第16話 べったりの司君
4時頃、家に帰った。司君はただいまと言って、玄関を開けた。すると、
「おかえりなさい!」
とお母さんが元気よく出迎えた。
あれ?本当だ。すっかり機嫌が直っちゃってる。
「あ~~~。疲れた」
出迎えたお母さんのほうが、そう言ってダイニングに入って行った。
「疲れたって?何してたの?」
司君は洗面所で手を洗ってから、ダイニングに行きお母さんに聞いた。
「メープルの散歩よ。ね?メープル。海辺で一緒に走ったのよね?」
「走った~?」
司君が驚くと、メープルが嬉しそうにワフワフ言って司君にじゃれついた。
「メープル、母さんと走ったの?」
「ワン!」
「そうよ。むしゃくしゃしてたから、思い切り走ってきたの。そうしたらすっきりしちゃった」
「むしゃくしゃって…。ずっと俺のことで頭に来てたとか?」
「え~~?そんなの朝の話じゃないよ。いつまでも引きずってないわよ」
「…じゃ、他に頭に来ることがあったんだ」
「そう。でも、もうすっきりしたわ」
お母さんはそう言ってから、
「何か飲む?」
と私たちに聞いてきた。
「ああ、そうだな。喉乾いたから、なんか冷たいもん入れて」
司君はそう言ってから、メープルとじゃれ合いだした。
「穂乃香ちゃんは?」
「私もお願いします」
「デート早かったのね。もっと遅いと思っていたから、おやつは買ってないわよ」
「いいよ。ここにあるクッキーでも食べるから」
司君はそう言うと、キッチンのカウンターに置いてあった、クッキーの缶を開けた。
そうなんだよね。見た目と違ったところの一つに、意外と司君が甘党だってこともあるんだよね。
「なんだよ。メープルは駄目だよ。甘いもん食べたら、虫歯になるかもしれないだろ?」
メープルが司君のクッキーに鼻先をつけ、クンクンと嗅ぐと司君はそう言って、メープルからクッキーを離した。
「ワフ…」
「お腹空いたの?母さん。メープルにも犬用のおやつあげたら?」
「メープルもいっぱい走ったものね。はい、あげるからリビングに来なさい」
そう言うとメープルは尻尾を振って、お母さんのあとをついていった。
なんだか、本当に朝、喧嘩していた親子とは思えないほど、いつも通りになってるんだなあ。この親子。
私もクッキーを食べ、お母さんがいれてくれた冷たいウーロン茶を飲んだ。
「で、どんな頭に来ることがあったんだよ?」
司君がリビングから戻ってきたお母さんに聞いた。
「昼に一人でご飯を食べに行ったの。そうしたら、ほら、小学校で司が同じクラスだった石橋さん、覚えてる?ばったり会っちゃって」
「…ああ。あいつね」
「子供も性格悪かったけど、お母さんも噂好きの、人の悪口ばっかり言ってる人なのよねえ。で、いろいろと聞いてたら頭に来ちゃって」
「人の噂話で?」
「あなたのことも、言われちゃったから」
「なんて?」
「女の子と手を繋いだり、寄り添って歩いていたって。私がそれを知らないと思って教えてくれたみたいだけど、ちゃんと見ていないと、変なことになってからじゃ遅いからって」
「変なこと?」
「うるさいわよね。司君は真面目だと思っていたのに、彼女と平気でべったりするような子だったのねって。いいじゃないよね~~?つい、それだけ仲がいいんです。彼女もとってもいい子なんですよって、自慢しまくってやったわ」
「……」
司君は呆れた顔でお母さんを見た。
「それでも、むしゃくしゃしてたから、帰ってすぐにメープル連れて、浜辺に行ったってわけ」
「ふうん。そっか。でも、もしかするともう、俺らのことって近所で相当噂になっていたり…」
「いいわよ、人の目なんか気にしなくたって。そりゃ、学校にまで知らされたら困るけど、この辺にあなたと同じ高校に行ってる子もいないし、大丈夫よ」
