57.
しばらくその場でじっとしていると、宗谷英規に後ろから声をかけられた。
「あれ?宗谷さん。お疲れ様です」
振り返り、挨拶をする。
習慣というのは恐ろしいもので、おはようございますとお疲れ様は、ほぼ脊髄反射で出る。
異世界だっていうのに、いまだにこれらの挨拶が出てくるのだから、なんだか可笑しい。
職業病だな。
「あ、ああ、お疲れさ……」
そこまで言いかけて、私の顔をじっと見る。
そして、宗谷英規は思い切り眉をひそめた。
急に表情が変わったので、私は少しびっくりした。
「どうかされましたか?」
「どうしたもこうしたも、君、怪我をしてるじゃないか」
と言って、宗谷英規はさっとハンカチを取り出す。
あ、そういえばナイフで傷ついてたんだっけ。
痛みがなかったので忘れていた。
「じっとしていろ」
宗谷英規は、首元にハンカチをあてがい、まだ乾ききっていない血をそっと拭ってくれた。
首元がハンカチに擦れて、僅かにちりっとする。
「どうして君はあんな無茶をした?」
ハンカチで拭いながら、静かに聞いて来る。
顔は無表情だが、声音から怒っているのが良く判る。
「何人かが襲いかかっていた時、あの場で君はじっとして居るべきではなかったのか?少なくとも、この場には何人もの騎士達がいた。君が行かなくても事は済んだはずだ。違うか?」
宗谷英規が、まるで言い聞かせでもするように言ってくる。
ああ、まぁ確かにそうだろう。
別に私が動かなくても、事態は収まった。
団長もキョウキーニさんも、強いのは一目瞭然だ。
それにヴォイドが強いのなら、その他の近衛も実力があるのは考えるまでもない。
そう、あの場で私が出ていく理由など、なかったのかもしれない。
だからと言って、私が何とかできる問題を何もしないで、ただ見ているだけというのは私の性には合わない。
その場でできる事があれば、状況が許す限り行い、出来ないと判断をした時はすぐに退く。
それが私のやり方だ。
「そうですね。ですが、緊急事態に何もしないというのは私の信条に反しますから」
と、苦笑気味に答えた。
「あの場を何とかできるとでも思ったのか!?」
ムッ。
「そうではありません。敵だと認識される前に、幾人か減らす事が出来ると判断したから、行動したまでです。あの場全体を収めるのは、私1人では到底無理です」
「そうではなく、実際に君は怪我をしているだろう?」
宗谷英規は、先ほどとは打って変って、弱々しく呟く。
そして、どことなく悲しげに見えなくもない眼をこちらに向け、首に当てられていたハンカチをそっと離す。
代わりに私の傷口をその長い指でゆっくりと撫でる。
ゆっくりと。
首筋から背中にかけてゾクッと電気が走った感じがした。
体がびくっとなる。
思わず、宗谷英規の目を見てしまった。
切なげに揺れた瞳が、私を捕える。
私は不覚にも目が離せずにいた。
宗谷英規との視線が絡み合い、金縛りにでもあったかの様に、私はその場を動けなかった。
彼の長い指はやがて首の傷から離れ、首筋をなでながら顎へとゆっくりと移動する。
顎を親指で2撫でし、徐に私の顔を上に向かせた。
瞳に吸い込まれそうになり、そのまま目が離せずにいると、顔が少しずつ近づいて来る。
このままいけば何をされるか解っているのに、私の体は相変わらず動けずにいた。
近づいた彼の瞳が揺らめく。
それから、何かを我慢する表情へと変化し、すぐに顔を横に向け逸らされる。
そして、小さく切なげに溜息をつき、名残惜しそうに私の唇を撫でてから手を離した。
「とにかく、無事でよかった……」
掠れ気味に呟かれたその言葉が、すっと私の耳に入ってきた。
それは、何よりも彼の本心から出た言葉であったからかもしれない。
拒否せず頭に届き、私は受け止めた。