の文化祭の?」
「ううん。卒業制作の絵」
「もう?」
司君がびっくりしている。
「うん。だって、夏前には引退しちゃうもの。それまでに描きあげないとならないし。2年生はみんな、文化祭が終わると卒業制作に移るんだよ。毎年ね」
私がそう言うと、司君はなんだか寂しそうな顔をした。
「そっか。そうだな。俺も5月には引退して、受験勉強しないとならないしな」
「弓道引退するのが寂しいの?」
「いや…。…なんで?寂しそうに見えた?」
「うん」
「顔に出てたか。寂しいのは、こうやってもう、部活のあとに一緒に帰れなくなること」
「そんなの。部活なくたって、一緒に帰れるよ?」
「でも、3年になったら、クラス変わるよね?俺、理系のクラスに行くし」
「私は文化系…」
「…卒業したら、一緒に登校も下校もできない。別々の学校に行くんだよね?」
「でも…」
私は司君に近づき、すごく声を潜めて、
「一緒の家にいるよ?」
とそうささやいた。
「…ほんと?」
「え?」
「本当に?長野に行ったり、一人暮らしを始めたり、学校や職場の寮に入ったりしない?」
「…うん。しないよ」
2人ですごく声を潜めてこそこそと話していると、部長がそこにやってきた。
「絵をあげるかどうかの相談?」
「…?」
司君が顔を部長に向け、不思議そうな表情をした。
「結城さんの絵、藤堂君ほしいでしょ?」
「あ、ああ、この絵」
司君はコクンとうなづいた。
「じゃ、これ、今日藤堂君持って行って。結城さんが家に持って帰るのも大変だし」
「…そうだね。俺が持って行くよ」
司君はそう言うと、にこりと笑った。
そして、一緒に美術室を出た。
「もう~~。大山の奴、親にいいつけやがって」
廊下を歩いていると、そんなことを言いながら、カップルが歩いてきた。
「わざわざ、親を呼ぶほどのことか?文化祭のあとに教室にいたからってさ」
そんな会話をしている。どうやら、一昨日、教室で2人でいるところを大山先生に見つかってしまったんだろう。それで、親を呼び出されたのか。
私と司君は、ちょっと間を開け、彼らの横を通った。そして、沈黙のまま靴に履き替え、沈黙のまま、校門を抜けた。
「…あいつらも呼び出されたのか」
司君は、学校からだいぶ離れた場所で、ようやく口を開いた。
「みたいだね。大変だね」
「…他にも、校舎裏にいたやつらも、他の先生に捕まったらしい」
「カップル?」
「そう。俺ら、とっとと帰ってよかったよね」
「うん」
実は部長に、早く帰った方がいいと忠告されたんだよ…とは言いにくい。あ、でも、瀬川さんのことは言ったほうがいいのかなあ。
「あのね?」
「うん?」
「話は変わっちゃうんだけど」
「なに?」
司君は優しい目で私を見た。
「さっき、藤堂君の絵を見せてって、そう言ってきた1年の子がいて、その子たちが瀬川さんに聞いたらしいんだけど」
「何を?」
「私たちは付き合っていないって」
私は司君と私を交互に指差してそう言った。
「…俺らがってこと?」
「うん」
「……え?」
司君は不思議そうに首を傾けた。
「それに、自分は司君と仲いいから、今度紹介してあげる…って言ってたらしいよ?」
「……俺と仲いいって?」
「うん」
「それ、ほ…、結城さん、本気で受け取ったんじゃ」
「まさか。そんなの、ちゃんとわかってるし。嘘だって」
「あ、ほんと?び、びびった」
「なんで?」
「なんでって、結城さんが本気にして、疑ってたり、落ち込んだりしちゃったかと思って」
「…そんな~~~。そのくらいでは私、へこまないから安心して?」
「あ、うん」
「でも、柏木君の忠告がなかったら、わかんないな。なんで、あの子がそんなことを言いだしてるのか、悩んじゃってたかも」
「…じゃ、あの子がなんでそんなことを言ってるのか、今ならわかるの?」
司君が、真剣な目でそう聞いてきた。
「…わかんないよ。だけど…。私たちの仲を引き裂いて、自分が藤堂君と付き合えるようになる…ってことを望んでいるんだろうなっていうのだけは、わかる」
「…そんなのありえない話なのに」
「…」
私は黙って、司君をじっと見た。心の中で、ほんと?と聞きながら。
すると、司君が、
「本当に」
と力強くそう私に言ってきた。
あれ?心の声、聞えてた?以心伝心?
「今、ほ…、じゃなくって、結城さん、疑いの目で見たよね?」
え?目?
「ほんと、結城さんは、俺がどれだけ結城さんに惚れてるか、まだわかってないよね」
どひぇ~~~~。
私は思わずあたりを見回した。ああ、良かった。近くに人がいなくって。
「もう。そういうことを道のど真ん中で言わないで、藤堂君」
私の顔は、きっと真っ赤だよ。
「だってさ」
司君はそう言うと、ちょっとすねた顔をした。あ!その顔も可愛い。あまり見ない顔だ。そんな表情も見せてくれるようになったんだ。
「じゃあ、藤堂君」
「ん?」
まだ、すねた顔付きだ。
「ちゃんと信じるね?」
「……」
司君はちょっと照れくさそうな顔をして、
「ん」
と小さくうなづいた。