お母さんはそう言うと、キッチンに行き、コップにウーロン茶を入れて戻ってきた。それから椅子に座ると、ゴクゴクとそれを飲み、
「は~~~。あんなに走ったのは久しぶり」
とにっこりと笑った。
本当にすっきりしたみたいだなあ。なんだかすごい。司君と喧嘩したのもさっさと忘れたみたいだし、頭に来たこともメープルと走って、すっきりさせちゃうんだから。ほんと、あとあとまで引きずらない性格なんだなあ。司君もだ。お母さんと喧嘩したこと、もう気にしていないみたいだ。
「キャロル、そういえば、本当に週末来るの?」
司君は、おやつを食べ終わってやってきたメープルの背中を撫でながら、お母さんにそう聞いた。
「来るんじゃない?断っていないし」
「……俺ら、きっと部活でいないよ」
「そうよね。ま、いいわよ。お母さん、何も予定入れないでキャロルの相手をしているわ」
「……」
司君は少し遠くを見て何かを考え込み、
「キャロル、そんなに落ち込んでた?」
とお母さんに聞いた。
「…そうね~~。見るからに落ち込んではいなかったけど、おかしかったわね。無理して笑っている感じはあったかな」
「ふうん…」
司君はもうそれ以上、キャロルさんのことを話さなくなった。でも、どこかキャロルさんのことを気にしているような、そんな感じがした。
それから私たちは2階に上がった。司君は、なぜか何も言わず、私の手を握りそのまま私を連れて、司君の部屋に入った。
ドキドキ。まだ司君といられるのは嬉しいけど、なんだかちょっとドキドキしてしまう。
「俺の部屋ってさ」
「え?」
「穂乃香が朝までいると、穂乃香の匂いがするんだよね」
「え?」
「今、俺の部屋に入ったのに、穂乃香の匂いがした」
「ど、どんな匂い?」
「う~~~ん。多分、シャンプーかな」
「……」
「穂乃香の部屋に入った時にも、その匂いがするよね」
「そ、そうなんだ」
「あ、俺の部屋、もしかして汗臭かったりする?大丈夫?」
「うん。全然大丈夫」
そう言うと、司君はちょこっとホッとした顔をした。
私は床にクッションを置いて、そこに座ろうとした。でも、司君は私の腰に手を回し、私をベッドに座らせた。そしてすぐ横に司君も座った。
「……」
どうしたのかな。司君、黙ってるし。腰に手は回したままだし。なんだか、ドキドキしてきちゃったよ。
「今日、一日穂乃香といられるね」
「う、うん」
「……学校だと、最近、席も遠くなって、話もできないし」
「そうだよね」
司君は私の髪にキスをした。それから、ギュって私を抱きしめてきた。
ドキン!
「穂乃香」
「え?」
「……なんでもない」
ドキドキ。
司君…。胸、あったかい。
「今日、俺、駄目だな」
「え?」
何が?
「ずうっと、穂乃香を感じていたくて、手繋いでいたし…」
え?
「穂乃香がこうやって、隣にいてくれるのが嬉しくってさ」
ドキン。
「ずっと俺、浮かれてたの、ばれてたよね?」
ドキン。そ、そうだったの?
でも、私も。ずうっと司君と一緒にいられて、幸せだった。
司君は抱きしめていた手を、私の背中から離して私の手を握ってきた。それから、指と指を絡めた。
「穂乃香の手、小さいね」
「そう?」
「うん。ほら、俺と比べたら、こんなに小さい」
司君は絡めた指をまっすぐにして、私の手と自分の手を比べた。
「指、細いね」
「…司君の指は、節々が太いんだね」
「うん」
「…司君の手、好きだな。私…」
司君はまた、指を絡めた。それから、私にキスをしてきた。そして唇を離すと、首筋にキスをしてきた。
司君の髪が、私の耳をかすめた。ドキン。
これ、もしかして、このまま押し倒されちゃう?
