161.
私の纏う空気が変わったのが解ったのか、ユイクル教官は先程よりも幾分慎重な足取りになる。
来ないならこちらから行かせてもらおう。
一瞬にしてトップスピードにまで加速し、体を沈めながら剣を下段より右頚動脈をめがけて振り上げつつ懐近くまで入る。
とっさの判断か教官が牽制をしながら後ろへと大幅に下がる。
体が後方に流れているのを見て取り、さらに勢いを付けて近づく。
先程よりも体勢を沈め、教官の右腕を掴み流れを殺さず後ろ方向に押し込みつつ、足をかける。
私の右方向からきた横一閃に反応が遅れた。
「しまった」
上体を捻りながら反らし、何とか逃れるものの左上腕部を切りつけられた。
教官は左手に剣を持ちかえ切り付けてきたようだ。
動かせないわけではないが、浅くも無い。
さらに悪い事に、行軍訓練中に負った胸のほうの傷口が無理な体勢で体を捻った事で開いた。
くそっ。
昨日お酒を飲んだのはちょっとまずかったかもしれない。
出血はそれほど酷くは無いが、流れ出た血液で剣が滑るのを防ぐ為、服のすそを引きちぎり、傷口に結んで止血をしておく。
「ちょっ!君は何をしているんだ!!腹というかむ……」
リプファーグが何かを叫んでいるようだが、よく聞こえなかった。
痛みのせいか心音が近く聞こえる。
うるさい。
頭を振り意識から音を追い出す。
教官に視線を合わせると、先程まで浮かんでいた小馬鹿にしたような笑みは消えていた。
眼が若干揺れている。
何だ?
迷い?
何に対して?
まぁ、いい。
早いところ終わりにして、この痛みから解放されたい。
まぁ、要するに寝たいということだが。
教官の前ががら空きだったので、取り敢えずそこを狙いを定め斜めに振り下ろす。
下から受けに来たので、流れに逆らわず剣を持ち上げる。
その勢いを利用し体を半分ずらしつつ、横に一閃しようとしたが読まれていた。
まともに受けられてしまい、その衝撃が傷に響く。
「っつ!」
思わず後方に下がり距離をとった。
相手は既に攻撃態勢に入っているものと考え防御体勢をとったのだが、ユイクル教官は剣をこちらに向けたままじっとしている。
え?
何をしているんだ?
教官は相変わらず無表情のまま、いや眼は迷いの眼だ。
いったいなんだって言うんだ。
来ないならこちらから行く。
すかさず左足で踏ん張り、そのまま前へと踏み込む。
右足を大きくすべり出し、右手に持った剣をそのまま教官に向けて突き出す。
スピードに乗っている上に右手右足を前へと出した為、剣が伸びた。
これには対応出来なかったのか、教官が離脱を図る。
その時の眼が驚愕に見開かれていたので、思わずニヤリとしてしまった。
いかん集中集中。
体勢を立て直される前に、教官へ攻撃を仕掛ける。
手応えがない。
先程までの剣捌きとは全く違う。
この感覚には覚えがあった。
リプファーグだ。
訓練中、心ここにあらず状態だったときの。
思わず気が抜けた。
気が抜けた途端痛みが襲ってくる。
早く終わらせるべく、剣を交える回数を徐々に増やしていく。
リズムも上げこちらのペースへと誘い込む。
何とか隙を見つけられればと、色々小細工をしてみる。
集中していないとはいえ、場数をこなしているので下手な小細工は通用しなかった。
困ったな。
自分の血が流れ出てきて、左手が滑りはじめる。
ちっ。
思わず舌打ちが出る。
どうやら気が抜けてきたのは、教官のせいばかりでは無いみたいだ。
血が足りていない。
このままでは、ぶっ倒れるかもしれない。
何とかせねば。
って、あれ?
何で勝とうとしてるんだ、私。
負けてもいいんじゃ。
そうだ、さっさっと負けを認めて開放してもらえば。
ああ、なんだかそう考えると気が楽になってきた。
意識もはっきりしないし、そうしようかな。
眠いし。
本気で、眠い。
まぶたが完全に下りようとする。
抵抗を試みる。
うお!
上から何か感じて、咄嗟に剣を持ち上げる。
あ、駄目だ片手じゃ剣受け切れない。
足の力が抜け、バランスを崩して体が崩れる。
もう駄目眠い。
意識はそこで途切れた。