178.
「あなたは、本来の職務に戻るべきだ」
私がそう言った瞬間の彼の顔が忘れられない。
困惑と驚きと悲しみ。
目に焼きついてしまった。
顔を上げて再び彼を見た時にはすでに人形のような無表情になっていた。
その顔を思い出すたびに苦い何かがこみ上げる。
違うと言いたかった。
言えなかった。
言うべきでもなかった。
手元のメモを眺めやる。
昨日、副団長が私の手に残していったものだ。
『アンヴォイドの護衛の任を解く。お前から切り出せ』
メモを見た時、心臓をわしづかみにされた。
この数日間おぼろげに考えていた事が、このメモによって決定事項になったからだ。
甘えていては駄目だ。
そう言い聞かせて、ヴォイドにあの言葉を伝えた。
その結果がこれだ、情けない。
正直、この数日は使い物にならなかったと思う。
自動的に体は動くものの、記憶が出来ていない。
言われた事はこなすがそれ以上の事は出来ない。
気づいた時には、OJTは終わり、従騎士としての本番だけが残されていた。
ヴォイドはあの日から一度も姿を現さなかった。
もちろん、同期会にも姿を見せていない。
ヴォイドという名の従騎士は知らないうちに別人と入れ替わっていた。
「おい、お前。いい加減仕事をしてはどうだ?このまま何もしないつもりなら出て行け」
仕事初日から怒られた。
最悪だ。
頭を切り替えねば。
ここまで引きずるとか、こんなにメンタル弱かったか?
何もしていないから、怒られて当然だ。
やるしかない。
自分で選んだ道だ。
後悔はしたくない。
すべきではない。
「シンヴァーク様、すぐにお召し物をお持ちします」
OJTは何も覚えていないので、ナリアッテの仕事ぶりを思い出しながら何とか繕う。
「使えないとは聞いていたが、ここまでとは」
クエウア=アクルナエ=ペオリ=シンヴァークがぼそりという。
ただでさえ私の評判が悪い上に、初対面から心象を悪くしている。
ここから挽回するのは難しい。
私が出来ることといえば、目立たず騒がず淡々と仕事をこなす事だけだ。
と言っても、その仕事内容が頭にはいってない上に、聞ける相手もいないというところが悲しいが。
自分のまいた種だ。
何とかするさ。
まずは着替えだ。
着替え用の部屋にいき隊服を探す。
絶句した。
これは、一度分類分けをしなければ。
大量の私服と混在されているが、これをしまったのは誰だ?
私か。
シンヴァーク様が移ってくるまで、つまりOJTが終わるまでに荷物を整理しておくのが従騎士としての正式な初仕事だった。
服やら何やら適当に置いた記憶が朧気にある。
その結果がこのカオスか。
どうかしてたな。
隊服を大急ぎで取り出し、皺が無いかチェックをする。
奇跡的に綺麗だった。
「お持てせして申し訳ありません。お手伝いいたします」
と言ったものの、クソっまたこのボタンか。
ブラウスを着てもらったが、貴族用のこのかけボタンの複雑さに手を焼く。
しまったもっとリプファーグのブラウス研究をすればよかった。
なかなかとめられない。
溜息を盛大につかれた。
「もういい、自分でする。出来ないのならもう何もするな。邪魔だ」
「失礼いたしました」
頭を下げる。
ここにいても何もする事がない。
次行こ、次
次は朝食の準備だ。
食堂で食べる人もいるが、貴族出身はたいてい部屋で食べるようだ。
シンヴァーク様も例に漏れず。
可動式のテーブルを運び厨房へと急ぐ。
厨房には手動の荷物運搬専用の小さなエレベータがついているから、上げ下ろしは非常に楽だ。
ハンドルをぐるぐる回すと昇降する仕組みになっている。
楽と言うのは撤回する。
朝食を載せたテーブルを持ち上げる時はハンドルが硬い。
いい筋力トレーニングになるくらい硬い。
何とか上がってきた。
チェックに入る。
上がってきたもので足りないものはないか確認したが大丈夫なようだ。
ん?
カテラリーが汚れている?
城では一度でもそんな事はなかった。
やられた。
どうやら嫌がらせを受けているらしい。