でも、司君は首筋から顔を離すと、私の顔をじいっと間近で見て、おでこにおでこをくっつけてきた。
「穂乃香…。可愛い」
ドキドキドキ。
「なんでこんなに、可愛いのかな」
ドキドキドキドキドキ。
「なんで俺、こんなに穂乃香といると、胸がバクバクするんだろう」
「え?」
嘘。司君も?
ギュ。司君は私と繋いでいない手で、私の背中を抱きしめた。
「ずっと、こうやって抱きしめていたいな…」
「わ、私も」
「え?」
「私も、こうやってずうっと、司君に抱きしめていてもらいたい」
「…うん。じゃあ、こうしてるね」
「……うん」
司君の腕の中にいると、すごくドキドキするのに、安心する。嬉しくて、幸せで…。
こんな気持ちにさせてくれるのは、司君だけだよ。
きっと、司君が優しいから。
「司君」
「ん?」
「だ、大好きだから…ね?」
「……うん」
司君は私を抱きしめる手に力を入れた。そして、
「俺も大好きだよ」
と優しくささやいてくれた。
ああ…。やばい。
やばすぎちゃう。
幸せすぎるほど、幸せだよ~~~~~~~~~~~~~~~。
やっぱり、司君を好きになって良かったって、心から思う。
それに、司君が私を好きになってくれて、本当に良かったって思う。
窓の外がだんだんと暗くなっていった。それでも、私たちは抱きしめあったり、離れても手を絡めたり、ほんのちょっと話をして、またキスをしたり、ずうっとそんなことを繰り返していた。
あ。もしやもしや、これがいちゃつくってことなのかしら。と気が付いたのは、お母さんの、
「穂乃香ちゃん、そろそろお風呂に入らない~~?」
という声が、階段の下から聞こえてきて、お風呂に入ってからだった。
司君から離れ、一人でお風呂に入りながらも、司君のぬくもりやキスを思い出し、余韻に浸っていて気が付いた。
これがまさに、「いちゃつく」ということなのかも!って。
そういえば、付き合いだしだ頃には、2人でお店に入ってもだんまりだった。道を歩いていたって、ちょっと距離を開けて歩いていた。
お店で隣にカップルが座って、いちゃついていた。とてもあんなふうにはできないって、悲観したものだった。
だけど、今は、2人でずうっとべたべたしていた。あのカップル以上にべったりしていた。
うっわ~~~~~~。
自分で自分が信じられない。でも、それ以上に司君がいちゃつくようなことをしてくることが、もっと信じられない。
信じられないけど、現実なんだよね。これ…。
うっわ~~~~~~~。バスタブに浸かっていたから顔が火照ったのか、そんなことを考えていたからなのか、私の顔はぽっぽぽっぽと、熱くなってしまった。
お風呂からあがり、ドライヤーを持って2階に上がり、司君の部屋をノックした。
「お風呂出たよ。司君、入って」
そう言うと司君はすぐにドアを開け、返事をしないでなぜだか、私の頬にキスをした。
どひゃ?
「風呂、入ってくる」
「う、うん」
か~~~~。いきなり、キスをしてくるとは思わなかった。
なんか、こういうのって、新婚さんみたいだ。
いや、待てよ。新婚だったら、一緒にお風呂くらい入っているかな。
い、一緒に、お風呂?
きゃわ~~~。私はもっと顔を火照らせながら、部屋に入り髪を乾かしだした。
そうだ。朝、司君のお尻を見ちゃったんだっけ。ほくろがあったな。
司君のお尻は、引き締まってた。無駄な肉がなく、きゅって引き締まったお尻。
って!何を今、司君のお尻を思い出しちゃったりしてるのよ。私、すけべなんじゃないの~~~?
