エピローグ この街は、誰かの日常でできている
エピローグ この街は、誰かの日常でできている
迷宮都市アルトナに、今年最初の雪が降った。
白い吐息が街路を漂い、石畳を歩く人々の肩へ静かに積もっていく。露店街では湯気の立つ串焼きが売られ、子どもたちが雪を蹴りながら走り回っていた。
南区。
かつて“負け組職人街”と呼ばれていた場所は、今では都市で最も活気のある地区になっていた。
「ラパン便、第三倉庫到着しましたー!」
「染色班の荷受けまだか!」
「ポーション追加五十本!」
朝から怒鳴り声が飛び交っている。
だが不思議と険しさはない。
忙しい。
けれど、誰も下を向いていなかった。
アトリエ・ラパン本部。
一階工房では、巨大な鍋から湯気が立ち昇っていた。
「マルコさん、火強いです!」
「す、すみません!」
「でも今日はちょっと良い感じ」
「ど、どっちですか!?」
新人たちが笑う。
マルコは真っ赤になりながら鍋を調整した。
以前の気弱さはまだ残っている。
だが、もう誰も彼を“雑用係”とは呼ばない。
ラパン料理・精製部門主任。
それが今の肩書きだった。
ルナは窓際で薬草を選別している。
相変わらず眠そうだ。
だが彼女の机の周りだけ、異様に静かだった。
新人たちが緊張して近寄れないのである。
「ル、ルナ先輩……これ選別合ってますか……」
新人の少女が恐る恐る籠を差し出す。
ルナはちらりと見た。
「……根切れてる」
「ひっ」
「でも昨日より上手」
「ほ、本当ですか!?」
「ん」
少女がぱっと顔を輝かせる。
その様子を見て、エミリはくすりと笑った。
「ルナちゃん、最近ちゃんと先輩してる」
「……してない」
「してますよ」
エミリは帳簿を抱えながら歩く。
以前の彼女なら考えられない光景だった。
「東街区納品、利益率十八%です!」
「配送コスト下がってる!」
「物流改革うまくいってるな!」
二階では、職員たちが新しい物流管理表を広げていた。
キースが始めた“都市物流再編計画”は、すでに南区全域へ広がっている。
荷物の停滞が減り、在庫ロスが激減した。
余った食材は孤児院へ回されるようになり、冬でも飢える人が減った。
その結果。
今やラパンは、単なる職人ギルドではない。
都市機能そのものになりつつあった。
昼過ぎ。
工房の扉が開く。
冷たい風と一緒に、一人の老人が入ってきた。
古びた革鞄。
煤だらけの作業着。
「ここが……ラパンか」
低い声だった。
エミリが近づく。
「いらっしゃいませ」
「仕事を探してる」
老人は少し言いづらそうに続けた。
「鍋修理しかできねぇんだが……」
その瞬間、近くにいた新人たちが顔を見合わせた。
まただ。
“しかできない”。
ここへ来る人間は、みんな同じことを言う。
エミリは優しく笑った。
「鍋修理、すごく大事ですよ」
「……は?」
「厨房設備班、今人手不足なんです」
老人が呆然とする。
「で、でも戦えねぇぞ」
「大丈夫です」
エミリは真っ直ぐ言った。
「このギルドでは、“できないこと”で人を見捨てません」
老人の目が潤む。
その顔を見て、エミリは少しだけ昔の自分を思い出した。
怖かった。
役立たずだと思われるのが。
必要ないと言われるのが。
でも今は違う。
ここには居場所がある。
「エミリ社長ー!」
二階から声。
「はい、今行きます!」
エミリは階段を駆け上がった。
執務室の扉を開ける。
そこには、山のような書類に埋もれるキースがいた。
「……なんですかその顔」
「疲れてる顔です」
「実際疲れてます」
机の上には都市地図。
倉庫配置図。
物流導線。
税収推移。
数字だらけだ。
エミリは苦笑する。
「また徹夜したんですか?」
「してません」
「目の下すごいですよ」
「気のせいです」
完全に徹夜している顔だった。
エミリはため息をつき、温かい薬草茶を机へ置く。
ふわりと優しい香りが広がった。
キースが少し目を細める。
「……ありがとうございます」
「ちゃんと休んでください」
「物流改革が終わったら」
「終わりませんよね、それ」
「はい」
真顔だった。
エミリは吹き出す。
「もう……」
窓の外では雪が降っている。
白い街。
煙突から昇る煙。
荷車。
働く人々。
全部が穏やかだった。
キースはその景色を静かに見つめる。
前世では、何度も会社を再建した。
数字を直し。
組織を直し。
利益を戻した。
だが、どこか空しかった。
ここは違う。
数字の向こうに、人の顔がある。
職人の笑顔がある。
エミリが隣へ立った。
「キースさん」
「なんです?」
「この街、変わりましたね」
「ええ」
「みんな笑うようになった」
キースは静かに頷く。
街を変えたのは、自分じゃない。
職人たちだ。
料理。
裁縫。
整理整頓。
配送。
修理。
洗濯。
日常。
そんな“当たり前”が、この街を支えていた。
ずっと。
キースは小さく笑う。
「結局、一番強いのは日常なんですよ」
エミリも笑った。
窓の外では、雪の中を子どもたちが走っていく。
その後ろを、ラパンの配送馬車がゆっくり通り過ぎた。
白い息を吐きながら。
街を繋ぐように。




