第2話 家での二人
司君は、
「そろそろ2階に行く?」
と私の手を取った。
「うん」
中間テストも終わり、最近はかなり家でも私と司君はのんびりとしている。夕飯後にこうやって、テレビを観ることもたびたびある。
そして、たいていが一緒に2階に行く。
そうなんだ。学校では、教室でもあまり会話をしない私たちは、家では、ほとんどの時間を一緒に過ごしている。
たとえば、司君が弓道部の筋トレメニューを考えている時とか、私がお母さんに呼ばれて、2人でちょっと司君には聞かれたくない話をしている時とか、守君が司君に勉強を見てもらいたい時とか、守君が私とゲームで遊びたい時なんかは、別行動をしているんだけれども。
「たまにさ、母さんと2人で何を話してるの?」
司君の部屋に入って、私がベッドに座ると、その横に司君も来てそう聞いてきた。
「えっと…。お料理の話とか?」
「うそ。俺の話でしょ?」
ギクギク。
「何を母さんは言ってるの?」
「学校での様子とかを聞きたいみたい。いろいろと、お母さんはお母さんで、心配してるんだよ」
「俺の何を?」
「…さあ?母でしかわからないこと?」
「…ふうん」
司君はしばらく黙って下を向き、
「まだ、俺に何か隠しているよね?」
とちょっと横目で私を見て、そう聞いてきた。
「隠してないよ。全然!」
私は慌ててそう答えた。
「ま、いいけどさ」
司君はそう言うと、じいっと私のことを見て、私の太ももに手を乗せた。
ドキン。
「守って、なんでああやって、穂乃香とテレビゲームをしたがるのかな」
「司君とすると、絶対に負けるからだよ。弱い私として勝ちたいんだと思うよ」
「…そうかなあ。なんだか、俺らの時間を邪魔してるだけのような気もするけど」
「そ、そんなことないって」
「…」
司君は黙って、下を向いた。ドキン、ドキン。何を考えているんだろう。もしかして、いきなり押し倒して来たり…なんてしないよね?
「文化祭、もうすぐだね」
「え?あ、うん」
「まさか、穂乃香、ダンスパーティ出ないよね?」
「出ないよ。一緒に踊る人いないし」
「よかった」
「え?」
なんでそんな心配してるの?まさか、私が他の人と踊るとか、そんなことを考えてたんじゃないよね。
「俺、穂乃香に踊ろうって誘われたら、どうしようかってちょっとびくびくしてた」
「…へ?」
「ダンス、やっぱり苦手だしさ」
なんだ。そういうこと?
「私だって恥ずかしいから、絶対にダンスなんて誘わないよ。安心して?」
「うん」
司君は私を見て、にこっと微笑んだ。ああ、その笑顔が今日も可愛い。
それにしても、去年は司君のほうがダンスに誘ったんだよね。そんなに苦手なのに、相当勇気を出したのか。それとも、相当魔が差したのか…。
「去年、ダンスに誘ったよね?あれ、私がOKしたら、踊ってくれてたの?」
「え?!」
司君が声を裏返した。
「あ、ああ。去年の告白の時のこと?そ、そうだな。踊ってたかな」
「ほんと?そんなに苦手なのに?」
「…いや、やっぱり、踊れないかな」
司君、顔、赤くなっちゃった。可愛い。
司君は大人びてみたり、いきなり子供のようにかわいくなってみたりする。そのたび、私は胸がときめいたり、キュンってしたり忙しい。
「もう、11時だね。そろそろ寝る?穂乃香」
「うん。もう寝るね。おやすみなさい」
私はそう言って、ベッドから立ち上がり、ドアのほうに向かった。
司君は、ベッドに座ったままだった。
あれ?今日はおやすみのキス、ないのかなあ。いつもはドアの前でしてくれるのに。なんで、座ったままなんだろう。ちょっと寂しいかも。
でも、私の方からまさか、キスして…なんて言えないし。そんなことを思いながら、ドアの前で司君のことをじいっと見ていた。
「なに?穂乃香。忘れ物?」
うん。キスを忘れてる。…なんて言えないよ。
「あ!そうだった。忘れてた」
そう言って、司君はベッドから立ち上がった。ああ!キス、思い出してくれた?