ああ、自分で自分が恥ずかしい。
「たっだいま~~~」
元気な守君の声が一階から聞こえた。う…。私ったら、こんなに真っ赤になっていたら、これから一階に行って守君と顔を合わせたら、何を言われるか。
パンパン。頬を2回叩いて、冷静さを取り戻した。
髪を乾かし終える前に、司君がお風呂から出て2階に上がってきたようだ。部屋のドアが閉まる音がして、それから、また開く音がした。
…もう下に下りて行くのかな?と思ったら、私の部屋をノックしてきた。
「…はい?」
ドライヤーを止め、ドアを開けると、司君がちょっと照れくさそうにして立っていた。
「?ドライヤー使うの?」
そう聞くと、司君は眉をしかめた。あ、もしかして私はすごくとんちんかんな質問をしたかな?
「入っていい?」
「え?うん」
司君が部屋に入ってきた。そして、
「まだ、髪、乾いてないの?」
と、私の髪を触りながらそう聞いてきた。
「うん」
「そっか」
そう言いながら、司君は私を抱きしめてくる。
うわ。うわわ?
「髪、乾かしてあげようか?」
「ううん。自分でできるよ」
そう言うと司君は私から離れた。ドキドキ。なんだか、やっぱり今日の司君は変かも。
髪を乾かしている間も、すぐ横に座り、背中に手を回して来たりする。
「え、えっと。司君、あんまり近くにいるとドライヤーの熱い風でやけどしても大変だから…。ちょっと離れていたほうがいいかもよ?」
そう言うと、司君は黙って私から離れた。
でも、私の真ん前に座り、髪を乾かしている私をじいっと見ている。
う…。なんだか、恥ずかしいな。
それから、髪をとかして、ドライヤーとブラシを手から離すと、
「終わった?」
と聞いてきた。
「う、うん」
「髪、サラサラだね」
司君はまた私に近づき、今度は髪を触ってきた。
ドキドキ。な、なんだろう。これから、すぐに夕飯だよね?下に行くんだよね?なのになんで、私の部屋に来たんだろう。
バタバタ。階段を駆け上る音がして、
「穂乃香。ドライヤー返せ」
という守君の声がした。
「ごめん」
私は立ち上がり、ドライヤーを持って部屋のドアを開けた。
「はい。ドライヤー」
「いっつも、取りにくるの大変なんだ。これから下で乾かせよ」
「でも、洗面所は司君や守君が、お風呂入るから…」
「いいじゃん。別に」
「よくないよ。着替えもあそこでするでしょう?」
「ああ、裸見るのが嫌なの?いいじゃん、俺は見られても別にいいけど」
守君の裸は、私だってどうでもいいよ。司君のだよ。司君の…。と言いかけたけど、さすがにやめた。
「じゃ、俺がここでドライヤーかけたらいいんだ。いちいちまた、下に行って髪乾かすの大変なんだよな」
と守君が冗談を言った時、司君が私の後ろから顔を出して、
「さっさと下に行け。それにお前の髪、ドライヤー使っても使わなくっても、変わんないよ」
と守君に冷たく言った。
「げ!兄ちゃん、穂乃香の部屋にいたのかよ」
「……悪いか?」
「…ふ、風呂上りだろ?」
「だから?」
「い、いや。いいけど」
守君はなぜか真っ赤になって、階段を駆け下りて行った。
「ふん。何がここで乾かすだ。お前が穂乃香の部屋に入るのは、100年早いって」
司君はもうそこにはいないというのに、守君にそう捨て台詞を言うと、バタンとドアを閉めた。
「………」
やっぱり、変。また、私に抱きついてきたし。えっと?ええっと?私は、どうしたら?
「そ、そろそろ、夕飯だよね?下に行かない?」
「行くよ」
「うん」
だけど、司君はまだ、私を抱きしめている。なんで?
「つ、司君?」
「うん。行こうか」
やっと私から司君は離れた。でも、私にキスをしてきた。
「つ、司君?」
「はあ…」
?なんでため息?
「下に行ったら、こんなにべったりできないよね?さすがに父さんと母さんの前では」
「うん。も、もちろん」
「じゃ、ほんの少しの我慢か」
「え?」
「すぐ、食べ終わったら2階に来ようね?」
……。
やっぱり、おかしい!




