147.
とはいうものの、いきなり、じゃあ今から壁伝いに移動しろと言っても出来るわけが無いので、急きょボルダリングを教え込む。
一旦洞窟の中へ入り、中の壁を使って練習。
ここに辿り着くまでに何度か岩に登ったりはしているので、感覚は掴んでいるようだ。
あの岩の出っ張りまで距離が3.5mある。
そこまで何とか持ちこたえれば、手が滑っても何とか滝壺に落ちる事が出来るはずだ。
ただ、より安全を考えるならばあの出っ張りを超えておいて、出来れば下まで自力で降りるか、自分から飛び込んだ方がいい。
自力で降りるのが一番いいのだが。
「ええと、移動の際ですが、なるべく次の足場を見る様にして下さい。上ばかり集中しがちですが、それだと体を手の力だけで支える事になります。手の部分だけで体重を支えようとすると自重に耐えきれず、そのまま落下し危険です。今の態勢、腕が辛くないですか?その姿勢で、片方の手を離すとたちまち落ちますよ?出来るだけ肘は伸ばして腕か足のどちらかを離しても、均衡を保てるように体勢を維持して下さい。もう一度やりましょう」
4mの横の移動後、下に降りる練習をひたすら繰り返す。
リプファーグには言っていないが、洞窟の中の方が難度が高い。
ここの洞窟は下が広く上が狭い構造になっている。
なので壁は必然的に傾斜になり、移動する際は常に上体が反る形になる。
上体が反ると言う事は重力が背中側にかかり、腕や足にかかる負担がより大きくなる。
初めてのリプファーグには結構きついと思う。
ところが外の壁は垂直に近く、足場も数か所あるので横に移動するだけならさほど苦労しない。
高さ32~34mという事を度外視すれば、実はボルダリングに適した壁になってる。
あ、落ちそう。
毛布をずらす。
落ちる事に慣れて来たのか着地がきれいだ。
「今のはやはり、足の運びがまずかったのか」
「そうですね、あの場合右足の足場を左足に一旦スイッチ……交換すべきだったと思います。先程左足を上の窪みにかけていましたが、むしろ右側にあった壁の出っ張りに足を置いてしまった方が、体が楽だったと思います」
ボルダリングって日本語訳なんだっけ、壁渡りでいいか。
「壁渡りをするときの基本は、足の位置取りが結構肝になっていますので、足場の確認は必ずして下さい。本番は、私が先行します。私の手や足の位置取りをよく見て、追ってきて下さい」
「わかった。本番は失敗が許されないからな。私にもできるだろうか」
不安になってきたのか、気弱な発言をする。
「やるしかありません。私も必ず補助に入るので。それにせっかくここまで辿り着いたのです。生きて地上に降り立ちましょう」
「そうだな。やるしかないよな」
「ええ」
1時間ほどこの練習をし、いざ本番。
初心者に高度34mに挑戦させるなんて、正直私は鬼だと思う。
リプファーグも背水之陣って事が判っているので、私に対して抗議をしてこない。
覚悟が出来たようだ。
荷物をまとめる。
リプファーグの背負っていた荷物に毛布を詰め込み、薪はここで破棄する。
私が持っていた空になったバックパックも詰め込み背負う。
「おい、その荷物は自分が背負う」
「いえ、初めて壁渡りをするなら、何も持たない方がいいでしょう」
「しかし……」
「降りる事だけに集中しましょう」
私がそういうと、渋々と言った体で頷く。
「さて、準備も出来ましたし、そろそろ参りましょうか?」
「ああ、そう、だな」
リプファーグが、かなり緊張しているようだ。
顔がこわばっている。
「レイ、その、1つ頼みがある」
「なんでしょう。ああ、言っておきますが、遺言とかは聞きませんよ?死んだら彼女に愛していたと伝えてくれだとか、両親に宜しく言っておいてくれだとか、友人に借りた900ドル返しておいてくれとか、は絶対に聞きません。ええ。どうか、帰ってから思い存分伝えて下さい。ご自分で」
そういう事は自分で言えと、いつも思う。
「え?あ、いや、そうではなく。下に着いたら話を聞いてほしいと思って」
「ああ、そういう事ですか。なら、お安いご用です。ここから先はまだまだ長いですし、思い存分愚痴でものろけでも聞いて差し上げますよ」
私がそう言うと、リプファーグが少し笑った。
少し緊張がほぐれたのか、表情の強張りが解けたように思う。
「さて、それでは行きますか」