「穂乃香の靴下、かたっぽベッドの下に落ちてたよ。探してたよね?」
ガク。靴下?
「はい」
司君が私に、靴下を渡してくれた。
「あ、ありがと」
で…。キスは?
「じゃ、おやすみ」
あ!キス?
あれ?
司君はにっこりと笑うと、ドアを開けた。
な、なんで?
私はそのまま、寂しい気持ちを押さえ込み、司君の部屋を出た。そして自分の部屋に入り、布団を司君の部屋のほうに敷き、布団にごろんと寝転がった。
「キス…」
してくれなかった。かなり悲しい。
司君は時々、こっちがどぎまぎするくらい、大胆になることがある。いきなり抱きしめて来たり、そのままベッドに押し倒されたり。
でも、今日みたいに、まったくキスもしてくれない時もある。
そんな時、私から「キスして」なんて、とてもじゃないけど言えない。そういうのって、催促していいかどうかも、わからないし。
夜、寂しくなって、司君の部屋に忍び込みに行ったこともないし、朝早く目覚めたからって、司君の寝顔を見に行ったこともない。
本当はしてみたい。きっとそれをしたからって、司君は呆れないだろう。とは思うけど、勇気がない。
一回だけ、司君の部屋の前まで行ったことがある。ドアを開けようかどうしようかで、何分も悩み、結局水を飲みに、一階に下りて行ってしまった。そして、リビングにいるメープルに、
「司君」
と言って抱きついたっけ。
司君は前に比べたら、本当に変わったと思う。お母さんの前でも、平気で私に寄り添ってみたり、笑ったりにやついたり、照れたり。
それに、家族がいても、私と手を繋いだり、時々肩や腰にまで手を回してくることすらある。
それだけでも、私はどきまぎしている。でも、そっけなくされられると、途端に私は、物足りなさを感じてしまう。それに、ちょっと不安になったりもする。
私の方からキスを催促したり、朝まで一緒にいたい…なんて、言っていいものなのかなあ。どうなんだろうか。悩むなあ。
ああ。こういうことを相談する人も、誰もいない。麻衣にも美枝ぽんにも言えないよなあ…。
翌日の準備をして、私は電気を小さな電気だけにして、布団に入った。それから壁のほうを向き、ココンと壁をノックした。
「穂乃香?」
司君の声がした。
「おやすみなさい」
「もう寝るの?」
「うん。寝るよ」
11時をまわったところだ。司君はまだ寝ないのかな。
「おやすみ」
司君の優しい声が聞こえてきて、私は安心した。と同時に、すぐ隣にいないことがちょっとだけ、寂しかった。
前は壁を隔てていても隣にいることに、すごく喜べたのにな。なんだか、贅沢になってるよね。
時計の音。それから外から江ノ電の走る音が聞こえてきた。司君の部屋からは、何も音が聞こえてこなかった。
すぐ隣にいるのに、あんまり物音がしないんだよね。きっと、司君は部屋でいつも、静かなんだろうな。音楽も、イヤホンで聞いているようだし。それってもしかすると、私に気を使っているのかな。
ああ。司君の隣で寝たい。
なんて言えない。
でも、朝まで一緒にいたい。
そういえば、最近は司君の部屋で朝まで寝ることもないなあ。
司君は優しく腕枕をしてくれるし、しばらく2人で、余韻に浸ったりもする。司君の胸に顔をうずめ、鼓動を聞いているのが大好きだ。そのまま朝まで司君のベッドで寝ていたいっていつも思う。でも、しばらくすると、司君は起き上がり、パンツを履き、
「はい」
と私の脱いだパジャマや下着を渡してくれる。
それ、部屋に戻りなってことだよねえ。ってそう解釈をして、私は布団の中でもそもそと下着をつけ、パジャマも着ると、部屋に戻っている。
ベッドだと、窮屈だから?私の寝相でも悪いのかな。それとも、一人で寝たほうが良く寝れるのかな。
もし、狭いのなら、私の部屋に布団を並べて、っていうこともできるんだけど。でも、そんなこと私から提案もできないし。
こんなことで悩んでいるのは、変かな。うん、変だよね。
でも。でもでもでも。気になる。
あ、まさか。お母さんかお父さんから、何か言われちゃったのかな。
なんだか、そんなことを考えていると、なかなか寝れなくなってしまうものだよね。
翌日。ちょっと寝不足のまま、一階に下りた。すると、司君もダイニングでおおあくびをしていた。寝れなかったのかな。あ、もしかして、何か昨日の夜、することでもあったのかな。
筋トレメニューを考えていたり?
