185.
ああ、もう。
視線がうっとうしい。
何か言いたい事があるならいえばいいのに。
集中して馬の世話が出来ない。
ああ、やめ。
今日はここで終わっておこう。
「今日はおしまい。又明日」
馬の首筋を心行くまで撫で、道具を片付けてから出口に向かう。
視線の主には悪いが、今日の私は忙しい。
気付かなかった振りをしよう。
急ぎの用なら声をかけてくるだろうし。
自室に戻る途中、昼食を忘れていた事に気付いた。
あちゃあ。
もうこの時間は取りに行っても無理だろう。
あきらめる。
部屋の扉の周辺をチェックする。
幸い侵入者はなかったようだ。
これで、どうでもいい事で時間を取られなくてすむ。
今朝撒き散らした木屑などの汚れをさっと掃除し綺麗にしておく。
ああそうだ、朝の仕事がまだ終わっていなかったんだ。
洗濯。
この時期だと早めにしておかないと乾かない。
隊の洗濯場で洗うと又何かあるかもしれないので、この部屋の備え付け洗面台を利用しよう。
シーツ類に関しては、城のものが使用できないか今度聞く。
さすがにシーツの部屋干は出来ないし。
城の干し場で干させてもらえれば、被害が少ないかもしれない。
このシーツはそれほど汚れてもいないし、これの洗濯は明日に回しても問題ないだろう。
とりあえず、シンヴァーク様の下着やらインナーやらを洗う準備をする。
私の分は、あ、侵入者に盗まれたんだった。
なぜ下着まで……
とりあえず洗おうか。
うん、そうしよう。
流石シンヴァーク様、貴族だけあって着るもののほとんどがシルク製だ。
上掛けの素材はよく分らないが肌触りがよく暖かい素材で出来ている。
臭いもまだないので上掛けの洗濯はいらないだろう。
この間ナリアッテに聞いたところによると、絹糸の作り方はほぼ地球のものと一緒だった。
だからといって成分が同じとは限らないが、ここは自分の勘を信じる事にしてシルクと同じ洗濯方法にする。
シルクは結構縮むから、洗い方と洗剤には注意。
シルク製品の洗濯物を全て裏返しにしておく。
地球では無香料シャンプーで洗剤の代用が出来たので、この国のものなら問題ないだろう。
なのでそれを使用。
これでしばらく、洗剤を隊の洗濯場まで借りにいくという試練から逃れられる。
なくなるまでに、城から入手する方法をナリアッテに聞こう。
って、ナリアッテいなけりゃ何も出来ない自分が辛い。
とりあえず洗濯に集中。
適当に押し洗いをして手で優しく絞り、風通しのいい日の当たらない場所に干す。
皺を伸ばし完了。
うむ、なかなかの手際だったのではないだろうか?
って、自画自賛している場合ではなく、次の仕事がたまっている。
次は今晩の夕食の内容を聞いておく。
それによってお出しするお酒の種類が変わる。
キースに色々薀蓄を披露してもらったので、それを参考にして出そうかと思う。
部屋にあるお酒の種類はと。
うわぁ、これ毎日拷問かも。
おいしそうなのを目の前にして、飲めないわけか。
シンヴァーク様自身がお酒が強いのか、度数の高めなものが多い。
ふむ。
とりあえず厨房へ行くか。
今の時間なら皆休憩していそうだ。
部屋をざっと見渡す。
なんか所帯じみてるな、あの洗濯物。
あの一箇所だけすごく違和感が。
まぁ、仕方がない。
鍵を閉めて出て行く。
あ、鍵。
もう1個をシンヴァーク様に渡さねば。
先に訓練場へ行って探すか。
訓練場へたどり着くと、剣術訓練が行われていた。
多対1で行うようだ。
窓から覗いているとシンヴァーク様と目が合う。
うわあ、露骨に嫌そうな顔。
とりあえず、礼をする。
どうやら来てくれるみたいだ。
助かった。
「なんだ」
「訓練中に申し訳ありません。こちらをお渡ししておこうと思いまして」
扉の鍵を渡す。
「これは?」
「シンヴァーク様の部屋の入り口の鍵です。本日室内への侵入者があり、保安上必要と感じたため、僭越ながら急遽錠を扉に設置いたしました。事後報告となり申し訳ありません。不審者の侵入を許したことも重ねてお詫びいたします」
頭を下げる。
「その不審者というのは?」
「はい。不審者の顔と名前などの詳細はいまだ判りません。部屋が荒らされており、窃盗目的での侵入の可能性があります。ですが、部屋の中にあった高価なものには手をつけられておらず、盗み目的だけの侵入かどうか判別つきかねます。念のために、部屋に戻られましたら私物の確認をされたほうがよいように思います。後……」
これを言うと、又使えないとか言われそう。
はぁ。
「なんだ」
私が言いよどんでいると、シンヴァーク様がいらいらした声で先を促す。
「あ、はい。シンヴァーク様の換えの隊服が、その、汚れてしまいまして。明日以降のものがありません」
「なんだって!?」
「新しいものを用意するには時間がかかりそうなので、体格の合うものを急ぎ借りて参りました。部屋に戻られましたら一度、袖を通していただきたく」
「お前、お前は」
ちらりと見ると、相当お怒りのシンヴァーク様がいた。
うわ、これでもうお互いの信頼関係は完全に修復不可能だ。
これはビジネスライクにいったほうが、精神的に楽かもしれない。
「お前は、隊服というものが騎士にとってどれだけの価値があるか、従騎士にもなってまだ解っていないのか!」
「申し訳ありません」
頭を下げる。
「いいか?隊服はな、俺たち騎士にとって誇りだ、命だ。それをお前は!頼むからもう余計な事をしてくれるな。従騎士などついていないほうがよほど楽だ」
「申し訳ありませんでした」
再度深く頭を下げる。
はぁ、公衆の面前で怒られるというのは結構きつい。
これで、又私の評価が下がるわけだな。
本当地味に目立たず頑張ろう。
はぁ。