42.
この国に伝わる寓話に、月の女神と太陽の神というものがある。
月には女神がいて、非常に嫉妬深い性格をしていた。
その太陽の輝きに嫉妬していた女神は、太陽の神の輝きを奪うという罪を犯す。
その時から地上には闇が落ち、自らの輝きも失われてしまう。
結局太陽の子が、太陽の周りを固める星々に乞い願い、神を死の淵から救い出す事で、事なきを得るというストーリーだ。
恐らく日食か月食をヒントに描かれた、寓話だろう。
文字を覚える為に、童話の本をナリアッテに紹介してもらったのはいいのだが、子供に読み聞かせるにはかなり疑問のある、肉厚ながっつり書物だった。
これ童話じゃないから、ドロドロの愛憎小説だったから。
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トイレだったら仕方ないか。
ああ、まぁいいや。
それより、何かが起こりそうな予感。
根拠はまず、警備の人たちがピリピリしてる事。
先程会場を見渡した時、慌てて動き出した警備がいる事。
不穏な動きありとの情報を、侍女さんズネットワークであらかじめ把握している事。
侍女、侮るべからず。
私がここに来た当初牢屋に入れられていたのも、実はこのぴりぴり空気をつくった原因と関係があったらしい。
許すまじ犯人。
後は、先程の違和感男だ。
何がと言われると困るが、人物そのものに異質感がある。
うまく溶け込んでいてそうで、なのにこの場にはなじんでいない。
中途半端な感じがして、私以上にこの会場にそぐわない。
何よりも、あの落着きの無さ。
遠目から見ても、そわそわしているのが判る。
更にあげるなら、正直やる気があるのかと問い正したい程の、野暮ったい服装。
地味すぎる。
それがかえってこの場では、目立つ。
日本の天皇陛下主催の園遊会に、黒のジーンズとニットで出席しているくらい目立つ。
よく追い出されなかったな、というレベル。
とまぁ、根拠を並べてみたが、決定打が少ないか。
でも、すでに周りが動いていそうなのは事実だし、私は大人しく警告だけしておく。
余計なお世話かもしれないが。
考え事をしていると、ファインさんがこちらに気づいて来てくれた。
数多の女性を尻目に。
えーと、後ろの女性、怖い怖い怖い。
綺麗な人達に睨まれると、迫力が違います。
ええ。
それより、警告警告。
あまりこういうやり方は、得意でないから好まないのだけど。
だからと言って、おおっぴろに言える情報でもなし、いたずらに不安煽って集団パニックって、どこのホラーだよ。
てことで、やります。
例え話で誘導作戦。
「ご機嫌はいかがですか、ルイ。今日の装いはとても貴女によく似合っておられる」
何たらのこうたらお世辞云々。
あまりのお世辞攻撃に、聞くことを途中放棄してしまった。
すみませんファインさん。
「ありがとうございます」
ここで一旦略礼をして、ゆっくりと微笑みながら顔を上げる。
「ファイン様の今日のお召し物もとても素敵です。これでは、月の女神に嫉妬をされたかもしれませんよ?」
クスッと笑って、それから左手に持った扇で口元を隠し、壁際の警備に視線を流す。
私が再びファインさんの顔に視線を戻すと、目があった。
「……。それは、大変だ。そうなったら、太陽の子や星々に助けを求めねばいけませんね。まあ、貴女が側にいてくれたら、どのような嫉妬でも耐える自信はありますが」
ファインさんが一度目を伏せたあと、軽く吐息をついた。
何その色気。
横にいる女性の何人かが、ふらついたのを見てしまった。
「女性の嫉妬を甘く見ていると命取りですわ」
扇を閉じ、私が少し拗ねた表情を作りながら言う。
う、我ながらこれはないと思うが、地球にいたころの友人の”女は女優”という言葉を信じて頑張ってみる。
頑張れ私。
「これはこれは……。貴女に妬いていただけるとは、男冥利に尽きますね」
ファインさんが静かに笑う。
「あら、いつ私が妬きまして?それよりも女神様に焼かれてしまえばいいのですわ」
扇で顔を隠しながら拗ねた口調で言うと、ファインさんが更に笑みを深めた。
それを遠巻きに見ていた女性陣から、次々と溜息が漏れている。
ファインさんよ、あんたはなんて罪作りな顔なんだ。
「おぉ、それは困ります。そんな事をされては、女神に太陽が隠されて暗闇になってしまいますね。ルイ、貴女の顔が見られなくなってしまうのは、私にとって苦痛でしかありません。それは、私の本意ではありませんから」
ファインさんが、少しおどけた口調で言う。
「でしたら、暁月夜の内に早くなさるといいですわ。太陽が顔を出してしまいますと、誰も身動きがとれなくなってしまいますもの。まぁ、私はファイン様の顔が見えなくても平気ですけれども」
右手に持ち替えていた扇をパチンと閉じ、右頬に当てながらファインさんを見てにっこりと笑った。
「また、そのようにつれない事をおっしゃる。これでは、女神でなくても嫉妬してしまいそうだよ。そうは思わないかい?ヴォイド三官」
ファインさんが、私に向かって周りに判らない程度に頷いた後、ヴォイドに向く。
「ええ、そうですね」
ヴォイドがファインさんに頷く。
「そうそう、君のお父上は元気かい?最近忙しくてなかなか話ができなくて」
「お気遣いありがとうございます。父にそう申しておきましょう」
言葉少なめに答える、ヴォイド。
こういう場での会話が、苦手なのだろう。
ファインさんがこちらに向き直り、話を続ける。
「本当の事を言えば、ルイをエスコートするのは私でありたかったのだが、今日はアンヴォイド君の方が適任だな。では、私はそろそろ失礼するよ」
そう言いながら、ファインさんは私の手を取って、手の平にキスを落とした。
本来は甲の方に落とすのだが、手の平だった。
これの意味する所は確か、安全の祈願だ。
ちなみに手の甲は敬意。
先程アリーオさんがしたのがそれに当たる。
この国のボディーランゲージは、昨日粗方覚えた。
ナリアッテのスパルタで。
教え方は上手いが、鬼だった。
「はい、ファイン様も無理をなさらずに」
扇を広げ口元を隠して、こっそり囁いた。
ファインさんは、小さく頷いて去って行った。
嫉妬に染まった視線を向ける女性陣を残して。
うげ、これをどうしろって?