それで私が遅くまでいたら、邪魔だったんだろうか。
昼にまた麻衣と美枝ぽんと中庭に行った。麻衣はお弁当を食べた後、女性雑誌を袋から取り出し、私たちに見せてくれた。
「何?これ」
「彼との初めての日の過ごし方とか、特集してたから買っちゃった」
え?
「そ、そんなの載ってるの?」
「うん。たまに出るよ。こういう特集」
知らなかった。
「穂乃香も勉強しとく?あ、美枝ぽんも。いつかその日のために」
私も美枝ぽんも、思わずうんうんとうなづいた。
「なんだか、私、わからなくって。相手は大学生で年上でしょ?前の彼も経験済みみたいだったけど、今の彼は絶対に経験あると思うんだ。元カノいたみたいだしね」
「そ、そうなんだ」
「だから、あんまりこっちが何にも知らないのも、どうかなって思って」
「でも、あんまり知ってるのも、どうなのかなあ」
美枝ぽんがそう言ううと、麻衣が、う~~~んと悩みだした。
「そこなんだよね。たとえば、最初ってどんな下着をつけたらいいと思う?」
「いきなり、勝負下着っていうのもね。すけてたり、色っぽいのはやめたほうがいいんじゃない?麻衣、高校生なんだし」
「やっぱり?でも、子供っぽすぎるのも、ちょっとね」
「そういうの、この本に書いてないの?」
「載ってた。確か、このあたりに」
麻衣は雑誌をぺらぺらとめくりだした。わあ。そんなことまで載ってるの?よく麻衣、これを本屋で買ってこれたよね。私じゃ、そこから無理だわ。
「えっとね。こんな感じなんだけど、この雑誌、ちょっと大人向けなんだよね。20代前半かな。だから、大人っぽい下着も多くって」
「本当だ~~」
美枝ぽんがじっくりと眺めている。
私はそれを見るのすら抵抗があった。でも、
「男性諸君に聞いた。彼女に着けてほしい下着」
と言う見出しに、目をさらのようにして、美枝ぽんと一緒についつい見入ってしまった。
「可愛い柄の上下お揃いとか、わ。ひもパンとかもあるじゃん」
「ひもパン?」
私が聞くと、
「よこっちょにあるひもで結んで履くパンティだよ」
と麻衣が教えてくれた。うわ。そんなの絶対に履けないよ~。
「Tバックや透けてるのもあるよ」
「こんなの、無理。絶対に無理」
つい私がそんなことを言うと、麻衣も美枝ぽんも、
「無理だよね。司っちもこういうのは苦手かもね」
「うん。藤堂君、古風な感じするから」
と口をそろえてそう言った。
「藤堂君、どんなの喜びそうなイメージがあるの?」
思わず私は2人に聞いてしまった。
「白」
「清潔そうな、純白そうなイメージの下着」
2人は、ほとんど同時にそう言った。
「え?」
そうなの?でも、そんなの着けたことない。持ってるけど、そんなの可愛くないって思って。
「でも、わかんないけどね。司っちだって、男だし」
「だけど、穂乃ぴょんのイメージも、白の下着のイメージあるんだよね」
「…」
そうなの?
「私はどうしようかな~~~」
また、麻衣が悩みだした。
「無難なのがいいんじゃないの?ピンクあたりで、小さからず、大きからず、ちょっとフリルが付いてるような、可愛いけど、シンプルな」
美枝ぽんが麻衣にアドバイスをしてあげた。
あ、そうそう。私もそんなの着けた…かも。でも、多分、電気消してたし、司君、あんまり見えてないんじゃないかな。
「ねえ」
いきなり、気になり、私は2人に聞いてみた。
「なに?」
「その…その時って、電気はどうしてるのかな、普通」
「電気?」
美枝ぽんが聞き返した。
「う、うん。見られるの恥ずかしいから、消すよね?」
「ああ、そういうことか。うん。そうだね」
美枝ぽんはそう言うと、悩みだした。
「私は明るいの、絶対に嫌だよ。でも、真っ暗なのもね」
「だよね。相手が真っ暗じゃ、嫌がるかもね」
麻衣の言葉に美枝ぽんはそう答えた。
「え?そ、そうなの?真っ暗って、嫌がられるの?」
「う~~ん。だって、何にも見えないんでしょ?せめて、小さな電気くらいつけないと」
そうなの?私、いっつも真っ暗にしてもらってるのに。
「お風呂はやっぱり、先にもちろん入るよね」
「一緒になんて、絶対に入れないよね」
「あ、あったりまえだよ。そんなの」
思わず、私は顔を真っ赤にしてそう叫んでいた。
「穂乃ぴょん、そんなに興奮しないで。今は麻衣の話をしてるんだから」
美枝ぽんが私にそう言って、肩をぽんぽんとたたいた。
「あ、そうだよね。ごめんね」
危ない、危ない。なんだか、余計なことまで口にしそうだったよ。
「ねえ。この辺読んでみて。美枝ぽん、どう思う?」
「ん~~?なになに?こんな女の子には、ちょっと引いたってところ?」
「そう」
「やたらと、声を出す。下着がやけに派手」
「その辺はなんとなくわかるんだ。でも、ここ…」
「まな板に鯉のままの彼女。ちょっと最近、冷めてきたかも」
「そう。それ。まな板に鯉って、どんなだと思う?」
え?何それ。
「それは、やっぱり、な~~んにもしないってことかな」
美枝ぽんがそう答えると、
「それって、男の人は嫌がるのかな」
と麻衣はちょっと顔を青ざめてそう言った。
「いや、初めてだったら、逆に変にいろんなことするより、いいんじゃないの?お任せにしてたら」
「え?」
「だって、変にあれこれ、積極的にしてくる女の子って、初めてじゃないのかなって、相手は思っちゃうじゃん」
「そ、そうだよね。彼に任せておいていいんだよね」
「まあね、何回も彼氏とエッチをしてるんだったら、いつまでも、まな板の鯉だと嫌がられるかもしれないけど」
「え?!!そ、そうなの?」
私は思わず、また美枝ぽんの話に大声で反応してしまった。
「あ、穂乃ぴょん。聞いてた?何回かしていたらって話で、初めての時には、うぶなほうが絶対に相手も喜ぶって」
美枝ぽんはまるで、何でも知ってるって口ぶりだった。
「あ、そ、そうだよね。ごめんね」
危ない。危ない。ばれるところだった。経験済みだって。
それも、司君とは、そういうことを何回かしているってことも。
って、ちょっと待ってよ。今の、かなり私、青ざめたんですけど。
いつまでも、まな板の鯉じゃ、ダメってこと?
それに、真っ暗にしてもらってたら、ダメってこと?
どひぇ~~~~。ど、どうしよう。
まさか、そんな状態だから、司君は最近私に、求めてこないようになった…なんてことないよね?昨日だって、あっさりと部屋に帰したし。それも、おやすみのキスもなんにもなかったし。
ど、どうしよう。でも、そんなこと2人に聞けないし。
「あ、あの。麻衣…。この本一日だけでいいから、貸してもらってもいい?」
「え?まさか、穂乃香もクリスマスに勝負をかけることにしたの?」
「……ううん。でも、あの。参考までに」
「いいよ。そうだよね。一緒に暮らしていたら、いつなんどき、そんなことがあるかもわからないもんね?」
麻衣はそう言って、雑誌を袋に入れ、私に渡してくれた。
ドキドキ。家でこっそり部屋に入って、いろいろと読んでみよう。自分でこんな本を買いに行くのは無理だろうから。
それにしても…。こんな本を読んでいるってばれたら、司君、引くかな。きっと引くよね。絶対にばれないようにしないと…。
なんて思いながら、本をしっかりとカバンにしまいこみ、私は家に帰るのをドキドキしながら待っていた。